法の魔女2
法という、国の基幹をなす学問を専門とするにしては、"法の魔女"の歴史は案外新しい。
その始まりは約130年前の魔女王国にあり、5代目"屍の魔女"が事故で急死したのが発端だった。
魔女王国を統べる女王の突然の死は驚きをもたらしたが、それ以上の困惑を遺した。
彼女が己の後継者を指名する前に逝ってしまったからである。
その上、"屍の魔女"の直弟子の中にも有力な者はおらず、彼女の姉妹弟子たちも即位を辞退した。
このような問題はしばしばお家騒動に発展するものだが、魔女たちは冷静だった。
周囲に敵を抱えた戦乱の世にあって、自ずから分裂し相争っては破滅を招くだけ。
さすらいながら流れ着いた魔女たちにとって、それは幾度も見届けた光景であった。
そこで、魔女名持ちの魔女たちが一堂に会し、この後継者問題を話し合った。
まる二日間続いた大激論の末、出た結論は二つ。
「5代目"屍の魔女"のまだ幼い実の娘を今から教育し、後継者とする」
「その間、"眼の魔女"に統治を一時的にゆだね、空位時代を埋める」
これを実現するため、魔女王国は執政を役職として導入した。
魔女王国の統治を女王に代わって執り行う役職だが、これに直接"眼の魔女"を就かせるわけにはいかなかった。
"原初の目"を隠し、守るのが最優先であるのを考えるならば、"眼の魔女"は矢面に立たせられないのである。
その解決策として、一人の魔女が完全な無作為で選ばれた。
彼女は魔界の部族から追放された双角族一家の末裔で、口減らしのために魔女王国へ売られた末の娘であった。
魔力の強い魔界人の生まれであったため"屍の統率団"に編入され、下働きとしてすでに4年を魔女王国で過ごしていた。
そんな彼女が、執政の座に収められたのである。
実際に執政の座につき、政令や布告を発する者。すなわち傀儡を用意し、その影に"眼の魔女"を置いたのだ。
この傀儡の執政を通して"眼の魔女"が国を統治する体制。ある意味で、それは捨て駒でもある。
もし失政を犯した時、国が倒れた時には、この何も知らない名無しの魔女一人が責任を取るのだ。
表立って非難や攻撃にさらされ、暗殺の対象とされる危険もある。それ故に、たやすくすげ替えられもする。
実際、この策を編み出した魔女たちは、おおよそ2年ごとに執政は変わっていくことになるだろうと予想していた。
だが、この予想は外れることになる。
"眼の魔女"が誰の予想をも超えて完璧に影の黒幕をこなして見せたからだ。
"原初の目"の力もあったろうが、統治は細やかかつ大胆。人心の制御に長け、民衆と"屍の統率団"の根深い対立の解消に尽力した。
その上、公益のみならず、執政である魔女にも高圧的に接することなく、日頃から感謝を述べ伝え対等な親友として扱った。
冷遇され、民衆に憎まれることも多かった"屍の統率団"出身の彼女はこの態度にいたく感動し、率先して"眼の魔女"の方針や忠言に従った。
統治者としての誇りや威厳すらまとって見せ、寿命の近い"眼の魔女"の世話や看護まで自ら買って出ていた。
そして6代目の"屍の魔女"が即位するまでの12年。
二人はやり遂げた。これだけの時間を踏破したのだ。
"屍の統率団"や城魔女は、魔女の弟子として、学者として、見込みがない者が行き着く役目である。
宮殿で諸事の労働に従事し、研究や生産の助手をもつとめる城魔女と、『死人の軍勢』を操る"屍の統率団"。
生活が保証され、自由時間も与えられ、部屋と家具が与えられ、十分な給金が与えられる。
だが、決して一人前の魔女や学者として認められることはない。
余暇で研究はできる。成果を発表したり販売することもできる。だが、まず魔女名持ちやその弟子にはなれない。
そのような環境で生きてきた彼女にとって、この12年間は人生を変えるほどの衝撃だった。
傀儡執政の役目を成し遂げた翌年、安らかな死を"眼の魔女"が迎えたのを契機に、それは一つの決意を結んだのである。
ただの運命のいたずらで選ばれただけの、捨て駒にして代用のきく傀儡。
他者の都合で葬られ、闇に倒れるはずだった彼女の運命は、むしろそれを踏み越えて飛翔した。
"眼の魔女"によって、まがりなりにも政治に12年間関わった経験は、法に対する強い関心を彼女の心に植えつけた。
法が誕生する過程。それを生み出した者の考えや心積もり。そしてその法が実際に施行された時、世の中がどう動くのかを間近で見続けていた。
その経験と知識を活かし、彼女はその後8年をかけて法学を修める。
諸国の法や律令、部族の掟や村単位のタブーまで含めて貪欲に知識をかき集め、それらを魔女王国の既存の文化や法制度と組み合わせた『魔国法欄』を著したのである。
この本の出来ばえには、どの魔女も舌を巻いた。
