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世界は運命を変えるほど俺たちを嫌う  作者: 池田ヒロ
最終章 過去から現在へ、現在から未来へ
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得失 前編

 オリジン対策本部の会議室ではケイを除いた六人が深刻そうにしていた。理由は昨日の異形生命体襲撃について。


 病院内に出現したあのバケモノを倒したのはいい。だが、ほとんどの者が留守をしているときを狙ってくるとは思いもよらなかった。あれで騒ぎを立てて、空となったこの本部の方を襲撃。


「…………」


 誰もが険しい表情を浮かべていた。その理由はキリが所有権を持つ過去の歯車が何者かに盗まれてしまっていること。それ以外に未来のコンパスと神様の日記に被害はないし、他の物にも損失はなかった。


 同時の事件をラトウィッジは聞きつけて、すぐに戻ってきた。ようやく王国内へと入国できたのは深夜になっていたのだ。それらを踏まえて、もっと最悪な状況が世間すらも襲う。会議室にあるテーブルの上には昨日のことについての記事ではあるが――実は――。


「ついに動き始めたか……」


 青の王国だけならず、全世界に広がりつつある異形生命体の被害。海を越えての赤の共和国まで迫りきている情報を受けた。


 最悪な状況が迫りつつあるならば。


「そうなると、デベッガ君の記憶回復を急がねばなりませんね」


「だが、その前にハルマチの記憶もだろう? ルーデンドルフ氏、いかがなものか」


「ええ。ハルマチさんの分は構いませんよ。すでに準備はできております」


 ヤグラのその言葉にアイリは静かに頷いた。視線の先の席でいつもはケイが座っているのだが、彼は今いない。


「ならば、すぐにでもできるようにして欲しい。――それと、ケイたちは隠れカムラ教徒が存在するという集落を見つけたようで、しばらくはこちらにいないそうだ」


 それに誰もが納得したように頷いた。


 自分で言っていて、なんだかこちらの行動や状況をコインスト側から見透かされている気がしてたまらなかった。いや、そうなのだろう。なんせ相手は未来のコンパスを所有しているのだから。


「今件の事件については私にも非がある。だが、ハルマチ。あまりキンバーを無茶させるな。彼はまだ体を慣らしていないんだろう?」


「えぇ。ですが、動けるのはあの人しかいなかったもので。MAD細胞という武器を簡単に扱えるのは彼だけとも言えるでしょ? あのときはキリ君いなかったし」


「デベッガはどこに? まあ、記憶がない状態で出会うのも危険だろうが」


「メアリーと町に出かけていたみたいで。結果的にメアリーを避難させていたようなものですし、咎められることはないと思いますよ」


 ある種での最良的判断だった、とラトウィッジは考えるしかなかった。


     ◆


「ほお、大分字が上手くなったじゃないかい」


 エレノアに褒められて、キリは照れくさそうに頬を緩ませていた。まだまだおぼつかない字ではあるにしろ、全くの無知状態ではなさそうである。体がそう書くのに慣れていると言ったが正しいか。そして、もう一つ。これは確信的ではないのだが、彼がキイ教信者であるということ。迫害時にキイ教典を見たことがあるならば、文字は全くわからないことはないだろう。


 だがしかし、今のキリにそんな素振りは見られないし、以前の彼でもそうだ。キイ神に祈るような感じでもなかった。結局は根拠がないという報告で聞いただけの話。


――もしも、教典を渡したならば、どうなのか。


 エレノアは気になって仕方がなかった。それ故に――。


「キリ」


「何、おばあちゃん」


「貴様は誰も信じられなくなったとき、何を信じて生きていく?」


 じっと薄青色の目がこちらを見ていた。文字の練習をしていた手が止まっている。別に何かを考えている様子ではない。迷っている様子もない。ただ、だんまりとこちらを見つめるだけだった。ややあって、キリはようやく口を開く。


「わかんない」


 答えはなかった。それにエレノアは一安心する。


「そ、そうかい。それならば、いいんだけれども……」


「でもね」


 話はまだ終わっていなかった。キリは視線を逸らして練習用ノートの一点を眺める。


「『あの人』が言っていた気がするんだ。人は記憶をすがって生きるしかないって。だから、自分だけを信じなくちゃダメなのかなって……」


 その『あの人』とは誰のことであろうか。おそらく幼き日のことだ。曖昧にしか覚えていないのも無理はないのかもしれないのだ。


「そうかい。いや、そうするのはキリ自身だ。私がとやかく言うことではないね」


 変なことを訊いて悪かった、としわくちゃの顔を見せながら笑った。無理しているなという実感はある。だが、キリを不安にさせるべきではなかった。


――本当に記憶を戻すべきなのだろうか。


 キリが記憶を取り戻したならば? その信条を持ったままの状態で記憶がよみがえったならば?


