舞踏会
会場に着くと、道は馬車で、会堂の中は参加者で、ごった返していた。
ベルミオン帝国とその周辺地域において、満十六歳の若人がその年齢を節目として一堂に会し、舞踏会に参加するというこの行事は、初拝謁の儀とあわせて、実質的な社交界デビューの証となっている。
色とりどりのドレスになかば揉まれるようにして、ルチアとギルバートは会場に入った。
手持ち無沙汰のルチアは、祖母伝来の扇子を両手で持ち、緊張した面持ちでロビーを歩いていた。
が、途中でギルバートの背中が目の前にあることに気づき、慌てて腕を伸ばす。
「置いていかないでよ!」
ギルバートと腕を組み、少し歩いたところでルチアは声をひそめて、文句を言った。
「気づかないおまえが悪い」
しれっとした顔で言うギルバートにルチアは足を踏みつけたい気持ちになったが、やっとのことで衝動を抑える。
ギルバートが意地悪なのは今に始まったことではない。
ケンカをしていても、歩幅は合わせられる。
ルチアはギルバートとともに壁際までくると、給仕が差し出した盆から飲み物を取って、乾いた喉をうるおした。
「うう……」
「大丈夫か」
「緊張して吐きそう」
「そんな調子じゃ、初拝謁で何をやらかしてても驚けんな」
「初拝謁の記憶がない……」
「フロラントの先が思いやられるよ」
実際、初拝謁ではこれ以上に緊張していた。
***
ルチアは先ほど、大陸において最大最強のベルミオン帝国、その首長である皇帝メリニオスに拝謁した。
吐き気と、喉のつっかえをこらえながらの、初拝謁であった。
明るい広間の真中で、玉座に座る二人の男女。
その後ろに居並ぶ歳も性別もさまざまな子供たちと、周りを守る護衛官、侍従、貴族、その他諸々の宮廷人たち。
数多の人間の眼差しを一身に受けて、ルチアは重たくこうべを垂れ、上げた。
速すぎず、遅すぎないように、しずしずと足を踏み込み、前に進む。
居並ぶ人々の絢爛な衣装が、照明の光を浴びて、きらめいている。
服に縫いつけられた宝石の色が判るほど近づいたとき、ルチアははっきりと皇帝の顔を仰ぎ見た。
豊かな金髪の髭と長い髪、空色の瞳。
皺の刻まれた、血色のよい頬と、柔和な目元。
御年六十五歳のメリニオス帝は、噂にたがわず穏健そうな面持ちをしていた。
白いものが混じった髪や髭が、老年にさしかかった皇帝に、好々爺の雰囲気を加えている。
メリニオス帝の隣に座す同い年のミュリティス皇后も面持ちは優しげで、いまだに白髪の一本もない素晴らしい黒髪を肩に垂らし、たおやかに微笑んでいる。
目を泳がせながらかろうじて皇后の顔を見たルチアは、深い緑色の瞳に、母・ダリルの瞳を思い出した。
長い歴史を持つベルミオンとその周辺の貴族は、国をまたいでの結婚や養子縁組の繰り返しによって、ほとんどが親戚関係にある。
メリニオスもミュリティスも、家系図をたどれば、どこかで必ずアンドレアやダリルと繋がっている訳だから、面影が重なるのは当然かもしれない。
現に、ミュリティスのまなざしは、かわいらしいものを見るときの慈愛と好奇の眼差しで、それはダリルがするそれとよく似ている。
メリニオスが、ゆっくりと手を差し出す。
ルチアは震える指で皇帝の手を取り、血の気のない唇を、皇帝の手の甲に触れさせた。
大小さまざまな指輪をつけた皇帝の素の指からは、薬草と、温かな麝香の香りがした。
「よい香りですな」
「は」
唐突に、練習では想定していなかった言葉をかけられて、ルチアは固まった。
「手袋からでしょうか……よい香りがします。さすがは薫る国・フロラントの姫君でありまするな」
心臓を口から吐き出しそうになりながら、頭脳をフル回転させて、なんとか言葉をつむぎ出す。
「恐悦、至極に存じます」
メリニオス帝とミュリティス后は優しい微笑みをルチアに返した。
「両殿下にも、よろしくお伝えください」
ルチアは、こうべを垂れたまま引き下がり、作法にのっとって、振り返らず、後ろ向きに歩いて退室した。
ほとんど息を止めたまま控え室に戻ったルチアは、顔見知りの貴族令嬢から声をかけられて、やっとのことで呼吸を取り戻した。
***
ルチアはグラスを戻し、息をついた。
コルセットで持ち上げられた胸は、揺れないので快適かとも思われたが、やはり息苦しい。
「はやく脱ぎたい」
「いつから露出狂になったんだ?」
「ちがいます。コルセットが苦しいんです」
「コルセットぐらいでガタガタぬかすな」
「着たことないくせに」
「ある」
「え」
「あるよ。兵学校の、座学の一環で」
ルチアは兄の顔を見上げた。
ギルバートはなんてことない顔をして、冷えたシャンパンを飲んでいる。
「……なぜ? どうして?」
「昔の軍装を着る講義があったんだ。大昔のな。
それでコルセットをつけてみた。
コルセットはもともと、兵士が斬撃や銃弾から身を守るための武装の一つだったが、どうしてか、戦争に行かない富裕なご婦人方にも好評だったらしい。
今ではもっと良い素材の軍服が出回るようになったから、コルセットはもうドレスを着る人間しか使わないようになった」
「へえ〜」
感心して、ルチアはギルバートを仰ぎ見た。
この兄のことだから格闘と剣術の勉強ばかりしていると思っていたが、なかなかアカデミックな勉強もしているらしい。
「そういう話をしていると、頭が良さそうに見えますね」
「黙ってろ、ガキ」
ギルバートは拳をつくってルチアの背中を軽くこづいた。
「コルセットは、おまえの胴体を外敵から守ってくれる」
「ええ〜」
ギルバートは人差し指と中指を揃えて立て、横に倒して、ルチアの胴に当てた。
「コルセットの骨は縦向きに、」
指を九十度かたむけ、指先を胴に向ける。
「肋骨は横向きについてる。……だから刃先を縦にして刺そうとしても、横にして刺そうとしても、刃は通らない。どうやって切っても、内臓は守られる」
ルチアは両手を腰に当て、コルセットの骨の形を、ドレスの上から撫でた。
たしかに。
これだけ堅ければ、刃物でも容易に傷はつかないだろう。
「うーん……こんなむき出しの腕と動きにくい裳裾では、胴体以外はズタズタになっていそう」
「裳裾が邪魔ならサーベルで切ってやる」
「結構です」
ギルバートはグラスを戻した。
ルチアはいつになく饒舌なギルバートを訝しんだ。
(やけにしゃべるのは私の緊張をほぐすため? ……まさかね)
しかし実際、緊張がやわらいできたのも事実なので、ルチアは深呼吸をして会場を見渡した。




