悩
「つけろと言われれば、なんでもつけますよ」
トリステアは朗らかに笑って言った。
「まあでも、香水もいいが、まずは石鹸を使うべきだと思いますね。フロラントのオリーブ石鹸で身体を清めてから、バラでもジャスミンでも好きな香りを纏えば、清潔で、なおよろしくなると思います」
「まあ、ありがとうございます」
ルチアは内心焦っていた。
トリステアが身だしなみに頓着しない性格であれば、贈る側は、いくらでも香水を贈って、それで満足できるだろう。
しかし、トリステアは頓着しない性格なのではない。
むしろ、しっかりとした美学を持っていて、だからこそ香水をつけないのかもしれないのだ。
そうなると、「香水を贈る」という当初の目的ごと、ひっくり返さねばならなくなる。
オードックの方をチラと見ると、なお沈黙して、トリステアを見ている。
オードックも、トリステアに何を贈るべきか、悩み始めているのかもしれない。
「……ダニエル、ルチア殿、もう戻りましょう」
オードックが、おもむろに提案するのに、ダニエルもルチアもうなずいた。
実験室に戻って、作戦会議をする必要がある。
「トリステア姉上は」
「私は、もう少しここにいます」
「そうですか。では、お気をつけて」
「ありがとう。あなたも気をつけて」
オードックは車椅子を方向転換させ、来た道を引き返した。
ダニエルとルチアはトリステアにお辞儀をしてから、オードックを追った。
オードックは、黙々と道を進んでいく。
ルチアとダニエルは顔を見合わせた。
贈り物は香水ではなくなるかもしれない。
そうなると、ルチアはもはやお役御免だ。
ルチアを紹介したダニエルの面子も立たない。
ルチアとダニエルとしては、面子などはどうでもいいのだが、オードックはそう考えるだろう。
贈り物をどうするべきか……。
「ダニエル、ルチア殿」
唐突に、オードックが二人の名前を呼んだ。
声をかけながら、なお車椅子は進み続ける。
「はい」
「はい……」
「私は、やっぱり香水を贈るよ」
「オードック様……」
ルチアはオードックと横並びになって歩いた。
「ご無理をなさらないでください。
香水でなくても、なにか喜んでもらえる贈り物がきっとあります」
「無理じゃないよ。全然無理じゃない」
オードックは止まり、ルチアの目を見た。
「私は君たちに迷惑をかけてしまったと思っているけれど、それでも香水を集めて、選んでもらおうとしたことは後悔してない。
もともと、贈って喜ばれるものなんて、ほとんど無いんだ。
トリステア姉上はこの国の大皇女……手に入らないものなんてないんだ、本当は」
オードックはルチアから視線を逸らし、前を見た。
深い森の中の道は、複雑に湾曲し、先が見えない様になっている。
「最初から自己満足だったんだ。
自分がどれだけ素晴らしいものを贈れるかっていう、自分の満足だけが、ものさし。
それでいいんだよ。
私は、これで結構、満足してる」
オードックはルチアに笑いかけた。
「……だから、そんなに悲しそうな顔しないでください、ルチア殿」
「……はい」
「ダニエルも」
「はい」
「さあ、贈り物を選ぼう。早くしないと日が暮れる」
「はい」
「はい」
***
三人は実験室に戻り、候補に選ばれた香水の審査を始めた。
候補に入ったのは十本。
その中には、ルチアの調香した香水も入っている。
「やはりつけやすい香りの方がいいのだろうか」
「自分一人のためにつける香水というものもありますから……この際つけやすさは度外視してみては?」
「そうだな……」
オードックは十本の香水瓶の中から一本を取り出した。
「私としては、これが一番トリステア姉上のイメージに合うんだ」
掴んでいるのは、〈錬金術師の庭〉。
ヴィルティシオ香水研究所の最新作である。
毒薬として使用されることもある植物を香料に使い、ミステリアスな香りに仕上げた異色の香水。
普通の香水以上の毒性はなく、無論肌につけても害はないが、たしかにその匂いには、〈毒〉を思わせる尖った気配がある。
「わたくしは良いと思います……ただ……」
ルチアが口ごもりながらも提言する。
「主成分が毒草由来なのは、こちらの意図せぬメッセージを受け取られそうな……」
「だよなあ……」
古今東西、〈毒草〉と呼ばれる植物の利用方法として挙げられるのは〈毒殺〉と相場が決まっている。
毒草由来を謳う香水などを贈られては気分が悪いという人も多くいるだろう。
それでも〈錬金術師の庭〉は一時期のベルミオン社交界で大流行していたというのだから、流行りというものは分からない。
オードックは瓶を戻し、別の瓶を取った。
「これはかなりいいと思うんだ」
鯨の絵が描かれたラベルの香水は、ずばりそのもの〈龍涎香〉。
コンスタンツェ工房の最高級品である。
「これを嗅いだとき、ウォルテシーの海を思い出した。
かなり鮮明にだ。
トリステア姉上は海を見たことがないから、これで匂いだけでも感じてもらいたいよ」
「それは、とてもよいお考えです!」
「だろう? ……ダニエルは、どう思う?」
「私も、よい考えだと思います……ただ」
「……うん」
「かなり、匂いが……強いというか……」
「うん……そうだね」
アンバーグリスは強力な香料である。
匂い残りが良いために香水作りでは重宝されているが、そのアンバーグリスをメインに据えて、つまりしこたま大量に使用した〈龍涎香〉はその匂いの残り方も強烈である。
ルチアは、この香水について、「一度使ったら一年間は同じ匂いが続く」という噂を聞いたことがあった。
指につけようものなら細胞が入れ替わるまで匂いが残りそうなので、ムエットに滴下する際はかなり緊張した。
「いくらなんでも使いづらいだろうな、これは」
「はい」
「そう思います」
「うーん……どうしたものか」
三人が思い悩んでいた、そのとき。
扉を叩く音が、四度。
三人が出入り口の方を見ると、すでに扉は開かれている。
両開きの重厚な扉は召使いたちによって全開にされ、そこから、トリステアとその侍女が入ってきた。
「ごきげんよう」
「ト、トリステア様……」
「また会ったわね、お三方」
「トリステア姉上、なぜここに……」
「実験室が空くのはいつかしらと思って。それに、なんだか楽しそうなことをしていらっしゃるわね、あなたたち」
「…………」
三人は顔を見合わせた。
どう言い訳しても、不自然な状況のように思える。