 キリのその発言は自分を絞めつけているような感じではある。


「…………」


 記憶を取り戻す上でエレノアが不安になっていると、ドアがノックされた。中へと入ってきたのは――。


「おうっ、デベ……キリ君よ、クランツ教官が呼んでいる……わ、よ」


 ハイチだった。キリ以外に別の誰かがいることに気付いて、慌てて男口調を直そうとする。アイリやメアリーと言った見舞い人とはまた別の人物がいるな、と彼はエレノアを見ていた。


――デベッガのばあちゃん? としては雰囲気が違うしな。つーか、こいつも家族はいなかったか。じゃあ、どっかの入院患者か?


 また、エレノアも見ていた。以前のハイネと比べて、しっかりとした雰囲気ではなくなっている。むしろ、ちゃらんぽらんな感じがにじみ出していることに気付いた。


――あの子としては、なんか変だね。


「マックスさんがですか?」


「ほら、あれだよ。あれ。昨日、ライッ……メアリーちゃん? とデートしただ……でしょ。その分のツケのトレーニングじゃね?」


「ああ、そうでした」


 キリはエレノアに昨日のトレーニングのことについて伝えると、二人を部屋に置いてトレーニングルームの方へと行ってしまった。


 さて、伝言をしたことだし、外にでも行ってこようかな。なんてハイチがその場を後にしようとするのだが――。


「待ちな」


 呼び止められて、その方を見てくる。片眉を上げて、誰だとでも言いたげな面持ちである。しかし、そのセリフはこちらの物。ハイネの話し方、佇まい方はこんな感じではない。人前で寝ぐせを放ったらかしにするほど、適当な人物ではなかったはずだ。そう、まるで人が変わったような――。


「貴様――」


 誰だとでも言おうとした瞬間――ドアが開けられ、セロが顔を覗かせた。入り口のすぐ傍にいたハイネに「ハイチ」と言う。


 その瞬間、二人の間の空気が割れた感じがした。


「お前、これからどうする? 俺は一応帰ろうかなって思っているけど」


 返事をしてやりたいのは山々であるが、向こうから来る視線が痛くて何も答えられやしない。なんとも言えないこの空気。邪魔するんじゃない。


 反応なしのハイチに対して再びセロは呼びかけた。


「聞こえているだろ、ハイチ」


――ちょっと、この状況わからねぇのか、こいつは!


「おい、反応しろシスコンばかハイチ・キンバー」


「お前がさっさとこの空気に気付きやがれよ、バカヤロー!」


 小声で指摘すればいいものを。ついつい大声を上げてしまった。思わず口を両手で塞ぐハイチ。だが、遅い。そしてここでも気付くのに遅い者が一人増える。セロだ。部屋の奥にいる人物を見て口を塞いでいだ。


「貴様の名前はハイネ・キンバーじゃないのかい?」


――あああああああああああ!!!


 より一層、気まずい空気が漂う。


「…………」


「…………」


「…………」


 痛い沈黙で固まる。時が止まるというのはまさにこのことと言ってもいい。この珍妙な空気を誰が破壊してくれようか。自分たちで壊すしかないほどに真っ新な時間が過ぎていく感覚だ。ややあって、セロがハイチに「言っていないのか?」と他人事のように言ってくる。


「別に言っても問題なくね?」


「簡単に言ってくれるな、お前は」


 言っていない以前に今日初めて会ったのに何を言うか。ハイネは初対面ではないにしろ、ハイチ自身は初めて見ると言うのに。


「あの子じゃないなら、貴様は誰なんだい? ヴェフェハル、こやつは誰なのかね? 何故キンバーと同じ顔をしている――」


 ここで思い出した。そうだった。報告書では誰であるかまでは記載されていなかったから。


「……ヴェフェハルよ、キンバーは誰の脳と交換したんだい? どうも、このちゃらんぽらんはいけ好かないね。隠しきれない無礼者って感じがするよ。なんて言うんだい、ばかさ加減がにじみ出ていると言うか、なんと言うか」


 その発言にハイチは片眉の端を僅かに動かすとセロの方を見た。


「セロ、この超失礼なオババ様は誰よ。俺って言うほど無礼者じゃないよな?」


「エレノア様をそう言っている時点で無礼者だ、ばか。彼女は国王様の王母に当たる方だ、ばか。不敬罪でこっぴどく怒られろ、ばーか」


「なんだと、ばか」


「ええい、そこのばか。さっさと誰なのか名乗りな。こんなことをしているほど、私は気が長い人間じゃないんだよ」


 勝手にばか認定されたて、不貞腐れた表情を見せるハイチは「ハイネの兄、ハイチっス」とまあ、失礼極まりない態度で自己紹介した。


「ふぅーん、あの子もこんな兄貴がいるんであれば、大変だったろうに」


 エレノアの言葉がグサリと刺さった気がする。それに歯噛みしていると――。


「でも、見知らぬ者が中に入るよりは肉親の方がいいからね。……貴様、あの子に会えたのかい?」


「なんとも、言えないっスね」


「それはもったいない。あの子はいい子なのに」


 ハイネのことを褒められて、ハイチは少しだけ嬉しく思った。それと同時に昨日から溜まりに溜まっている後悔の念が押し寄せてくる。


「…………」


 口を尖らせて片眉を上げていると、キリが戻ってきた。


「ハイネさん、マックスさんがハイネさんもだそうです」


「ん、あ――うん」


 まさかついでに一緒のトレーニングメニューをさせようと言う魂胆なのだろうか。逃げようかな、と思うにも、「行きましょう」と一緒に行くことを絶対としているようだ。おそらくマックスは何か吹き込んだに違いない。セロに助けを求めようと彼の方を見るも、抜き足差し足と逃げる気満々。誰が見逃すか、この野郎。


