調香
ルチアとユリウスはシャマイリーの修道院に着くと、さっそく研究室に入った。
ユリウスがベルミオンの皇子であるということは、シャマイリーでは、修道院長にしか知らせていない。
混乱を避けるため、ユリウスは名前をそのままに、ダリルに縁のあるベルミオンの上級貴族ということにされた。
石造りの修道院は堅牢で、中は全体的にほの暗いのだが、例外的に、研究室は明かりをよく取れる構造になっている。
温室を改造したこの研究室は、ルチアが修道院に住む前から修道院に備えつけられていた施設だ。
よく整えられていて、清潔で、過ごしやすい。
ルチアにとって、自室のように親しみ深い部屋である。
ルチアはユリウスに先立って歩き、不思議な形の棚に導いた。
堅牢な樫材の棚に、さまざまな形の薬瓶が、隙間なく並べられている。
「調香する際は、こちらに座って、香りを試します」
そう言って、棚の下から椅子を引っ張りだす。
棚と思われたのは実は机で、実際、棚の部分の手前に、作業ができるくらいの小さなスペースがあり、そこに真鍮の天秤も作りつけられている。
これにはさすがのユリウスも驚いたらしく、棚に納められた薬瓶を、めずらしそうに眺めて回った。
「これらは……すべて香料か?」
「すべて香料にございます。原材料から抽出した芳香成分を、扱いやすいようにアルコールで希釈したものです」
「こんなにあるのか」
「世界でも随一の品ぞろえと品質であると自信を持っております」
ルチアは香料棚の前にユリウスを座らせ、机の上に白い紙の束を置いた。
栞のような形の紙が、何百枚と重ねて、束ねられている。
「この紙は試香紙です。
液体の香料はこの紙に滴下してからお嗅ぎになってください。粉状の香料は油に溶いてから紙に落とします。
ピペットをお使いになったことは?」
「ある」
「ではこちらをお使いください」
ルチアはユリウスに、ピペットで香料を取る方法、滴下したあと、ピペットの中をアルコールで洗う方法を教えた。
「アルコールで洗ってから別の香料を取れば、匂いが混ざりませんから」
「使い捨てにはしないのだな」
「さ、さすがに使い捨てには……経済的な問題というか……」
ルチアがごにょごにょと口ごもり始めると、ユリウスはわずかに口角を上げた。
「冗談だ」
「は……」
「宮殿の実験室でも洗って使う」
ヘルミオンの宮殿には実験室もあるらしい。
ルチアは気づかれないように息を吐いた。
「……さて、ユリウス様」
「うん」
「ユリウス様は、洒落た匂いをご所望とのことですが、具体的には、どのような香りをお望みですか?
たとえば、匂い手袋は十数種類の花の香料、根や茎・葉などの香料、数種類の動物性の香料に、苔の匂いも加えて作られております」
「コケというと……木の根っこに生えているあれか……?」
ユリウスは胡乱なものを見る目でルチアを見た。
ルチアは棚に手を伸ばして一つの薬瓶を取り、ユリウスに見せた。
ラベルにはオークモス──樫の木の苔と記されている。
「試してみてください」
「……」
ルチアは薬瓶の蓋を取り、ユリウスはピペットで薬瓶から液体の香料を吸い出し、ムエットの先に垂らした。
おそるおそるムエットに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。
「…………」
「いかがですか」
「……森の中で嗅いだことがある匂いだ」
ユリウスは目を閉じた。
匂いに集中し、何かを思い出そうとしている。
「深い緑の底……湿った土……深呼吸したくなるような……」
「まあ」
ルチアは破顔した。
「ユリウス様は優れたお鼻をお持ちです!」
***
二人はさまざまな香りを試した。
ベルガモット、オレンジ、レモンなどの柑橘類、フロラント産のラベンダー、ミント、ローズマリーなどのハーブ類、白檀、シダーウッド、糸杉などの香木類、ジャスミン、バラ、ミモザなどの花の香料。
それにムスクや龍涎香などの貴重な動物性香料も、ひと通り試した。
「……ウ゛ッ」
「……! ……!」
ムスクの香りを嗅いだ二人は、のけぞってムエットから顔をそむけた。
「……これ! は、本当に、ムスクなのか⁉︎」
「……本物です! っ、……香料の原料にはすさまじい悪臭のものもあるんです!」
「なんでこんなもの使うんだ……!」
「ほんの少しの量だけ使うと、……悪臭が薄められて、馥郁とした良い香りになるのです……!」
二人は窓辺に立ち、外の空気を胸いっぱい吸い込んだ。
空は澄み、うっすらとした雲がたなびく小春日和である。
農道はのどかそのもので、人っ子ひとりいない。
ここでは男も女も昼は農作業に出る。
農作業にに出られない年寄りは家で赤ん坊の子守をし、大きい子供たちは学校へ行く。
馬車が通れる大きな道には犬、猫、ニワトリ、カラス……と、とにかくそんな生き物しか通らない時間帯だ。
遠くで馬車馬がいなないている。
今なら馬糞の臭いさえ清々しく感じるかもしれない、とルチアは思った。
「…………」
「…………」
「……別のを試す」
「はい……」




