表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
兵の章
91/210

兵の魔女13

その宣言にはマードックすらぎょっと目を剥いた。

クロスとて同様だったが、心中の動揺は彼を上回っていただろう。

言葉すら発せず、ただぽかんと口を開けて思考を停止させるだけだった。

予想の外の外を事実として受け入れるよりは、聞き間違いを疑う方がまだ現実的と言えた。



「驚くのも無理はないが、本気だ。君には話しておきたかった」



まるで日常の人生相談をしているかのように話すクランツ。

その態度に苛立ちを覚えるべきであったのに、そのような最低限の感受力すら今は吹き飛んでいた。


「何言ってるんですか?」


意図せず口をついて出たのは、その程度の言葉だった。



「彼女は私の目的の一つだ。真っ先に魔女協会を巻き込んだ理由の一つとも言える。じきに、ヘインネスクのおかげでうちの連中も対魔女協会に本腰を入れてかかるようになるだろう」

「ヘインネスク?」

「君が会ったのは息子の方かな。うちの連中は皆我が強くてね、一つの目標に足並みを揃えるのも一苦労だ。どのみち、統王を倒すには遅かれ早かれ魔女協会への対処もしなければならんから、あの程度でも意思統一を図れるだろう」



クランツの言葉を理解できない。

混乱させて優位を保つための嘘とも思えない。

都合のいい偽情報を掴ませようという意図とも考え難い。

そのような手を今のクロスに打つ必要など、全く無いのだ。


「な、何? 何ですか?」

「話が逸れたな。とにかく、私は彼女と結婚する。それにあたっての障害になるかもしれない君とは、事前に話をしておきたかったのだよ。競争相手の情報は早めに仕入れておかねばな」

「え、だから、ちょっと、結婚とか、出来るわけないじゃないですか。アイランさんとですよね?」

「そう言ったはずだ」

「そんな、アイランさんは"兵の魔女"ですよ? しかも、あなたを追っている。殺すつもりでいるかもしれない」


少しずつではあるが、事態に思考が追いつき始めた。

目の前の男がアイランとの結婚について本気であるようだ、との結論に至れる程度には。


だが、自分を追っている"兵の魔女"と結婚?

イカレているのか? 小魚がサメと結ばれようとするようなものだ。

そもそも"兵の魔女"はこれまで決まった一人を定めたことはない。

彼女らにとって男とは餌、殺す対象、種、のいずれかでしかないのだ。



「確かにその通りだ。しかし君も薄々感づいているのではないか? 彼女──アイランはこれまでの"兵の魔女"とは違う、と。実際に会い、話し、交わってみて気付いたはずだ。話に聞いていたほど酷薄ではないし、無関心でもない、とな」



この言葉は脳に響いた。

無意識の部分で、クロスも感じ取ってはいたのだ。

暴力に浸かり、躊躇いなく命を奪い、命をすすり上げるのを無上の快楽とするのが"兵の魔女"である。

が、それにしては、アイランが見せる言動には他者への関心が表れすぎていた。

暴力の中で楽しみを見出してはいたが、他者として扱っていた。

"兵の魔女"の本来の性質を考えるなら、他者とは楽しみのための玩具か、暴力を実行するための装置か、任務の過程と結果か、日々の日常の中で揺らめき淡々と処理する影のようなものとしか認識しないのが普通だ。


アイランとてそれらの性質をそなえはしているが、それだけではない。

確かに殺しの現場で巻き込まれたならば因果のない一般人であろうと躊躇なく殺すが、殺しても殺さなくても任務に支障がない場合、殺さないことを選ぶ。

盗み聞きした魔道士を一撃で殺さず負傷させるにとどめ、ハロバ卿をさらう時には家人を殺さぬよう隠密行動をとっていた。

尾行していた中年男を拷問にはかけたが殺さず、その結果として四人組が寝込みを襲うという事態を招いた。こちらに関しては誘うためにわざと泳がせたのかもしれないが。


それに何より、クロスを十字路で拾った。

魔女協会へ運ぶまで甲斐甲斐しく世話をし、"屍の魔女"の養子となるよう取り計らった。

一体どんな得がある? 新しき、面白き種のためか? "忌み子"治療が成功してモノになるかどうかもわからないのに。

どうして物心ついた頃に再び現れ「あなたは自由よ」などと言ったのか?

そして、何故、目の前の男は生きているのか?