 ハイチはセロの服の裾を掴む。それによって首が絞まってしまったのか、苦しそうな声が聞こえてきた。彼は自身の首が絞まらないようにしてシャツの首元を引っ張らなければならない。


「放しやがれっ!」


「あぁあ、ごめぇん! さっき、手に接着剤をつけたから取れなくなっているんだよねっ!」


「嘘つけ! 俺を巻き込もうと何考えていやがる!?」


 その手を放せとハイチの手を開こうとする。だが、ここで押し負けてはならない。握力を一秒たりとも零点以下であろうとも緩めてはならないのだから。すべてはセロも巻き込むために。


「……だったら、ヴェフェハルも出たらいいだろう?」


 こんなやり取りが醜いと感じているのか、エレノアはため息混じりながらそう言った。いよいよ逃げられないと感じたセロは「わかりましたよ」と諦めざるを得なかったのである。


     ◆


 今更ではあるが、キリは軍人育成学校時代では『戦力外』と呼ばれていた。理由は一回生や二回生時にあった実技授業――軍事学と演習実技で使い物にならないというところから来て、そのあだ名を言われていたらしい。実際、ハイチとセロはそれを詳しくは知らない。気がつけば、下級生でそういう人物がいると聞いただけなのだ。


 現在のキリはというと――。


 模造剣でマックスに教えてもらった通りに、時には応変したスタイルを屈指して彼と対戦をしていた。戦力外と呼ばれていたことを疑うほどまでの力を見せつけられていた。体の動き、剣筋、どれを見ても無駄な動きは見当たらない。


「あいつって、あんな動きしていたっけ?」


 以前、私闘した記憶ではあんな素早い動きはあったようでなかったはず。ずっと防御や回避に努めていたのに。そして、鬼哭の村での戦いとはまた違う。正統派の戦い方とでも言うべきか。


 ハイチとセロは手を止めて二人の対戦を眺めていた。いや、これに驚いているのは何も彼らだけではない。マックスも同様である。


 キリの動きに戸惑いつつも格好悪いところだけは見せなくないのか、ムキになり始める。それはこの場にいる誰にでも伝わるほど。彼はマックスに着いていこうとしていた。


 『腰を落として(土台よ)』、『足に踏ん張りを利かせ(しっかりしろ)ろ』。相手の動きをよく見て、『次の行動を予測しろ(見極めろ)』。『一点()』だけを見るんじゃない、『全体(彼自身)』を見よ。


 攻撃が来た直後の『(脇腹)』が空くはず。


 『防御後は素早く捌け(流れるように動け)』。『勢い(ペース)』は『落とす(乱す)』な。落とせばそれは『負け()』である。


――『負け()』……。


 負けぬためには『そこ()』ではなく――。


 奇妙な殺気を覚えた。マックスはキリが向けている視線の先に剣身を持ってくる。その直後に彼が握る剣先が音を立てた。


 狙うは『御首(確実な死)』。腕よりも、足よりも、胴体よりも――どの生物がそこを受ければ動けるわけない。


――それで舐められたものよ。


 教官が元であろうとも学徒隊員に負けるわけにはいかない。この場にはエレノアもいるのだ。自分が負けていては示しがつかない。指導者であればこそ、強くあれ。競り合う最中、マックスは防御態勢を利用して、キリを押し叩くと――。


 キリはそのままバランスを崩して転倒をしてしまった。模造剣も手放してしまう。剣先を向けられて「負けました」と悔しそうにしていた。その言葉にマックスは剣を下ろし、息を荒くしている。彼相手にここまでの疲労が襲ってくるとは。


 まだ負けたことに根を持っているのか、その場に座り込んでため息をつくキリ。そんな彼に手を差し伸べてあげた。


「デベッガは前よりも随分と強くなったな」


 想像を遥かに超える技に目を疑うばかりである。


「マックスさん、俺はどうすればもっと強くなれますか?」


「……これ以上、強くなるつもりか? 下手すれば、俺が負けるのに」


 マックスの手を取って起き上がった。


「次はあの二人と戦ってみるか? おい、二人ともデベッガとも対戦してみろ」


「あっ、私は女なので」


 こういうときだけ女性として逃げるハイチ。まだ体が慣れていないのにどう戦えと。昨日の異形生命体先だって一人で戦えたわけでもないのに。


「セロがいいんじゃねぇの?」


「俺はあれだな。ぶっちゃけ言うと、同時侵攻防衛戦のとき以来からちっとばかりの後遺症もあるんだよな。前みたいにして動けまい」


 マックスが全力を出さないほど勝てる相手であるならば、剣を交えたくない。そう消極的なハイチたちに「だらしないなぁ」と腕を組む。


「それでも元首席と次席か?」


「それでも私は女です」


 是が非でも逃げようとするハイチ。なんともだらしない、とエレノアはそんな視線を送ってくる。しかし、戦闘意欲がない者を無理やりに戦わせるわけにはいかないため、マックスはここで休憩を入れるとして、トレーニングルームから出ていった。


