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薫る国の公女  作者: よこうみ
第二章:皇子
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贈る香り

 

 昼寝から覚めたルチアとユリウスは、再び歩いて修道院へ戻った。

 すこし眠って休んだのがよかったのか、帰りは行きより元気よく、足取りも軽かった。

 眠る直前に話したことは覚えていたが、話した内容は、ほとんど忘れた。

 

 バスケットを食堂に返し、研究室に戻って調香の続きに取りかかる。

 ユリウスは机の前に座り、ルチアを見上げてたずねた。


「なぜ行きより帰りの方が元気に歩けたんだろう」


 ルチアは薬瓶を並べ直し、考えながらしゃべった。


「……丘で新鮮な空気を吸えたのが効いたのではないかと思います」


「新鮮な空気?」


「あの丘は、私が調香などで煮詰まったときに出かける丘なのです。


 あそこで新鮮な空気……草の匂いや海の匂いを胸いっぱいに吸い込むと、身体の中に(とどこお)っていた空気が流れを取り戻すような感覚を覚えます。


 あらゆる匂いを嗅いで混乱した感覚が、自然の素晴らしい香りに一掃されて、リセットされるような感覚です」


 ルチアは全ての薬瓶を棚に戻した。

 これで一からやり直しができる。


「自然の香りは、どんな香水職人にも作れない。

 自然そのものが、自然の最高傑作なのです。


 ……と、これは私の考えではなく、師匠の教えなのですが……」


「自然が、最高傑作……」


 ユリウスは何かを探し、薬瓶のラベルを指でなぞった。

 とある一本のラベルで指を止め、薬瓶を取る。


 オークモス。

 樫の木の根元に生える特殊な苔。


 蓋は開けず、手元に置く。


「自然の香りを再現した香水はあるのか?」

「あるにはありますが、精巧とは言い難いですね。自然を模倣するのは難しいので」


「……あの丘の匂いを再現した香水があれば、いつでもそれを嗅いで元気になれるのに」


「なるほど」


 ルチアは机から離れ、壁沿いの薬品棚から香水瓶を取り出した。

 机に戻り、ユリウスに香水を渡す。


「これは?」


「元気を取り戻す香りです」


 ユリウスは蓋を開け、ムエットに滴下して、匂いを嗅いだ。

 さわやかなベルガモットの匂い。

 それから、ラベンダーやバラ、ローズマリーといったハーブの匂いに、ピリッとしたジンジャーの匂い。


「よい香りだな」


「柑橘類とハーブを中心に、植物性の香料だけを使った香水です。

 疲れたときにこの匂いを嗅いだり、布に垂らして身体を拭いたりすると、気分がスッキリして、元気が出ます」


「元気が出る香りか……」


 ユリウスはルチアを見上げた。


「これと同じように、嗅いで気分が爽やかになる香りを作りたい」


 ルチアは微笑んで頭を下げた。


「承知いたしました」



   ***



 シャマイリーから、首都コルデバートへ向かう道。

 四頭立てで走る馬車は、馬の数に対して地味な見た目であるが、そのしっかりした造りと紋章とで、公女ルチアの専用馬車だとわかる。

 農民たちはこれを見るたびに、中にいるであろう風変わりなお姫様のことを思う。

 そして馬車が走る方向を見て、ああ修道院へ行かれるのだな、とか、ああ帰省なさるのだな、とか、公女の動向を思いやるのである。

 今日はめずらしく一日で往復しているので、ご友人でも連れて来られたのかしら、と考える人もいる。

 その農民たちはあずかり知らぬことだが、今日この馬車には、本来であれば国賓の扱いを受けねばならない人物が乗っていた。


 ベルミオンの皇子、ユリウス・アン・フリッツ伯である。


 そのユリウスは、馬車の中で、香水の瓶を日の光に透かして見ていた。

 牛乳瓶ほどの大きさの瓶の中、ほとんど無色透明の液体で満たされている。


 ユリウスはルチアが手渡した香水を手本に、数種の柑橘類、ハーブ類をブレンドした香水を作り、それにオークモスと干し草の香料を入れた。

 出来上がった香水は、さわやかな薬草の香りに、森や草原の気配がする、奥行きのある匂いになった。


 向かいに座ったルチアが、香水をためつすがめつしているユリウスに話しかけた。

 

