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第36話 何をそんなに焦ってるんだか

「亭主よ! また来たぞ!」


ガラガラと店の引き戸が開くと、そこには以前、賢者の石を買っていったウサギ耳の生えた月の民の青年が立っていた。


「おっ、月の兄ちゃんか。どうだった? 相手とは無事に結婚できたのか?」


月の民の女性は、求婚してきた男性の愛を試すため、わざと手に入りそうもない『無理難題な品』を持って来させるという伝統があった。


「それが……あまりにも品物を見つけるのが早すぎたせいで『私のために苦労して探してくれてない! 愛が足りない!』って怒らせてしまってね……断られたよ……」


月の青年はがっくりと肩を落とし、ため息をついた。


「そいつは残念だったな……」


仁志は苦笑いしながら慰める。


「まあ過ぎたことは仕方ない! 今日は必要なくなった賢者の石を売るのと、新しい恋人に頼まれた『地球が月とはじめて交わった日』を探しにきたのさ!」


月の青年は爽やかに髪をかき上げた。


「賢者の石を買い取るのはいいが、また『無理難題な品』の依頼か……」


「僕もさっぱり思いつかなくてね……」


二人は腕組みをし、「うーん」としばらく考え込んだ。


「そうだ! これなんてどうだ?」


仁志は何かを思い出すと、奥の棚から一本の古びた旗を持ってきた。


「なんだい? その旗は?」


「地球人がはじめて月面着陸に成功した時に、月に立てた星条旗だ」


「あぁ! 地球人が大昔にやたら騒いでた時のやつか。昔から僕らと地球は密かに交流してたけど、地球の一般人からしたら『はじめて月と交わった日』そのものだな……。よし! これでいこう!」


月の青年がパチンと指を鳴らした。


「毎度ありー。なぁ、ついでにちょっと月の暮らしについて聞いてもいいか?」


仁志が珍しく客の住んでいる世界について質問を投げかけた。


「かまわないよ」


「テレビや写真で見る月面って、とてもあんたらが生活してるようには見えんが、一体どこに住んでんだい?」


「あぁ、地上は隕石や宇宙線が多くて住みにくいからね。地下に街を作って住んでいるよ。月の裏側の地下には、外宇宙の星々と貿易するための交易所なんかもあってね」


「へぇー、そうなのかい」


仁志が感心しながら話を聞く。


「外宇宙の最先端技術をどんどん取り入れてるから、地球よりも遥かにシステム化されているよ。僕たちの主食である『人参』と『筍』を、収穫まで全部自動でやってくれる食料プラント工場なんかもあるんだよ」


「へぇ……月では、人参と筍が主食なのか……」


仁志は何かを思い浮かべながら、ニヤッと口元を緩めた。


「どうしたね? 亭主?」


「気にしないでくれ、こっちの個人的な話だ。色々教えてくれてありがとな。賢者の石の買い取りが2000円で、それを差し引いたのと、ちょっとおまけして旗は1万円でいいよ」


月の青年が一万円札を手渡すと、旗を受け取った。


「毎度あり……。ところで気になったんだが、また持っていくのが早すぎて断られたりしないか?」


「大丈夫さ! 今度は指定された期日のギリギリまで隠しておいて、ボロボロになりながら苦労して手に入れた感を演出するからね!」


月の青年はそう自信満々に言い残すと、颯爽と店を出て行った。


「……なんかまたダメそうだな、あいつ」


仁志は閉まった引き戸を見つめながら、ポツリと呟いた。


◇


その夜。

誠司が寝た後、仁志がリビングでくつろいでいると、カグヤがコーヒーを淹れて持ってきた。


「はい、コーヒー」


「ありがとう」


カグヤも仁志の向かいに腰掛け、夫婦二人で静かにコーヒーを啜る。


「そう言えばさ、今日またあの月の民の兄ちゃんが店に来たよ」


仁志が何気なく切り出すと、カグヤは

「えっ!?」

とあからさまに動揺し、コーヒーを喉に詰まらせてゴホゴホと咳込んだ。


「……どうやら、フラれたみたいでさ。また新しい女の子に言われた『無理難題な品』を買いにきたんだよ」


「そ、そうなの……? 月の男性も大変ねー。まあ私にはよくわからないけれど……」


カグヤは視線を泳がせながら、慌ててコーヒーを口に運ぶ。


「でさ、月のこともちょっと教えてもらったんだが、向こうの主食は人参とたけの——」


「あぁーーっ! 忘れてたわ! 私、明日は朝早くから商店街の用事でお出かけする予定があったんだったわ! もう大変、早く寝なくっちゃ! おやすみなさい!」


カグヤは仁志の言葉を強引に遮ると、一気にコーヒーを飲み干し、バタバタと慌ただしい足取りでリビングから逃げるように出て行ってしまった。


「……何をそんなに焦ってるんだか」


仁志は妻が去っていった扉の方をニヤニヤと眺めながら、ゆっくりとコーヒーをもう一口飲んだ。

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