得失 後編
国民緊急サイレンばっかり鳴っているな、とハイチは思いながら真っ暗になった外を見ていた。窓を閉めているから耳を塞ぐほどではないにしろ、開けていればしかめっ面をしていただろう。
あのレナータの異形生命体の出没がきっかけとでも言うように、今夜もどこかで現れたようである。ラトウィッジから現在の情勢を知るために新聞を読めと言ってくるが、読む気にならない。元々、活字が嫌いだから。
「もうちっとかな」
ハイネの手を見つめながら握り拳を作った。
オリジン計画の阻止に加担するのを拒むわけではない。アイリには一応説明をした。だが、その説明において彼女が記憶を取り戻したとき、信頼してくれるかどうかの話である。
今頃のアイリは記憶の修復における施術をしているだろう。脳内に脳情報遠隔操作装置を改良した脳情報記憶装置を入れるだけのものだ。厳しい手術ではないらしい。それをして成功すれば、次はキリの番となる。
「トレーニングルームでも行くかな」
別に暇潰しはなく、あくまでこの体の扱いを慣れておかないといけないだろうという思いからきていた。今までの自分の体とは違う。体重の面では軽くなった方だが、機動性はあまりよろしくないから。
――あいつ、力よりも頭の方だったからなぁ。
そう思い返しながらもトレーニングルームの方へ足を運ばせると、消灯していたはずのところに電気がついていた。そこにはラトウィッジが一人訓練を行っていたのである。
「…………」
現在は懸垂をしているようであるが――。
――新鮮過ぎて、シュールだな。
そう、いつものラトウィッジはきっちりと軍服を身にまとっているのだが、その上着を脱ぎ捨ててタンクトップで大汗を掻きながら筋トレをしているのである。このような姿を見たことがなかったため、何とも言いようがない。腕の筋肉ムキムキ、肩の筋肉もとても硬そうだ。絶対に腹筋はくっきりと割れているだろう。自分の周りであそこまでの筋肉の塊を見たのはマックスぐらいか。
入り口付近でハイチが苦笑いをしながら眺めていると、ラトウィッジはその視線に気付いた。
「このような時間帯にどうしたんだ?」
いつも誰も見ていないところで努力をしていたのだろうか。そう考えると、ハイチの考えも改まってくる。彼は近くに立てかけ入れられている模造剣を二本引っ張り出した。そして、その内の一本をラトウィッジに投げ渡す。
「体を慣らしたいから付き合ってくれない?」
「……よかろう」
ハイチは軽く剣をブンブンと振り回す。ラトウィッジも剣を片手に準備は万全のようであった。
「手加減をした方がいいか?」
「いや……うん、そうだな。慣らしだし」
両者ともに、静かに構えた。一呼吸を置くと、同時に動き出す。木製でできた模造剣の弾く音。次のコンマの準備を忘れずに音を出していくのだ。
右足はどこへ置くべきか。ああ、腕力が足りないな。今度、そこのトレーニングもしなくては。いや、体全体の基礎体力があまりなっていない。
――強くならなくちゃ。
「……ワイアットのことを気にしているのか?」
剣を交えながら、ラトウィッジがそう言ってきた。それに片眉を少しだけ反応させる。
「いや……うん、そういうわけでもないのかもしれない」
「なんだその曖昧な答えは」
「あいつは最期までハイネのことを思っていた」
「あの子か。ああ、あの子は兄思いのいい子だったよ」
何も知らないくせによく言うな、と思いながらハイチはこちらに向かってくる攻撃を捌いた。すぐさま追撃が来るものだからあまり考えさせてくれる隙はないようだ。
「自分ときみの話の時間をくれ、と懇願していた」
「は?」
思わず足を縺れさせて、転倒しそうにもなるが、すぐに体勢を整えてやって来る攻撃を防いだ。
「そのために、王国軍に協力は惜しまなかった」
距離をおこうとバックステップで逃げるも、逃げることは許さないとでも言うような雰囲気のある突き攻撃で模造剣を弾かれてしまった。それは窓辺付近へと転がっていく。
取りに行こうとするも、剣を向けられてしまった。
「私はワイアットが誰を好きになろうが、口出しはしない。だが、これだけは言わせて欲しい」
「……なんだよ」
「私の甥にはもったいない女性だよ、彼女は」
【あの子はいい子なのに】
エレノアに言われた言葉を思い出す。ハイネは昔から大人には「いい子だね」と言われていた。その言葉がハイチにはあまり向けられなかったものの、まるで自分のことのように嬉しかった。
「ワイアットが惚れる理由もよくわかるよ」
その言葉に対してハイチは小さく笑った。
「自慢の妹だよ」
ハイネのためにも、すべての元凶のためにも戦わなくてはならない。「笑ってください」の言葉が実現できるように、守らなくてはならない。
ハイチは落とした模造剣を拾い、握り直した。
「総長、次は手加減なしで『やりましょう』!」
ハイチの発言にラトウィッジは頷いて構え出した。
「受けて立つ!」
◆
急に隠れカムラ教の礼拝堂に行くから準備をしろと言われても、あまりにも突発している。そのため、メアリーはその場であたふたと困惑していた。
「い、行くって……」
メアリー自身、そこへ行くのは構わないのではあるが――自分は一国の王女である。何も言わずしていなくなってしまえば、それこそ大騒ぎなのである。黙って行くのはよくない。故に誰かに言わなくては。
「どうしたんだ、メアリー」
「あっ、あの、誰かに言わないと」
「ああ、そうか」
それならば、とライアンはドアを指差した。
「エレノアに言ってきたらいいよ。彼女ならば、事情を話しても問題あるまい」
「えっ、おばあちゃんに?」
「そうそう。って、もう来たみたいだけどな」
そう言うと、その直後にエレノアが入ってきた。ナイスタイミングである。
