兵の魔女7
「母は8日後に死んだわ。非の打ち所のない、完璧な自然死だった。それで31代目"兵の魔女"が誕生したのよぅ」
話が終わると、ワインも終わった。
酔いが回ったのではなく、全て飲み干してしまったのだ。
それでもアイランの表情は平静そのもので、赤みも差していない。
「それから、どうしたんです?」
対して、クロスはほろ酔いの状態だった。
アイランがあまりにもたくさん飲むので、釣られてつい進んでしまったのだ。
「クロスちゃぁん、"兵の魔女"になるっていうのはね、みんなが考えている以上のことが起こるのよぅ。2日後には、もう今の私とちっとも変わらない私になってたわぁ」
少し呆けた頭でも、師の言葉を思い起こすことには成功した。
"兵の魔女"は自らの性質を次代に引き継がせられる。
先ほどの話には、その決定的な要因が足りていないように感じられた。
話の流れでたまたま省かれたのか、意図的に避けられたのか、それを判別するほどの能力は保てていなかったが。
「このワイン、美味しくないですねぇ」
まだ中身が残っている盃を横にどける。
即座にアイランがそれをひったくってあっという間に飲み干す。
「酒なんて、水よりマシならなんだっていいのよぉ」
袖で口を拭い、口中に溜まったワインの不純物をこね集めて唾と一緒にタン壺へと吐き落とす。
それから、空いた食器を重ねて隅の水瓶に投げ入れた。
一日、調査に同行したが、目立った進展は無いように思われた。
新たな連衡にカーギ・カリンと魔道士会分離派の他、"流木団"とスロヴ共同体も関わっているらしいというのは分かった。
だが具体的な組織図や影響力、その全貌については未だ不明のままに等しい。
謎の四人についても、黒幕についても情報がない。
だが、それとなく、次にどこをあたるべきなのかは示唆されている。
そこが却って奇妙だった。
「アイランさん、今日のこと……あー、調査のこと、なんですけど」
熱を測るように、あるいは頭を支えるように、額を手で押さえる。
「なんか、ちょっと、おかしくないですか?」
その様子を見て、獲物を視界に収めた獣のようにアイランの口角が吊り上がった。
うつむく姿勢になっていたクロスには、知る由もなかったが。
「えぇ、そうねぇぇ、何もかもが妙だわぁ。わざわざスロヴ共同体の貴族を通して、あんなわかりやすい中年デブにたった一人で尾行させる。しかもさらう時には所属がバレるような格好をさせたままの"流木団"を使い、目隠しをさせておきながら北区の柱街なんていう見当をつけやすい場所を選んでる」
話しながらも、表情は心底嬉しそうだった。
遊びの時間が来るのが楽しみで楽しみで待ち遠しい子供のようだった。
「熱烈なお誘いだわぁ、こんなの初めてよ。まるで身を隠さずに逃げる獲物。それも道々に自分の肉を少しちぎっては置いていっているようなものよぉ。心地よくって、すっごくわくわくするわぁぁ」
肉片の甘露に舌鼓を打ち、本命の獲物の美味さに胸躍らせる怪物。
たとえ罠だと理解していても、むしろ理解しているからこそ、飛び込まずにはいられない。
酒にすら酔わなかった頬を上気させて熱っぽく語る様は、賢愚をかなぐり捨て追いすがる怪物そのものだった。
あるいは、その性質を熟知されているのか?
見え見えの罠を張る理由は、その罠が相手にとってこの上なく魅力的に映ることを知っているからだろうか?
