オルドリーク辺境伯
フロアに出ると、不思議と音楽がよく聴こえる。
踊り慣れた者も、踊り慣れない者も、リズムに合わせてステップを踏み、ときに裳裾をこすれあわしながら、優雅に舞っている。
ユーリクは背の高い、踊り慣れた少年で、緊張で身体をかたくしているルチアを上手くリードしてくれた。
なんとか一曲踊り終えたときには、ルチアの喉はカラカラに乾いていた。
「ッ……、」
「で、殿下……大丈夫ですか……?」
「ア、ありがとうございました……楽しいひとときでした……」
「む、無理をしないで! さあ、どうぞお水を……」
「あ、ありがとう、ございます……」
ルチアはユーリクの連れてきた給仕から冷たい水を受け取った。
水にしぼって落とされたレモンの果汁が香り立ち、ダンスでほてったルチアの頭をさわやかにさせた。
「落ち着いてきました……」
「それはよかった」
「ありがとう存じます、ユーリク様……初めて踊っていただけた方が、ユーリク様で本当によかった……」
ユーリクは微笑んだ。
笑うとアーシャと少し似ている、とルチアは思った。
「めっそうもないお言葉です。
しかし、ルチア様はダンスがお上手ですね」
「ええっ」
ルチアは驚きすぎてグラスを落としそうになった。
まったく、少しも、思ってもみない言葉だった。
「今のわたくしのどこを見て……?」
「いやいや、なかなか才能がおありだと思いましたよ。リズムはちゃんと取れているし、ステップに変なクセもないし……そう、癖がない。
実はこれが一番難しいんです」
「そうなんですか?」
ルチアはグラスを戻してユーリクの話に耳を傾けた。
「踊り慣れてくると、だんだん自分の癖が出てくるんです。自然とね。
実はこれがけっこうやっかいで、自分で気づいて直せても、すぐ元に戻ることが多い。
癖が強いと、初めて踊る方とは合わせにくいですよね?」
「そうですねえ」
「踊りに癖がない方は誰にとっても喜ばれます。
殿下はリズムの取り方にも足さばきにも癖がありませんから、このまま練習を重ねて踊り慣れていけば、たいそうお上手になるかと思います」
「まあ……」
ルチアはユーリクの言葉に素直な喜びを感じた。
今のままでは緊張し通しなので、もちろんダメだが、緊張しなくなるまで踊り慣れれば、ひとかどの舞踏会の花になれるかもしれない。
「ありがとう、ユーリク様! わたくし、このままがんばってみます!」
「こちらこそ、ルチア様。楽しいひとときを、ありがとう存じます」
ユーリクはルチアの手を取り、手袋ごしにふたたびの接吻を落とした。
「よい香りがいたしますね」
「手袋に香水をしみ込ませております。皇帝陛下にもお褒めのお言葉をたまわりました」
「では、わたくしは陛下の次に?」
「ふふ……左様でございます」
ルチアは微笑んでユーリクの手を握った。
ユーリクも笑ってルチアの手を握り返し、自然と、握手のような形になった。
***
ルチアはユーリクと別れる前に、ユーリクに別のダンスパートナーを紹介してもらった。
その人と踊り、また別の人を紹介してもらって、その人と踊ったころには、すっかり舞踏会の空気に慣れていた。
休憩を取り、ふと壁際を見るとギルバートがいない。
ルチアは背伸びをしながらギルバートを探した。
広い会場の中、やっとのことで兄を見つけると、ギルバートは華やかなご令嬢がたや、洒落た出立ちの男たちに囲まれて、なにごとかの話に華を咲かせていた。
「…………」
(付き添い役って、見張り役も兼ねてるんじゃなかったっけ)
ルチアはギルバートに声をかける気力も湧かなかったので、黙って軽食のテーブルに向かった。
長方形のテーブルにはカナッペや小さなケーキ、アイスクリームなどが並んでいる。
ルチアはイチゴのシャーベットを取って、壁際に引き下がった。
シャーベットを食べながら壁際に立つと、さえぎるように立っている人々の合間から、フロアで踊る若者たちの姿が、ひらひらと垣間見える。
(私もあんなふうに、きらびやかに見えていたのだろうか)
シャーベットを食べ終わり、器とスプーンを給仕に渡す。
ルチアはバルコニーを見つけ、屋外に出た。
夜の空気は冷たく、清々しかった。
夜空には白々とした月が天頂にまで登りつめており、その周りで、チラチラと星がまたたいているのも見えた。
(楽しいけど、ちょっと疲れたなあ……)
体力に自信がないわけではない。
むしろ、重労働と言われる農作物の収穫や工場の手伝いなんかをしている分、同い年の貴族の女子よりは体力がある、と思っている。
しかし、こういった公の場に出るときの緊張感や、格式高い作法の動作、おしゃべりに頭をフル回転させる感覚などは、慣れないせいか、変に疲れるのだ。
「お」
男の声を聴き取り、声のしたほうに振り返ると、青年が立っていた。
一瞬、逆光でよく見えなかったが、よく見ると、着ているのはベルミオンの軍礼装である。
暗い、地味な色の肋骨服に、サーベルをさげた青年は、つぶやくように言った。
「先客がいたか」
「あ、いえ、すぐに戻りますので……」
「いや、いていい。俺だけの場所ってわけじゃない」
青年はルチアの真ん前に立って。軍人風の形式ばったお辞儀をした。
ベルトの金具とサーベルの鞘がかち合って、音を立てる。
「自分はダニエル・イル・オルドリーク少尉であります」
「ルチア・イル・フロラントです」
フロアの光が柔らかく、少年の顔を照らす。
ルチアはしばし息を止め、ダニエルのかんばせに見惚れた。
涼やかな形の眼。
均整の取れた鼻筋と口元。
燃え立つような朱色の髪が、そばかすの散った、精悍な顔の輪郭を縁取っている。
ルチアは、胸に飾られた花飾りから、同い年──今日この時に社交界デビューを果たしたばかりの、十六歳だろうと推察した。
「オルドリークということは……オルドリーク辺境伯」
オルドリーク辺境伯といえば、現在のベルミオンでもっとも若い貴族の当主である。
「そちらは、ルチア・イル・フロラント公女殿下であらせられましたか。
まことに失礼いたしました。
ご無礼をお許しください」
「いえ、そんな……同い年ではありませんか。もっとくだけた話し方でよろしいのでは?」
ルチアの脳裏に一瞬、「これは出すぎた申し出だったかもしれない」という考えが浮かんだ。
オルドリーク辺境伯領は北の帝国・モリグロフとその周辺国にほど近く、防衛の最前線でありながら、交通の要衝でもあるため、ベルミオンにとって、もっとも重要な領地の一つである。
それゆえ、オルドリークは強大な経済力・軍事力を有している。
一応の独立国家であるフロラント大公国よりも、はるかに強い〈国〉なのだ。
「お許しいただけるのであれば、よろこんでくだけた話し方にいたします」
「もちろん、許します! 怒ってなどおりませんけれど」
「ありがとう」
ダニエルはぎくしゃくと頬をゆがめた。
微笑んだのだ、とルチアは思った。