「……メアリー、誰と話をしていたんだい? デベッガはもう帰っただろう?」
なんて周りを見るエレノアにはライアンの姿は見えていないようだ。少しばかり彼はいたずら心でもあるのか、目の前に来て手を振って遊んでいる。
「ほら、メアリー。エレノアに言わないと」
そんな風に言われても、格好がついていない。こんな重要な局面であろう状況で変な顔をエレノアに向けても――。
いや、あまり気にするべきではないか。
「あの、おばあちゃん」
「なんだい?」
「あのね、私、行かなければならないところがあるの。だから、私……」
「そうかい。ならば、行くといい」
エレノアは理由も何も訊かずして、納得してくれた。
「いいの?」
「構わないよ。今はエブラハムもここにはいない。私がここの留守番をしているから」
「えっ、パパいないの?」
「黒の共和国に用事があるそうだ」
それならば、問題はあるまい。早速行く準備でもしよう。
「ありがとう、おばあちゃん」
「いいってことだよ。でも、行くならば、連絡機を持っていっておきなさい。何かあったらいけないから」
エレノアはそう言うと、部屋を出ていった。彼女がいなくなり、ライアンは「さあ、準備をしなくちゃ」とメアリーを急かしてくる。その言葉に慌てて身支度をし出すのだった。
なるべく目立たないような私服に着替えた。鞄に着替えなどを詰めて背負う。正門や裏門は見張りがいるが、メアリーはどこから行こうかと考えていると、エレノアからメールが届いた。
『物置倉庫内の床扉から地下水道路につながる道がある。そこから南の方向に行くと、南通り沿いの川に出るから。』
連絡通信端末機の画面をライアンは覗き込んできた。
「なるほどなぁ、エレノアもお忍びで城から出たことがある、と」
「えっ?」
「そうだろう? じゃなきゃ、そのルートを知らないだろ。それ、王城の見取り図には載っていないんじゃないか?」
「そ、そうなんだ」
「うむ、そんじゃ行こうか。俺が誘導してやるよ」
「はい」
ライアンにそう促され、メアリーは隠れカムラ教の地下礼拝堂へと一人向かって行くのだった。
◆
同時刻、エブラハムは黒の共和国の首都におり、そこの城跡に建設された黒国首領館にてイダンと密会していた。
「急な訪問、申し訳ない」
「いえいえ、構いませんよ。それで、いかがなされましたか?」
「実は――」
◆
「いい加減に関わらないでくれるか」
「で、ですが――」
勢いよく閉められる扉。その前にはケイとヴィンが悔しそうに項垂れている。そこが見える陰からはターネラたちが愁眉を見せていた。
何度も、何度も弥終集落の自治区長に交渉を試みてはいるものの、依然として受け入れてくれず。現在の世界情勢のことを伝えても「関わらない」の一点張り。
「区長も根負けしてくれたら、こいつの出番がないのになぁ」
なんて言うヴィンはカメラのレンズをキラリと光らせる。それはいけないとケイたちが止めた。
「それこそ、反感買うから」
ケイたちは近くのターミナルにあるベンチに座り込んでため息をついた。なんとしてでも話を聞きたい。自分たちが留守中に起きた事件をラトウィッジから報告を受けている。連絡通信端末機のメール画面を眺めた。ほら、遠くから国民緊急サイレンが鳴っている。
「時間って、ほとんどないんでしょうか?」
珍しくもソフィアが弱気になっているようだった。
「わからない」
どう言えばいいのかわからないのが、この現状である。
ワイアットの死に世界中に出没する異形生命体。すでにオリジン計画は佳境を迎えているのかもしれない。『事実改変装置』や『舞台装置』について、隠れカムラ教徒たちの見解を訊きたいのに。対となるキイ教の裏について何か知っているのかもしれないのに。
頭を抱えるケイ。これからどう交渉していこうかと一同が悩ませていると、一便がこちらの方に到着した。ターネラがぼんやりと誰が降りてくるんだろうかと見ている。そこから降りてきたのはフードを被った少女か。見た感じ、自分と変わらない年のように見える。ただ、顔の表情はよく見えないのだが――。
「ターネラ?」
こちらを見ていたのに気付いたのか。自分に呼びかけてきた。なぜに自分の名前を知っているのだろうかと少しばかり警戒をする。ターネラに対する呼びかけに他の者も気付く。誰もがそちらの方を見た。
「みんなもこっちに来ていたの?」
自分たちのことを知っている人物なのか。すると、その人物はフードを取った。彼女の顔が露わとなる。
「ひ、姫様!?」
唐突なことにケイたちは驚きを隠せない一方で、メアリーは大きな声を出さないでとジェスチャーをした。
「あんまり大きな声を出さないで。おばあちゃんには言っているけど、他の人たちには内緒で来たの」
「しかし、あまりお一人で出歩かれては危険です! 知っているでしょう? 先ほど、向こうの方からサイレンが鳴ったのを!」
「わかっているけれども、お兄さんの指示でこっちに……」
「お兄さんって?」
フェリシアが誰のことだろうかと頭を悩ませていると、ヴィンが「あの人じゃないかな」と教えてくれた。
「前夜祭に出てきた人」
「初代国王!?」
いや、可能性は高い。メアリーはライアンの子孫であるし、彼のことも見えていた。
「えっ? 初代? は?」
事情を知らないメアリーにケイとヴィンは疑問を頭に思い浮かべた。すると、どこから出現をしたのか、ライアンが彼女の肩に手を置いている。
「いやあ、ついに俺の正体がメアリーたちにバレちゃったね」
「お、お兄さん!?」
本物のライアンを見て誰もが唖然とする。今ここに青の王国の建国者がいるのだから。
「さてさて。ここに来たならば、自治区長に会いに行くんだ」