ほろ酔いの頭では、どうにも結論を出し切れない。
「アイランさん、水、もらえませんか」
およそ二時間後、クロスは寝床に横たわっていた。
トグナイア連峰の雪解け水は清涼で酒酔いに効く。
今では視界も思考も定まり、カンテラの小さな灯りで相互紙に言葉を書き込めるほどに回復していた。
『で、"兵の魔女"はどうだった?』
会話の相手はエルガンだった。
任務の助言を得るなら師アッサルートが適任と思われたが、今のクロスにとって気がかりなのは任務ではなくアイランという人物そのものである。
そうであれば、機密に気を使わせて話させるよりは、のびのびと相談できる相手の方が良いだろうとの配慮であった。
それに、アッサルートにアイランのことで相談をするのは、なんだか気恥ずかしいような思いもあった。
『まだ、よくわからないんだ。強いような、危ういような、怖いような、それでいて何だか安心するような心地もあって。冷たさと温かさを同時に感じているような、何とも言えない気持ちです』
エルガンになら、話せる。話していいような気がした。
理由は上手く言葉にできなかったが、自分ほどの者が言葉にできないという事実が答えのようにも思えた。
『それは酒に酔っている状態に似ているな。矛盾する感覚と理性が並び立ちつつ、せめぎあっているようなものだろう』
『スケルトンなのに酔っ払ったことがあるんですか?』
『確かにそうだな、生前の頃の感覚だろうよ。記憶と呼ぶほどのもんでもないがな』
軽口を叩きはしているが、ペンを握る手がいつになく弱々しいのはクロス自身、自覚があった。
正中を射抜かれたように、あるいは朝の寝起きのように、指先に力が入らないのだ。
『お前は大人になりかけてる。止まってた精神が肉体に追いつきつつあるのだろう』
故に、エルガンの言葉にも大きな反論をぶつけられなかった。
『実はな、死人になった先先代の"兵の魔女"を昔見たことがある。ご主人が新しい屍術を発明する前に死人になった、要するに単なる操り人形なヤツだ。動きを見たし、戦うところも見たが、確かに強靭で力も強かった』
"兵の魔女"は初代"屍の魔女"が完成させた神秘そのものである。
多くの者が原理解明を試み、それは魔女たちとて例外ではなかった。
しかし、現象を知ったところで原理や"構造"については誰にも分からなかった。
観察しても解剖しても"兵の魔女"の最も重要な秘密は暴かれなかった。
そのうちに、ほとんどの者らは諦めた。魔女協会も公式には調査をせず、そのため先代の"兵の魔女"は解剖を免れ得たのだ。
『だが、死人には切れも冴えも無く、結局普通人に毛が生えた程度だった』
『話が見えてこないんですが……』
『"兵の魔女"を兵たらしめるのは肉体の強さや異常さじゃないってことさ。お前はその本質に触れかけている。だから心が騒ぐのだろう。お前の未熟な魂が、300年間代を経ながら熟成を重ねた強さに戸惑っている』
そういうものかな。
そう言われればそんな気もしたが、まだ説明し切れていない部分があるように感じた。
言葉にできない感覚であるため、それをエルガンに伝えることも難しかったが。
『それよりいくつか報せがあるぞ。ディゴ荒野に潜伏していた敵の工作員と、大司教カウダックが逮捕された。これから総督主導で芋づるを狙った捜査を進めていくことになるだろう。それと協力者を9人、"鋤の魔女"がカブリの毒薬で毒殺したらしい。こっちは公式には病死と認められたそうだ』
『毒殺? イェザリ派は不殺の誓いを立ててるはずじゃ』
『正確には『自ら飲むように仕向けた』そうだ。反逆者の仲間として捕まれば処刑されるばかりではなく、遺族らもそしりを受ける。天核教も非難するだろう。であれば、せめて家族だけでも守ろうと自死を選んだとて不思議ではない。"鋤の魔女"はただ、そんな因果をそれとなく彼らに匂わせてから、手が届く場所に毒を置いていただけだ』
『サキュバスってのは恐ろしいもんだな』と結ぶエルガン。
死んだ協力者たちというのは、おそらく死んでもらった方が都合がいい人々か、実際には罪に問うのが難しい人々なのだろう。
『工作員や大司教は何か喋ったんですか?』