細やかかつ大胆な切り口は"眼の魔女"の手腕を思わせたが、はるかに精細で、人の心理を合理的に捉えていた。
その学識が認められ、彼女は初代"法の魔女"として国法の編纂と助言、研究を担うようになったのである。
ハリシュ・リオソランは数えて6代目。
浅い歴史と少ない年月は、むしろ初代の原点と息遣いを色濃く残した。
逆境からのどんでん返し、法を覆す法こそ、彼女らの本領。
不利に身を置かず、戦いを避け、敗北を前にひるがえる法律屋とは全く異なる達人たち。
それが"法の魔女"である。
「では罪状認否を始めます」
簡易法廷の判事席で、法判はそう宣言した。
法廷では、被告と原告がそれぞれ指名した立会人だけが傍聴を許される。
原告側に人数の制限はないが、被告側の立会人は3名まで。
両方とも特に指名しなかった場合は、行政使府の役人が2名立ち会うことになる。
今回、原告側の席は魔道士会のメンバーで埋め尽くされ、急遽追加の椅子が置かれたほどであった。
対して被告側の立会人はクロスただ一人。席もほとんど隅へと追いやられ、周囲の魔道士たちからは睨みをきかせられていた。
その重圧と監視は、明らかにクロスへ向けられた威嚇だった。
魔道士たちはわざと体格に優れた者、人相の悪い者をクロスの周囲に座らせたのである。
だが、決して手は出さないはずだ。少なくとも、法廷にいる間は。
人数に差があっても、結局は全員が立会人でしかない。一人だろうが千人だろうが立会人は立会人。彼らは裁判の成り行きを見届けるしかない。
クロスも同じ立場だが、彼にはできることがある。
情報を逐一、"法の魔女"に伝えることだ。
膝に置いたカバンの裏にあけた穴から手を入れ、中の相互紙にこっそり書き込む。
『罪状認否が始まる。法判はシムカムド・トゥサライ』
そう、簡潔に"法の魔女"へ伝える。
カバンから取り出せないので返事は送らないよう打ち合わせているが、必要とあらば相互紙を震わせてでも指示を出すはずだ。
「被告人、入廷」
法判の関心無さげな声が響くと、前方左手の扉が開き、"兵の魔女"が衛兵を伴って歩み出た。
足環の間をつなぐ鎖と特大の手枷、そして口と下アゴを覆う、特注の鉄製マスク。
なんの抵抗もなく指が抜けるほどの美しく滑らかな黒髪は、湿気と冷気とホコリでボサボサだった。
それでも彼女は、立会人席の方を向いてクロスを見つけると、にこりと笑って小さく手を振った。
魔道士たちの無言の敵意。その熱が一層高まるのを感じた。
"兵の魔女"に向けた憎悪と敵愾は大きな圧力となってうねったが、彼女は涼しい顔で証言台に立った。
そのような挑発を受けても、魔道士たちは咳払い一つたてずに、じっと睨みのみをきかせる。
下手な動きは判事の心証を悪化させる危険があるからだ。
それを見て、かえってこの法判の中立性がよく伝わった。
買収や脅迫で判事を抱き込んでいるならば、このような反応は示さない。我慢などはしないはず。
魔道士会ではなく反統王連衡がそのような工作を済ませている可能性もあったが、たかが罪状認否を担当する法判を無理に取り込む利点は薄いだろう。
クロスは体を傾けて、体の大きな魔道士の隙間から"兵の魔女"の遠い背中に視線を注いだ。
それは、なんの変哲も無い、落ち着き払った立ち居振る舞いの背中だった。
まるで自分の家の居間に立っているかのように、緊張もなく平静そのもの。
抱き寄せ、指を食い込ませたあの背とまったく同じ背中だった。
「えー、この度、トッセンバーティノス、アイガ・ブルノール、スソガ・ヴ・ヨルン、テイリノ・バル=ホーマン、イェーウン・ハンバックの5名を原告として殺人、違法な尋問、違法薬物の使用、不法侵入、私有物損壊、暴行、公務執行妨害が告発されました。訴状に基づき被告人はアイラン・ヘルデンゼルとし、統判法三条に規定される領主裁判を求める権利と要請に応じる義務を以って、わたくしシムカムド・トゥサライがまずは罪状の認否を執り行わせていただきます」
そこまで言うと、彼はメガネをかけて手元の木簡を持ち上げ、視線を落とした。
おそらく、訴状をあらためているのだろう。内容は事前に書記から知らされているはずだが、実物に目を通すのはここが初めてのはずだ。
「被告人アイラン・ヘルデンゼル、あなたはアーリー・マードック他7名の殺害、ハロバ・ヴ・セネイレとトゥガン・セレイパ衛兵部曲長への違法な尋問、違法薬物"毛布の微笑み"の使用、ハロバ氏の邸宅とマードック氏所有の私有倉庫への不法侵入、それに伴う複数の私有物損壊、暴行、公務執行妨害の罪で告発されています。これらの罪状で告発されているとの事実に誤りはないと認めますか?」
訴状の内容をそのまま読み上げているわけではない。
まずは簡潔にまとめて示し、被告人が詳細を求めた場合に訴状の読み上げを行う。