「あぁ、面倒くせぇ」


 マックスが部屋から出ていったのを機にハイチたちは休憩すべく同様に出ていく。その場にはキリと見学していたエレノアが残った。


「おばあちゃん」


「なんだい? キリは強かったよ」


「ううん、そういうことじゃなくて。今日、メアリーは来ないの?」


 午前中からのトレーニングをやっているが、そろそろメアリーはこちらの方に来ていてもおかしくはない時間帯のだ。なかなか姿が見えないから、キリにとっては寂しいと感じていた。


「メアリー? ああ、あの子は今日は家の方にいるよ。やることがあるみたいだからね」


「忙しいのか……」


 残念だ、とでも言うようにキリは大きく項垂れた。そんな彼を見て、エレノアは――。


「だったら、午後のトレーニングが終わったらこっちに来るかい? きっと喜ぶと思うよ」


「えっ、いいの!?」


 すぐさま目をキラキラとさせた。余程メアリーに会いたいのだろう。


「ああ、いいよ。貴様はメアリーが好きかい?」


「うん、メアリー好きだよ。もちろん、おばあちゃんもアイリもハイネさんもみんな……」


 その言葉を聞いて、キリはやはりメアリーのことは記憶を失っても友人として好きなのだろうと目論むのだった。


     ◆


 話すことなど何もないし、質問に答える気にもならない。そう言われて半ば追い出されてしまったケイとヴィン。彼らがいる場所は南地域の環境保護区に比較的近い南果の村はずれの集落――弥終集落にある一番大きな家、つまりはその自治区の長の家であった。


「すっごい、剣幕とした顔していたね」


「あの人の答えようは確定してもいいが、なんとか話ができないものか」


 ケイたちは自治区長の家から少し離れた場所で待機をしているターネラたちのもとへと戻ってきた。二人のその残念そうな表情を見て感付く。


「ダメ、だったようですね」


「『隠れ』の宗教だからな。そうそう簡単に教えてくれないだろう」


「だとしても、ここで粘るしかないのかい?」


「ないな。あいつの過去の歯車が盗まれている以上、時間もあんまりかけられない。ずっと交渉していくしかないよ」


 それにまだ最初の交渉である。そうそう簡単に答えてくれることはあるまい。


「というか、次の交渉の手立てとしてこれを使っていくしかないようだね」


 どのようにして話していくかとその場を離れながらもケイが考えていると、ヴィンがカメラを手にして何やら企んでいる様子。彼らにとって、そのように強引さを見せてまでやるべきではないと思っていた。


「下手なことはするな。こっちとしては向こうも恨みがましい物を残されたらたまったものじゃないんだよ」


「じゃあ、最終手段?」


「…………」


 そう言われると、何も言えなくなってしまう。あの自治区長は自分たちのことを説明しても、よそ者だからか――快く思っていないし、絶対に話してくれなさそうだから。


「……とにかく、人を煽るようなことをするのだけは止めてくれ。俺たちは世界改変者らが企てた計画止めるための情報を得るのにこっちへ来ているんだから」


「わかったよ」


 ケイは今日のところは宿屋の方に行こうと全員に促す。そんな中、ターネラは服の下に隠している過去の歯車を握りしめて自治区長の家を見つめていたのだった。


     ◆


 ラトウィッジからの定期報告でエブラハムは頭を悩ませていた。昨日から突発的に起こった異形生命体の事件。今もこうして王国や他国でそのバケモノに関する報告が挙げられている。


「過去の歯車を奪われたのか」


「申し訳ありません」


「スタンリー家の物が奪われなかっただけでもよかったのかもしれんな」


 盗んだ犯人も粗方想像はつく。コインスト及び、反政府軍団の者たち――過激派キイ教信者たち。彼らは何が狙いなのか。


「…………」


 報告書を眺めて、エブラハムは黙りこくる。渋面を見せているようだ。


「いかがいたしましたか?」


「いや、『やつ』のことを思い出したまでだ」


――やつ?


