第59話 余計なこと言わず、引き取ればよかったか
「いらっしゃい!」
店のガラガラと引き戸が開くと、カウンターの中から平治の威勢の良い声が店内に響き渡った。
「親父……今は俺がこの店の店主なんだから、店番しなくていいって言ってるだろ……」
仁志がスポーツ新聞を折りたたみながら、深々とため息をつく。
「そうは言っても、こっちの世界に来てから暇でな。魔界にいた頃は、家庭菜園の収穫やら、ケロの散歩やら、ご近所さんの家畜の世話の手伝いやらで忙しかったからの。ほれ、見ろ」
そう言って平治はスマホを取り出し、おどろおどろしい色の怪しい野菜がなる菜園、背丈が人間ほどもある三つ首の巨大な犬、額から鋭い角が生えた豚や牛の写真を仁志に見せてきた。
「知らんよ。暇なら、地下倉庫の整理でもしててくれよ」
「しゃあない……。スカイくん、仁志が意地悪だから一緒に地下の探検に行こうな」
平治は空中に小さな青いホログラム画面を操作して出し、スカイの『SKY Chat』を呼び出す。
『よう、平治! 地下に行くのか? まだ行ったことないエリアがあるから、今日はそっちを探検しようぜ!』
「よし、行こう!」
平治は本棚の隠し扉を開けると、スカイと一緒に地下へと向かっていった。
「まったく、親父が帰ってきてから調子が狂うったらありゃしねえ……。すみませんねお客さん、ゴタゴタしちゃって。今日はどんな御用で?」
仁志と平治のやり取りを、入口のところで微笑ましく眺めていたのは、50代ぐらいの品の良い女性客だった。
「ふふふ、親子で仲がよさそうですね」
「俺にこの店を継がせといて、自分はフラフラ遊び回ってる碌でもない父親ですがね……。で、御用はなんですかね?」
女性は手提げ鞄から、小さな手のひらサイズの透き通った水晶玉を取り出し、カウンターへ静かに置いた。
「実は、亡くなった父が生前ずっと大切に持っていた水晶玉なんですけど、なんでも父が若い頃にこちらの店で購入したものらしくて。『自分が死んだら、恥ずかしいからこの店に持っていって処分してもらえ』とずっと言ってまして」
「へぇ、昔うちの店で買った物ですか……。ちょっとお待ちを」
仁志は水晶玉を空中のシステム端末にかざし、過去の売買データを検索し始めた。
「あぁ、これかな。『記憶の水晶』。両手で包み込むように持って、日付を声に出しながら話しかけるって書いてありますね」
仁志は照合を終えると、水晶玉を女性の手にそっと戻した。
「これ、音声が記録されていれば、日付を口にするだけで再生されるみたいですよ」
「まあ……まるで音声日記のようなものかしら? 私が幼い頃からずっと父の書斎に置いてあったから、父にも意外とマメな一面があったのね……」
女性は愛おしそうに水晶玉を見つめながら、ふと思い立ったようにポツリと日付を口にした。
「1975年、5月10日」
すると、水晶玉がほんのりと温かい光を帯び、中から若々しい一人の男性の声が響き始めた。
『1975年5月10日。ついに……ついに俺が父親になった。』
「……まあ! 若い頃のお父さんの声だわ……」
『女の子だ! 娘か……。男ばかりの兄弟で育ったから、女の子の育て方なんて分からん……。どうか佳代子に似て、綺麗な子に育つといいが……。間違っても、俺にだけは似るんじゃないぞ』
「ふふふ……お父さんったら。私が生まれた時、こんなことを考えてくれていたのね……」
女性は目を細め、優しく微笑みながら「小学校の入学式の日」「初めて交際相手を家に連れて行った日」「孫が生まれた日」と、人生の節目となる日付を次々と口にし、懐かしそうに流れる亡き父の声に耳を澄ませていた。
「どうします? 記録したご本人から『処分してほしい』と言われてるなら、こちらで買い取りますよ」
仁志からそう尋ねられると、女性はしばらく水晶玉を胸に抱きしめた後、静かに首を横に振った。
「……いいえ、持って帰るわ。父にこんなにも家族想いな一面があったなんて、今日まで知らなかったもの。家に帰って母と一緒に聴きながら、父の思い出話でもするわ」
女性は少女のようにいたずらっぽくクスッと笑うと、お礼を言って静かに店を出て行った。
「毎度ありー」
女性が店から出て行くのを見届けると、仁志は煙草に火をつけた。
「ふぅー。しかし、自分が死んだ後に子供に日記見られるのはちょっと恥ずかしいな……。余計なこと言わず、引き取ればよかったか……?」
仁志は煙を申し訳なさそうに天井に向かってそっと合掌した。