残党狩りで彼女に殺されるはずだったのに、彼女は嘘の報告をして、ずっとそれを明かしてこなかった。


彼女には、共感力がある。社会性がある。

今や疑いようもない。

天空から気まぐれに雷を落とし顧みることもない孤高の超常者ではない。

歪とはいえ、彼女は"人間"なのだ。




そうか、だから──




「でも、それでも、動機にはなりません。どうしてあの人なんですか?」


動揺を隠せなかったが、それでも絞り出した。

黒幕と会話できているこの状況は、見ようによってはチャンスでもあるのだ。

情報を聞き出し、もし残すことができれば、もし死んでも役立ててくれるかもしれない。

混乱し揺れ動く魂の中で、妙に状況を冷静に推し量る自分もあった。



「私は、両親の顔を憶えていない。生みの親の方じゃないぞ、それは君も憶えていまい。フェルマー博士は生まれて間も無い私をスティッペレン家の当主夫妻に預け、育てさせた。実験のためなのは知っているな? それでも、夫妻は私に惜しみ無い愛情を注いでくれた。二人には子供がいなかったのだ。正確にはかつて二人いたが、一人は病死し、もう一人は刑死した。恐らくは、それが動機で二人は三角連衡のルネイ国人衆に加わったのだろう」



ルネイ地方の全ての豪族や名家が乱に加わったわけではない。

彼らはかつて独立した小領主の群れであり、その多くは統王によって合併吸収、取り潰し、移封、罷免という目に遭っている。

その反発として生じた連合体が、個人的なコネを基盤に築かれたルネイ国人衆であり、ほとんどは乱を経て既に滅ぼされた。

かつて多様な国々と諸家でひしめいたルネイ地方は今では二つの行政区に分けられる形でまとめられ、二人の領主と二つの行政使府に経営されている。

彼らの名や面影は地名や文化としては残っているものの、家としてはもう残っていない。


スティッペレン家も、その一つだった。



「彼らは、血の繋がっていない私にとても良くしてくれた。乱の最中も、敗戦後の逃亡生活でも、私をないがしろにすることなく、いつでも優しかった。"兵の魔女"によって殺されるまでは」



クロスは唾を飲んだ。

簡単に想像できてしまったからだ。

傭兵たちを殺めた鮮やかな手並みで、無力な男や泣き叫ぶ婦女を一瞬で屠り去る彼女の姿が。



「実に奇妙なんだ。私は両親の顔を憶えていない。なのに、その場でたった一度だけ見た、彼女の顔は鮮明に思い出せるのだ。眉毛一本から唇のシワ一筋に至るまでな。長い間、あれほど私に尽くしてくれた両親の顔は憶えていないくせに、何故だ? 一体どういうことなんだ?」



自分の腿を拳で叩きながら、熱を込めて語る。

その語り口に、誰あろうマードックの表情がみるみる険しくなっていった。

表情の変化が乏しくなる年齢であることを踏まえると、これはかなりの強い嫌悪のようであった。



「今でも、彼女の姿はとても鮮明に思い出せる。姿だけじゃない、声も、服装も、言葉も全て憶えている。他の人間についての記憶が薄れても、彼女の影だけは常に鮮明だった。私は既にハロバ卿の顔すら忘れかけているのにな。どれだけ考え尽くしても、その理由だけは絶対に解けなかった」

「だから、それで、確かめるために?」

「まあそういうことだな。彼女を忘れられない理由が恋心なのか執着なのか憧れなのか、それともトラウマに基づいた強力な記憶であるというだけなのか、答えが出るはずだ」


「あんた、おかしいんじゃないのか。そんなくだらない理由で、彼女を」



駆け引き抜きの、率直な感想だった。

怒りが湧いてくる。灯った炎のように、めらめらと静かに燃え上がる怒りだ。

魔導生物であろうと、怪物であろうと、暗殺者であろうと、戦士であろうと、殺人鬼であろうと、彼女は魔女だ。

たとえそれを悦びに変換していようと、否定され、孤立し、不幸をなすられた魔女の一人だ。

自分の力ではままならない運命に何もかもを変えられてしまった一人だ。


──幸せにならなくちゃいけないんだ。




「そんな結婚、認めない。お前、お前は、誰も幸せにできない!」




このような怒りは未だ感じたことがなかった。

どうして怒りが湧くのか、その半分は気付いていたが、もう半分は分からなかった。


「私がいようがいまいが彼女は幸せだろうよ。彼女はただ単に母親のようになりたくないだけなのさ」


声を荒げても、クランツは応じなかった。

言葉に熱量はなく、態度にも余裕があった。

クロスの怒りに触っていないのだ。



「それとも、君が幸せにするというのか?」



射抜くような視線と共に指を差す。

さらに怒りを示すべき無礼な行為だったが、クロスは言葉を詰まらせてしまう。


「私をおかしいと言ったが、君も世間から見ればそう褒められたものでもあるまい。統王に憧れていながら、その世界で法を犯すことに躊躇いがない。人の死や暴力に動揺せず、誰かが傷つき悲鳴をあげる様を眉一つ動かさずに眺めていられる」

「そんなこと」

「私も君も"忌み子"だ。魔女は君を作り、魔道士は私を作った。魔力漏出を起こさずとも、我らは結局、社会に相容れない者たちなのだ。君は私に怒りを覚えるのだろう? それは、我々が同じだからだ。君も私も、どこかが壊れている。無意識の魂の奥でそれを理解しているから、ムキになって否定したいのだ」


"忌み子"

気にも留めていなかった。それは単なる言葉でしかなかった。

しかしそれが今、初めて、呪詛のようにクロスの魂にのしかかった。



「彼女が欲しいんだろう。だがそれは愛じゃない、昂揚でもない、初体験の相手への憧れでもない、一時の気の迷いですらない。実験だ。揺れ動く自分を探求し固定化するための、酷薄な精神実験だ」

「やめろ、違う」



"光の魔女"は異常なほど自分という存在に執着した。

クランツも自分への執着からアイランとの結婚を決心し、そんな自分を完全に肯定している。

自分もそうなのだろうか? 何者かになりたがるために、どんなことでもしてしまうのだろうか?