「……ラトウィッジも覚えているだろう? 『二十年前』の――」


 二十年前という単語にラトウィッジ自身も怪訝そうな顔を見せた。


「ソルヤノフ、ですか」


 キイ教を信じることが悪いわけではない。エイキムはただ、それの悪いところに魅了されたのだ。彼ははいつの日かそれに興味を持つようになった。


 エイキム・ソルヤノフ。幼いながら両親を亡くし、ソルヤノフ家の当主となった。しかし、彼は寂しさなんて見せることはなかった。貴族としての気品を保ち、三銃士軍団員として抜擢され――何がきっかけなのかわからない。勝手に落ちぶれていった。キイ教に憑かれたようにし、教典や資料本から知識を求めるようにして貪り読み漁る日々を見掛けるようになった。よく国内の礼拝堂へ祈りに行くことがあった。


【あれ? ソルヤノフは?】


【なんか、礼拝堂に行ってくると言っていたよ】


 あまりにも熱心に信仰しているものだから、訊ねてみたことがある。


【キイ様が僕に教典を読みなさいって仰ったんだ】


 その発言に誰もが顔を見合わせるほど。宗教の信仰自体は自由だったから、特に何も言うことはなかった。だが、彼の信仰心の闇深さには恐れを抱かされる。エイキムはとんでもない計画を企てた。それに誰もが止めようとした。


【おいっ! お前は何を考えているんだ!?】


【愚問なことを訊かないでくれ】


【愚問なものか! ばかなことを考えないでくれ!】


 思いを留めさせようとした。ばかなことを考えるな、考え直せ。それで誰もが幸せになれると思ったら大間違いだ。それでも――。


【何を言っている。それが僕の天命だ】


 考えを改めようとすることはなかった。それでも、とエブラハムや三銃士軍団たちは説得を試みていたのだ。それは二人にとって記憶は残っている。しかし、自分たちの力ではその手を取ることができなかった。


【エイキム・ソルヤノフを三銃士軍団から追放とする】


 先代の青の国王――つまりはエブラハムの父親の強い意向により、三銃士軍団の強制脱退に加え、身分剥奪をされてしまったのだ。そのような事があっても、エイキムはなんとも思っていなかった。己の両親がいないのも当然であるように。


【そうですか】


 あっさりと切り捨てるその精神を自分たちは疑っていた。悲しくないのか、悔しくないのか、と。かける言葉も見つからない。差し伸べたい手も届きそうになかった。


「なあ、ラトウィッジよ。私はあのとき、やつになんと言葉をかければよかったのだろうか」


 ただ、エイキムが去っていくその後ろ姿を見ているだけしかできなかった。だが、それはエブラハムだけに限った話ではない。あのときの三銃士軍団員たちは誰もそうするしかできなかったのである。


「国王様。お言葉ですが、私もどうすれば……」


 キイ神に嵌められて、何もかも失った遠き日の友人よ。すがるのはそれだけしかなかったのか。なぜに自分たちに対して手を伸ばしてくれなかったのか。ここまで事態が大きくなろうとは思いもよらなかった。


 二人が無言の後悔をしていると、部屋のドアが開くような音が聞こえた。そちらの方に視線を向けるも、誰もいない。だが、気のせいではない。ドアが開いているから。


「……風か?」


「閉めて参ります」


 ラトウィッジが部屋のドアを閉めようとしたとき、冷たくも温かくもない風が彼を通り抜けた。一瞬だけ固まるも、気のせいとして閉めた。


「申し訳ありません。私がきちんと閉めていなかったばかりに……」


 開いてしまった原因は入室してきた自分にあるだろう。そう思ってエブラハムの方を振り向けば、ラトウィッジの眼前に一人の青年の後ろ姿が見えた。その人物は青色のマントをし、青の王国の民族衣装を着飾っている。どこかで見覚えのある顔立ち。


「お前たちが思っていることは、ただの自責という名目の責任転嫁だ」


【もぉ、いぃかい】


 頭の片隅に仕舞われていた古い記憶。バタバタと王城の廊下を走る音。一緒に物置倉庫に隠れていたときに見た誰か。夢だと思っていたもの。


【おにいさん、なにしてるの?】


【しぃ、かくれんぼしているんだろ?】


「あ、あなたは……!」


「それが友を助けたかったと言うやつの考えではないぞ、エブラハム、ラトウィッジ」


 その誰かは自分たちの頭をなでてくれた。しっかりとした大きな手で。


【だれなの?】


【俺か? 俺は――】


「ら、ライアン初代国王……!?」


 夢じゃなかった。幻でもなかった。はっきりと見える四十数年前と変わらぬライアンの姿。驚きを隠せない二人が目を丸くしていたが、彼は手を叩いてこちらに注視させる。


「な、なぜ、あなたが?」


「なぜ? そりゃあ、子孫がこんな体たらくになっていたならば、嫌でも出てくるよ」


「なっ……!?」


「二人とも、忘れたのか? 俺との約束を。エブラハムはエレノアに言われたことを忘れてしまったのか?」


 ライアンとの約束? あの日、自分たちは彼と何か約束でもしたとでも言うのか。二人はその記憶を思い出そうとする。あの物置倉庫での言葉。ライアンは何かを言う。それに対して幼きエブラハムも何かを言った。当時は口下手だった自分も口にする。


「お前たちだったからこそ、俺はお前たちに託したんだよ」


【――が悔しくて……】


 今掘り返した物が出てきた気がするが、記憶の土の中へと掻き消えてしまった。ほんの一瞬の出来事。


 ああ、その約束を思い出せたならば。


【――ぼくたちがおにいさんの――かたきをとってあげる!】


【うん、ぼくたち――だからできるよ】


 埋まれ、埋まれ。記憶のピースよ。これは思い出すべきだと心の中の己が言っている気がした。


【――のために】


 何のために自分たちは約束した? エレノアに言われたこと?


