ダニエルからの手紙
親愛なるルチア・イル・フロラント公女殿下
向寒のみぎり、薫り高きフロラントのルチア公女殿下におかれましては、ますますご健勝のことと存じます
さて、この度は折りいってお願いしたきことがあり、お手紙を認めました次第でございます
先だってお話ししました通り、私、不肖ダニエル・イル・オルドリークは、現在ベルミオン帝国士官学校に在籍、彼の地にて修練に明け暮れる日々を送っております
私はこの士官学校で、生涯の師となる素晴らしき御仁と出逢いました
私は彼の人から薫陶を授かり、今でもこの師を人間の模範としております
実は、ルチア様にお願いしたきことというのは、この師の願いに関することなのです
師は前々から、ご家族に香水を贈りたいとお考えになっておりました
それに加えて、贈るならば最高のものを贈りたいと、薫り高きフロラントの高名なる香水職人にご助言いただき、香水の選定・購入をなさりたいと考えておられました
こうした希望にも関わらず、縁故なき者からの突然の申し出は無礼とお考えになった師は、まずはフロラントと縁のある私ダニエル・イル・オルドリークを仲介に立てて、フロラントの香水職人にお願い申し上げようとなさいました
私はそれを承り、こうしてルチア様にお手紙を差し上げた次第でございます
フロラントの類稀なる香水職人であるルチア殿下に選定を授かりますれば、師と師のご家族はどれほどお喜びになるか分かりません
師は資産家でございますゆえ、謝礼につきましては、ルチア様もご満足いただける支払いがあるかと存じます
つきましては、同封の別紙に詳細を記しておりますので、何卒、お目通しのほどをお願いいたします
末筆ながら、ますますのご活躍をお祈り申し上げます
心より
オルドリーク辺境伯 ダニエル
***
ルチアはダニエルからの手紙を二度、三度と読み直した。
前もこういうことあったな……という気が、しないでもない。
部屋の窓から外を見ると、キャシディが農家の若者と世間話をしているのが見えた。
日が暮れる前に、キャシディに返信を預けて、送り出したい。
早く返事を書きたいが、何を書いたらよいのやら。
ルチアは今一度ダニエルからの手紙に目を通した。
***
シュカ旅行からフロラントへ帰ってきたルチアたちは、マルセル城で二日間の休日を取った。
一日は完全に休息のための休日だったが、二日目はダリル主催の小規模なパーティーに時間を費やした。
無事の帰還を祝ってとのことだったが、ルチアとしては、もうしばらく休みたかったのが本音である。
しかし、旅の話をするのは楽しかった。
ルチアは、シュカの都会のこと、市場のこと、巨大な離宮や大温室のこと、心躍る香料の見聞、あでやかな夜宴の様子など、シュカで見たもの聞いたもののことを、絶え間なくアンドレアたちに聞かせた。
シャマイリーに落ち着いてからは、皇帝ナグエレ・キプサの要望に応えて、香水工場で香水職人の募集を行った。
皇帝の署名入りの〈求人票〉は凄まじい威力で、そこに、ルチアの口から伝えられた皇帝のお褒めの言葉が重なって、職人たちの自負心は鼓舞されたらしい。
志願者が出たので、手筈が整い次第、シュカへ送り出すことになった。
香水職人の派遣が叶ったとして、これがシュカとの国際関係、ひいては香料の輸入と香水の輸出にどれだけ影響を与えるかは、まだ不透明だ。
だが、シュカとフロラントの交流は、数字の上だけでなく、香水という文化そのものにも変化を及ぼすだろう。
香料について。
外国について。
どれだけ語っても言葉はあふれ、言葉があふれるほど、ルチアの脳裏にある考えが浮かんだ。
香りでこの記憶を再現したい。
修道院の研究室にある数多の香料と蓄積された知識を使えば、悪臭から芳香まで、多様な香りが再現できる。
それらを使えば、「記憶」という曖昧で抽象的なものも、再現できるのではないか?
ルチアの中で、次第に〈野望〉が大きくなる。
記憶の香り。
それは旅先で嗅いだ香りや見聞きしたものを栄養にして育まれた、自然には存在しない、幻の香りであるかもしれない。
そうだとしても、作ってみたい。
今持てる力をすべて使って。
試してみたい。
自分の力を。
***
ルチアはダニエルからの手紙に同封されていたもう一枚の手紙に再び目を通した。
頭を痛める最大の理由はこの手紙を書いた人物にある。
もう一枚の方を書いたのはダニエルではなかった。
その手紙には、香水に関する助言を願い出る旨が丁寧に書かれており、但し書きで自分がそちらにうかがえば迷惑になるのでルチアを〈宮殿〉に招待したいとの旨が書かれていた。
宮殿。
そう、この依頼主──ダニエルの師なる人物は、宮殿に住んでいるのだ。
そして書かれた住所に存在する宮殿といえば一つしかない。
ルクス・カノラ宮殿。
通称カノラ宮。
ベルミオン帝国の皇帝一家が住む首都レヴィナの大宮殿である。
ルチアは手紙を何度も読んだ。
筆者のサイン。
紋章。
便箋。
何度確かめても、それらは、ベルミオン帝国の第三皇子、オードック・ヴァルダ・アルコダーテ・ザビウス=メールラントを表している。
(なぜ、アルコダーテ侯が私に依頼を……)
そこまで考えて、ふと思いついた。
フリッツ伯ユリウス。
皇帝メリニオスの第十二子、帝国の第六皇子。
アルコダーテ侯爵オードックの実弟。
以前に引き受けたユリウスの香水作りが、オードックの耳にも入り、それでルチアの名前が上がったのではないか?
あり得る話だ、とルチアは考える。
広い宮殿とはいえ、同じ屋根の下に暮らす兄弟。
「家族に贈る香水」について話すことがあり、そこでルチアの名前が出たのかもしれない。
しかし、なぜユリウスではなくダニエルを通して依頼してきたのか?
おそらく、ユリウスの今の状況が理由だろう。
ユリウスは士官学校附属の幼年学校に入学したばかりだ。
今ごろは慣れない寮生活に七顛八倒しながら忙しくしているかもしれない。
そんな状況のユリウスに話を持ち込むのは、さすがにはばかられたのだろう。
(それでダニエルに話が回ってきたのか……)
ルチアは手紙を置き、新しい便箋を出して広げた。
断る理由は、特にない。
ユリウスのときのように「一から香水を作りたい」という依頼ならともかく、今回は「香水を選んでほしい」とのことである。
大都市レヴィナなら、それも宮殿に住む人間なら、世界中の香水を集められるだろう。
ルチアは依頼者オードックの話を聞いて、数多の既製品の中から、ふさわしいと思われる香水を選び出すだけである。
はっきり言ってルチアの仕事ではないし、そもそも家族が選んでくれた香水ならそれだけで喜んでもらえるのでは? と思うのはルチアの都合である。
ベルミオンの皇子からの依頼。
断りたくはない。
なら、受けるしかない。
ルチアは何度か便箋を無駄にして、一枚の手紙を仕上げた。
文面を読み直し、誤字と文法をチェックし、サインをする。
封筒に納め、溶かした蝋を垂らして印を捺し、封をする。
ルチアは手紙を持って修道院から出た。
鶏や鳩が鳴き交わすのどかな農道に、キャシディを呼ぶルチアの声が、のびやかに響いた。




