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薫る国の公女  作者: よこうみ
第三章:シュカ
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シュカへ


 お披露目舞踏会の翌々日。

 ルチアはマルセル城のギルバートの部屋を訪れた。


 ギルバートが取得できた休暇の日数はあとわずかで、明日にはシュカに戻る旅路に出ているはずだ。

 それまでに、ルチアは考えたことをギルバートに伝えねばならない。


 ルチアはギルバートの部屋の扉をノックした。

 一、二、三回。

 音を鳴らし、声をかける。


「お兄さま、ルチアです」


「入れ」


 ルチアは扉を開けた。

 ギルバートはルチアと同じくフロラントの平服で、リラックスした出立ちである。

 ギルバートは書き物机の前に座り、手紙を整理していた。


 ルチアは机に歩み寄った。


「お兄さま、今、お話ししてもよろしいですか?」


「いいぞ」


「昨日話したシュカへの遊学の件ですが……」


「おう」


 ギルバートは姿勢をあらため、ルチアに向き直った。

 ルチアも、姿勢を正してギルバートに向き直った。


「私、シュカに行こうと思います」


「そうか。行くか」


「行きます」


 ルチアはギルバートの目を見て、言葉を選びながら、話した。


「……あれからよく考えたのですが、私は世間のことを知らなすぎます。

 マルセル城とアルチルド修道院を往復するばかりで、そのほかのことを知らない。

 都会といっても行ったことがあるのはすぐ近くのレヴィナくらい。

 いろんな香料の匂いを嗅いだことがあっても、どこからどうやって来たのかわからない香料の方が多いくらい。


 お兄さまの言った通りでした。


 私は、何も知らない。

 私は、田舎者なんです。


 ……私、田舎者でもいいけれど、何も知らないままではいたくない。


 だって知らないままじゃ、知ってる人に追いつけない」


 ルチアは息をついた。

 ギルバートは腕を組み、尊大にのけぞって、ルチアを睥睨(へいげい)している。

 が、ルチアは不思議と、そんなギルバートに苛立ちを覚えることはなかった。

 むしろ、今のルチアがシュカ行きにふさわしい状態にあるのか、あらためて評価されているように感じた。


「私だって、香料も確保するのが楽じゃないことぐらい知ってる。

 香水だって石鹸だって、競合している地域や会社がたくさんある。

 でも、みんなそれを表立って話さない……というか、私には話してくれてない、と思う。


 私が公女だからっていうより、私が頼りないから。

 世間知らずで、不器用で、弱いから。


 私は職人として認められたい。

 修道院の製造部門の一員として、働き手として、みんなに認めてほしい。


 だから行きます。


 シュカに、イングマレに行って、香料の知見を広く、深くしたいから」


 ギルバートは身を起こし、姿勢を整えた。

 仕草で、ルチアにソファーに座るよう示す。

 ルチアが座るや否や、ギルバートは返事をした。


「いいだろう。旅行と滞在の手筈をつけてやる」


「ありがとうございます」


「教えられることはすべて教えてやる。できることは自分でやれ」


「はい!」


 ルチアは深く頭を下げた。

 礼儀作法や慣習からではなく、心から兄に頭を下げたのは、これが初めてだったかもしれない。

 ルチアはこのとき、言葉に尽くせぬ心を表すために礼儀や作法があるのだと、直感的に理解した。



   ***



 秋。

 ラベンダーやバラの収穫も終わり、石鹸製造の準備もぼちぼち始めなくてはならない季節。


 ルチアはギルバートの手配で、ベルミオンのリルベット港から、シュカ帝国・首都イングマレ最大の港湾、キヨテ行きの定期船に乗った。


 航行は順調に行くはずだという船長の言葉を信じつつ、不安と期待に心ざわめかしながらの、初めての一人旅、そして初めての船旅である。


 一人旅とはいえ、もちろん護衛がついた。

 そうでなければ、さすがのアンドレイアも海を越えての旅行など許さなかっただろう。

 護衛はルチアの指名でキャシディ、アンドレアの指名でブリッジ、ダリルの指名でメノワの三人に定められた。

 キャシディは言わずもがなの私信係であるが軍務経験があり、ブリッジはヘルミオン軍で名を挙げたフロラントでは名うての武人、メノワは武装女官の経験があるダリル肝入りの護衛侍女である。


 キヨテに着き、上陸さえすれば、ルチアはシュカ兵学校と軍の保護下に入る。

 国賓という扱いではないという話であったのに、これはギルバートの職権(?)濫用に当たるのではないかとルチアは疑ったが、ギルバートは先を読んで、そういうことは心配しなくていいと手紙で知らせてくれた。

 右も左も分からないルチアであるから、ここは両親とギルバートの言葉に従うしかない。


 ルチアは、ギルバートとともにシュカの兵学校に入学した数人のフロラント人生徒をねぎらうための贈り物と、皇帝陛下への贈り物、サマルとその姉君・ムアキへの贈り物を用意した。

 サマルの家族は、姉のムアキただ一人だという。

 何らかの理由で離れて生活せざるを得なくなったのかとも思ったが、ギルバートいわく、サマルの両親はサマルが誕生してすぐに薨去(こうきょ)されたらしい。

 ルチアはサマルに〈元気の出る香り〉の香水を一本、夜会につけていくかぐわしい花の香りの香水を一本、ムアキには匂い手袋を真似て作った皮革のサッシュを準備した。

 皇帝陛下にはフロラント最高級の香料を使った香水と石鹸をと持っていけるだけ用意したが、そもそも最高級の香料はシュカやその周辺地域で採集されたものが多いので、喜んでもらえるのかどうか、不安の多い荷造りとなった。


 ルチアはフロラント人生徒らに贈る香水と石鹸を何度も何度も確かめた。

 皇帝に贈るものほどではないが、彼らが地元にいたのでは到底手に入らなかったであろう高級な品である。


 これは必ず、手渡さねばなるまい。


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