「あ、あの、初代。初代は姫様にどのようなご指示を出されたのですか?」
まさか、自分たちと同じ隠れカムラ教徒の話を訊きに来たのだろうか。だとしても、あの堅物自治区長が相手にしてくれるとは思えない。
「ああ、俺は隠れカムラ教の礼拝堂に行けって言ったんだよ」
ほぼ、一緒だった。ケイたちはこれまでの経緯のことを二人に話した。何度も交渉に訪れてはいるが、話を聞くどころか、自分たちの話すらも聞こうとしてくれない、と。
「だから、もういっそのことこれで脅そうかって話をしていたんですよ」
余計な一言を言ってくるヴィンの頭をケイとソフィアが軽く叩いた。
「お前は話が拗れてくるから黙っていろ」
「そういうことか。いつも交渉人はケイとザイツだけ?」
「あっ、前に私とソフィアも行ったことがあります」
フェリシアが手を上げる。ということは、行っていないのがターネラ。交渉決裂してしまうのは当たり前のようだ。こちらには信用してもらえる物があるのに。
「どうしてスタンリーは行っていないんだ?」
「最初は過去の歯車で揺すれるかとも思いましたけれども、彼らが本物の教徒であるかは確定できていなかったので」
どこにコインストが潜んでいるのかわからないから、という理由を聞いて「なるほどね」とライアンは納得してくれた。
「じゃあ、次の交渉人はメアリーとスタンリーだな」
「二人だけですか?」
メアリーたちだけで行くのは、とヴィンがあまりいい顔を見せなかった。
「いや、妥当だ。流石にメアリーの顔を知らないわけじゃないだろうし、それにスタンリーが過去の歯車を持っている時点で問題ないさ」
行くんだとライアンが促したところで消えてしまった。一同は顔を見合わせる。彼らには『やる』しか選択肢はないのだ。
◆
しつこいくらいに訪ねてきては「隠れカムラ教について教えてくれ」と言ってくる青年たちに自治区長はうんざりとしていた。
確かにここの集落の者たちは全員がカムラ教を信仰している。だが、これはあくまでも『隠れ』であり、先人たちはそうして自分たちの未来のために決まりを守ってきたのだ。迂闊に話せない。
ほら、そうやってイライラしている内にまたやって来た。いい加減にして欲しい。そう思って壁に立てかけていたモップを手にして玄関へと向かう。次来たら承知しないぞ、という脅しである。
ドアを開けて――。
「二度と来るなっ!!」
そう恐喝をする。玄関の外には見知らぬ少女たち二人が怯えたようにしてこちらを見ていた。それにほんの少しだけ心が痛む。という以前に、一人をどこかで見たことがあった。金色のウェーブかかった髪。青色の綺麗な花の髪飾り――。
――あ。
いいや、もしかしすると。否、そのようなわけない。こんな辺境な土地に王国の姫が来るはずなんてないのだから。最近はメアリー王女の髪飾りが流行っていると聞くし、この子もその流行に乗っかっているだけだろう。
「……何の用だ?」
「あっ、え、えっと、隠れカムラ教の――」
「悪いが、それについて答える気は一切ない。そして、もう二度とこの地に足を踏み入れないでくれるか?」
ケイたちとは裏腹に二人を怖がらせないようにして、拒絶する。玄関のドアを閉めようとすると、もう一人の少女が「待ってください!」とドアに手をかけた。
「わ、私、ターネラ・スタンリーと申します! こ、これを見ていただけますか!?」
スタンリーという言葉に自治区長は小さく反応を見せた。横目で彼女が見せる歯車を見る。それにもっと驚きを見せることとなる。
「これは過去の歯車ですっ! 私たち、自治区長さんのお話と、礼拝堂に用があるんです!」
「お願いします!」
青色の花の髪飾りの子の声を聞いて彼女を思い出した。テレビで聞き覚えのある声。本物の青の王国のメアリー王女だ。
「……まず、私が話をするに至って、なぜに隠れカムラ教のことについて訊きたいのか教えていただけますか?」
二人のことは信じるつもりであるが、この教えについて話せる答えであるならば話すと言う。それにターネラが答えようとしたところ、ケイたちが出てきた。
「事情は私たちが話します。あなたが納得いただけるまで、この場で討論しても構いませんよ」
「…………」
ケイたちの出現に自治区長は眉間にしわを寄せるが「入ってください」と彼らを促した。
「ここで騒いでいても近所迷惑ですので」
◆
ケイたちは自治区長の家に入れてもらい、諸事情を洗い浚い話した。今の情勢の原因となったオリジン計画のこと、事実改変装置や舞台装置。過激派キイ教たちが再び黒の王国を築こうとしている可能性があること。現在、未来のコンパス及び、もう一つの過去の歯車が彼らに盗まれたこと。
一つ、一つの話を聞いて行く内に自治区長は徐々に険しい表情から更に険しくなる。
「それで、隠れカムラ教徒が住まう弥終集落の自治区長であるあなたの見解を訊きたいのです」
ケイが知っていることすべを話すと、自治区長は腕を組んで鼻でため息をついた。ややあって、あごを擦りながら「キイ教徒ですか」と呟く。
「事情はわかりましたが、申し訳ありません。私は最初からあなたたちに教えについて何も語る気はありませんね」
「なっ、なぜですか!? これは宗教絡みで起こっている事件なんですよ!? 被害も大きいんですよ!?」
「そうだとしても、我々隠れカムラ教徒は先人の守りに則り、他の者に教えてはならぬ、とされてきているんです。いくら王族や貴族だろうが、そのことについては言えません。諦めてくれませんか?」
かくなる上はとヴィンがカメラを握ろうとするのをソフィアが止めた。おそらく、そのようなことをしても自治区長は何も話してくれまい。己の恥よりも先人たちの教えを守るのが彼の努めなのだから。
「この教えが彼らを止めるヒントが隠されているのかもしれないんですよ?」
