それぞれの生い立ち
誇らしげに微笑むオードックに、二人は首肯した。
ルチアは頬を紅潮させてオードックに感想を述べた。
「雄大な……そして精彩な……とても美しい星空です」
「よかった……ダニエルも、ここで空を見るのは初めてだよな?」
「はい。絢爛豪華なこの宮殿に、ふさわしい空だと思います」
「ありがとう。
この天文台を造った人々は美的な鑑賞を求めていたわけではないと思うが、それでも私はここで見る空が好きなんだ。
美しくて、感動的で、……夜の恐怖を忘れてしまう」
オードックの言葉に、ルチアもダニエルもうなずき、三人は再び首をそらして夜天を眺めた。
「さて……」
と、オードックがつぶやいたので、ルチアとダニエルは、そちらに視線を落とした。
「私は用事を思い出したので帰る」
「え」
「しかし、二人はここに留まって、心ゆくまで星空を堪能してほしい」
「え?」
ルチアはオードックをまじまじと見つめた。
「オードック様がお帰りになるのであれば、わたくしも……」
「いや、いい」
オードックの強い制止に、ルチアは肩をそびやかした。
オードックは気を取り直すように咳払いをしてから、つとめて穏やかに、ルチアとダニエルに語りかけた。
「二人にはこの眺めを満足するまで楽しんでほしいんだ。
人生の中で、何ものにも脅かされず、ただ星を眺められる時間は、意外と少ないものだから。
それに、友達同士、二人で話したいこともあるだろう。
私は部屋に帰って用事に取り掛からなくてはならないが、二人は飽きが来るまでここにいてくれ……」
オードックは車椅子を操作して少しずつ移動しながら、つらつらと話を続けた。
すぐにでも天文台から出ていきそうな雰囲気である。
「しかしオードック様、」
「心配するなダニエル、帰りのことも考えてある。
従者を……この二人をここに置いていくから、帰りは部屋まで送ってもらいなさい。
冷えないように、ちゃんと毛皮を着込んで、心ゆくまで星を楽しんでくれ……」
後半につれて急かされているような口調になりつつ、本当に急いでいるようで、「おやすみなさい」の挨拶もそこそこに、オードックは天文台を出ていった。
車椅子ごとオードックを動かすために、従者が二人、オードックに付き添って去り、後に残ったのは呆気にとられたルチアとダニエル、影のようにたたずむ案内役の従者二人だけ、である。
ルチアとダニエルは顔を見合わせた。
別に今すぐ立ち去ってもいいのだが、そうするとすぐにオードックと鉢合わせする羽目になるだろう。
移動は少し時間を置いてからの方が望ましい。
ルチアが目配せし、ダニエルがうなずく。
星を眺めつつ時間を潰し、頃合いを見て天文台を去る。
これが一番いい立ち退き方だろうと決めて、ルチアとダニエルは再び夜天に目を向けた。
「…………」
「…………」
「……すごく大きい望遠鏡」
「そうだな。こんなに大きい望遠鏡は初めて見た」
「皇太子殿下は天文学をお修めになったとか」
「この望遠鏡を使って研究なさったのかもしれないな」
「そうだね」
「…………」
「…………」
「……あっ」
「えっ、なに……」
「流れ星だった」
「ええっ」
ルチアは慌てて目を凝らしたが、流れ星はすでに跡形もない。
ルチアは毛皮に包まれた肩をしょんぼりと落とした。
「またすぐ落ちてくるさ」
ダニエルの慰めの言葉が、ひんやりとした空気の中で、温かく響く。
「そうだね……次は見つけるぞ……」
「がんばれ」
「……ふふっ」
レヴィナの空の星は、夜の冷気に冷やされて、震えてみえる。
チリチリと音を立てて凍りつく星を思い浮かべ、ルチアは我知らず微笑んだ。
「オルドリークでも、綺麗な星が見えるんだろうね」
「ああ……ツィヴァコフ城でも、夜は星がよく見えるよ。
でも一番よく見えたのは、生まれた城の、見張り塔のてっぺんかな」
「生まれた城?」
「ああ。
俺が生まれたのは、今の首都よりも遠く離れたところで、辺境の中の辺境みたいなとこなんだ……ノッカーシュタインっていう、小さい、小さい、古い城。
街の明かりもなかったから、夜は本当に星がよく見えた。
星の明かりだけで、森の中を歩き回れるくらい」
「すごい! 空気が綺麗なところなんだね」
「うん。
十歳くらいまで、そこで暮らしてたけど、その後はツィヴァコフに引き取られて、士官学校に入るまでは、ずっとツィヴァコフ」
ルチアは口を閉じ、少し考えてから、口を開いた。
「……どうして首都から離れた場所で暮らしてたの?」
ダニエルは星を見ながら、ちょっと考えるそぶりを見せた。
まばたきを一つ二つとした後、ルチアの質問に答える。
「……ノッカーシュタイン城は、祖父の城だったから」
「お祖父様の?」
ルチアは星からダニエルに視線を移した。
「俺の両親は俺が赤子の時分に亡くなったので、父方の祖父母が育ててくれた。
ノッカーシュタインは伯父とその子供が継ぐことに決まってたから、俺はのんびり暮らせてた。
でも、十歳のときに本家に……ツィヴァコフに住んでる領主夫妻に呼び寄せられて……。
夫妻に後継がいなかったから、親族会議にかけられて、遠縁の俺が養子に入ることになった。
……それで、俺はダニエル・イル・オルドリークに」
ダニエルがまばたくのに釣られて、ルチアも二度三度とまばたきを繰り返した。
冷気はまつ毛が凍るほどではないが、眼球が冷えて渇きそうになる。
「そうだったんだね」
「ああ」
ルチアは星を見上げた。
星の色は少しも変わらない。
このまま夜が明けるまで、空は不動であるようにさえ錯覚する。
ルチアは、ゆっくりと口を開いた。
「私も、養子なの」
ダニエルは傾けていた首を戻し、ルチアを見た。
ルチアは、星を見ている。
「……私はマルセル城の生まれじゃなくて、もっと北の、国境近くの修道院で生まれたんだって。
私の生みの親は、臨月の状態で修道院に保護を求めて、私を産んですぐに亡くなって、私は彼女のことを、覚えてない。
名前をつける間もなく亡くなったらしくて、『ルチア』っていう名前は、修道院長がつけてくれたものなの。
それから少し経って、尼僧の手で育てられていた私を、修道院の視察に訪れたお母さまたちが……フロラントの領主夫妻が気に入って、引き取って育てることにしたんですって。
……それからはずっと、マルセル暮らし」
ルチアは首を戻して、ダニエルに笑いかけた。
「別に隠してることじゃないよ。
大神殿の人身帳にも、ちゃんと記録されてるし、お許しも頂いてる」
「……そうだったのか」
ルチアとダニエルは顔を見合わせて笑った。
お互いの生い立ちを知ったところで別に何が変わるわけでもないのだが、それでもこうして話してもらえることは、互いの内側に踏み込むことを、それなりに許されたようで、嬉しい。
ダニエルは、オードックはこうなることを見越して二人を天文台に残したのだろうか、と考えた。
そしてすぐに、それは大した問題ではない、と思い直した。




