エマリンド皇女
「わたくしもベルミオンの香水を勉強したく思って訪れましたので……負担ではありませんよ」
「あら、そうなの? よかったわね」
エマリンドは二つ結びにした髪の束の、一方の毛先を指に巻きつけて、つらつらと語った。
「私、花の中では鈴蘭が一等好きなの。
スズランは形も可愛いらしいし、匂いも素敵。
最高にかわいい植物はスズランだと思ってるわ。
……それなのに、ねえ、どうしてスズランの香水はないの?
あんなに素晴らしい香りなのに」
ルチアは少し考えてから、答えた。
「スズランは、香料として精製するのが難しいのです。
生花から香りの成分を抽出して香料にする方法はいくつかありますが、そのどれを使っても、スズランの、あの可憐で瑞々しい香りが再現できないのです。
ただでさえ、花の部分は小さいですし……葉っぱや茎や根も、同じです。
そもそも採れる量が少ないのです」
「ふぅん……方法と、量の少なさが問題なわけね」
「左様でございます。
スズランの花の香りを纏いたいのであれば、スズランの花をそのまま纏うのがよろしいかと思います」
「髪に飾るの?」
「それもよろしかろうと思います。
とにかく、スズランは生の花が一番香り高いので」
「フーン……」
エマリンドは髪から手を離し、ルチアに言った。
「私が尉官に上がったら、記念に、きっとスズランの冠を作らせるわ。
もちろん、フロラントの職人にね。
花といえばフロラントだもの」
ルチアの表情が明るくなった。
変な方向から突っかかられたとはいえ、贔屓にしてくれるのは素直に嬉しい。
「ご贔屓にしてくださって、ありがとうございます」
「そういえば、あなたはユリアンに香水を作ってやったそうね。
ユリアンていうのは、末っ子のユリウスのことなんだけど」
エマリンドの口から出た意外な名前。
ルチアは驚きながらも首肯した。
「左様でございます。
ユリウス様の香水作りをお手伝いいたしました」
「ユリアンのヤツ、あの香水を気に入って、士官学校の寮にまで持ち込んでたわ」
「! まことですか!」
ルチアは喜んだ。
それなりに苦心して作り上げた香水だ。
気に入ってもらえるのは、何よりもうれしい。
「ユリアンは今忙しいから、帰ってこれなかったのよ。
でも、あなたが来ると分かっていたら、なにがなんでも帰ってきたかもね」
エマリンドは花がほころぶように笑った。
ルチアはその微笑みを、バラやスズランより、ピオニーのようだと思った。
丸く小さな蕾が、はち切れて満開になり、次々と花びらをこぼすような明るい笑顔。
「ユリウス様にそれほど気に入っていただけたなんて……感激いたしました。
教えてくださってありがとう存じます、エマリンド様」
ルチアは深々と頭を下げ、上げた。
頭を上げると、エマリンドに見つめられていた。
「エマリンド様……?」
「あなた……ルチア殿」
「はい」
「ユリアンのことをどう思っていて?」
「とても聡明で、お優しい皇子様であると、心得ております」
「うーん……」
エマリンドは両手を腰に当て、少しうつむいた。
何かを考え込むような表情。
ルチアは、自分が何かまずいことを言ったのではないかと不安になった。
皇女の機嫌を損ねたのでは香水選びにも集中できない。
ルチアが恐る恐るエマリンドの顔色をうかがっていると、エマリンドはおもむろに両手を下げ、ルチアの顔を見た。
「ルチア殿」
「ハイ……」
「ユリアンは、大変な道のりを歩もうとしているわ……」
「はい……士官学校は厳しいところと存じております……」
「……厳しいところにいて、疲れてるときに、心のこもったお手紙をもらったら、嬉しいと思わない?」
「! 思います」
「暇なときでいいから、たまにでいいから、ユリアンに手紙を書いてやってくれないかしら……」
「まあ……」
ルチアは感動した。
エマリンドは、自らも士官学校という厳しい環境に身を置きながら、同じ場所に立つ弟のことを思い、その心を支えてあげようとしている。
年少のきょうだいを思う心の優しさ。
これが姉というものなのか。
ルチアは心のままにうなずいた。
「わたくしはユリアン様のお友達です。
きっと、お手紙をしたため、お送りします」
エマリンドはうなずき、ルチアの肩にそっと手を置いた。
「ありがとう……あの子もきっと喜ぶことでしょう……」
「はい! エマリンド様は、とてもお優しいお姉様でいらっしゃいますね……!」
「私もそう思うわ……!」
「エマリンドさまぁ‼︎」
二人は声のした方に目を向けた。
エマリンド付きの侍女であろう女性が、燭台を手に一歩一歩近づいてくる。
「エマリンド様! 急にお姿を消すのはおやめくださいと何度言ったら……!」
蝋燭の炎に照らされた鬼気迫る形相。
明らかに怒っている。
震え上がるルチアに、エマリンドは「ヤバ」と呟いただけで平然としている。
「引き返しただけじゃない! そっちこそなんでそんなに見つけるのが遅いのよ⁉︎」
「ま……!
なんたる言い草……!
わたくしどもはエマリンド様がまた秘密通路を使っているのではないかと方々探して回りましたのに……!」
「見当違いもいいとこね」
「エマリンド様‼︎」
エマリンドは肩をすくめてルチアに笑いかけた。
ルチアもなんとか笑い返した。
「シルビィがキレてるからもう部屋に戻るわ」
「はい……そうなさってください……」
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさいませ……」
「では、また明日!」と手を振って、エマリンドはルチアと別れた。
長く広い廊下を、威風堂々と歩くエマリンドの背中を、見えなくなるまで見送る。
後に残されたルチアは、召使に会釈し、再び、部屋への長い道のりを歩き始めた。
今夜は早く床につかなくてはならない。
明日の昼には、オードックとダニエルを交えての、香水選抜である。
第五章:カノラ宮




