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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
兵の章
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兵の魔女16

アーリー・マードックは卑怯者だった。

魔道士会を裏切って分離派に加わったにも関わらず、仲間らを売って生き延びた。

ぬけぬけと魔道士会に復帰し、しかも元分離派を下働きとして雇って己の事業を支えさせた。

名誉と誇りと仲間への誓いにかけて守るはずだった土地を統王に差し出したばかりか、後にそれを買い付けて私腹を肥やした。

名士や貴族や地主を時に騙し、時に脅し、自分の手駒か家畜のようにこき使った。

統王の旗の下に降り臣民としての誓いを立てたはずなのに、邪魔者を除くためだけにそれを裏切った。

自らが裏切りを重ねておきながら、他者の裏切りは断じて許さず、多くの人々を縛り付けるように支配した。

"薬屋"を通じて違法な薬物を販売し、法外な利益を懐に収めていた。

厚顔、傲慢、恥知らず、守銭奴、悪党、詐欺師、俗悪、彼を表現する言葉は枚挙にいとまがない。

彼は誓いを全て破り、たとえどんな小さな約束すら決して守らなかった。


だが、紛れもなく、彼は名士だった。

ただの森を毛皮と材木の産出地として開拓し、道具を買い揃え、業を伝えて雇用を作った。

裏切りと脅迫と嘘で培った販売網とコネを使い、ヒョウガンマスの販路や加工品の需要を倍増させた。

ラードの製造と流通システムを再構築し、安価かつ多量にラードや猪肉を卸して市場を発展させた。

違法とはいえ、本来なら入手自体が困難な医薬品を多数製造し、陰ながら地元の医療に貢献した。

「麻薬は隠せない。いずれ必ず中毒者がバラしちまう」と言って、麻薬の製造にだけは決して踏み込まなかった。薬を、嗜好品とは見なしていなかったのである。

バカな元貴族や調子付いた地主や半グレの事業主が、コー・ナイルを無計画に虫が如く食い荒らして破壊しようとするのを完璧に防いだ。

伝統ある街で、思い上がった汚らしい魔女どもに屈さず、街の力と誇りを守っていた。


歴史は彼を卑怯な恥知らずと罵るだろう。

だが地元民にとって、彼は庇護者だった。

"兵の魔女"という圧迫と恐怖に対抗しうる、ただ一つのよすがだった。


その彼が死んだ、との報らせはあっという間にコー・ナイル中を駆け巡った。

犯人として、あの"兵の魔女"が逮捕されたという補足付きで。

広まるよう努めたのは間違いなく魔道士会であろうが、たとえそうでなくともこの情報は瞬く間に広まったであろう。

当然、民衆は西門から市中の監獄に至るまでの通りに殺到した。

連行される"兵の魔女"か、返り討ちにあって悲惨な傷を引きずりながら帰ってくる衛兵たちか、どちらかを一目拝むために。

老いも若きも男も女も、夕方であるにも関わらず、仕事にも食事の支度にも取り掛からずに、ただ群れをなして通りに立っていた。


やがて、西門が開かれた。「開門!」との掛け声には元気があり、群衆は期待にざわついた。

先頭の衛兵たちが「道を開けろ!」と槍の柄で群衆の海を割る。

その後に、三本の鎖を引く三人の衛兵が続いた。

それらは、後ろを歩く"兵の魔女"の首枷と手枷に繋がっており、更にその後方を10名ほどの衛兵が警護していた。

まるでパレードの行列のような物々しさ。"兵の魔女"は首枷と手枷の他に、猿ぐつわを噛まされ、目隠しを巻かれ、鉄の足環をはめられていた。


民衆は一様に息を呑んで注視した。

"兵の魔女"が逮捕され、拘束され、衛兵に引かれて獄へ連れて行かれるのである。

そのような光景など想像だにしておらず、実際に目の当たりにしても、どうすればよいのかわからなかったからだ。

この期に及んでも、怖いのだ。鎖に繋がれた細身の女性一人が。


群衆は行進を遮るでも、罵声を浴びせるでもなく、ただ不穏にざわめきながら見届けるばかりだった。

"兵の魔女"も粛々と歩を進めるが、神妙にしているというよりも、ただ単につまらなさそうにしていた。


だが、突如、群衆のはるか後方から、骨のかけらが放り投げられた。

弧を描いて飛来したそれは誰にもぶつかることなく、乾いた音を立てて石畳に弾かれる。

誰が投げた物なのかもわからない。何の骨なのかもわからない。命中すらしていない。


しかし、それで十分だった。


投げ物に対し"兵の魔女"はもとより、衛兵すらそれを咎めることはなかった。

ややあって、姿の見えない後列の群衆がまず、ぱらぱらと物を投げ入れ始める。

野菜クズ、小石、洗浄用の海綿、木の実、どれもささやかなもので、ほとんどは緩やかな弧を描いていた。

