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薫る国の公女  作者: よこうみ
第二章:皇子
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調香


 ルチアとユリウスはシャマイリーの修道院に着くと、さっそく研究室に入った。


 ユリウスがベルミオンの皇子であるということは、シャマイリーでは、修道院長にしか知らせていない。

 混乱を避けるため、ユリウスは名前をそのままに、ダリルに縁のあるベルミオンの上級貴族ということにされた。


 石造りの修道院は堅牢で、中は全体的にほの暗いのだが、例外的に、研究室は明かりをよく取れる構造になっている。

 温室を改造したこの研究室は、ルチアが修道院に住む前から修道院に備えつけられていた施設だ。

 よく整えられていて、清潔で、過ごしやすい。

 ルチアにとって、自室のように親しみ深い部屋である。


 ルチアはユリウスに先立って歩き、不思議な形の棚に導いた。

 堅牢な樫材の棚に、さまざまな形の薬瓶が、隙間なく並べられている。


「調香する際は、こちらに座って、香りを試します」


 そう言って、棚の下から椅子を引っ張りだす。

 棚と思われたのは実は机で、実際、棚の部分の手前に、作業ができるくらいの小さなスペースがあり、そこに真鍮の天秤も作りつけられている。

 これにはさすがのユリウスも驚いたらしく、棚に納められた薬瓶を、めずらしそうに眺めて回った。


「これらは……すべて香料か?」


「すべて香料にございます。原材料から抽出した芳香成分を、扱いやすいようにアルコールで希釈したものです」


「こんなにあるのか」


「世界でも随一の品ぞろえと品質であると自信を持っております」


 ルチアは香料棚の前にユリウスを座らせ、机の上に白い紙の束を置いた。

 (しおり)のような形の紙が、何百枚と重ねて、束ねられている。


「この紙は試香紙(ムエット)です。

 液体の香料はこの紙に滴下してからお嗅ぎになってください。粉状の香料は油に溶いてから紙に落とします。

 ピペットをお使いになったことは?」


「ある」


「ではこちらをお使いください」


 ルチアはユリウスに、ピペットで香料を取る方法、滴下したあと、ピペットの中をアルコールで洗う方法を教えた。


「アルコールで洗ってから別の香料を取れば、匂いが混ざりませんから」


「使い捨てにはしないのだな」


「さ、さすがに使い捨てには……経済的な問題というか……」


 ルチアがごにょごにょと口ごもり始めると、ユリウスはわずかに口角を上げた。


「冗談だ」


「は……」


「宮殿の実験室でも洗って使う」


 ヘルミオンの宮殿には実験室もあるらしい。

 ルチアは気づかれないように息を吐いた。


「……さて、ユリウス様」


「うん」


「ユリウス様は、洒落た匂いをご所望とのことですが、具体的には、どのような香りをお望みですか?

 たとえば、匂い手袋は十数種類の花の香料、根や茎・葉などの香料、数種類の動物性の香料に、(こけ)の匂いも加えて作られております」


「コケというと……木の根っこに生えているあれか……?」


 ユリウスは胡乱(うろん)なものを見る目でルチアを見た。

 ルチアは棚に手を伸ばして一つの薬瓶を取り、ユリウスに見せた。

 ラベルにはオークモス──(かし)の木の苔と記されている。


「試してみてください」


「……」


 ルチアは薬瓶の蓋を取り、ユリウスはピペットで薬瓶から液体の香料を吸い出し、ムエットの先に垂らした。

 おそるおそるムエットに鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。


「…………」


「いかがですか」


「……森の中で嗅いだことがある匂いだ」


 ユリウスは目を閉じた。

 匂いに集中し、何かを思い出そうとしている。


「深い緑の底……湿った土……深呼吸したくなるような……」


「まあ」


 ルチアは破顔した。


「ユリウス様は優れたお鼻をお持ちです!」



   ***



 二人はさまざまな香りを試した。


 ベルガモット、オレンジ、レモンなどの柑橘類、フロラント産のラベンダー、ミント、ローズマリーなどのハーブ類、白檀(サンダルウッド)、シダーウッド、糸杉(サイプレス)などの香木類、ジャスミン、バラ、ミモザなどの花の香料。


 それにムスクや龍涎香(アンバーグリス)などの貴重な動物性香料も、ひと通り試した。


「……ウ゛ッ」


「……! ……!」


 ムスクの香りを嗅いだ二人は、のけぞってムエットから顔をそむけた。


「……これ! は、本当に、ムスクなのか⁉︎」


「……本物です! っ、……香料の原料にはすさまじい悪臭のものもあるんです!」


「なんでこんなもの使うんだ……!」


「ほんの少しの量だけ使うと、……悪臭が薄められて、馥郁とした良い香りになるのです……!」


 二人は窓辺に立ち、外の空気を胸いっぱい吸い込んだ。

 空は澄み、うっすらとした雲がたなびく小春日和である。

 農道はのどかそのもので、人っ子ひとりいない。


 ここでは男も女も昼は農作業に出る。

 農作業にに出られない年寄りは家で赤ん坊の子守をし、大きい子供たちは学校へ行く。

 馬車が通れる大きな道には犬、猫、ニワトリ、カラス……と、とにかくそんな生き物しか通らない時間帯だ。


 遠くで馬車馬がいなないている。

 今なら馬糞の臭いさえ清々しく感じるかもしれない、とルチアは思った。


「…………」


「…………」


「……別のを試す」


「はい……」


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