サマル皇子からの招待
一行は慌ただしくホテルに戻った。
次は皇帝の離宮、通称・緑柱宮に訪問しなくてはならない。
ルチアは部屋で白いドレスに着替えた。
「メノワ、髪はどうしようか」
「結い上げた方がよろしいかと存じます」
メノワに手伝ってもらいながら身支度を整える。
白いドレスに、結い上げた髪。
どこかお披露目舞踏会を思わせる格好に落ち着いた自分を鏡越しに見て、一息つく。
離宮に招待されたときは本当に驚いたが、それでもしっかりと準備してきた。
フリッツ伯のマルセル城訪問を経験してから、滅多なことでも起こるときには起こるのだと思い知った。
ルチアはこの経験によって、肝が座り方が一段階上がったように思っている。
ルチアは書き物机の前に座って、招待状を確認した。
サマルからの招待状。
夜宴に招待する由、ホテルまで迎えを寄越すとの旨が書いてある。
「うーん……それにしても……」
ルチアは招待状の美しい書き文字と睨めっこした。
訪問に迎えを寄越してくれるのはありがたいが、その時間が解せない。
夜宴といえば、普通は朝まで続く盛大なものだ。
そんなイベントに招待するのであれば、もう少し遅い時間に迎えを寄越すはずだ。
夕方にもならないような微妙な時間帯にルチアを迎えるとは、どういうつもりなのだろう。
「ルチア様」
「はい」
「お時間でございます」
ルチアはメノワの声で我に帰った。
そろそろロビーで待っていた方がいい時間帯だ。
ルチアはメノワから帽子を受け取り、部屋を出て、ロビーに向かった。
***
ロビーのティーラウンジで待っている間、ルチアはギルバートの話を思い出さずにはいられなかった。
ルチアの目の前には今、二つの道がある。
香水職人としての栄達を目指す道か、王に連なる者としての責務を果たす道か。
ギルバートが示した第三の道は、まったく無いと言い切ることはできないが、あり得るといってしまうには前代未聞に過ぎるので、正直なところ、無いに等しい選択肢である。
ルチアは秩序を乱したいわけではない。
秩序がなんたるかも分かっていない歳のころに、ただ望むがまま田舎に入っていったが、そこでまず学んだのは、市井の人々がどれだけ秩序を大切に守ろうとしているかということだった。
毎日毎日、ままならぬ自然とそれでも向き合い、また来年も同じ恵みがありますように、と祈る農民の願い。
犯罪を抑止し、事が起きればそれにふさわしい処分を下す公正の力を、と望む国民の心。
ルチアが見た善き人々は、皆秩序があることを望んでいた。
正確に言えば、秩序が、それを遵守する自分たちを守ってくれることを、強く望んでいた。
無論、秩序は万能ではない。
しかし、そうあれかしと願う人々の努力によって、秩序はたしかに存在し、力を持っていた。
ルチアはそれを、裏切ることはしたくない。
もし自分の存在が秩序を乱すものであるならば、ルチアは大人しく城に引き下がるつもりでいる。
兄が公太子になるのであればそれを支え、その座が自分に譲られるのであれば、精一杯それに務めるつもりである。
しかし、「それでも」とルチアは思う。
(……それでも、許されるのであれば、私は優れた香水職人になりたい)
畑で農作業をするのも、香料工場で手伝いをするのも、本来であれば、香水職人の仕事ではない。
レヴィナの香水工房に行けば、香水職人の本分は、香水の香りを調合し、記録し、香料と基材をレシピ通りに混ぜ合わせ、瓶に詰めるまでだと分かるだろう。
ルチアが香水職人以外の仕事も引き受けているのは、ひとえにそれが職人としての質を上げることになると信じているからである。
ルチアは香料が香料として存在する前の姿、自然界に身を置いていたときの姿や香りにも、興味を持っている。
自然は香りのイメージを強固に、深く、より豊かにする。
自然は作品の手本になりもするし、霊感の源になりもする。
ルチアはラベンダー畑を見回り、株を植え、剪定し、収穫することで、それを確信した。
土の手触り、草木の匂い、風のささやきはルチアの感覚を研ぎ澄まし、意欲とアイディアを湧き立たせる。
最初は人手が足りないところから頼まれて承っただけの作業であったが、次第に、それらはルチアにとって香水製作の大事なプロセスの一つになっていった。
もはや工房にこもって香料と向き合うだけでは、新しい香りは生まれない。
人の心を震わせる素晴らしい香りは、外部と関わりを持つ中でしか生まれ得ないのだ。
(……だからこそ、海を渡ってシュカにまで訪れる勇気が湧いたのだけれど)
ルチアはテーブルに飾られた花を見た。
四枚の花弁が十字状に開く赤い花。
それがたくさんより集まって、小さなアジサイのように見える。
ほとんど匂いのしない、ヘルミオンでは見かけない形の花である。
この可憐な一輪の花を、香りで表現するとしたら、一体どんな香料が必要になるだろう。
修道院の研究室には多様な香料が納められている。
しかし、それではまだ足りない。
それで表現できるものは限られている。
未知のものを知りたい。
それは香水職人としての興味関心なのだろうか?
それとも──。
「ルチア様」
ルチアは我に帰り、顔を上げた。
麻のスーツドレスを着たメノワが、ルチアの様子をうかがっていた。
「殿下の馬車がお見えです。準備はよろしいですか」
「あ……はい」
「では、参りましょう」
ルチアはメノワの先導でティーラウンジを出た。
キャシディとブリッジはルチアの斜め後ろに着いて、背後を守る。
ロビーを出ると、四頭立ての大きな馬車が二台、馬車回しに停車していた。
二台の形は瓜二つであり、車体に装飾された紋様は、それがヌアバ一族の馬車であることを示している。
案内もなく、ルチアが二台の馬車のどちらに乗るべきか戸惑っていると、後ろに停車していた方の馬車の扉が、突然に開いた。




