第50話 少し話してもいいかい
「ガチャリ」
朝、仁志が店の引き戸の鍵を開けて中へ入ると、店内にはすでに年配の女性がいた。
女性は細身で華やかな金髪、まるで代官山を歩く上品なマダムのような格好をして、棚の商品を楽しそうに物色していた。
「……あんた、店の中にどうやって入ったんだ……?」
女性は仁志の声に気づくと「あらあら!」とパタパタと駆け寄ってきた。
「あらあら! あなたが仁志? 大きくなったわねー!」
そう言って、いきなり仁志の頭を優しく撫で回した。
「……顔に全く覚えがないんだが、どちら様で?」
仁志は頭を撫でられ困惑しながら尋ねる。
「あらあらごめんなさいね! 顔を見たら、つい嬉しくなっちゃって! あなたのお母さんでーす」
母と名乗る女性は、屈託のない笑顔で両手にピースサインを作って見せた。
「……えっ? ……お母さん? ……俺の……?」
あまりにも突然すぎる展開に、仁志の頭は完全にフリーズした。
「そうよー。あなたが生まれてすぐ魔界に帰っちゃったから分からないわよね、ごめんなさいねー。帰ってからも、あなたのことはずっと気にしてたのよ! 昔こっちに来た時は偶然この店と繋がっただけだから、魔界からこっちへ来る方法が全然わからなくてねー……。ほら、私って魔法とかすごく苦手でしょ? だから、お父さんが安全に行き来できるようにずっと魔法陣の研究をしてくれてたのよー」
母親と名乗る女性が、マシンガンのように次から次へと仁志の知らないことを喋り続ける。
「でね、最近になってようやく魔法陣が完成したってお父さんが魔界に来てくれたのよー。すぐにでも一緒に来るつもりだったんだけど、お父さんと会うのも30年ぶりぐらいじゃない?会えなかった分の思い出を埋め合わせるのに2年もかかっちゃったわー! で、ちゃんとこっちに戻れるかお父さんがこの前試して大丈夫だったから、私もついて来ましたー」
母親はニコニコと仁志の顔を覗き込む。
仁志は震える手でポケットから煙草を取り出すと、なんとか口にくわえた。
「すまん……あまりに情報量が多すぎて頭がまったく回らん……煙草、吸わせてくれ……」
仁志は煙草になんとか火をつけると、深く煙を吸い込んでゆっくりと吐き出した。
気持ちが落ち着くまで、何度もそれを繰り返した。
「ふう……。で、本当にあんたが俺の母親なのか……?」
「そうよー」
「……なんで俺を産んですぐに魔界に帰ったんだ?」
「あなたを産んだあと、お母さん急に体調が悪くなっちゃってね……。ほら、お母さん魔族でしょ? こっちのお医者さんに見せても原因が全然わからなくて、どんどん衰弱しちゃってね……。お父さんがお客さんの偉い魔術師さんにお願いして、魔界に送り返して貰ったのよー。……いままで、ずっと側にいてあげられなくて本当にごめんなさいね」
母親は申し訳なさそうに、深く頭を下げた。
「……頭を上げてくれ。事情があったんなら仕方ないさ……」
母親が頭を上げ、二人はしばし見つめ合う。
「……話したいことや、聞きたいことが山ほどある。少し話してもいいかい? おふ——」
仁志が長年の想いを込めて話そうとした、まさにその時——地下倉庫へと続く本棚の隠し扉が豪快に開いた。
「母さん、待たせたなー! おっ? 仁志か! 母さんと無事に会えたようでよかった!」
父・平治が大声で話しながら、旅行用の大きなスーツケースを引きずって母親の横へとやってきた。
「仁志! この人がお前の母親のセイランだ!」
平治がセイランの肩に手を置きながら紹介する。
「あなたのお母さんのセイランです。改めて、よろしくね仁志さん」
両親二人はニコニコと仁志を見つめる。
「あっ! 母さん、早くしないと予約した新幹線の時間に遅れるぞ! 仁志、母さんと国内旅行に行ってからしばらくこっちの家に滞在するから、2階の部屋を掃除しといてくれ! ほら母さん、行くぞ!」
平治がセイランの背中を強引に押す。
「あらあら。お父さんたら、いっつも強引なんだから……。仁志さん、旅行から帰ったらまたゆっくりお話ししましょ!」
二人は嵐のようにバタバタと騒がしく店から出て行ってしまった。
一人店内に取り残された仁志は、茫然自失のまま手に持っていた煙草を床にポトリと落とした。
◇
その頃、カグヤが自宅のリビングでテレビのワイドショーを見ながら、静かにお茶を飲んでいた。
すると、玄関の方からバタン!!と何かが倒れ込んだような大きな音が響いた。
「えっ!? なに今の大きな音……!?」
カグヤが驚いて玄関へ駆けつけると、そこには仁志が突っ伏した状態で床に倒れ込んでいた。
「仁志さん!? どうしたの、大丈夫!?」
カグヤが駆け寄り、心配そうに背中に手を当てる。
「……親父が帰ってきた……」
「えっ? お義父さんが帰ってきたの?」
「……一緒におふくろもいた……」
「えっ!? 魔族のお義母さんも……!?」
カグヤが思わず玄関の扉へと視線を向ける。
「お二人はどうしたの? 一緒じゃないみたいだけど……」
仁志は床に突っ伏したまま呟いた。
「……35年ぶりの母子の再会だってのに、挨拶もそこそこに夫婦旅行だと……どういう親だよ……まったく……」
仁志はしばらくの間、玄関の床に突っ伏し、立ち上がることができなかった。




