聞き取り調査
翌朝。
ルチアはダニエルとオードックの応接間に訪れた。
オードックの自室は一階にある。
シンプルで趣味の良い家具が並ぶ南向きの部屋は、オードックの人柄がそのまま表れているような、開放的で明るい空間である。
三人は茶を飲みながら話し込んだ。
「オードック様が香水を贈りたい方というのは、トリステア殿下のことだったのですね」
ルチアは紅茶にも菓子にもろくに手をつけず、ひたすらオードックに質問し、話を聞いている。
「ああ。
お恥ずかしい話だが、私は兄弟の誰にも贈り物をしたことがない。
両親に贈り物をしたことはあるが、それも子供のお遊びのようなプレゼントだった。
家族に贈り物をするのはこれが初めてなんだ」
「では、トリステア様のご趣味はご存じでない……?」
「あまり知らないというのが正直なところだ。
トリステア姉上は科学者だから、数学、物理学、化学、生物学……工学、薬学、錬金術なんかは好きだと思う。
史学や文学にも精通してるし、音楽も聴く。
基本なんでもできるはずだ、あの人は」
「好きな食べ物や、好きなお色などは……」
「好きな食べ物……好きな色……?」
オードックは腕を組み、天を仰いだ。
天井を見ながら、「知らない……」と力なく呟く。
ルチアの質問攻めにも関わらず、オードックは柔和な態度を崩さず、逐一詳細に答えようとした。
しかし、オードックは質問を受けるたびに、自分がそれほど姉のことを知らないという事実にぶち当たった。
長兄のヴァレリウスなら、多少は知っている。
彼は社交的な上、誕生日のプレゼントを弟妹たちにせびって回るという、あっけらかんとした面がある。
その下の双子のリュマートとロウネルは、士官学校の先輩でもあるので、かなり親しい。
自分より下のきょうだい……弟や妹たちも、大方の好みは知っている。
こちらから聞かなくても、あちらから勝手に・一方的に喋ってくるのだ。
しかし、長姉のトリステアは、きょうだいの誰とも違う。
オードックと話をすることも少ないし、自分から話すことも少ない。
他の弟妹への態度も似たようなもので、積極的に自分の内面を開示するようなことは、まずない。
彼女はおしゃべりより独りで考え事をする方が好きなのだ。
……と、ここまで考えて、オードックは慌ててルチアに言い添えた。
「トリステア姉上は、ひとりで考え事をするのが好きだ」
「それは、皆でワイワイお話をするより……ということですか?」
「……多分そう!」
オードックはかすかな安堵を得て、紅茶に口をつけた。
知らないことの方が多いが、知っていることもあった。
生まれてこの方、同じ宮殿に住んでいるのだから、まったく知らないわけはない。
この調子で記憶を掘り返していけば、なんらかのヒントを見つけられるだろう。
「好きな季節、好きな場所などは……?」
「うーん……」
「好きな音楽や、好きな詩などは……」
「…………」
オードックは黙り込んだ。
やはり、知らないことの方が圧倒的に多い。
「そもそも、姉上の好きな香りを知らない……」
「……自分でも好きな香りを知らないという方もいらっしゃいます。
ですから、こうして他の趣味嗜好などから好みを探ろうとするのです。
決して珍しい手段ではありません」
「なるほど……」
トリステアについての、決して豊富ではない記憶を、少しずつ、漁っていく。
オードックは手当たり次第に思い出したことを口にした。
「トリステア姉上は運動はできないが、散歩はなさるはずだ。
庭……より、森の遊歩道の方が好きなんだと思う。
前に外で見かけたときは、森の方向に向かっていたし……」
「なるほど……」
「……そうだ! ベルガモットで香りをつけた紅茶を、美味いと言っていた気がする」
「! それはよいお知らせです」
ルチアはオードックから聴き取ったことを、手元の小さなノートに、細かく記録していく。
白かったページが、あっという間にインクの色に埋め尽くされた。
とはいえ、確信的なこと……トリステアの好きな匂いのことなどは、依然として、よく分からない。
分かったことといえば、科学の実験が好きなこと、読書が好きなこと、音楽鑑賞は好きだが演奏はできないこと、酒も煙草もコーヒーもやらないこと……。
化学実験が好きとはいえ、化学薬品の匂いが好きとまでは言えないだろうと気づいて、ルチアは書いたばかりの「薬品」に二重線を引いた。
「とりあえず、香水を試してみましょう」
ルチアたちは〈実験室〉に移動した。
実験室は同じ棟、同じ階の、北の端にある。
北向きの部屋ではあるが、外は広い芝生の庭が森に向かってひらけており、明るい。
これだけ景観の良い場所に、くつろぐための部屋ではなく、広々とした実験室を設けるあたりには、ザビウス=メールラント家の特殊な価値観が現れている。
有閑の果てに求めることは、休息や娯楽より、新たな創造なのである。
ルチアは実験室の中の光景に目を見張った。
実験台や作業台の上、大量の香水瓶が所狭しと並んでいる。
工房や製造会社の順に並べられた数百種類の香水。
「……これだけの香水を、よくぞお集めに」
ルチアはやっとのことで呟いた。
実験室は、まるで香水の森である。
ルチアがふと手前の香水瓶に目をやると、見覚えのある瓶が並んでいた。
一帯には、フロラント産の香水が並んでいる。
その中に、一つの香水を見つけ、ルチアは血の気が引くような感覚を覚えた。
印刷ではなく、手書きのラベルが貼られた、アルチルド修道院製の香水。
試験的に作った新しい処方のもので、お得意様に限定して、無料で配ったものである。
対象となった顧客の中に、ベルミオン帝室の名前はない。
直接、帝室に繋がりそうな名前もない。
一体どうやって手に入れたのか。
「ルチア殿に感心していただけたのであれば、集めた甲斐があるというものです」
ルチアの戦慄を知ってか知らずか、オードックは誇らしげに笑った。
実験台の間を抜けて奥に行くと、ムエットの束や水差し、手洗い用の陶器など、香りを試すための一通りの道具が揃っていた。
ルチアは気を取り直し、手近な香水を手に取った。
「……とりあえず、自然な香り、清々しい香りから試してみましょう」