いくつもの案件を効率的に処理するための現場の工夫であり、法的にも問題ない手順である。
訴状を見ているのは、あくまで確認のためだ。
「ヘルゼンデルよ」
思わず「はい?」と聞き返す。
彼の耳が受け取るのは「はい」か黙秘による沈黙のどちらかのはずだった。
マスクで声がくぐもって聞き間違いをしたのかとすら思えた。
「ヘルゼンデル。名前が違うわ、私はアイラン・ヘルゼンデル」
目元だけでにこりと笑う。マスクで隠れているが、口角も上がっていることだろう。
法判はメガネを正しながら、訴状を覗き込んだ。
そして、数分かけてじっくりと文面を吟味すると、原告側の法定代理人を呼びつけた。
身なりのいい男が一人小走りで寄ると、立会人の間でわずかにざわめきが起き始める。
法判は訴状を法定代理人に見せながら、小声で何らかの会話を交わしている。
その曇った表情を遠巻きに覗き見て、クロスは一人頷いた。
数十秒も経つと、今度は書記を呼びつけた。
三人ともやや困惑した表情で何事かを打ち合わせ、数分も経つと解散する。
法判は威儀を整えなおし、咳払いをした後、法廷のざわめきをかき消すかのように声を張った。
「ただいま訴状に三点の誤りが認められました。被告人の氏名と、マードック氏が死亡した日時と、提訴年月日の記述です。統判法十一条4項は裁判責任を持つ個人ないし機関が書類または資料を改ざん・修正することを禁じているため、本訴状を不受理とし、原告側には修正の上での再提出を求めます」
これにはさすがに、立会人の魔道士たちも色めき立って声をあげた。
「でたらめだ!」「言いがかりだ!」「馬鹿げてる!」「不起訴にするつもりか!」「忖度だ!」「茶番だ!」
口々に声を荒げ、法を、魔女を、司法を糾弾する。
中には単なる見せかけの怒りのみで行動している者もいるだろうが、声は次々と立ち上がり続けた。
法判は何度も「静粛に!」と叫んだが、一度高まった熱はすぐには冷めやらなかった。
クロスは小さく拳を握り、この喧騒を以って策の成就として勝ち誇った。
彼が行ったのは非常に単純な手。買収とすりかえだ。
裁判所の受付窓口で働く職員の中で、賄賂が通じそうな者を一人選んでその家に金と指示書を送りつけたのである。
賄賂と指示書は馬車の御者に金を握らせて届けさせたものだ。
人選の決め手となった人格と家族構成と略歴の情報、それと住所は書類棚の木簡に記載があった。
そうやって、金庫から書記の手に渡されるまでの間に、訴状をすりかえたのである。
新しい訴状の文面は"法の魔女"が考えたもので、魔道士会のコー・ナイル支部に雇われた法定代理人が作成したものと寸分違わぬ出来であった。
ただ三つ、アイランの姓を変え、事件の日時を一ヶ月前に改め、提訴を来年の今日に行ったかのように書き換えた以外は。
ただ、これでアイランを不起訴にするまでは至らない。
「静粛に! 不起訴にするわけではありません! 追訴改めの二十八条が訴状の記載の誤りに言及しています!」
どういった状況、どういった事例で追訴を容認するかという法令に、訴状の記述ミスについての規定があった。
訴状の書き間違いでたやすく無罪放免となり、二度とその罪で訴えられないというのではあまりにもお粗末だからだ。
その記述と規定が通常の訴訟の例にも拡大され、訴状の誤りに全面的に対応可能となったのである。
ある意味では常識的な判断ではあるが、それを言葉にして法に当てはめるとなると存外に難しいのである。
叫び続ける法判の言葉が効いたか、それともピークを超えて疲れたのか、熱は急速に冷めていった。
もとより、周囲の声量が落ち始めたらば自分も落ち着くという程度の声でしかない。
数分もすると元の落ち着きを取り戻し、法判は息をつきながらも再び威儀を整えた。
「とにかく、原告側は訴状を修正して再提出するように。それまで罪状認否は保留とします。今回はこれにて閉廷!」
やや不機嫌そうに言い捨てると、衛兵がアイランの両腕を引いて連れ出した。
この空気、一刻もはやく"兵の魔女"を監獄に戻さねば危険と感じたのだろう。
それは恐らく正解である。魔道士会の中にも"英雄"になろうとする愚か者がいないとは言い切れないのだ。
クロスも席を立ち、目立たぬように小走りで逃げていく。
魔道士たちに捕まれば何をされるかわからない。
幸い、今の彼らは予想外の出来事に打ちのめされ、悪態をついたり不安げに仲間らと語ったりやれやれと頭を抱えたりで忙しく、クロスが逃げるだけの隙が存在してくれた。
──まずは、少なくとも一日稼いだ。
裁判所の廊下を静かに走りながら、クロスは小さく勝ち誇った。
ささやかで勝利とも呼べぬような成功だが、成功には違いない。
最初の一歩として、滑り出しとして、十分な結果と言えた。




