学生寮訪問
「お兄さま!」
「来たか! ルチア」
ルチアはギルバートの姿を見つけ、小走りで近づいた。
お辞儀をしようとして、ギルバートに制される。
「堅苦しいのはいい。……よく来たな」
ルチアの肩を叩き、短い言葉でねぎらう。
南国のフロラントと比べても、シュカの気候は格段に温暖である。
言ってしまえば、とても暑い。
季節はすでに夏の終わりに差し掛かる頃とはいえ、日中は猛暑だ。
ルチアは屋外に出るたび日傘を差して歩いたのだが、日傘の淡い色の布地を突き抜けるような日差しの強さには、辟易させられた。
ベルミオン仕立ての日傘では、シュカの日差しには到底太刀打ちできない。
メノワはホテルのブティックで、黒い裏地を張った日傘に買い替えた。
新しい日傘は、ルチアの顔から足元までに黒々とした日陰を作って、メノワらの心を安堵させた。
そんな首都イングマレの街道を馬車でトコトコやってきた妹の、かすかに汗ばんだ額と、変わらぬ笑顔を認めて、ギルバートは眩しげに目を細めた。
ルチアはハンカチで額を押さえながら、久方ぶりのギルバートを、まじまじと眺めた。
ギルバートは兵学校の普通制服を着ている。
制服はシュカ軍の通勤服に準じたデザインで、一見すると普通の学校の制服のようにも見える。
ルチアはギルバートの兵学校での普通の恰好を見たことがなかったので、頭の上から足の先まで、じっくりと観察してしまった。
「なんだジロジロ見て」
「あっ、ごめんなさい。とてもかっこいい制服ですね」
「学校で待ってる連中に言ってやれ。
大喜びだ。
……荷物はそれだけか?」
「はい。フロラント人の生徒の方々への、贈り物だけを持ってきました」
ルチアたちは警備の便を考えて、シュカ軍の関係者が多く宿泊するホテルに泊まっている。
学校に行くには徒歩でもよかったのだが、やはり大事をとって馬車を使った。
「かわいい服を着てこいと言っただろうが」
「かわいいじゃない」
「地味」
「む」
ルチアは旅着から淡い黄色のドレスに着替えてきていた。
地味だと言われればそうかもしれないが、そもそも学校に訪問するのである。
派手な格好で行くわけにはいかない。
「お兄さまは常識知らずだから」
「おまえは世間知らずだろ」
「だからこうして来たんじゃない! もう、学校のことを話してよ」
ギルバートは笑った。
ルチアは久々に見るギルバートの笑顔に、我知らず安堵の心地を覚えた。
シュカでも兄は兄である。
兵学校の巨大な門扉の前で、ギルバートはわざとらしくも、うやうやしく、礼をしてみせた。
「ようこそ、我らが帝立兵学校へ」
ルチアは兵学校の敷地に足を踏み入れた。
ルチアはその気配さえ感じなかったが、おそらく最初の魔術防壁を通過したはずである。
国の重要な施設には、たいがい軍属魔術師による魔術防壁が張り巡らされている。
許可のない者がこの防壁を通過しようとすると、感知器に反応して、ただちに警備担当が呼ばれる手筈である。
ルチアの側にはメノワとキャシディが、後ろにはブリッジがつく。
ギルバートはルチアの守護を完全に三人に任せ、後ろも振り返らずスタスタと歩いていく。
ルチアは兄の後を追いながら、滅多に見ることのない兵学校の、あちらこちらに目をやった。
今日立ち入りが許可されているのは兵学校の寮だけである。
それでも行きすがら、戦闘服を着込み隊列を組む人々の群れや、軍服を着て敬礼する士官などとすれ違った。
寮はルチアが思っていたより門扉の近くにあった。
外壁は白っぽい石造り、屋根は赤い瓦が敷き詰められた、三階建ての建物である。
それほど威圧的ではなく、ルチアからすると、シャマイリーのような田舎にある、大きめの修道院といったふうに見えた。
寮と正門が近いのは、魔術防壁の存在で、脱走などの不測事態について考慮することが少なくて済んでいるからかもしれない。
ギルバートは寮の門をくぐった。
ルチアは開け放たれた両開きの扉の、内側をうかがって驚いた。
何やら、尋常ではない数の人が集まっている。
ギルバートが立ち止まらないので、ルチアたちも止まらずに進む。
扉の内側、ロビーに当たる空間は、人で埋め尽くされていた。
入ってすぐに左右に伸びる廊下にも、両階段にも、人がいる。
皆制服を着ているので、兵学校の生徒だろう。
ルチアはおそるおそる寮に入った。
一礼するや否や、耳が割れんばかりの拍手が起こる。
(なになになに⁉︎ なんなの⁉︎)
ルチアが思わずギルバートの裾を掴もうとしたとき、ギルバートが横に退き、道が開かれた。
兵学校の制服を着た、年のころはギルバートと同じくらいの美しい女性が、ルチアに最敬礼をした。
敬礼を解き、隣の者から大きな花束を受け取る。
「クアドナ寮へ、ようこそお越しくださいました。
ルチア様」
「は、はい……」
ルチアが呆気にとられてギルバートを見る。
ギルバートは何も言わず、ただニヤニヤしながらこちらを見ている。
ルチアが失望して前を見ると、女生徒はしっかりとした声で口上を述べた。
「私的なご旅行とはお聞きしておりましたが、我が寮にご訪問いただくという光栄な機会に、生徒一同、いてもたってもいられず、感謝のしるしをお贈りしたいと思い、僭越ながら、こうして参上した次第であります」
ルチアが花束を受け取ろうとして、メノワが前に出た。
