ティアムテの王家
「ルチア殿、こちらはティアムテ王国のナグバ国王殿下。そして、こちらが王弟セネク王子殿下」
ルチアは軽く頭を下げてから、背の高い男たちを仰ぎ見た。
ナグバと呼ばれた方は、濃い褐色の肌に、黒い瞳、頭を短く刈り込み、眼鏡をかけていて、穏やかな微笑を口元に浮かべた、まだ青年といってもいいような年の男だ。
「ルチア・イル・フロラントと申します……ナグバ国王殿下、セネク王弟殿下、お目通りが叶いましたこと、まことに嬉しく、光栄に存じます」
「ナグバ・メネサ・マンシエ・ヌアバと申します。
薫り高きフロラントのルチア公女殿下にお目見えできるとは、光栄の至りです」
ナグバがセネクを見ると、セネクはそれを合図と受け取って、ルチアに頭を下げた。
「セネクです。
ルチア公女殿下、お目にかかれて光栄に存じます」
簡潔に挨拶を述べたセネクは、薄い褐色の肌に、榛色の瞳、ドレッドヘアを肩に垂らした、精悍な顔つきの男である。
ルチアはセネクを軍人なのだろうと思ったが、着ているのは軍服ではなく、シュカの民族衣装なので、そうではないのかもしれない。
優男と益荒男の兄弟は、シュカ風に挨拶しようとしたルチアに対して、ベルミオン風の挨拶を返した。
指先に触れるか触れないかのキスを受けたルチアは、不意の懐かしさに心を打たれて、しばし押し黙った。
セネクは婚約者のムアキと久しぶりの再会らしく、腕を組んで、それだけで機嫌が良さそうに笑っている。
サマルは姉とその婚約者を生ぬるい目で見ながら、ナグバにたずねた。
「モニクはどうしたの?」
「後で行くと言っていた。叱りつけたら窓から出ていった」
ナグバの言葉に、サマルは露骨に嫌そうな顔をした。
「冗談でしょ?」
「本当だ。手がつけられん。我が妹は暴れ馬だよ」
そう言いながら、ナグバの方は楽しそうである。
ナグバは、年齢の若さに反して、態度も仕草も、悠然としている。
ルチアにはそれが、国王たる者の雄大さのようにも、大人の優雅さのようにも思われた。
ナグバが、不意にルチアの方を見た。
ルチアの黒い瞳が、ナグバのそれとかち合う。
微笑みを崩さないまま、ナグバが口を開いた。
「ルチア様は、大温室をご覧になったとか」
「はい! 素晴らしい、美しい植物園を見学させてもらいました」
「それならばもう知っておいでかと思いますが、このサマルは博識で、植物の栽培や農地の経営にも精通しています。
なんでも訊くとよいでしょう。
もちろん、私に訊いてもらっても構いません。
できる限り、お答えします」
ルチアは驚いた。
ナグバの瞳は、眼鏡の奥で穏やかに細められている。
「国王殿下じきじきに?」
「はい。
大きな声では言えませんが、私は国王であるより前に学者なのです。
学者が疑問に答えるのは当然のことです。
それに、ルチア様はサマルのお友達。
ならば、ぜひともお助けしたい。
サマルは我々の家族ですから」
ルチアは胸を打たれる思いがした。
国王の無私とも思える奉仕の心に加えて、サマルを家族と称したことに感動した。
ルチアはサマルがときおりする寂しげな眼差しに、サマルの孤独を見てとっていたのだが、サマルにも、確かに家族と呼べる人間がいたのだ。
サマルの方を見ると、少し気恥ずかしそうに下を見ている。
ルチアはサマルの年相応な仕草に思わず笑顔になった。
ルチアは二人にいそいそと合成香料についての質問を浴びせた。
ナグバとサマルはルチアの好奇心に驚きながらも、ときに考え、ときに議論しつつ、疑問に答えていった。
そうこうしている間に夜が更け、大人たちに酔いが回ったところで、一部の絨毯が丸めて仕舞われた。
ベルミオン風に、二人一組で踊ろうという趣向である。
ベルミオン風の服を着たサマルとルチアがまず踊り、そのあとは各々でパートナーを見つけて好きなように踊った。
大盛り上がりの賓客たちに、楽隊は一息つく暇もない。
ルチアとサマルは中庭の噴水まで歩いていき、縁に座って休憩した。
オレンジの木に囲まれた中庭は涼しく、ダンスでほてった身体をほどよく冷ましてくれる。
少し離れたところから会場を見ると、ダンスの活気がものすごい熱気に変わっていっているのが分かる。
「みなさん、すごいですね……」
「酔っ払いながら旋舞するなんて正気じゃないよ」
サマルはタイを外し、シャツをくつろげた。
暑いらしく、湧水で顔を洗っている。
ルチアは唐突に垣間見えたサマルの首筋や胸にドキマギし、慌てて目を逸らした。
高鳴る心臓を抑えるように、夜空を見上げる。
紺色の空には細く白い三日月がかかり、その周囲に瞬く星の群れがある。
とめどない水の音、腰掛けた大理石の冷たさ、サマルの襟からただようラベンダーとバニラの匂い。
すべてが夢のようであり、しかし紛れもなく現実である。
ルチアはシュカに来るまでの葛藤を思い出した。
それこそ、まるで夢のようである。
来てみれば、現実は優しくもあり、厳しくもあり、しかし来なければ分からなかったことばかり。
(シュカに来てよかった……)
来なければ分からなかったことがある。
この一点で、ルチアはこの旅行を成功とみなした。
学ぶべきことはまだまだ多くあるが、学ぶべき方向はなんとなく掴めた。
あとはそれをどうやって学ぶかだ。
それはフロラントに戻ってからでなければ考えようもないが、これからはフロラントから離れた場所で勉強する必要があるかもしれない。
他でもないフロラントのために、フロラントから離れて勉強する。
そのことが自分や周りの人々にどんな影響を与えるかは、まだ予想もつかない未知のことだけれど。
ふと、ルチアはサマルの方を見た。
サマルはルチアの方を見ておらず、木の奥の、廊下の方を見ていた。
(何を見ていらっしゃるのだろう)
ルチアがサマルの横から目を凝らすと、廊下の奥──突き当たりの闇から、音もなく影が現れた。




