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薫る国の公女  作者: よこうみ
第二章:皇子
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ユリウス皇子の訪問


 フロラント大公国、首都コルデバートの中心。

 都の真中にそびえる小高い丘の上に、マルセル城は建っている。


 マルセル城はルチアとギルバートの実家といえる城であり、本来であれば、ルチアはこの城に住み続け、ギルバートも、ベルミオンの士官学校など、その気になれば馬車だけで帰ってこられる場所に、住んでいなくてはならなかったのかもしれない。

 しかし、現大公アンドレアと大公妃ダリルのゆるさ──よくいえば自由を重んじる性格が、ルチアとギルバートに多様な選択肢を与えた。

 ギルバートはベルミオンではなくシュカの兵学校へ。

 ルチアは義務教育を終えた後、南部シャマイリーの香料工場へ見習いに。


 たった二人の公子と公女は、大公から許されて、それぞれ城から遠く離れた場所で、暮らしている。


 そんな久しくも懐かしいマルセル城に、ルチアは今日、帰ってきている。

 汚れた作業着を脱ぎ、城にふさわしい服装に着替えて。

 しかし、舞踏会以降、訪れていなかったこの城で、郷愁に浸るひまもなく、ルチアは途方に暮れていた。


「…………」


「しかし、本当に良いお天気になった。な、ルチア」


「海も凪いでいるということですし、シャマイリーはもっと良いお天気でしょうね」


 顔色の悪いルチアに対し、ご機嫌なアンドレアと、ダリル。

 三人は貴賓室で茶を囲んでいる……が、その面持ちは、ちぐはぐで、対照的でさえある。

 

 理由は、目の前の──父・アンドレアの上座に座る少年である。


 簡素だが上等な上着と半ズボンを着た、ルチアより三、四歳は年下のはずの子供。

 絹糸のような金髪、空色の瞳。

 抜けるような白い頬。

 長い前髪が束になって、わずかばかり、目にかかっているのを、ときおり邪魔そうに首を振って、跳ね上げている。


 少年が顔を上げると、ルチアと目が合った。

 ルチアは笑顔をつくったが、少年が笑顔を返すことはなく、ふい、と視線をそらしてしまった。

 ルチアはぎこちなく固まった笑顔のまま、紅茶を一口飲んだ。


(まさか本当にお見えになるなんて……)


 少年の名前は、ユリウス・アン・フリッツ・ザビウス=メールラント。


 ベルミオン帝国の皇帝メリニオスと、皇后ミュリティスの第十二子──つまり、ベルミオンの皇子、フリッツ伯爵その人である。


 ルチアはユリウスを知らなかったわけではない。

 ルチアはベルミオンの皇子・皇女の名前と顔をすべて把握しているし、初拝謁のおりには、皇帝の背後に居並ぶ皇帝の子供たちとも顔を合わせているのだから(とはいえ、緊張しすぎて顔を確認することなどできなかったのだけれど)。

 しかし、どうしても知識の偏りというものはある。

 ルチアはどちらかというと会う機会の多そうな皇太子のヴァレリウスや、自分と年の近い皇女・エマリンドの方を気にしていたから、自然と記憶もそちらに割かれている。

 末っ子のユリウスのことは、知らなかったわけではないが、あまり気にしていなかったというのが、正直なところだ。


 ルチアはユリウスの〈行幸〉を手紙で知らされたとき、その現実感の無さに、「これは父の(面白くない)冗談ではないか」と思いさえした。

 アンドレアからの手紙の内容は、要約すると、こうだった。


 ──ベルミオンの皇子ユリウス様が我がマルセル城にお出ましになる。

 ユリウス様は香水をご所望であり、なおかつ、香水をみずから制作なさりたいとのお達しである。

 我が娘・ルチアよ。

 そなたは大公国の案内役として、ユリウス様をお迎えし、シャマイリーの修道院までお連れし、香水をお作りになられるユリウス様をお支えし、完成したあかつきに、ふたたび城へお送りせねばならない。

 準備のために、いそぎマルセル城へもどれ。

 なお、一連の接待はすべて非公式であるから、そのつもりでまいれ。

 

 ベルミオン帝国の皇子が、非公式で、言ってしまえば片田舎の外国にわざわざ訪れ、そうする理由はといえば、香水を作ることなのだという。


 冗談としか思えなかった。

 しかし、現実として皇子は来た。


「ユリウス様、(スミレ)の砂糖漬けをもっと、いかがですか?」


 ダリルがユリウスに菓子をすすめると、ユリウスは軽く首を振った。


「いや、もういい。美味かった」


「恐れ入ります」


 ルチアは人に知られぬよう、ゆっくりと深呼吸をした。

 こうなったらもう、ユリウス殿下をシャマイリーまでお送りし、香水を手ずからお作りになるのを、お手伝いするしかない。


 覚悟が決まると落ち着いてきた。


 ルチアはカップをソーサーに戻し、ユリウスがこちらを見るのを待ってから、話しかけた。


「ユリウス様」


「なんだ」


「おたずねしてもよろしいでしょうか」


「よいぞ」


「恐れ入ります。

 香水をお作りになりたいとのことですが、どのような香りの香水をご所望でしょう」


「……どんな?」


 ユリウスは首をかしげた。

 かしげた拍子に、金髪の束がサラリとくずれる。


「たとえば、花の香りがございます。薔薇(バラ)の香り、百合(ユリ)の香り、ジャスミンの香りなど……。

 それらを組み合わせて花束のような香水を作ることもできます。


 柑橘類やハーブも、それぞれに匂いがあります。

 これらを組み合わせて、気分を落ち着ける、気つけ薬のような香水を作ることもできます」


 ユリウスは何かを考えるそぶりを見せた。

 わずかな時間沈黙したのち、ルチアを見上げて首を振った。 

 

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