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薫る国の公女  作者: よこうみ
第二章:皇子
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 ユリウスはルチアの背中を見ながら、一歩一歩、足を進めた。

 ラベンダー畑を越え、バラ園を抜け、菜園をすぎて、なお歩く。

 ユリウスの息はすでに荒いが、ルチアの呼吸は平常とあまり変わらない。


 荷物を持ち、丈の長いドレスを着て、よくもまあこれだけ達者に歩けるものだ、とユリウスは思った。

 こちらはズボンで両手は空なのに、この差はなんなのだろう。

 しかし、「疲れた」と言うのはなんだかくやしいので、ユリウスは黙ったまま、ルチアの背中を追いかける。


 いつのまにか、丘の(ふもと)にきていた。

 ユリウスが「まさか」という目でルチアを見ると、ルチアはほがらかに笑みを返した。


「ここを登ります!」


「……やっぱり」


 ユリウスは斜面に刻まれた獣道を歩きながら、考えともつかない考えを頭に浮かべた。


 ぼくはいったいなにをしているんだろう。

 そもそも、なにをしにわざわざここに来たんだっけ。

 さんぽ。

 散歩。

 遠足?

 すこしの、少しの散歩とは、いったい……。


 なにがなにやらわからないまま、土を踏み締める。

 足元にはやわらかな野草が生え、ところどころにかわいらしい花が咲いているのが見えるが、それを愛でる元気もない。


「着きました」


 ルチアの声に、ユリウスは顔を上げた。

 さわさわと草が揺れる斜面。

 ルチアは丘の頂上にいる。

 ゆっくりと丘の向こうに歩いていくルチアを追いかけ、ユリウスは丘の頂上に踏み出した。


「…………」


 鼻腔に沁み渡る、潮の匂い。

 浜を打つ波の音。


 緑の斜面はなだらかにのび続け、最終的に、浜辺につながっていた。

 鬱蒼(うっそう)としげる林と、それに続く砂浜。

 澄み切った青い空と、それを映す紺碧(こんぺき)の海。

 草いきれと、風に乗ってやってくる海の風。


 丘を越えたユリウスの目の前には、どこまでも広がる、シャマイリーの海が広がっていた。


「……いかがでしょう」


 おそるおそるといった感じで、ルチアがユリウスにたずねた。

 思いつきで丘まで来てみたものの、思っていたよりキツそうだったので、内心焦っていたのだ。

 

「……うん」


 ユリウスはやっとのことで返事をした。

 なにを考えたらいいのかわからない。

 風が草の原をひるがえす。

 静かな海の上で、雲がゆっくりと動き続ける。

 目の前に広がる景色は、匂いは、ただユリウスの心を奪って、考えるということを、させてくれない。


 ……におい?


 ユリウスは深呼吸をした。

 匂いがする。

 草の匂いと、潮の匂い、風の向きが変わるとやってくる、かすかな家畜の匂いもする。


「……嗅覚が戻ってる」


「! まあ!」


 道中、あまりにたくさん呼吸をしたせいか、自然の香りが過激な香料の香りを忘れさせてくれたのか、ユリウスとルチアの嗅覚は、ほとんど元の状態に戻っていた。

 

「よかった……本当によかった……」


「…………」


 ルチアはユリウスの嗅覚が復活して本当に喜んでいた。

 このままユリウスの嗅覚が戻らなければ国際問題に発展するという事情もあるが、なによりルチアはユリウスの嗅覚そのものを惜しんでいた。

 ユリウスの匂いを嗅ぎ分ける能力、匂いを言語化する能力には目を見張るものがある。

 これらが備わっているユリウスならば、香水の、より複雑な理解と鑑賞がかなうだろう。

 そんな人間に香水を使ってもらうということは、香水を作る立場のルチアにとって恐ろしいことであり、覚悟のいることであり、──なにより、とても嬉しいことなのだ。


「……座って、すこし休憩しましょう」


「……うん」


 ルチアは、ひざに届きそうな丈の草を足でならし、敷布を敷いてユリウスを座らせた。

 二人で並んで座り、間に修道院から持ってきたバスケットを置く。

 蓋を開くと、中には鉱水が入った瓶が二本とカップが二つ、山盛りのイチゴと焼き菓子が納められていた。

 ルチアとユリウスはひざにハンカチを敷き、イチゴの山を取り分けた。


 イチゴを食べ、水を飲むと、一息ついた実感が湧く。


 二人は黙って食べ、飲み、目の前の海を眺めた。

 遠くの方から牛の鳴き声がし、さらに遠くの方からは、かすかにさざなみの音が聴こえてくる。


 ユリウスはただ、ぼうっとして、海を見ていた。

 この海のさらに向こうには、異民族の国がある。

 知識としてはわかっていても、にわかには信じられない事実だ。

 このルチアという年長の少女は、世界の端にいるのだ、という気がした。

 それは、おそらく、別の世界と繋がっているということでもある。


 ユリウスが瓶に直接口をつけて水を飲んだので、ルチアは驚いていた。

 ユリウスがしたのはいわゆる「ラッパ飲み」だが、箱入りの皇子であるユリウスが、どこでそれを覚えたのだろう。


 ルチアの視線に気づいたユリウスは、心なしか誇らしげに口を拭った。


「士官学校を出ている兄上や姉上が、こういうことを教えてくれる」


「なるほど」


 たしかに、ルチア自身こういう飲み方ができるのは、兄・ギルバートが自分でやっているのを、見て覚えたから……というような気もする。


「ユリウス様は、ごきょうだいがたと仲がよろしいのですね」


「うん。

 兄上たちも、姉上たちも、とても優しい。

 遊んでくれるし、いろんなことを教えてくれる。

 みな、自分の考えを持ち、自分で問題を解決する力を持っている。


 困ったときどうすればいいのか、どういうふうに生きていったらいいのか……兄上たちは、自分の身をもって、教えてくれているような気がする」


 ルチアはうなずいた。


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