晩餐のあと
晩餐の席で、ルチアが危惧していたほどの混乱はなかった。
幼い子供たちは別室に連れていかれ、同じテーブルを囲むのは大人ばかりとなり、不安要素のエマリンドも、ダニエルの食べ方にまでケチをつけるようなことはなく、黙々と鹿肉のローストをたいらげ、満足げにしている。
ルチアはメリニオスと話をしつつ食事を進めなければならなかったので、料理の味はほとんど分からなかったが、とにかくデザートまで漕ぎつけた。
食後は歓談室に移動してお茶を飲みながら話をする。
客人のルチアとダニエルは特に話を振られることが多いので、忙しい。
二人に疲れが出てきたころ、突然、弦の鳴る音が響き渡った。
音のした方向に人々の視線が集まる。
ボリシュターが、いつの間にかヴァイオリンを持ち出していた。
ルチアは覚えのある旋律を聴き取って、耳を澄ませた。
(これは……)
聴こえたのは、フロラントの民謡の調べ。
正確には、それをアレンジした、ワルツ風の弦楽である。
それが唐突に変調し、流れるようにして紡がれたのは、オルドリークの民謡をアレンジしたスケルツォ。
ボリシュターは目をつぶって、ルチアとダニエルに馴染み深い音楽をいくつか、即興的に演奏した。
ボリシュターといえば、世間では「滅多に表に出てこない、地味な第四皇子」という評判の、よくいえばおとなしい、悪くいえば目立たない、捉えどころのない皇子である。
さすがに初拝謁の儀など重要な儀礼では顔を見せていたが、舞踏会などの社交の場はほとんど欠席、家族以外と言葉を交わす姿さえ、垣間見られたことはないという。
それが、このヴァイオリンの音色はどうだろう。
明らかに趣味の範疇を超えた、熟練された演奏。
ボリシュターの音楽には、冴えない評判を吹き飛ばすだけの威力があった。
ボリシュター皇子の意外な才能を知ったルチアとダニエルは、訳もなく、そっと目配せを交わした。
お互いにボリシュターの演奏は初見であること、流れてくる旋律が馴染み深いものであることを、言葉にするまでもなく、まなざしだけで伝え合い、微笑む。
オードックは二人の無言の会話を横目に見、ちょっと笑ってから、すぐにボリシュターに視線を戻した。
そんな三人をまとめて横目に見ている人間も何人かいはしたが、やはり、すぐボリシュターの方へ、視線を戻した。
音楽が終わった瞬間、歓談室は拍手で満たされた。
特にルチアとダニエルは、ひときわ盛大な拍手を送った。
ボリシュターの才能と、故郷の音楽を奏でてもらった心づかいとには、どれだけ賞賛を贈っても、贈り足りないと思われた。
ボリシュターは大仰にお辞儀をしてから、はにかんで、退室していった。
「なかなか良い腕前でしょう」
拍手を続けるルチアに、オードックが笑いかけた。
「はい! とても素敵な演奏でした! ボリシュター様は素晴らしい音楽家でいらっしゃいすね……!」
やや興奮気味にボリシュターを褒めるルチアに、オードックは満足げにうなずいた。
「ボリシュターは引き上げたらもう二度と戻ってこない。
今夜はそろそろお開きだな」
ヴァレリウスがそう言い、メリニオスに目配せをする。
メリニオスはうなずき、晩餐会は解散となった。
人々が皇帝夫妻に挨拶をして、次々に歓談室を退室する。
ルチアは歓談室を出てしばらくダニエルとオードックに付き添っていたが、途中で別れることとなった。
「では、ルチア殿、私はこれで……」
「はい! 明日の選定を楽しみにしております」
「ありがとう。国中から香水をかき集めたから、ルチア殿に選んでもらえれば、良いものが見つかると思う……ダニエルも、ぜひ一緒に見つくろってくれ」
「了解しました」
ルチアはダニエルたちと別れた。
ルチアが執事について廊下を歩いていると、背後から足音が聞こえてきた。
軽やかな、若者の靴の音。
ルチアが後ろを振り向くや否や、エマリンドがつんのめって、身体がぶつかった。
「わ」
「きゃっ……!」
ルチアが倒れそうになるのを、エマリンドが慌てて腕を掴み、腰に手をまわして起こした。
「なんで急に立ち止まるのよ!」
「あ……足音がきこえたから……」
驚いて声も出ない執事のことは意に介さず、エマリンドはルチアの肩を掴んだ。
「あなた、ダニエルの友達なんですってね」
「そ、そうです」
「じゃあ私の友達になりなさい!」
「え? ごめんなさい、もう一度……」
ルチアは思わず聞き返した。
聞き間違いではないかと思ったのだ。
かたや聞き返された方のエマリンドといえば、ムッとするでもなく、馬鹿丁寧に言い直す。
「私の友達になるのよ!」
「え?」
「え? じゃない!
