疲労
ユリウスは高級な香料、貴重すぎてもはや値段のつけられない香料なども惜しみなく試すので、ルチアは内心ハラハラさせられた。
ユリウスは価値がわかっていないわけではない。
実際、「この香水作りに関わるすべての費用はユリウスおよびベルミオン帝室が負担する」という約束のもと、ユリウスはフロラントを訪れているのである。
そう分かっていても、これだけ豪快に使われると、ドギマギしてしまう。
(うう……ベルミオンとフロラント……帝国と大公国の経済格差……)
ユリウスは高価な輸入香料をふくめた十数種類の花々の香料と、動物性香料を二つ入れた香水を試作した。
香料とアルコールが2:8になるよう混ぜ合わせ、できた香水をムエットに垂らして嗅ぐ。
「よい香りですね」
ルチアは心からそう言った。
上質な香料を惜しみなく使っているだけあって、良い匂いがする。
花束をもった盛装の貴婦人が横を通りすぎれば、このような匂いがするかもしれない。
そう思わせるような、わりと上品な香りになった。
「…………」
ユリウスはムエットを見つめ、しばし黙考してから、口を開いた。
「……なにか、ちがう」
「左様ですか」
「もっといい香りが作れると思う」
「そうですねえ……ユリウス様なら、もっとよい香りができるかもしれません」
おべっかを使ったわけではない。
実際、ユリウスの鼻は数種類の微妙に異なる柑橘類の香料を嗅ぎ分けることができていた。
訓練を受けていない素人としては優れた感覚を持っているといえる。
ベルミオンの宮廷で多彩な文化を味わい、学んできたユリウスなら、滅多にフロラントから出ることのないルチアなどには、思いもよらない香りを生み出すこともありえるだろう。
「別の香水を作ってみよう」
「はい!」
二人は香りを試しては候補に入れた。
香りの息の長さや香り同士の相性などをかんがみてルチアがアドバイスし、ユリウスはそれを取り入れたり却下したりしながら、香料をまとめていく。
ある程度香料がまとまるとアルコールと混ぜて香水を作り、試す。
それを二回ほど繰り返した結果。
…………
二人の鼻は疲弊した。
「…………」
「…………」
二人は窓辺に立って、しつこいほどに深呼吸をしていた。
遠くの山並みや道の土をついばむニワトリを見、それぞれがひとりごちるように会話する。
「……どれがなんの匂いなのか分からない」
「……嗅覚疲労ですね……嗅ぎすぎました」
二人は──特にユリウスは、今日、かなりの種類の匂いを嗅いでいる。
熟練した香水職人であっても、正確に嗅ぎ分けられる匂いの種類と量は、一日のうちに数種類ほどと考えられている。
それゆえ、普通の香水でも、作り上げるのに数年ほどかかることもある。
素人のユリウスでは言わずもがななのだが、今回はそれをおして一日という急ピッチで作業を進めようとしている。
二人の嗅覚機能は疲労困憊で、とても作業は続けられない。
「……ユリウス様」
「……なんだ」
「お昼にいたしましょう」
「……そうだな」
二人は修道院の食堂で、食事係の僧から、サンドイッチと紅茶のポットを受け取った。
「できるだけ構わないように」とのお達しがあったので、二人がどこでも食事できるよう、持ち運びやすいサンドイッチを作ってくれたのだ。
ルチアは僧に聞こえないように、こっそりとユリウスに謝った。
「このような粗末な食事しかご用意できず、申し訳ありません」
「よい。私も兄上たちと夜通しゲームをするときは、サンドイッチを食べる」
(ごめんなさい、ゴドウィン兄……)
ルチアは心の中でサンドイッチを作ってくれた僧に謝った。
礼儀とはいえ、作ってもらった料理を「粗末」と言ってしまったことは心苦しく、心の中ででも謝らずにはいられない。
遅い昼飯だったので、食堂には誰もいない。
がらんとした食堂の隅、長いテーブルとベンチの端に座って、二人は黙々とサンドイッチを咀嚼する。
正直言って、このサンドイッチが美味いのか不味いのかさえ、わからない。
紅茶の味もわからないし、香りさえ、よくわからない。
それほど嗅覚は疲れ、麻痺していた。
「…………」
食べ終わった二人は、しばし虚脱状態に入った。
テーブルの上を見つめ、沈黙する。
もはや匂いというものがわからないし、いい匂いというものがどういうものかもわからない。
と、突然、ルチアがベンチを立った。
テーブルに両手を突き、驚くユリウスに、なかば詰めよるように顔をよせる。
「ユリウス様」
「な……なんだ」
「すこし、お散歩いたしましょう」




