緑の離宮
緑柱宮は、その名に反して、白亜の城としか思われぬ見た目をしている。
外壁は石灰岩で固めたような乾いた質感で、一つの巨大な温室を中心に、複数の大きな館が屋根を連ねている。
蒼穹の下、開けた土地にそのような宮殿が静かに横たわっているさまは、まるで白昼夢のようである。
しかし、そんな第一印象は、巨大な門をくぐり、白い塀の内に入った途端、くつがええう。
むせかえる緑の海。
視界を埋め尽くす草木と花々。
敷地内には、まるで森のようにおびただしい数の植物が植っており、どこに目を向けても、生きた緑が蔓延っている。
大小さまざまなヤシの木に、バオバブ、シコモア、アカシアなど多様な樹木が立ち並び、乳香や没薬、安息香などの香木までもが軒を連ねている。
バルコニーや街灯にはブーゲンビリアが枝を絡め、赤いハイビスカスや白いジャスミン、かぐわしく可憐な黄色い花のカッシア、それから名も知れぬ花々が、馬車道の脇を豪勢に彩る。
ルチアは馬車の窓から呆然と外を眺めた。
めまいを覚えるような風景のコントラスト。
緑柱宮は、まるで内部に宝石を隠した無骨な岩石のようだ。
「驚いた?」
「驚きました……」
サマルは楽しそうにしている。
人を驚かすのが好きらしい。
そういえばこの人もギルバートの友人だった、とルチアは思い直した。
それはすなわち、ルチアにとって要注意人物であることを意味する。
しばらくすると馬車が停まった。
門から馬車回しまでの距離を考えると、外から見た印象より、敷地は広い。
ブリッジとキャシディは先に馬車を降りていた。
サマルが馬車を降り、ルチアに手を差し出す。
ルチアはサマルの手を取って馬車を降りた。
メノワは御者の手を取って降り、すばやく出入り口に目を配った。
真白な漆喰の壁にうがたれた暗い穴のような出入り口が一つ。
重々しい鉄の扉が両開きに開いている。
ルチアは扉の奥から漂ってくる香りに気づいた。
悠然とした、甘い香り。
「何の匂いだと思う?」
サマルが軽い調子でルチアにたずねた。
ルチアは目を閉じて匂いに集中した。
複雑に組み合った香りの一つ一つを紐解くように、分析を試みる。
「乳香……それにバラとサンダルウッドの香りも少し」
「当たりだ。やっぱりフロラントのお姫様はすごいな」
うっとりするような匂いの中、ルチアたち一行は、サマルに導かれるまま、館の中を進んだ。
入り口には帷が垂れ下がっており、それが目隠しの役目もしている。
召使が帷をめくり上げると、途端に明るい、日の差す空間に出た。
巨大な水盆のようなプールに、塔を模した噴水。
それらを飾るタイルの色は、おしなべて緑色をしている。
中庭だ、とルチアは思った。
まるで盆地の中にいるかと思われるほどの、広い、広い中庭。
プールの周りをぐるりと回廊が囲っており、壁面に、それぞれの部屋に続くであろう出入り口が、暗い穴のようにぽっかりと口を開けている。
サマルはその中で、もっとも大きい出入り口を手で示した。
「基本、一番大きい出入り口を通っていけば、迷わないはずだから」
「なるほど……」
「分かんなかったら、そのへんのヤツつかまえて訊いちゃって」
「はい……」
たしかに、いたるところに人はいるのだが、皆一様に目を伏せて、ルチアたちと目を合わせないようにしている。
召使たちは、目にしみるような鮮やかな赤色の制服を着込んでいるが、それでもなお、白壁のように静かである。
ルチアは宮殿の広大さに恐れをなした。
離宮でこの規模なら、皇帝の座すという都の黒曜宮などは、一体どんな大きさなのだろう。
ヘルミオンの宮殿でも同じような感覚になったが、シュカの宮殿はことさらに異様な感じがする。
それは平面的な迷路のような宮殿の構造によるものかもしれないし、焚き込められた高価な香によるものかもしれない。
ルチアは今、自分が異国の地に来たのだということを痛感した。
それは驚きでも後悔でもなく、自分の足元が、存在が揺らぐような、めまいに近い感覚である。
ルチアは手を額にかざして陽射しを除けた。
扇子を開いてかざすという考えは、浮かばなかった。
「大丈夫?」
サマルが心配そうにルチアにたずねた。
ルチアはメノワが日傘を差そうとするのを制し、背筋を伸ばして歩いた。
「大丈です……緑柱宮の壮麗さに心を打たれまして……目がくらむような思いをしました……」
「そっか……」
サマルはルチアに手を差し出した。
ルチアはサマルの手を取り、隣に立って歩いた。
緑の陰の下を、ゆっくりと進んでいく。
まるで午睡の夢の中にいるかのような感覚になるが、まぎれもなく、現実である。
「ボクも初めて参内したときは、めまいのようなものを覚えた。
あれは子供の気のせいではなかったんだなあ……」
サマルは嘆息するように呟いた。
その声音には、わずかながら後悔のようなものが滲んでいる。
(サマル様は、私を緑柱宮に連れてきたことを、後悔しているのだろうか……)
友人を、良かれと思って、慣れない環境に連れ出してしまったことの後悔。
そんなものが、今、サマルの心に浮かんで、気持ちに影を落としているとしたら。
ルチアは思い切って、サマルに言葉をかけた。
「サマル様は、生まれたときから宮殿にいらしたのではないのですか?」
「うーん……」
サマルは記憶を引き出すように、空を見ながら言葉を紡いだ。
「……覚えている限りで最初の住居は、国境の城跡に、小さな屋敷を建てて住んでいたのかな。
ボクらは生まれたときから、ここに住め、と言われたところに住んできたんだ」
「お姉上様と、一緒に?」
「姉と一緒に。
ずっと一緒だった。
嬉しいときと、悲しいときも。
これからも一緒でいいと、セネクから言われている。
セネクは優しいヤツだ……本当に」
いくつかの廊下を抜けたとき、メノワがすばやくルチアの隣に寄り添った。
「失礼します、ルチア様……ブリッジが魔術の気配を探知しました」
「魔術を?」
「かなり入念に隠蔽されていると」
「まあ、それは……」
「話してるの、魔術のこと?」
サマルが口を挟んだので、ルチアとメノワはサマルの顔を見上げた。
サマルは二人を安心させるように微笑んでみせた。
「魔術で守ってるのは〈これ〉だよ」
召使が、出入り口の帷をめくる。
そこには明るい外の世界が広がっている……と思われたのが、不思議なことに、明るいが、広がりがない。
ルチアたちは少しずつそれに近づいていった。
近づくにつれて、それの正体が、全体が理解される。
けぶる緑。
幾何学模様の鉄骨。
そこには、壁のように立ち塞がる、巨大なガラスのドームがあった。