【自分の身分を捨てろ!!】


 真っ先に、一年前に叱咤された言葉を思い出した。最愛の娘を助けるがために言われた。一時ではあるが、エレノアも共に捨ててくれた。彼女がそうするように誘導してきたのは――。


【メアリーの友人があの子のために命を賭して戦おうとしているのに!】


【俺は――一人の友人のために戦った。でも、救えやしなかった。それが悔しくて……】


 ライアンはとある友のために悔しがっていた。それを聞いたからこそ、自分たちは――。


【だったら、ぼくたちがおにいさんの、おともだちのかたきをとってあげる!】


【うん、ぼくたちも、おうこくのひとたちも、おともだちだからできるよ】


「お前たちは何に誓った? 何のために国を支えていくと決めた?」


王国民()がために】


 友のために戦う。それが遠い昔に置いてきてしまった幼き記憶。


【そうでなくてもいいんだ……ただ、お前たちが――】


 ライアンはしっかりとした面立ちで二人を見た。


「もしも、お前たちがそれを忘れていなければ、立ち上がるんだ。この状況、どう足掻いていかねばらないのか考えろ。それが俺と二人の約束だったはずだ」


 その言葉はライアンが消え失せてしまっても、はっきりと頭の中に残っていた。しばらくの間、沈黙が続いていたが――ややあって、エブラハムが「ラトウィッジ」と声をかける。


「引き続き、オリジン計画の案件はお前に任せた」


 それだけを言い残し、エブラハムは書斎を出ていってしまった。


     ◆


『拝啓、いかがお過ごしでしょうか。』


 その文章が書かれた便箋を前にしてメアリーは悩んでいた。これはハインに宛てた手紙であるものの、今回はどんなネタを書こうか迷っていた。普段は身近に起きたちょっと面白おかしなことを書いているのだが――。


【俺がメアリーが好きなのは本当だよ】


 昨日のキリの発言を思い出してしまって、それどころではないのだ。流石にそう言った物を書くわけにもいかない。だが、誰かにこのことを自慢したいのは事実。好きな人からの唐突さはあるものの、告白を受けたのだ。


 キリに抱きしめられて、すごく温かかったのをまだ覚えている。感覚があった。しかし、嬉しいということには変わりないのだが、何かが引っかかった。決して嫌だとかそういう感情ではない。自分の心の奥底の本音なのか、はたまた誰かの思念なのか。今こうして肩を叩かれているような――。


「メアリー?」


「ひゃっ!?」


 突然の訪問者、キリに対して盛大に驚くメアリーは大きく肩を強張らせた。なぜにここにいるのか。


「き、き、キリ君!? いつの間に!?」


「おばあちゃんに連れてきてもらって、案内してもらったんだ。それに、ノックもしたけど、返事がないから……何を書いてるの?」


 メアリーが気になるのか、机の上にある手紙一式物に着目した。誰かに送る物なのか。


「あっ、えっとね……ハイン皇子にお手紙を書いているの」


「おうじ? どこの国の人?」


「黒の共和国……元黒の皇国の人だよ。今は亡くなったけど」


「死んだ人に送っているの? 読めないのに?」


 メアリーは変わったことをしているなと一人勝手に思い込む。


「読めないとか、そういうのは関係ないよ。それに、これはただの慰めみたいな物だから」


「死んだ人を慰めるの?」


「うん、そう。キリ君は誰かのお墓とかで慰めたりしたことない? お花でもいいし、墓石を綺麗にしたりとか。誰かが亡くなっているって知っていると、悲しいよね」


「……ううん。俺はただ、お祈りするだけだったよ」


 昨日と今日は亡くなったワイアットにみんなで祈りを捧げた。建設事故で彼は亡くなったと町から帰ってきたときに聞いた。祈りを捧げているときの自分以外の誰かは悲しそうな顔をしていた。だから、メアリーが慰めるだなんていうことを言っていたのか。あのとき、自分は悲しい顔をしなければならなかったのか。いくら記憶を失ったとしていても。


 元より、以前より誰だかわからないお墓の前に跪いていた。そこに眠る人が自分を守ってくれる人だと思って、単純にずっと祈りを捧げてきた。今は病院で暮らしているから結局誰の物なのかわからなかったけれども――。