「かもしれませんね。でも、教え差し上げることなど以ての外です。わざわざ、こんな山奥にご足労ですが、お引き取りください」
せっかく、一年もかけて探し上げたのに。呆気なく終わるとは思わなかった。誰もが悔しそうな顔を見せていると「情報が必要なんですっ!」そう、ターネラが声を上げる。
「今の私たちは情報がないんです! 王国民を守るための情報が……」
若干、声が震えているのがわかった。それでも、ターネラは自治区長に食らいつこうとする。彼の冷たい視線が痛い。思わず視線を逸らしてしまう。
「そうですか」
だからなんなのだ、という面持ちである。
「…………」
何も言い返せないが、ここで諦めるべきではないと誰かが言った気がした。もう一度ターネラは自治区長を見た。
「初代国王は、一人の友人であるカムラを助けることができなかったから、私たちに託してきました! 友を助けて欲しい、と!」
頭を深く下げた。
「私たちは王国……いや、世界を守るために初代の願いも叶えてあげたいんです! お願いです、どうか私たちに教えていただけないでしょうか!」
ターネラの言行にケイたちも頭を下げた。もちろんカメラを使って脅しをかけようとしていたヴィンもだ。彼らの懇願に自治区長は迷いを見せていた。特にメアリーの行動はとてつもない光景として目の当たりにしているのだから。これをダメです、帰ってくださいなんて言えるか。ああ、言うのが恐ろしく感じる。
頭を抱える自治区長のもとに幻でも見ているのか、一人の半透明青年が姿を現す。その彼もまた頭を下げていた。
――未来のために、子どもたちの願いを。
瞬きをすれば、その姿は消えていた。これに自治区長は自身の目を擦る。今のは幻覚か。それとも疲れが見えていたのか――。
「…………」
ターネラたちを見た。六人はまだ頭を下げている。それにため息をつくしかなかった。
「……わかりました。私が言える範囲で話をしましょう」
折れた自治区長に頭を下げていたケイたちは表情を明るく見せた。
「あっ、ありがとうございます!」
「いいえ」
正直な話、ターネラの発言がなければ強制的に帰していたところである。
【友を助けて欲しい】
隠れカムラ教徒ではないはずなのに、どうしてその発言をしたのだろうか。まさか、本当にライアンが言ったわけでもあるまい。彼は何百年も前の人物であり、故人でもあるのだ。
不意に頭を下げてきた半透明の青年を思い出す。
――彼が初代国王?
【初代国王は私たちに託してきました】
ライアンは化けてこの子たちの前に姿を現したとでも?
「あ、あの……」
考え事をしていた自治区長にメアリーは小さく手を上げる。それに「なんでしょうか」と返事をした。
「えっと、隠れカムラ教の礼拝堂って、お見せしてもらえますか?」
「構いませんよ。スタンリーさんと言いましたか? あなたに一つだけ質問をしてもよろしいですか?」
「はい」
「あなたは過去の歯車を持っていらっしゃいますが、所有権はありますか?」
「いえ、持っていません。持つべきではない、と聞いているので」
ターネラの答えに納得したようにして自治区長は頷いた。そして、立ち上がる。
「その答えが聞けただけでも十分です。先人の教えを守っているのであれば――」
案内致しますよ、と自治区長は六人を隠れカムラ教の礼拝堂へと案内するのだった。
◆
集落の人気のない山の中で自治区長を含めて六人はいた。近くに山道があるが、これを真っ直ぐ向かえば保護区へと辿り着くのをケイは知っている。
山の中を歩いていると、その土壁には大きな両開き扉が存在していた。
「ここが礼拝堂ですか?」
「はい。我々はこの扉の奥へ向かった広間で祈りを捧げています」
そう説明をすると、錠前の鍵を開けた。無骨で重々しそうな音が聞こえる。
「……それ、新しいですね」
どうでもいい話とでも呼べるが、なんとなく気になったフェリシアは錠前を指差してそう言った。以前の物が古くなったからだろうか。
「ええ。以前、侵入者がいたので鍵をつけることにしたんですよ」
「それって、過激派キイ教信者の仕業ですか?」
「よくわかりませんが、この礼拝堂の場所なんて誰も知らないはずなんですが……」
存在は知っていても、と自治区長は皮肉に笑う。そして笑えやしないメアリー。ライアンは着いてきているのかはわからないが、見当らなかった。
重たそうな扉を開け、ライトを手にした。本来は燭台があるのだが、それは祈りのときだけにしか使わないため、つけないとのこと。扉のすぐには下へとつながっている階段があった。
「足下にご注意ください」
一歩入ると、カツンと音がした。この音からしてタイルを敷き詰めた段差であると推測する。
「姫様、気をつけて」
「うん」
「区長さん、お祈りってどれくらいの頻度でやられているんですか?」
ヴィンが足下を注視しながらそう訊いた。いくら礼拝堂と言えども、入り口に鍵をかけるようであれば頻繁にはできないだろう。
「礼拝堂で祈りを捧げるのは年に一回だけですよ。そもそも隠れ、ですのであまりお祈りをしているところを見られてはならないという決まりがありますので」
「ああ、じゃあ決まっている日以外に人が立ち入った痕跡があったからわかったんですね」
「そうです」
ようやく、階段を下り終えたのか、誰もが一安心する。自治区長が照らすライトだけでは心細い。すぐ先すら見えないから。
ケイとフェリシア、メアリーはライトを持っていなかっただろうかと自身の鞄の中を探し出し、つけた。それで先ほどの明かりよりかは見えやすくなる。見えやすくなったところでヴィンは「写真ってダメですか」と訊いてみた。当然、許しは得ることができなかった。それに大きく落胆しながら落ち込む。