「よい香りを作られましたね」


 ユリウスはほんの少し頬をゆがめて笑った。


「ほとんど修道院の香水を真似たものだがな」


「オークモスと干し草の香料を入れたのはユリウス様のアイディアです。


 それに……大事なのは目新しさではなく心地よさです」


 ユリウスはうなずいた。

 父と母のために豪華で、新しく、忘れがたいものをと思っていたが、それよりも大事なのは身につけて嬉しいということだろう。

 身につけられなければ香水は香らない。

 毎日つけられるものでなければ、親しみは起こらない。


「そちらの香水は、同じものを数本用意しております。

 レシピと一緒にお持ち帰りになって、皆さまでお試しください。

 レシピはこちらにもあるので、お知らせいただければ、大量に製造して宮殿にお送りいたします」


 ユリウスが選んだ香料は名前から分量まで全てメモしてある。

 このレシピ通りに調合すれば同じ香りが作れるはずだ。

 フロラントから香料を取り寄せ、ヘルミオンの宮殿で香水を作ることも可能だろう。


「ありがとう」


「本来であれば、出来上がった香水は修道院の蔵に寝かせておくのですが、こちらは熟成させていないのでアルコールがキツく感じるかもしれません。

 一ヶ月ほど冷暗所で寝かせてから使いますと、匂いがやわらかく、使い心地がよくなるかと思います」


「わかった。試してみよう」


 ユリウスは何度も香水を日に透かして眺めている。


「父と母が疲れたときに、これを使って一息つければよいのだが」


「喜んでいただけるとよいですね」


「うん」


「ユリウス様は、よいお鼻をお持ちです。これからもよい香水をお作りになられると思います」


「うん……」


 ユリウスは香水をふところに納め、ひざの間に手を置いて、指を組んだ。


「ルチア」


「はい」


「香水の作り方を教えてくれて、ありがとう」


「こちらこそ、ありがとう存じました。まことに楽しい時間でございました、ユリウス様」


「名前……」


「はい、名前ですか?」


 ユリウスの声が小さくなったので、ルチアは身を乗り出して、耳をそば立てた。

 ユリウスは指を組み直し、あごを引いた。


「……親しい者は、私のことをユリアンと呼ぶから……」


「はい」


「……ルチアも、ユリアンと呼んでよい、と思う」


「は」


 ルチアは姿勢を正して考えた。

 ユリアン。

 さすがに呼び捨てにはできない。


「……では、ユリアン様とお呼びいたしますね!」


「うん」


 ユリウスは微笑んだ。

 ルチアがユリウスのはっきりとした笑顔を見たのは初めてだった。

 こころなしか、来たときより顔色が良くなっている気がする。


「ユリアン様、両陛下に喜んでもらえるとよいですねぇ」


「うん」


 森の向こうに日が落ちて、世界が橙色に染められていく。

 ユリウスが今日中にヘルミオンの宮殿に帰ることはできないし、ルチアが今日中にシャマイリーの修道院に帰ることはできない。

 二人とも、今夜はマルセル城で眠ることになる。


 しかし、ルチアはもはや緊張していなかった。

 今日この一日で、ユリウスとはとても仲良くなれた。

 これからもっと話していけば、ベルミオンの皇子とフロラントの公女というだけでなく、ふつうの友だちとして、仲良くなれる。

 そんな気がした。


 二人は車内でいそいそと、今夜、夕食のあとに遊ぶゲームについて、話を始めた。


 第二章:皇子 終


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