しかし衛兵も"兵の魔女"も無抵抗。遮る者をどかすばかりで、全く手出しをしてこない。


こうなれば、状況は熱を帯び始める。

物を投げ入れる人々の数はどんどんと増え、やがて最前列の者すら投げつけ始める。

囁くようなざわめきは罵る声や怒声へ変わる。誰かがそうし始めたからだ。

投げつけられる物品も食器や野菜そのもの、金属小物などの殺傷力の高いものが増えてくる。誰かがそうし始めたからだ。


場の熱は沸騰し続ける。

「人殺し!」「あばずれ!」「魔女め!」おおよそ、そのような叫びが轟き渡る。

そこでようやく衛兵たちが群衆を抑えにかかるが、一度広がった熱はすぐには冷めやらない。

いくつもの品々が投げつけられ、そのうちの一つ、開いたハサミが"兵の魔女"のこめかみを打った。

突き立ちはしなかったものの、皮膚をかすかに裂き、血の筋を垂らさせる。

幾十人もの刺客とゴーレムを以ってしても成し得なかったことが、素人がむちゃくちゃに投げつけた日用道具によって成されたのだ。

そのことは、この様を遠巻きに眺めていたクロスにとって少なからずショックだった。

自分が感銘を受けた"兵の魔女"の技や強さが、おとしめられたような気がしたのだ。


連行される前、彼女は離れているようクロスに告げた。

衛兵たちはクロスまで連行する余裕はなく、また理由もなかったが、民衆たちはその怒りを彼にまで向けかねない。

だが同時にこうも言った。「私が連れてかれるとこ、見てて」と。


いくつもの飛来物が、彼女の体を打つ。

時には潰れた野菜や木の実の汁、糞などが服を汚した。

紋章の刺繍はぶつけられた粥で汚れ、帽子は石で撃ち落とされ、後に続く衛兵たちに無残にも踏みしだかれる。

泥や果物の汁、汚物に塗れ、石畳の上に無残な屍をさらす。



それを実感し、"兵の魔女"は笑みを湛えた。



たとえ見えずとも、聞こえる。たとえ触れずとも、感じる。

自分がいかに汚らしく悪意のあるものを投げつけられているか。

自分がいかに口汚い罵り言葉を投げうたれているか。

それら全てが鞭のように彼女を打つたび、興奮が魂より湧き上がった。


口汚い罵倒。それは彼女を讃える歓声そのものだ。

いかに彼女に心を支配されているか。いかに彼女に魂を、思考を占拠されているか。いかに彼女の影響を受けているか。

彼らはそれを声で彼女に伝え、あまつさえ大いなる感情を物という形に変えて贈り、表現しているのだ。

恍惚が背骨を打ち、四肢に駆け巡る。息が荒くなり、白肌が熱で浮かれる。

体にぶつかる品々の痛みと感触、その硬さと熱さは、押し付けられた逸物のようなもの。衝動的にぶつけられる獣欲そのものだ。

膝が震え、頭がうなだれ、舌がだらしなく垂れ下がる。体に力が入らない。

こんなに沢山もの"愛"を受け止め、彼女は"濡れ"てさえいた。

そして、こんな痴態をどこかでクロスに見られているんだと思うと、更に興奮がかき立てられた。


汚物とガラクタと暴力と罵声で舗装された道。

それが今は、彼女にとってこの上ない花道だった。

もし、民衆の一人が衛兵をかいくぐり、短剣を構えて突進してきたならば、彼女はそれを避けられないだろう。

魔道士会か、反統王連衡の刺客が殺気と共に矢を放ったとしても、彼女はそれを掴まえられないだろう。


民衆が"兵の魔女"を明確に認識して攻撃しているその瞬間、彼女は"兵の魔女"ではなくただの女であった。

しかし誰一人としてそれに気づく者もなく、皆ただ己の愛を一人の女にぶつけ続けるばかりだった。

それは暴動の一歩手前であったが、彼女の本能は我慢し切れず、嬌声とともに絶頂を迎えた。

その声すら、民衆の怒号や罵声にかき消されて衛兵にすら届かなかった。


やがて屯所から増援の衛兵たちが到着すると、加熱はおさまった。

物投げや罵倒は続いたが、熱は保持され、高まることはなくなった。

熱に乗じて"英雄"になろうとする愚か者もいたが、それらは全て衛兵に排除された。




それら全てを、クロスはどこかで見送っていた。

それら全てを、クランツもどこかで見守っていた。




こうして"兵の魔女"アイラン・ヘルゼンデルは捕縛された。

収監されてからも、しばらくは監獄の前に群衆が詰めかけ、騒いでいたという。

それでも、日が落ちたならば、皆が住処へ帰っていく。

何食わぬ顔で日常に戻り、無言のままで寝床につくのだろう。


乱痴気騒ぎは終わった。


だが、祭は終わらない。


感情と熱に浮かされた手足のばたつきの後に、鋭利かつ冷徹な理性のもと繰り広げられる戦が待っている。

戦いになるのはこれからだ。

クロスは静かに、冷たい闘志を燃やした。


僕を助けるために、アイランさんはマードックを殺して捕まった。




──必ず、助ける。

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