「なんでダメなんだろうね」
なんて嘆きながら風景は取れないから、ケイの顔を撮りまくるヴィン。
「止めろ。つーか、どうせ背景も映るから消せ。怒られる前に」
「ケイは堅いなぁ」
実際に自治区長もあまりいい顔でこちらを見ていない様子である。ヴィンは惜しみながらも写真のデータを消した。
◆
しばらく歩いていると、別れ道が現れた。真っ直ぐに行く道と左へ進む道。自治区長は一度立ち止まって左側を指差す。
「こちらへは王女様とスタンリーさんだけお見せします。他の方は申し訳ありませんが、お見せすることはできません」
「構いませんが、理由を教えていただけますか?」
「こちらは隠れカムラ教徒にとって聖域となりますので。もしも、あなたたちの中に『ミスミ』という姓の方がいれば話は別です」
「シルヴェスターという姓であれば?」
「申し訳ありません。お見せできるのはヒューイット、スタンリー、ミスミという姓の方だけになります。これも先人たちの遺言でもありますので」
そう自治区長は言うと、メアリーとターネラを連れて左曲がりの道の通路の奥へと進んで行ってしまった。
「うーん、残念だね。ケイのお母さんの旧姓がミスミだっけ? お母さんがお父さんだったらいいのにね」
入れるのは限られた者だけという言葉にヴィンが軽い笑い声を上げならケイの肩に手を置いた。それを彼は煩わしそうに退ける。
「ややこしいこと言うんじゃない。」
「しかし、ここは電波の状況は悪いですが、変わった場所にありますね」
三人が戻ってくるまで別のことをしようとして連絡通信端末機を取り出したフェリシアはそう声を上げた。思わずソフィアが画面を覗き込む。
「本当だ。ここって保護区内に入るんだな」
ソフィアの言葉に二人もつられて覗き込んだ。フェリシアは現在位置情報確認をしているのか、地図を開いていた。
「建築も保護条例かける前にしていたんじゃないか? ほら、床」
ケイはライトを床に照らした。そこから見えるのはモザイクタイルである。色褪せて古臭さをかもし出していた。
「これ、今でこそ使われることがない技術だが、相当昔はあったはず」
「その条例って建国されてしばらくしてからできたんだっけ?」
「そうだよ。その後、二代目国王は黒の王国の報復をとにかく恐れていたからスタンリーさんを地方に追いやったり。宗教も、今でこそ自由だけれども、国民みんなが無宗教者として強制させたりしていたの」
「へえ、ドレイパーさん歴史に詳しいね」
「フェリシアの家は歴史本が多いからな」
それは知らなかったなとさほど興味を持とうとは思わないヴィン。どうやら彼は歴史の話が苦手のようである。いや、そうだとしてもそのことについて言及する気はない。それはもちろんフェリシアたちもである。
「姫様たち、いつ頃お戻りになるでしょうかね?」
◆
行かねばらないとして向かったのはいいものの、後悔の念しか思い浮かばないメアリーとターネラ。自治区長に案内された左側の道の奥にあった部屋は地下墓地。埃が積もっている骨を見て視線を逸らしたくなるほどだった。
もちろん自治区長自身もあまりこの場所を好ましいところとは思っていない様子。ぼんやりとライトの光が照らされているその顔には苦面が見られた。
「ここは初代三銃士軍団、青の独立軍の者たちの墓です。つまりは、あなた方祖先のお墓にもなります」
その言葉にメアリーたちは耳を疑った。それはありえない。自分たちの祖先の墓はきちんと存在しているのにだ。
「スタンリーさんは最初、初代国王がカムラを助けたいと仰っていましたよね?」
「は、はい」
「確かにカムラ様は私たち隠れカムラ教徒の『神様』でもあります。『未来のコンパス』と『過去の歯車』を使っていたキイに負けて、この土地まで追われました」
その直後、自治区長は何かしら壁を弄り出した。それに伴い、奥の壁が動き始める。そこから差し込んでくる光。
「しかし、カムラ様はそれでもまだ負けてはいないのです」
地下墓場の奥にあったのはまばゆい光に満ち溢れた光の結晶。ここがカムラが眠っている場所だと言う。
「カムラ様は打倒キイのために初代国王に手を貸しました」
【友を助けてやってくれないか?】
「それでも再びキイに敗れて……さぞかし、悔しかったことでしょう。唯一、スタンリーさんのご先祖様が盗み出せたのが救いでもあります」
奥の部屋からの光により自治区長はライトを消した。つられてメアリーも消す。
「カムラ様を友とし、共に戦った独立軍はカムラ様が戦うことに再び立ち上がるため、ここで眠っているのですよ」
そう言うと、自治区長は二人の方を向いて深くお辞儀をした。
「改めて、初めまして。私はスタンリーさんと同様に地方へと追いやられた元貴族の『ミスミ』と申します」
【元々三銃士軍団は俺とミスミ、そしてスタンリーが団長として】
「あなた方が再びキイ――いいえ、世界改変者を倒すとするならば、喜んで協力を惜しまないつもりです」
お帰りなさい、我ら独立軍の血を引き継ぐ者たちよ。ここが我らのもう一つの故郷。キイを倒すがために、己の居場所を取り戻すために戦うカムラ様の休息の地。慰めの土地。蹶起の聖地。
「……ミスミ?」
ターネラはその名を聞いたことはあるが、メアリーは聞いたことがなかった。いや、ある。どこかで聞いたことはあるが――ああ、駄目だ。思い出せない。
「昔の三銃士軍団のミスミ団長の子孫ですよね?」
ターネラのその言葉に自治区長――ミスミは頷く。そこで思い出したメアリー。自分の母親とケイの母親の旧姓。エブラハムの書斎にこっそり入ったことがあったとき、そこで見つけた名前。古い本の中に歴代三銃士軍団の名前が書かれていた。
