第72話 寄り道しないで、早く帰ってやれよ
仁志がカウンターで煙草を吸っていると、店の引き戸が重そうに開き、幼馴染の昇がトボトボと力ない足取りで入ってきた。
「おっ、昇か。なんだ? また政府の買い出しか?」
「……はぁ」
昇は仁志に尋ねられるなり、大きなため息をついた。
「仕事で来たのは来たんだけどさ……。ちょっと愚痴を聞いてくれよ……。最近、カミさんのつわりが酷くてさ……」
昇の妻・薫が妊娠したという報告を受けたのは、つい先日の居酒屋でのことだった。
「ああ……。ちょうど2ヶ月くらいか? 一番きつい時期だな」
「いま夕飯は俺が作ってるんだけどさ、昨日まで普通に食べられてた物が急に食べられなくなったり、食べてもすぐ吐いちゃったりで……。カミさん本人はもちろんだけど、見てる俺の方が心配で参っちゃってさあ……」
昇が再び「はぁ〜……」と肩を落としてため息をつく。
「へぇ、昇が夕飯作ってるのか……意外だな。まあつわりが落ち着くまで、根気強く気遣って、本人が食べやすそうなものを用意してやるしかないな」
「そうだよな……」
「あいにくうちの店じゃ薬の類は扱ってないからな……。何かつわりに効きそうなもの探しみるか?」
昇は少し腕を組んで考え込んだ。
「……いや、やめとくわ。何かあっても怖いし、素直にカミさんに食べたいものを聞きながら、様子みるよ」
「それが一番だな」
「……あ! そうだ、仕事で来たんだった!」
昇がハッと我に返り、本来の目的を思い出した。
「最近さ、人間の姿に化けたり擬態したりせずに、素の姿のままこっちの世界に来る異世界人や宇宙人が増えててな。大体言葉も通じないし、どこからどうやって来たのかも分からないから、現場の対応が難航してるらしいんだよ」
「……確かに言われてみればそうだな。この店の中だと言葉も自動翻訳されてるし、引き戸から出ればそこは客の元の世界だから、気にしたことなかったわ。『変化の指輪』や『擬態の腕輪』なんかは在庫にあるが、数に限りがあるしな……。とりあえず、一番対応言語数が多そうな翻訳機でも探すか」
仁志がホログラム画面を開き、在庫を調べる。
「そういえばこの前もさ、『私は地球の科学者だ!』って騒いでるハエ人間が現れてさ、あやうく異世界へ送還されそうになったこともあったらしいんだよ。後から詳しく調べたら、本当に地球人で、物質転送の実験中の事故でハエと混ざったみたいなんだが」
「物質転送……ハエ人間……。……で、そいつはどうなったんだ?」
仁志は先日店にやってきたボサボサ頭の怪しい研究者を思い出しながら尋ねる。
「そいつが個人研究所で開発してた転送装置を使って、何とか元の人間の姿に戻したらしいよ。ただ、その装置は危険すぎるってことで政府に没収されたみたいだけどな」
「そうか……」
仁志は、それ以上何も言わなかった。
「とりあえず、異世界用と外宇宙用で一番対応言語数が多そうな翻訳機を選んだぞ。これでしばらく、やってみてくれ」
「助かるよ、仁志。いくらだ?」
「2台セットで6万円だな」
「あいよ」
昇は支払いを済ませると、スマートフォンサイズの翻訳機2台を鞄へとしまった。
「毎度ありー」
「仁志、このあと仕事が終わったら久々に飲みに……。いや、やっぱりやめておくわ……」
「そうだな。寄り道しないで、早く帰ってやれよ」
「そうするわ……。じゃあな、仁志」
昇はトボトボと店から出て行く。
「じゃあな、薫さんによろしくな」
ガラガラと引き戸が閉まるのを見届けると、仁志は煙草に火をつけ、煙を吐き出しながら呟いた。
「しばらくは昇と飲みに行けそうにないな……。あっ、親父とおふくろが魔界に帰ったの、あいつにまだ言ってないわ」