女生徒は心得ているらしく、メノワに目礼をしてから、花束を手渡した。
ルチアはメノワの手の中の花束を見た。
なんの変哲もない、大きな花束。
生徒たちでお金を出し合って、買ったのだろうか。
思わぬ贈り物と、「こちらから押しかけていったのに感謝される」という事態に戸惑う気持ちはあれど、感謝されたからには、その気持ちに応えなくてはならない。
ルチアはたたずまいを直して、息を吸った。
「……クアドナ寮のみなさま、素晴らしいお出迎えと美しい花束を、ありがとうございます。
お騒がせするようなことをして、申し訳ないと思っておりましたが、みなさまの温かいお出迎えに、心救われる思いがいたしました。
どうぞ、これからも兄・ギルバートをよろしくお願いします」
そう言ってとりあえず女生徒に頭を下げた瞬間、また、爆発的な拍手が起きた。
ルチアが四方に頭を下げている間も、拍手は続いたが、ギルバートが手をかざすと、渋々といった感じで拍手は途切れた。
ギルバートが「それじゃあ、……解散‼︎」と宣言した後も、何やら文句を垂れる者が少なからずいたが、ギルバートが尻を蹴るなどして、あえなく解散となった。
ルチアは花束を持ったまま呆然と立っていた。
名残惜しそうにこちらに手を振る生徒たちに手を振りかえしたり会釈したりしていたが、ギルバートに肩を掴まれて我に帰った。
「行くぞ」
「お待ちください、ギルバート様」
メノワがギルバートを留める。
見て、触って、一通り調べた花束をブリッジに手渡す。
「どうだ?」
「何もない」
「本当か? もっとよく調べろ」
「魔術で細工してるなら寮に入った時点で気づく」
ブリッジは髪を撫でつけながら、なんでもないことのように言った。
ブリッジは今年で四十になる、大柄な男である。
白銀に近い金髪に、日焼けした肌。
鋭い目つきの、灰青色の瞳。
いかにも武人然とした外見だが、魔術の素養があり、魔術探知を得意としている。
そのブリッジが言うのだから確かななのだろうが、メノワは疑わしそうに花束を睨んでいる。
疑念の目は同僚にも向いた。
「キャシディ!」
「はい!」
「花束が出た時点で……いや、生徒が見えた時点で、おまえは姫様の前に出なくてはならなかったんじゃないか?」
「はい……その通りであります……」
「伏して詫びろ」
「ッ、申し訳ッ、ございませんッ……‼︎」
「キャ、キャシディやめてよ、私は大丈夫だから」
本当に平伏して詫び出しそうなキャシディを止めてから、ルチアはメノワに向き直った。
「メノワ、私は大丈夫だよ」
「しかし……」
「この学校の人たちは、お兄さまを受け入れてくれたんだよ。
だから私は、お兄さまの家族である私も、ここの人たちを疑っちゃいけないと思う」
「ルチア様……」
ルチアはメノワの目を真っ直ぐに見ている。
メノワはルチアの眼差しを正面から受けていたが、やがて根負けしたように、目を伏せた。
「ブリッジも、ありがとう」
「これが仕事です」
「それでも、ありがとう。助かります」
「恐縮です」
「キャシディも、ありがとう」
「は……まことに恐縮です……!」
「ルチア、俺にも何か言え」
「お兄さま、こういうことは事前に知らせてください。びっくりします」
「サプライズなんだから、びっくりさせなきゃ意味ないだろ」
メノワは苦々しい口調で「ギルバート様……」とだけ呟いた。
ブリッジは静かに苦笑いし、キャシディは困ったようにルチアとギルバートを見ている。
「あんまりびっくりしてなかったな。かわいくない」
「かわいくなくて結構です!」
ギルバートはブリッジの持った花束を探った。
その中から小さなヒナギクを引き出し、枝を短くして、ルチアの右耳の付け根あたりに挿す。
ルチアは、お祭りの日に花の髪飾りをつけた少女のような出立ちになった。
ギルバートは満足気にうなずいた。
「これでマシになったな」
「はやく、お部屋を、見せて、くださらない? ギルバート、お兄さま」
ルチアがいつになく怒気を見せる。
ギルバートは鼻を鳴らし、先に立って歩いた。
四人がその後をゾロゾロと着いてまわる。
両階段を上がり、二階の廊下を少し行ったところに、ギルバートの部屋はあった。
最終学年だからか、一人部屋である。
「お邪魔します」
「おう、入れ」
ルチアたちが全員入っても、部屋にはまだゆとりがあった。
内装も、マルセル城のギルバートの私室と、そう大差のないように見受けられる。
ルチアがこの部屋は特別な部屋なのではないかと思いついたとき、メノワがそれと同じようなことをギルバートにたずねた。
ギルバートはうなずいた。
「この寮は幹部候補生の寮だ。俺は兵学校に入ったときからそのつもりでいたがな」
「それじゃあ、お兄さま、本当にシュカ軍の士官になるおつもりなの?」
「そうだな……」
ルチアは驚いてギルバートを見た。
なんとなく、ギルバートは兵学校を修了したら、フロラントに帰ってくるものと思い込んでいた。
それでは、ギルバートはシュカに住むつもりなのだろうか。
「……シュカの地に骨を埋めるおつもりですか?」
「どうだろうな……シュカは気に入ってるが、死ぬ直前になったらフロラントで死にたくなる気もする」
「それでは、フロラント大公の位は誰がお継ぎになるのですか」
「おまえ」
「え……」
「おまえが継げば、問題ない」
「な……」