「というのも、この集落一帯の姓名が『ミスミ』なんです。それで私が『こちら側』での現当主の『ミスミ』であります。私たちは一度解体された隠れカムラ教を復活させ、カムラ様の目覚めを待ち続けながらも王政府の目を盗んでここを守り続けてきていたのですよ」
「そのために、お兄さんは……」
ライアンはカムラのためにもう一度三銃士軍団を結成させて欲しいと願っていたのだろうか。だとしても、一つだけ気掛かりなことがある。そもそも『世界改変者』とはなんであるのか。
「あの、世界改変者って何者ですか? 話を聞く限りその人? がキイ神に聞こえるのですが……」
「そうです。キイ教信者はカムラ様が悪魔だと言っておりますが、本当はキイが悪魔であります」
世界にはカムラと生物しかいなかった。ある日、天より、彼と対になる者――キイが世界を見る目に降り立った。
「キイ教とカムラ教の冒頭には必ずある二文が出てきます。どちらが悪神であるか。それを説明する前には絶対的に必要な文章でもあります」
――カムラは世界中の人々を欲望に溺れさせていた。それを見たキイは本当の人間にするために、人々を救うことを決意する。
――カムラと世界中の人々の間柄を羨んだキイは、人々を唆し、人間の虚をついて、自身の物にすべく近付いてきた。
「世界改変者は世界を手に入れるためにカムラ様から神としての地位を奪ったのです」
「…………」
想像を遥かに超える事実。それに唖然としているとミスミが「ところで」と声をかけてきた。
「先ほどのシルヴェスターさんと言いましたか。彼の現状説明で未来のコンパスと過去の歯車がどうも二つずつ存在していると仰っておりましたが、もう一つの方を持つ方はご存じなのですか?」
「それはケイ君が詳しく知っているかと」
おそらく自分たちが説明するよりはオリジン対策本部の定例会議に出ているケイの方が詳しいはず。もっとも、詳しいのはアイリ――名なしである。
納得してくれたミスミは礼拝堂で話を聞こうと言ってくれた。
◆
ケイたちが待ってくれている場所へと戻り、ミスミは真っ直ぐに続く通路の奥――隠れカムラ教の礼拝堂へと案内した。そこへとやって来るとただ広い広間が見えた。相変わらず、床はモザイクタイルを敷き詰められている。
「ここが、年に一回我々がお祈りする場所です」
なんて言うと、早速ミスミはケイにもう一つの未来のコンパスと過去の歯車のことについて訊ねてきた。余程、そのことが気になるらしい。家で話していたときはあまり気にしていなかったのに。
「答えますが、その後で私も質問をしてもよろしいですか?」
「もちろんですとも」
その答えに、ケイは応えた。名なしが最初持っていたこと、キリが奪われた過去の歯車の所有者であったこと。
そして――。
「あいつはキイ教信者だ」
周りの者たちは定例会議のときに見せた自分と同じ反応を見せていた。当然だ、キリは学校などでそんな素振りなど一度も見せていなかったのだから。
「ラトウィッジおじさんはあいつを過激派キイ教信者に渡さないためと言っていた。何も記憶を持たないデベッガが居場所を提供してやると彼らが言えば? だから、こちらに置くと言っていたし、記憶も取り戻すとも断言していた」
ケイのその言葉にメアリーが一番反応を見せた。
【記憶なんて取り戻したくない】
【彼の気持ちを尊重するのは悪いことでもない】
キリの想いとライアンの言葉を思い出すメアリーをよそに、ケイは「ミスミさん」と見た。
「名なしのことを訊かれていたみたいですが、この世に未来のコンパスと過去の歯車は二つ存在するんですか?」
【それらは唯一、一つ物なんだぞ?】
マトヴェイは隠れカムラ教徒であるならば、何か知っているかもしれないと言っていた。もうミスミにしかすがれない。これで知らなければ、あれの存在をどう認めればいい?
緊張の鼓動が走る中、ミスミは――。
「存在します」
あの二つの存在を知っていた。これにケイだけではなく、ヴィンも驚きを隠せないでいた。
「名なしという方が持っていらして、デベッガという人物が過去の歯車を所有しているんですよね? おそらく、ではありますが」
名なしはカムラに関連する人物である、と。
「厳密に言いますと、スタンリーさんのご先祖様が盗まれた過去の歯車や奪われた未来のコンパスがキイの物であり、名なしという方のはカムラ様の物なのです。それにカムラ様の物は残念ながらキイに力を抑え込まれているのか、それらの本来の力を発揮することができないのです」
【事実改変をしたくば、代償を払わなければならない】
キリはそう言っていた。カムラがキイに勝てるほどの力を持てば、代償など払わなくてもいいのか。
「そのことも隠れカムラ教の人しか知らないことなんですか?」
「そればかりはわかりません。そもそも名なしさんがどこの宗教を信仰しているかによります。カムラ様のを所持していたならば、カムラ教徒になるはずですが――」
「あ、アイリは無宗教です。何も信仰はしていないはずです」
軍人育成学校の寮の部屋で一緒だったから言えること。メアリーはそう言った。だが、もしも、アイリが自分に黙って何かしらの信仰をしているとなると話は別であるが――。
「彼女も記憶が欠落しておりますが、もうすぐすれば記憶も元に戻るらしいです。そのときに確認して見ればわかります」
フェリシアのその言葉にヴィンはあることを思い出した。何もわからなかったことをミスミは知っている。それならば――。
「ミスミさん、過去の歯車の所有者から記憶を改ざんされた場合はその所有者より元に戻してもらわなければ、記憶というのは元に戻らないのでしょうか?」
名なしは現在記憶を取り戻しつつはある。だが、それが成功するかはわからないのだ。何も取り戻されていないかもしれない。そうなれば、すべては闇の中に葬られてしまうから。