 妙な感情が芽生える。自分自身に対する嫌悪感。いや、アイリに言われたときからだ。


「そっか。ところで、私に何か用あって来たんでしょ? どうしたの?」


 メアリーがそう訊ねると、キリは「会いたかったから」と真顔でそう発言する。


「よくわかんないけれども、今日は無性にメアリーに会いたかったんだ。別にお話したいわけじゃないけど、それでも会いたいって思ったから……おばあちゃんに」


「そう言ってもらえると、嬉しいな」


「なんかアイリも総長さんも朝ご飯のとき会わなかったから。看護師さんに訊いても忙しいって」


「アイリ、病院で働いているもの。それに、ラトウィッジおじさんも軍関係で忙しいからね」


 こればかりは仕方ないだろうと思う。キリはあまり納得がいかない様子ではあったが、理解はしてくれた。


「……あのさ、今日おばあちゃんに言われたんだ」


 せっかくキリが来たことだし、と思い立ったメアリーは机の上に出していた便箋と封筒を引き出しの中へと仕舞い込んだ。彼の言葉に相槌を打つ。


「誰も信じられなくなったとき、何を信じて生きていくかって……」


「うん」


「わかんないって答えたけれども、何が正しい答えだったのかよくわかんないんだ」


「それはキリ君が、自分自身にとって正しいと思う答えの方に行けばいいだけだよ」


「それがよくわかんないんだ」


 一瞬だけキリは不安そうな目の色を見せた。誰かが言った自分の記憶にすがって生きていく。それが自分にとって答えであろうとは考えてはいる。しかし、数年間の記憶を持たないし、自分が常識だと思っていたことは全部非常識だった。あまつさえ、死人に祈りを捧げたりするやり方も――どこか異常だと思えたから。周りは『仕方ない』で見てくれていたが、果たしてそれはどれだけの者がそう思ってくれているのだろうか。


【そういうことをしたら、ダメだ】


 記憶――友人、好きな人、家族、一般常識。すべて欠落している。それだからこそ、記憶にすがって生きていくことなどできるはずもない。それなのに、なぜに誰が言ったのかわからないその言葉が頭の中にあるのか――。


 覚えていなければ、いけなかったはず。それでも、思い出せそうで思い出せない。なんて考えるだけでも不安になる。すごく怖い。自分はこの世で独りぼっちで生きていく運命だったのではという考えが出てくる始末だ。


「へっ?」


 記憶のない自分が怖くて、キリはメアリーに抱きついてきた。こうしていると、とても落ち着くことを昨日知った。これが今の彼にとって心を落ち着かせる方法。人の温もりがゆっくりと不安要素を消してくれている。


【俺がメアリーが好きなのは本当だよ】


 だから、こうしてメアリーに昨日抱きついた。町中ならばいないだろう、大丈夫だろうと思ったが、野生の小動物――野鳥が広場で戯れていた。それを見たときに口いっぱいに涎が溜まってくる物だから。見ないように、あのようなことをしないように気を紛らわすためにしたのだ。


【メアリーがそれ見たら絶対きみから離れるよ。嫌われるよ】


 数日前にアイリから言われた言葉。それが現実になるのが嫌だった。怖かった。自分の前からいなくならないで欲しかった。そうならないために見ないようにとしたのだが――。


【は、恥ずかしいよ……】


【なんで?】


 メアリーは自分に離れるように言った。それが更に不安を煽り立ててくる。


【さ、流石に町中じゃあね? 誰もいないところならいいけど……】


 そう言われたからこそ、アイリかラトウィッジにも会いたかった。自分のことを知っている人として。誰でもいいから誰か知っている人とのコミュニケーションを取りたかった。安心が欲しかった。


「き、キリ君!?」


「……ごめん、しばらくこうさせて」


――記憶にすがらなくちゃならない……。


 もし、そうだとするならば、常識のないこの記憶にまた数年分の非常識の塊(記憶)を書き足したならば? それは『仕方ない』で済む話だろうか。自分がどんな人物であったかなんて誰からも聞かされたことはない。教えられたのは『キリ・デベッガ』という名前と数人の友人たちの名前に数年間の記憶が欠落している事実だけ。何も知らない。何も知らせてくれない。教えてくれない。己と言う存在は? 記憶を取り戻せば、どうなってしまう?


「き、キリ君、ちょっと痛いよ?」


 徐々に締めつけられている感覚が襲ってきている。先ほどの優しさは微塵もない。キリはしばらくしてから口を開いた。




「俺、記憶なんて取り戻したくない」




 理由は簡単。『記憶』その物が巨大な怪物に見えて仕方ないから。


 キリのその発言にメアリーは「何を言っているの?」と彼から離れた。


「私はキリ君が今までの記憶を持つべきだと思うのに」


「嫌だ。俺は誰の記憶かわからない物なんて欲しくない」


「全部、キリ君のなんだよ? 誰のかわからないって、そんなことないよ」


 そっとキリの肩に触れると、彼が体を震わせていることに気付いた。あまりにも小刻みだったからわからなかった。仕舞いには、頭を抱え込み、その場に屈み込む。それは泣いているようにも見えた。


