シュカ帝国への誘い
──時をさかのぼって、お披露目舞踏会の翌日。
ルチアとギルバートはベルミオンの首都・レヴィナのエミリウム館で昼食をとっていた。
エミリウム館は、二人の母ダリルの生家・エミリウム公爵家の持ち家である。
エミリウムは領地に建てた城や宮殿の他に、別宅として都市の館を持っており、ルチアとギルバートは、レヴィナに用がある際、この館に宿泊することが通例となっている。
都会の家とはいえ、それなりに広い敷地に立つ館であり、ホテルより悠々と過ごせるので、二人はエミリウムの現当主──伯父のエミリウム公ロルカに甘えて、今回も館を貸してもらった。
もちろん、館つきの使用人たちもふくめての貸与なので、マルセル城と変わらない(むしろ良い)暮らしぶりができる。
二人は舞踏会の疲れが残る頭に血を巡らせるため、ゆっくりと昼食──というより、かなり遅い朝食を食べていた。
舞踏会は夜が明けるまで続いたので、ルチアとギルバートは早めに引き上げた方とはいえ、就寝するのはかなり遅い時間になったのだ。
自然、起きる時間も遅くなり、昼だというのに、二人とも、まだ開けきらない目を無理やり開けて、〈朝食〉を眺めている。
フロラントではあまり食べない、焼き目まで白いパンに、香草入りの凝った卵料理、豚肉の燻製腸詰、野菜のエッセンスだけの透明なスープ。
ルチアは久方ぶりのベルミオン風の料理をちまちま食べながら、兄・ギルバートをうかがった。
ギルバートは食べるのが早く、すでにデザートの果物入りプティングに手をつけている。
ギルバートはルチアの視線に気づくと、無作法にも、スプーンを持った手で指をさした。
「やらんぞ」
「とりません!」
ルチアはパンをちぎり、イチゴのジャムをつけて食べた。
子供の頃のギルバートは、こんなに食べるのが早くなかった。
兵学校では素早く食べる練習でもするのだろうか。
「そうだ、ルチア」
プティングを食べ終わったギルバートが、パンを一つ食べ終えたルチアに話しかける。
「はい」
「おまえ、シュカに来ないか」
ルチアは口をつけかけた紅茶のカップを、口から離した。
「……シュカ帝国に、ですか?」
「そうだ。もちろん首都のイングマレに」
「なぜ」
「サマル様はおまえの匂い手袋を気に入ってらした。
フロラントの香水が欲しいとも、言ってらした。
商売のチャンスだろ」
「そんな……売買は商会の仕事です。私がたずさわっているのは製造のほうですよ」
「なら商人も連れてこい」
「フロラントの香水を広めに行くのですか?」
「それもあるが……一番は香料だ」
「香料……」
それについてはルチアも覚えがある。
シュカ帝国は香料の一大産地であり、一部にはシュカでしか採集できないものもある。
厳密には帝国の一部地域でしか採れない香料なのだが、シュカがそれによって富を得ているのは確かなことだ。
その中には、採集に危険をともなう香料もある。
現地では〈魔術師〉をともなって採集を行うというが、その詳しい方法は、外国人どころか、国内の人間でもよく知る者は少ないという。
「シュカは『黄金と香料の地』だ。実際に、おまえたち香水職人が喉から手が出るほど欲しがってるはずの珍しい香料が、平然と市場に並べられているのを見たことがある」
「では、我々は香料を調達しにシュカへ?」
「それはおまえらの自由だ。
俺はシュカの皇族とわたりをつけるだけ。
それだけならしてやれる」
「たしかに興味はありますが……」
ルチアは紅茶を一口飲んだ。
さわやかな渋みが、さわいだ心を落ち着ける。
「シュカは、おまえが考えているより遠くはないと思う」
「そうですね……」
「サマル様は俺たちに好意的だ。今ならよい待遇で迎えてくれるだろう」
「……お兄さま」
ルチアはギルバートの目をまっすぐに見つめた。
「どうしてそこまで?」
ギルバートは紅茶を一口飲んでから、ゆっくりと口を開いた。
「……俺は常々、おまえには、もっと広い世界を見てほしいと思っていた。
フロラントの片田舎で、修道院に引きこもっていては、考え方に偏りができてしまうのではないかと、常々案じている。
これはチャンスだ。
おまえは今でも聡明だが、世界を見れば、新しい知見を得て、ひと回り大きく、より賢くなれるはずだ。
……どうだ、ルチア。
兄に着いて、広い世界を見てみないか」
「お兄さま……」
長弁舌を振るう兄に、ルチアはジトリと疑わしげな目を向ける。
「お兄さま、こたびの舞踏会では、お美しいご令嬢がたとお話しする上で、私をダシにするような真似を幾度となくなされましたよね?」
「…………」
そうなのだ。
ギルバートは今回の舞踏会で、ルチアを紹介するという名目で、自分の好みの令嬢のところへ引っ張っていったり、話の輪の中に引っ張り込んだりと、なかなか乱雑な手口を使って〈社交〉したのだ。
それはヘルミオンの社交界に伝手の少ないギルバートにとって必要な手段だったのかもしれない。
しかし、そもそもお披露目舞踏会の主役は、ルチアである。
すでに舞踏会に出た経験のあるギルバートは、今回付き添い役としてルチアを引き立てなくてはいけないのであるが、あろうことか、ギルバートはルチアを引き立て役に使ったのである。
ルチアはこのことに関して、けっこう真剣に怒っていた。
ルチアはギルバートを凝視した。
その瞠目は〈にらみ〉の域に達している。
ギルバートは紅茶に口をつけ、一口飲んだ。
「……ダシにするとはひどいことを言う……俺はかわいい妹を自慢しただけだ……ご令嬢がたはかわいいものが好きなことが多いからな……」
「シュカでも私をダシに社交界で楽しもうという腹づもりではないのですか」
「そんなことはない……決してそんなつもりはない」
「信じがたい……」
「俺のことは信じなくていい……だが俺の真心は信じてくれ」
「同じことじゃない」
ルチアは料理に向き直り、黙々と食べ、皿を下げさせたあと、デザートを食べ始めた。
ギルバートは冷めた紅茶を飲みながら、ルチアが咀嚼するさまを眺めた。