「そうなりますね」
やはり、答えはヨイチやマトヴェイと一緒か。
「でも、もしかしたならば、教典に載っている可能性もありますね。探してみますか?」
その言葉にヴィンは頷いた。そうであるならば――。
◆
「足下にお気をつけください」
再び、入口の階段付近でミスミがそう言った。段差に光を照らしながら外へと向かう。
そうして外へと出ると、眩しい緑の光が視界へと入ってきた。誰もが目を細めて景色を見る。ミスミは部外者が中へと入らないように錠前をかけた。
一同を率いて集落の方へと歩き始めた。
なんだか自分の故郷を思い出すな、とターネラは思っていた。彼女の故郷の村である零落の村の近くにも山があるから。彼女は遅れながらも、その場で立ち止まって新鮮な山の空気を吸っていると、近くに小動物がいることに気付いた。鼻をヒクヒクとさせて、こちらをつぶらな目で見つめているではないか。ああ、可愛いな、なでたいな。なんて考えていると、それは動き出した。ガサガサと音を立てて向かった先には――。
それは誰かの足にすり寄っていく。誰かは片手で拾い上げた。あの人に懐いているのだろうか――。
イタダキマス。
我が目を疑う。小動物に視線を動かせば、片手で捕まえた誰かが木の枝でそれの首を刺していたから。あまりにも唐突過ぎて、素早い出来事。その人物は裸足で薄汚れた服に長い茶髪。顔は髪がかかってわからない。その状況を見て、体が動かなかった。いや、動かすべきなのに動けない。
ズルズルと引きずり出される臓器。周りの緑によく映える赤い色を口にした。
いよいよと恐ろしくて、腰を抜かしてしまう。長い前髪から覗かせる目を見て震えた。その目がこちらを見ているから。獲物を見つけたと思われたから。
「本物」
迫りくる、見覚えのある光の剣。歯車の剣。
キリが所有している過去の歯車を盗んだ犯人らしき人物がその刃を向けようとした瞬間――。
受け止める金属音が鳴り響く。ターネラは誰かに守られたのだ。その誰かはケイとヴィン。彼らの手にはグリーングループが開発した灰色の短刃、貫通君。ヴィンの眼鏡の奥の目は剣を手にしている者に対して睨みを利かせていた。
「『罪人の子』……!」
「誰かと思えば――」
邪魔なのか、伸びきった前髪を上げた。口元は血塗れながらも歪めている。
「嘘つきのヴィン君じゃないですかぁ!」
「ミスミさん! 姫様を連れてお逃げください!」
声を荒げるケイ。硬直していたミスミはメアリーの手を引いてその場を駆け出す。彼の言う通りにしなければ、命の危険があると判断したから。
小動物の血がついた手でヴィンの手を掴み、後ろへと投げ飛ばした。『罪人の子』が見えていない死角からは同様の武器を手にしたソフィアとフェリシアが貫通君を背中に突き立てようとする。だが、その攻撃を見透かしていたようで――。
ソフィアの目と『罪人の子』の目がぶつかり合う。
殺気。
ソフィアは一緒に攻撃する予定だったはずのフェリシアを庇う。短剣で歯車の剣を防ぐ。予想以上の重たいその突きに二人は飛ばされてしまった。
「ソフィア! フェリシア!」
聞いていない。このようなところで『罪人の子』――マッドと遭遇するなんて。二年半前の式典を思い出す。
【俺がキリ・デベッガだ】
ケイはこちらに隙を見せたマッドの左腕を捻って掴み上げ、関節付近の骨を折った。攻撃直後と骨を折られた後だというのに痛覚を持たないのか、無表情で標的にされる。ぐるんと虚無の目玉を向けられて、剣を仕向けられた。
手を放さねばと思っても無駄だった。マッドは腕を折られてもなお、力は入るらしい。しっかりと灰色の刃を持っていた方の右手を掴んでいる。
「使えないやつがいたってしょうがないだろ?」
突如として流れ込んでくる己の記憶。
【だったら、一人で行ってやる】
【無駄死するだけだぞ】
【誰が死ぬものか】
【挑発に乗るんじゃなかった、って後悔してた】
上手く言葉に乗せられてしまった。隠しきれない動揺を狙ってか、避けるに避けられないところまで刃が迫ってきている。
「ケイっ!」
当たる寸前でマッドの首と胴体が分裂した。その直後にケイの右手から手を放す。
この隙だ。
「離れろ、ヴィン!」
その叫びに首を切断したヴィンは後方へと飛ぶようにして避けた。首無き者からの攻撃が届く前に。マッドが動いた時点でケイは腰が抜けて動けないターネラを小脇に抱えて駆け出す。
「全員、走れっ!!」
マッドの相手をまともにできるわけがない。あの式典のときの彼の動きより遥かに優れているのだから。
ケイの指示により、マッド以外は集落の方へと走り出す。遠くの位置にメアリーと共にいて、状況がいまいち理解できていないミスミでさえも緊迫とした指示発言と動く首なしの見て『危険』であるとはわかっていた。
早く安全な場所に避難して、ラトウィッジたちに連絡を取らねば。過去の歯車を盗んだ犯人が弥終集落付近の山に現れた、と。
「逃げるの?」
なぜに急に動けなくなってしまったのかはわからない。その声が耳元に聞こえたとき、どっと冷や汗が流れた。恐怖だ。言葉に反応して恐怖心を抱いているのだ。
濡れた手が、冷たい手が自身の喉に触れる。
「邪魔だなぁ、使えないやつがいたってしょうがないだろ?」
「俺は人を背負うためにこの演習に参加しているわけじゃない」
「どうせ、どこのルートを辿ってもみんなのお荷物になるだけなんだから」
背中に威圧感があった。この直後に何かが来るとは予想できる。
「さっさと辞めればいいのに」
その威圧感が胸に突き刺さる。ケイは跪いた。
「シルヴェスターさん!」
ターネラの声にケイは我に戻った。尋常ではないほどの冷汗に、何の違和感も変哲もない己の胸。今のは幻?