ルチア・イル・フロラント、あなたは私の友達になって、あのダニエルめの動向を報告するのよ!」
「ええ……」
ルチアは困った。
友達になるのはやぶさかではないが、動向を報告するとか、そういうスパイみたいなことはできない。
そもそも、スパイの真似事をしたりさせたりするのは友達のやることではない。
「そんなことはできません……」
「できるわよ!」
「できません」
できる・できないの押し問答はしばらく続いた。
結局、話し合いの末に、ルチアがダニエルとは住所も遠く会う機会も限られているので、スパイの真似事は不可能だということを、エマリンドに納得させて、ルチアはこの押し問答を終えた。
「……では、あなたたち、そんなに親しくないのね」
エマリンドは意外そうに言った。
ルチアとダニエルは相当親しい仲だと思い込んでいたらしい。
「そうかもしれません……」
「勘違いしてたわ。ごめんなさい」
素直に謝るエマリンドは、妙にあどけない。
ルチアは内心、エマリンドが自分より年上だという話は何かの間違いではないか、と疑ったが、エマリンドより年上でもしょうもない人間はいることを知っているので、深く考えるのをやめた。
その代わり、ふと思いつくことがあった。
──エマリンドは、実は、ダニエルと仲良くなりたいのではないか?
エマリンドがやけにダニエルに突っかかるのは、ダニエルと仲良くなりたい気持ちの裏返しで、どうやって仲良くなればいいのか分からずに、しかし関わりたい気持ちも抑えきれずに、あんなふうに剣呑な雰囲気で話しかけてしまうのではないか。
ルチアはエマリンドのかんばせを見つめた。
ミュリティス譲りの威厳のある美しさと、少女の愛らしさが相まって、人目を引く容姿であることは間違いない。
美しいがゆえに人気があり、人気があるゆえに自分から友達になる方法を知らないということは、十分あり得ることのように思える。
ルチアはある考えを思いつき、エマリンドに提案することにした。
「エマリンド様」
「何?」
「明日はダニエルと一緒にオードック様の香水選びを手伝うのですが、エマリンド様も一緒にお選びしませんか」
エマリンドは少し考えてから、答えた。
「しない」
えらくキッパリした答えに、かえってルチアの方が面食らう。
「な、なぜ……」
「面倒くさい」
これまたキッパリした答え。
「ダニエルなんぞと一緒にオードック兄上の買い物の手伝いなんて、まっぴらごめんよ。
昼は一旦寮に戻りたいし」
ちゃんとした理由もあるにはあったが、それにしてもえらく判断が早い。
「だいたい、自分一人で香水も選べないなんて、オードック兄上は優柔不断すぎる。
こんなことで外国から職人を呼ぶなんて考えものだわ。
あなたも大変ね、ルチア殿。
香水選びなんて香水職人じゃなくて香水商の仕事でしょうに」
同情されてしまった。
理由もごもっともである。
ここまでハッキリ言われると、笑うしかない。
ルチアはへら、と力なく笑った。