自分の抱く感情も、取る行動も全て、その一環でしかないのだろうか?


否定できるはずの問いだったが、クロスには否定し切れなかった。

揺れ動く魂の底にある妙に冷静な自分が論を結ぶのだ。「正解だ」と。



「君は何になりたいんだ? 夫か? 協会長か? 魔法使いか? 魔女の弟子か? 下僕か? 役人か? 詐欺師か? 本当は、一体どうしたいんだ? 何故魔女を守るんだ? 自分が何者なのかわかっているのか?」



次から次へと、問いを魂に詰め込まれる。

どの問いにも答えが出ない。当然だ、そのための旅なのであるから、答えが用意されているはずがない。

だがそれがクロスの混乱を根深いものにした。今すぐ答えがなくてはいけないような思いにさせた。


胸を張れない。

背を丸め、目を泳がせながら言葉でめった打ちにされるがままだった。



「私はわかっている。少なくとも私は選んだぞ。私はクランツ・フェルマー・ルネイ、私は継承者、私は支配者、私は許す者、この世界は許しを求めているのに統王は異なるものを与えた。だから私が正しい贈り物をし直してやろう」



クランツの手が、ゆっくりとクロスの頭に乗せられる。

優しく、まるで祝福でも授けるかのように、厳かに。

力を込めず、かと言って見離しもせず、温もりと確かな存在を感じられる重み。

人を安心させるための手であった。



「クロス、君を許す」



誰かを「許す」という行為。それは完全性と支配そのものだった。

クロスはうなだれた。視線すら合わせられなかった。拷問の方がマシだとも思えた。

魂が同意してしまった。心が屈してしまったのだ。

クランツが歪んだ欲望に突き動かされているのだとしても、言葉そのものは真実だった。

クロスの源に根ざす論理性が、そう認めてしまったのだ。


だが、それでも。




「その、汚い手を、どけろ」




曲げるわけにはいかないものがあった。

顔を上げ、泣き出しそうな目を精一杯研いで、クランツを睨む。


「お前は、トゥーナさん(鋤の魔女)を殺そうとした。グーニィさん(光の魔女)の件だって、今思えばお前が糸を引いてたんだな。魔道士会評議の一人を抱き込んで新発明の情報を得ようとしたんだ。そのせいで、グーニィさんとクリンさん、キルデンザックさんは死ぬかもしれなかった!」


駆け引きも策略もなかった。自分の内からその場で湧いたものを、そのまま吐き出すだけだった。

クロス自身、この時に吐いた火を後に回想して驚くのだろう。


「ヘインネスク、ナッグを陰謀に巻き込んだ。クルギャさん(胞の魔女)が自分の子供のように大切にしていた土地を脅かした! ガニツさん(石の魔女)が全身全霊をかけて受け継ぎ、悲願そのものなゴーレムの技術を盗んで粗末な兵器に堕とした! そして統王様を倒そうとしている。お師匠様(屍の魔女)の婚約者で、ヘラシュ=ノグ(腑の魔女)さんの恩人を!」


練っていない生のままの言葉だったが、次から次へと溢れて止まらなかった。

それは、一つの偽らざるクロスの本質であるからだ。

彼が炎に惹かれた、唯一の理由そのものなのである。



「なら、お前は敵だ。魔女の敵だ。魔女の敵、そう、僕の敵だ!」



気炎を吐き出し、ぶつけきった。

呼吸は荒くなったが、なんとかこの男を跳ね除けることができた。


それでも、クランツは顔色ひとつ変えなかった。

ただ、椅子からは立ち上がった。

縛られたままのクロスを見下ろし、燃える瞳の視線が己の目に注がれるのを、いとも簡単に受け止めていた。



「なるほど、統王や"屍の魔女"のみならず、アイランまで気に入るわけだ。賢く、論理的で、思いの外、情熱的」



そして、帽子を被る。

労働者が日除けのために被るような、薄汚れた粗末なせんべい帽子だった。



「話せてよかった。また会おう」



あくまで紳士的に振る舞い、表情も態度も崩さず一礼。

それから、振り向きもせず、乱れぬ足取りで散歩にでも出かけるかのように、暗がりの奥へと消えて行った。

既に奴へ向ける炎は吐ききっていたクロスは、その背をただ睨むだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