そうではない。そう考えるのはあとでだ。今はターネラが――!
小脇に抱えて逃げたはずなのに、ターネラはいなかった。それではどこへ行ったのか。先ほどまで自分がいた場所の方を振り返った。そこに腰を抜かして恐怖に怯えている彼女がいた。
――なぜに? 一緒に逃げたはずなのに?
いや、まずはターネラの安全優先だ。ケイは貫通君を手にマッドへと目掛けて刺そうとするも――。
目の前にターネラを盾に持ってこられた。思わず体が止まる。首に紐で提げていた過去の歯車が見えた。後ろからマッドがその紐を引っ張っているのだ。今にも彼女の首は絞まりそうである。
「うっ!?」
「お前っ! 彼女を放せ!!」
「口ばかりの独り善がり者め」
それにもっとマッドは首を絞める。ターネラは苦しそうにしていた。これでは迂闊に近付けやしない。後ろからは彼女を助けんとして他の者たちがゆっくりと近付いていた。
「…………」
早くしないと窒息してしまう。しかし、一歩でも動けばターネラの首は更に締め上げられてしまう。眼前にいるケイはどうすることもできなかった。もはや、まだ気付いていないであろう後ろにいる者たちに任せるしかないのか。なんてケイが歯噛みをしていると――。
「口先だけのお前が選べ」
マッドは後ろから近付いてくる者たちに気付いていた。その言葉に誰もが動きを止めるとケイの方を見てくる。
「どちらを棄てる?」
そんなもの――と迷いが生じてしまう。ここは迷うべきであるのだろうか。人の命と世界征服を天秤に乗せるのか。ああ、なんという最低な悩みを抱えるのか。
苦しそうなターネラを見た。どちらを棄てる。
「早く選べよ」
その言葉にケイの頭の中で何かが切れる音が聞こえた。
マッドが瞬きをした直後にケイはいた。一つだけ残ったその碧眼で彼を睨みつけている。紐を引くが早いかケイが手出しするが早いか。
その答えはケイが紐を切り裂いて刃をマッドに仕向ける方が早かった。
――調子に乗るなよ、戦力外のくせにしてっ!!
右肩に刺さる刃に苦痛の表情なんて一切ない。そのような子よをされても顔色一つ、眉一つ動かさない。紐が切れて下に落ちようとする過去の歯車をマッドが奪い取る。それはもう一つの歯車の剣と同様に剣へと展開させた。
ケイは次に実行する予定の行動の前座を見てしまう。勘が危険信号を呼び起こし、ターネラを庇うようにしてこちら側に寄せた。
刎ね飛ばされる誰かの上腕。その腕には短剣が握られていた。
苦痛の表情を浮かべるケイに対してマッドはまだ終わらないとする。振り下ろした霊剣を持ち上げてそのまま彼らに向かって突進をしてくるのだ。
「止めてぇええええええ!!」
ターネラの悲痛の叫びが上がった直後、地面から伸び生えてきた木の根がマッドを弾き飛ばした。そう、それはまるで二人を守るかのようにして出現したようである。誰もがそちらの方に唖然としていたが、まだ彼は倒れていないはず。急いで投げ飛ばされた方向を見るが、いなくなっていた。
もう一つの過去の歯車までもが奪われた挙句――所有権を得られてしまったのだ。
◆
ミスミ宅で治療を受けたケイは悔しそうにしていた。悩んでいた己に苛立ちを隠せない様子。そのせいでターネラを苦しめ、過去の歯車までもが奪われ、所有権を得られてしまう始末。
このことをすぐさまラトウィッジに報告をした。叱責されると思っていたら違った。
《お前たちはよく頑張った》
その情けが更に自身に対する憤りを抑えられなかった。
「し、シルヴェスターさん……」
心配をしてか、ターネラがバツ悪そうに治療部屋に入って来た。すぐにケイは頭を下げる。
「すまない、スタンリー」
悔しくて、悔しくて。自分が最低だと感じてしまって、涙があふれ出てきた。自分はターネラの命を何だと思っていたのだろうか。絶対に軽く見ていたに違いない。その考えが羞恥であると責めたくなった。
「俺はお前のことを――」
「いえ、私の方こそ……申し訳ありませんでした」
――あのとき、変われたと思ったのに……。
思い出すはサバイバル・シミュレーションでの巨大バグ・スパイダー戦。ケイに叱咤されて、本音に従ったつもりでいた。
【私だって、戦ってやる!】
何が戦ってやるだ。何もできなかったのに。守られて、ケイの右腕を失ってしまったのに。最低だ。
――何も変わっちゃいない。
なぜにターネラは涙を流しているのだろうか、とケイは思った。にじんでくる視界に映った彼女の顔は同じくしてポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちいく。
「いつも、いつも……ドジで足手まといの私を……シルヴェスターさんの腕を……」
二人はその場で泣き続けた。一人は人の命とただの無機物を天秤にかけたことに対する恥を。もう一人は己の力不足による後悔を。
まだすべてが終わったわけではないにしろ、絶望の淵に立たされる。それは明日が見えない恐怖。失っていくもの。これ以上、何を失うであろうか。もう何も失いたくない、と。
◆
何かを失う恐怖を存じている一人の少女は目を覚ました。しばらくの間ぼんやりと天井を見つめていたが、入り口付近で誰かの気配に気付く。そちらの方を見ると、そこにはハイネ――いや、ハイチが立っていた。
「何か思い出したか?」
その質問に少女――アイリは口を開く。
「世界改変者を思い出した」
思い出したのは何もそれだけではない。それ以外のすべてである。アイリ・ハルマチと名なしだけの記憶だけじゃない。必要不可欠だった過去の記憶を――五億九千八十九回ものの全部の記憶がよみがえってきたのだから。




