法の魔女1
北区の柱街。そこはコー・ナイルの迷宮地区。
重なり合い、ひしめき合う無計画な建造物群と大量の天井へ伸びる柱、そして天井そのものであらゆる空間が区切られ、閉塞した場所。
陽がほとんど差さないため犯罪者たちの隠れ家や密会場所、物を隠す、あるいは捨てる場所として最適な区画。
衛兵や役人たちですら迂闊には立ち入らない。
ダグナマンバ大要塞の兵員交代時期の、屯所の兵数が増え、質も精強となるわずかな間のみ行われるガサ入れが時折入るだけだ。
そのような場所である。当然、"兵の魔女"ことアイランもそこに隠れ家を一つ置いていた。
今は使われていない民家から水路脇のトンネルを通った先の、地下に設けられた隠れ家だ。
クロスはそこのベッドの上に、荷物を投げ置いた。
凍土の地下室はまさに凍えるような寒さだったが、暖炉に火を焚いて15分、ようやく手袋を外せる程度の室温になった。
暖炉の煙はよその民家の煙突へ捨てられるようになっており、通気口のおかげで窒息の心配もない。
寝床の他には、下水路に続く蓋つきの厠、燭台3基、書き物机に白紙の紙束と木簡、床下には大量の紙幣も隠されていた。
壁にはいくつもの武器や魔道具が吊るしてあったが、大半は正しい使い方すらわからない代物だった。
書類棚には大量の木簡や文書が詰め込まれており、軽く目を通した限りでは、過去に行った任務の記録や調査対象の人物の来歴などが主な内容と思われた。
だが、これだけの紙、そして金と、情報。
──これなら、いける。
確信についつい拳を固めたその時、相互紙の震えを感じ取った。
早速、冷たい椅子にひるみつつも机に相互紙を広げ、そばにカンテラを置く。
浮き出た文字は硬軟の豊かな、独特の書き慣れた筆記体だった。
クロスにとって初めての筆跡であったが、読み取ることはそう難しくない。
『初めまして。一応、合言葉を』
指に息を吐いてかじかみを和らげ、ペンを掴む。
羽ペンは凍って割れてしまうため、錫の芯を木で覆ったペンを用いることにした。
これは"鉄の魔女"のもとを発つ際に間に合わせで贈られた餞別品であった。
『こなたに馬あり、かなたにボーグルあり』
アッサルートから伝えられた合言葉をそのまま書き送る。
返事は、信じられないほどの速筆でかえってきた。
『格子に金ありてともに幣を欲す。失礼、初めましてクロス・フォーリーズさん。"法の魔女"のハリシュ・リオソランと申します』
6代目"法の魔女"ハリシュ・リオソラン。
今回、アッサルートがクロスにつけてくれた助言者である。
彼女自身は今タルギンに滞在しているので、相互紙を介してのみの共同戦線と言える。
『早速ですが、裁判の経験はおありですか?』
既に70を超える高齢のはずだが、筆致は老いを全く感じさせない。
素早く、正確で、法そのものの精神がそのまま表れたような筆跡だった。
『モル・ニスで"光の魔女"さん側の証人として加わりました。協会長とクリンさんの指示に従っただけですけど』
『その際には真実を話しましたか?』
『はい、そういう指示でしたので』
とにかく筆が速い。
相手の質問に回答するのが精一杯で、こちらから全く言葉を挟めなかった。
『結構。ではまず、裁判をとりしきり法律に則って判決を下すのは本来ならば行政区の領主ですが、たいていの場合領主は代理人である"法判"に罪状認否、もしくは裁判そのものの進行と判断を委任します。たとえばタルギンは8名の法判を置き、総督であるバンギン・タルギンⅧ世は彼らに裁判を完全に任せきっています。逆にモル・ニスの領主は罪状認否こそ法判に任せていますが、裁判は極力自ら判決を下しています』
罪状認否は訴えそのものが正当であるかどうかを判断し、裁判を行うかどうかを判断するための手順として、統王法が規定しているものである。
訴えに正当性が認められない。たとえば原告人が罪状を明確に提示できなかった場合や、既に裁判で落着した問題が訴えられた場合などは、この段階で訴えが棄却される。
罪状認否は基本的に被告人に対して訴状の内容が正確かどうかを質問する形で行われる。
だが、被告人が黙秘を貫いた場合は判事、つまりは担当の法判か領主が総合的な情報と法律を照らし合わせた上で判断する。