『カーギ・カリン絡みの連中はだんまりだ。他の雇われ共やらは大した情報も無いだろう。魂盗みで大司教から情報を引っ張る予定だが、それができる"霊の魔女"は高齢だからな、移動もあわせてかなり時間がかかりそうだ』
『でも、何はともあれ、これで統王側も連中を公式に認知できたわけですね』
『前から目を光らせてはいただろうがな。三角連衡の残党などは、最も注意を払うべき対象だろう』
『そういえばデルグンドラ諸侯との交渉はどうなったんですか?』
『武名は奴らには通じんから、俺が直接出向く羽目になったよ。まあ4人ばかし腕を折ったが、おおむね順調だ』
ディゴ荒野の工作員たちを捕まえられたのは、魔女協会が秘密裏に動いたからだ。
だが諸侯らにとっては、よそ者が自分らの土地で勝手に秘密作戦を行なったということである。
縄張りに許可なく踏み入り、あまつさえ捕り物など、面子に泥を塗る行為だ。
怒りを覚えるのは当然であり、その怒りに応対しているのがエルガンなのである。
『情勢自体はまだまだ不安だが、こちらは大丈夫だ。お前はお前のことに集中してくれ』
『了解』と返し、就寝前の挨拶を交わし合ってから相互紙を閉じる。
結局、"兵の魔女"についてはちゃんと話せなかった。
心の底に曇り空を抱えながらも、カンテラの火を消し、二枚重ねの毛布に包まる。
完全な闇の中で天井を見上げていると、ただ目を閉じているよりも様々な思いが頭を巡った。
行きがかり上とは言え"鋤の魔女"とした、初めてのキスのことと、その感触。
アイランに対する正体不明の感情の正体について。
思い返しても、考えても、ただ黒雲は広がり、心臓には微かに締まるような奇妙な緊張が走る。
それを吐き出すように強めに鼻息を吹いて、それを遮断するように目をつぶる。
最近の自分は、何か、どこかがおかしい。こんな気分は初めてだ。
そして、この気分は、あえて分類するならば、不快だ。
気分そのものの正体が不快さなのではなく、自分がそんな気分を抱いていることに言いようのないもどかしさや苛立ちを感じる。
自分が変わりつつあるのは自覚しているが、いつもの自分と違うという事実が不安さをも助長する。
だがそれでも、目を閉じればほんの少しだけ楽になった。
肉体と魂が本能的に眠ろうとして、機能を弱めてくれているおかげなのだろう。
一人で眠るには大きなベッドも、微力ながら安心感を補強してくれた。
が、ほぼ眠りに落ちかけてきた頃、微かな息吹を感じた。
顔に当たる温もりと、震えながら響く吐息の音。
冷たい空気と強張った表情筋をほぐすような、常ならぬ感覚に何の気なしに半目を開ける。
その先にあったのは、真黒き影。目と鼻の先の位置にある、誰かの顔であった。
眠気は一瞬で吹き飛んだ。
息を呑んで咄嗟にカンテラの方へ手を伸ばすが、その手も制される。
だが手首を掴む力は強かったが、その感触の形は細かった。
そして、その意味に思いが至るのとほぼ同時に、影の手はクロスの手首を離して自らカンテラを撫でた。
カンテラの灯火がともり、薄明かりが影の顔を照らし出す。
「今晩は忙しくなるって、言ったでしょう?」
それはアイランの顔だった。
うっとりと目はとろけ、頬は赤く、息は発情した狼のように早い。
悦びと興奮に開かれた口から覗く犬歯はヨダレによってぬらぬらと光り、蜘蛛糸のような輝く唾液の線を残す。
とろけ、崩れきった表情は喜悦に満ち、肉にかぶりつかんとする獣を思わせた。
だが血は凍らず、むしろ熱くたぎった。
クロスは違和感の正体を知ったのだ。
寝床で横になる自分に覆い被さり、見下ろされる状況。
唾液でぬらりと輝く犬歯。
なでるような、誘うような甘い声。
美しく、情を煽るような顔。
既視感。それが正体だ。
クロスの最初の記憶、最初の魔女の姿。
「あなたは……!」
アイラン・ヘルゼンデル。
彼女こそが、最初の記憶の魔女なのだ。
「この時を、ずっとずぅっと、待ってたわぁ」
自ら黒衣を破り、火照った朱が微かに差す、きめの細かい白肌をさらす。
逃すまいとするように足を絡ませ、そして力強く、唇を重ねた。
クロスは状況に驚き、戸惑ってはいたが、理解もしていた。
圧倒されてはいたが、胸元に滑り込む彼女の手の感覚に、身を任せてもよいとも思えた。
この夜、クロス・フォーリーズは"大人"になった。