「俺の記憶だってこと、誰が知っているんだよ……。なんでわかるんだよ……」


「…………」


「記憶にすがれって……あれはダメ、これはダメって言われるしかない、記憶しかない俺は何にすがればいいんだっ!」


 キリに対する慰めの一言を考えることができない。彼は最初から『空っぽ』に等しい状態だったから。何も持たないキリは道に迷っている。その差し伸べられる手にも限られていて、ない状況。そんな中での数年分の記憶が頭の中に流れ込んだならば、どうなるのだろうか。


 それはきっと――。


「……メアリーはそれでも俺に、記憶を取り戻せって言うの?」


 ようやくキリが顔を上げた。


――心が壊れちゃう。


 こちらを見つめるその目は脆い不安要素だった。小さな子どもの片手でも握り潰せそうなくらい、ふとした拍子に潰れていそうな印象である。


 何が最善なのかはわからない。そうだとしても、選択肢は選ばずに捨てることなんてできない。選ばなくてはならないのだ、この数少ない選択肢から。選ばなくてはならないのだ、このわかりきった未来の二択を。


「わ、私は――」


 選べ、過去を取るか今を取るか。


 不意に楽しそうに会話をするキリとアイリの姿が見えた。その遠くでは羨ましそうに彼らを見つめる自分。彼女の記憶はなくて、自分の記憶は持ってくれていた。


 メアリーはキリにそっと抱きしめ返すと――。


「キリ君が嫌なら、ずっとこのままでいいと思う」


     ◆


 メアリーはキリを見送った後、改めてハインに送る手紙を書こうと便箋と封筒を取り出した。最初の一文で止まっている。さて、どのようなことを書こうか――。


――――。


 不思議と筆を走らせる手は止まらなかった。気持ちが吹っきれているせいだからであろうか。便箋にはあっという間にたくさんの文字で埋まる。それを封筒に入れて、次に黒の共和国に訪れるスケジュールを確認した。


 少し先になりそうではあるが、もしも書きたいことが増えたならば、追加で書こう。そう思って窓の外を見た。外は暗い。そろそろ夕食の時間だなと考えていると――。


「だぁれだ」


 急に視界が真っ暗になる。焦りは大きいものの、すぐに誰かのいたずらであることがわかったから。先ほど「だぁれだ」と聞こえたから。男の人の声だった。父親エブラハムはこんな冗談はしない口であるし、キリは流石に帰ったし――元三銃士軍団員の男子もしないだろう。


 このようなことをやりそうな人――。


 メアリーは本気で悩む。一体、誰のいたずらなのかと。そうこうしている内に一人の人物を思い出した。


「お兄さん!」


「はい、正解。時間かかったけれども、拍手を送ろう」


 少し気だるげな拍手に喜んでもいいものかと戸惑うも、今回自分の前に現れたのはなんなのだろうか。


「お、お兄さん、今日はどんなご用ですか?」


「んー? それよりも、ちょっとさっきのやり取りを見させてもらったからねぇ」


 さっきのやり取り――それはキリとのか。あれを見ていたのか。そう言われると、恥ずかしくて顔を真っ赤にしてしまう。いたのであれば、出てきたらよかったのに。


「み、見たって……もしかして、キリ君の記憶の説教ですか?」


「いや、そうじゃないよ。ただ、メアリーはエブラハムたちと違って友達思いなんだなって思ってね」


「え?」


「彼の言い分はわからなくもないからね。その彼の気持ちを尊重するのは悪いことでもない」


 悪いことではないと言われて一安心するメアリー。もしも、これが別の誰かであれば、どう評価していただろうか。エレノアは? ラトウィッジは? アイリは? みんな、キリの記憶を元に戻すことについて何を考えているのだろう。


「そうですか」


 喜ぶはずなのに、素直に喜べない自分がいた。


「そんな友人思いのメアリーのところに来たのは他でもない。俺はお前に指示を出しに来たんだ」


 指示――何かあったのだろうか。メアリーは背筋を伸ばして見た。今はキリの記憶に関して迷っている場合ではないようだ。


「隠れカムラ教の地下礼拝堂に向かえ。場所は案内してやる」


 その言葉にメアリーは目を丸くして、何も言えなかった。


     ▼


 こんなもの見たことがない、とガンは言う。渦巻く暗い世界でこちらを見据える者。たった一人で交戦するべきではなかったと彼は後悔した。このまま、まともに戦ったとしても、間違いなくこの場で消されてしまうだろう。


「……ぐっ!」


 武器を手にして距離を置いた。


 ハイチもアイリの記憶もロックという厄介な物は存在していた。だが、ここまで強大な物とは思わない。あの二人と同じような強力的な鍵? 否、それの構造とは全く違う別の構造をした物。


「ヤグラ! 私は一度退却をする!」


 ガンができることはここから逃げるだけであった。なぜならそれ以外の選択肢はないからである。

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