今回の場合、罪状認否を経て裁判まで進展するのは確実と言えるだろう。
魔道士会や民衆の圧力もあるが、殺人や盗みなどの刑事訴訟はその性質上、罪状認否の手順は大過なく通過するのがほとんどなのである。
『コー・ナイルの領主はソルチェンタイウス。事の重大さゆえに裁判は自ら執り行うでしょうが、罪状認否は法判に任せると思われます。誰だって、外部から圧力を受けて行う案件には消極的になるものです』
今回、原告は魔道士会コー・ナイル支部の副支部長と高位魔道士4名による連名である。
罪状は殺人、違法な尋問、違法薬物の使用、不法侵入、私有物損壊、暴行、公務執行妨害。
肝心かなめはマードックを殺したという殺人の罪であり、あとはゴテゴテとついでにくっつけた罪状に過ぎない。
確実に、何かの罪で有罪を勝ち取ってやろうという決意の表れでもある。
『罪状認否と裁判の予定はわかりますか?』
『罪状認否は明日の予定です。それまでにアイランさんと面会できればいいのですが』
『面会は諦めた方がいいでしょう。魔道士会の圧力が強いはずですから、理由をつけて頑としてはねつけられればこちらが無駄に時間を浪費しかねません。問題は、相手のどこまでが魔道士会でどこまでが反統王連衡なのかということです。今の状況はこの二つがコー・ナイル支部内で混沌としているはず。魔道士会の人間はただ仇討ちを成功させて名を上げたいだけでしょうが、反統王連衡の人間は先が読めません。相手がどちらの陣営なのか、情報はありますか?』
書類棚から羊皮紙と木簡の束を引っ張り出す。
コー・ナイルの魔道士についてなら、もしかしたらアイランが調べてあるかもしれない。
せめて、何かヒントになりそうな記述でもあればよいが。
(副支部長は……ヒョウガンマス利権の一部を評議の一人に贈るよう提案して、マードック本人から却下。ダメだ、あのマードックが信用するとは思えない。他の高位魔道士たちも、マードックが存命の間は息を殺して従っていたようだけど、忠誠心はなさそうだ。魔道士会の古顔だし、最近送られた工作員の可能性も低いかも)
他にも、コー・ナイルでは古参の魔道士たちの経歴を読み進めるが、怪しい記述は無かった。
『特に見つかりませんでした。反統王連衡の者は、コー・ナイル支部に最近送り込まれた工作員の可能性が高いと思います』
『恐れ入ります。ではまず罪状認否ですが、"兵の魔女"が黙秘を貫いた場合は、訴状の確認によって済ませる場合がほとんどです。この際、訴状に不備があれば統判法追訴改めの二十八条に基づき、訴状修正の上で後日再開することになります。細工できそうですか?』
『訴状って今どこにあるんですか?』
『コー・ナイルなら、受理された訴状は裁判所の3番金庫に保管されるはずです。罪状認否の際には書記役が受付窓口で受け取り、法廷まで運びますので、その間に細工を施すのが最適でしょう。受付には常に3名の職員が詰めていますが、彼らは法務者でも公務者でもなく、警戒は薄いでしょう』
ふと足元を見れば、大量の金がうなりをあげている。
これだけあれば、どうにかなるだろうと思えた。
裁判所に勤める職員についても、恐らく書類棚に情報があるだろう。
『それと、面会はできなくとも"兵の魔女"と連絡を取る手段はあります。小さな物であれば届けることも可能でしょう。既に手配してありますが、何か届けたい物はありますか?』
凄まじいまでの手際の良さ。たったの数時間でかなりの用意を整えてくれたようだ。
状況は、かなりの不利だ。
敵は反統王連衡だが、魔道士会との衝突は可能な限り避けなくてはならない。
だが情報は足りず、師の根回しがいつ頃完了するのか、どれぐらい時間を稼げば良いのかすらわからない。
敵の動きにも対応せねばならないが、先手を取られ続けている。
いまの戦力はクロス・フォーリーズと、この"法の魔女"と、隠れ家の隠し金と断片的な情報。
明らかに不十分であったが、クロスはまるで負ける気がしなかった。
"法の魔女"ハリシュ・リオソラン。彼女となら、切り抜けられる。
確かな決意と闘志をペンに込め、力強く紙に走らせた。
『ストランソームの結節を用意してください』




