兵の魔女6
"兵の魔女"は世襲制、それも厳格な直系によって成り立つ。
代々の"兵の魔女"は性欲が旺盛で、特定の夫を定めず、強い種を持つと見るや犯しては孕み、産んではまた犯した。
妊娠期間はおよそ半年と短く、身重であっても任務がこなせるよう、子宮周辺で衝撃を緩和する筋肉が発達していた。
これは同時に出産の負担を減らすのにも役立ち、彼女らは子を産んだその日には通常と変わらない状態に回復ができた。
こういった生態も全て、"兵の魔女"の力を確実に後世へ残し、魔女を守り続けるため初代"屍の魔女"が用意したものである。
本能的に強い種を探り当て、子を産む。それを繰り返して数多く産まれた娘御の中から一人を選び、"兵の魔女"を継がせるのである。
男子が産まれた場合には、即座に"屍の統率団"に引き取られ、15歳まで育てられた後に"死人の軍勢"へと加わらせていた。
女子には足腰が立つ頃から厳しい訓練を施し、選別と処分を重ねて強いものだけを残す。
それは魔女王国の国策であり、最強の兵器の維持システムであった。
だが、魔女王国が崩壊。更にはカシィ地方からネディーク地方への所替えで、維持のための組織的な態勢と設備が失われた。
しかしそれは"兵の魔女"にとって比較的平和な時期が訪れたことも同時に意味していた。
戦乱の時代が終わって危険な任務は目に見えて減り、治安維持や安定のための運用が代わりとなった。
故に、アイランの母であり師である先代の"兵の魔女"アラメイン・ヘルゼンデルは、天寿を全うした初の"兵の魔女"となった。
統暦15年、アラメイン・ヘルゼンデルは自らの死期を悟っていた。
肉体は20代前半のままであったが、80歳ごろから技の衰えと睡眠時間の伸長、食欲と性欲の減退を感じ、床に就くことが多くなっていた。
この時、彼女には3人の息子と9人の娘がいた。
魔女王国崩壊後に産んだ息子らは始末に困って適当に養子へ出しただけで訓練はしておらず、後を継ぐのは不可能。
娘らは魔女王国時代に生まれた者が4名。これらは十分な訓練を積んでいたが、才覚は今一つであるように思われた。
魔女王国が崩壊し、ネディークが新たな魔女協会の地となってから生まれた者は5名。
こちらは魔女王国の十分な補助と設備の下での訓練が積めなかったため、才覚を見るという段階にすら至っていなかった。
アイラン・ヘルゼンデルは末の娘。当時7歳であった。
姉たちとは10歳以上年が離れており、そのせいで訓練では常に遅れをとっていた。
辛く当たられるわけでも、かといって特段優しくされるわけでもなく、姉たちはただ他人のように彼女に接した。
"兵の魔女"の娘として生まれついた者の運命を知っていたのだ。
姉妹とはいえ、互いの交流はほぼ無く、皆が日々己が鍛錬にのみ打ち込んでいた。
そんな姉たちの姿は、幼きアイランには奇妙に映った。
彼女は不撓の矛先よりも風にそよぐ花を好み、白刃の輝きよりもイノシシの子が眠る様を愛でた。
青空に鮮血を舞わせることもなく、野山を駆けては近在の子供らと年相応の戯れを楽しむような少女だった。
アラメイン・ヘルゼンデルから後継として期待されることもなく、厳しくしつけられることもなかった。
それがむしろ、彼女を奔放に、のびのびと人々の間で育ませた。
普通の人々と交流し、彼らの心情を学び、自らの心を養っていた。
そんな彼女にとって"兵の魔女"候補としての研鑽にのみ励む姉たちは理解ができないものであった。
自由時間に、雑木林でプアリを追いかけ、村の子供たちとチャンバラごっこを楽しんでもバチは当たらないはずなのに。
寝る前に少しばかり夜風に吹かれながら、漆黒の夜空に浮かぶ星々を眺めたらいいのに。
訓練の合間に飲む水に蜂蜜を混ぜたって、訓練の支障にはならないだろうに。
心の自由さ。それは母や姉妹たちの中で、"兵の魔女"としての将来を絶望視されていたアイランのみが持ち得た強みであった。
それが幸か不幸かはわからなかったが、アイランは疑いもせず「自分は将来誰かと結婚して平民として生きるんだ」と信じていたのだ。
ある日、彼女は母に呼びつけられた。
その日は朝から姉たちの姿も見えず、訓練場にも痕跡はなかった。
昨日一つ上の姉から借りた目釘抜きを返そうと思ったのに、部屋にいなかったばかりか、そこで眠った形跡すらなかったのだ。
重ねて、使用人や死人、住み込みで詰めている"屍の統率団"の魔女たちすら姿が見えない。
武骨で質素な石造りの屋敷は、普段からのいかめしさに静寂が加わり、霊廟のような冷たさを醸し出していた。
もし母からの使い鳥が届かなかったとしても、彼女は母の部屋へ赴いていただろう。
母の寝室へ着くと、アラメインは真新しい寝巻きに身を包み、床に就いたまま彼女を迎えた。
アイランはすぐに用を聞いて、用事を終わらせてしまいたかった。
それから朝の訓練と朝食を済ませ、早く外へ遊びに行きたかったのだ。
だが、いつになく疲れたような表情で横たわる母の姿がそれをためらわせた。
「人間はどうして死ぬかわかるか?」
母から問いを投げかけられたことなど、今までなかった。
指図や確認をされたことはあっても、人間性そのものに言い及ぶような会話など、これまでなかった。
「わかりません。心臓が止まるからでしょうか」と幼きアイランは答えた。
母は表情を変えなかったが、体を起こし、右袖をまくりながら「それは結果だ。私は死に至るまでの過程の話をしている。死に向かう理由のな」と前置いた。
「望もうが望むまいが、生き物は死へ向かう。死は全てに平等で公平だというが、それをもたらすものたちは公平に分配先を選びはしない。わかるな?」
口を開かず、ただ頷く。
本当はわかっていなかったが、有無を言わせぬ気迫があったのだ。
それに気付いたかどうかは分からなかったが、母は更に言葉を重ねる。
「だが、根本として、あらゆる死はただひたすらに無意味なものだ。その死が何をどれだけ救おうが、守ろうが、殺そうが、ひとつひとつの死は全く無意味だ。陵墓で飾り立て、葬儀で敬い、美辞麗句で惜しんだところで、何も起きはしない。そう知っていて尚、愚か者が如くそうする。どうしてかわかるか?」
頷きも首を振りもできず、ただ沈黙を守った。
答えてもらおうと思っていない問いだったからだ。
そして、若々しい外見のままで老いた母の、経験の深さを表すような迫力に圧されたからだ。
「それは人生に意味があって欲しいからだ。死が無意味ということは、人生が無意味であるということに他ならないからだ。歴史と誇りの否定に繋がるからだ。奴らはそんなものにしがみついてぶら下がって、弱々しい自我を何とか繋ぎ止めている、プアリにも劣った軟弱者だからだ。恐怖に対してできうる限り最大の反応を示さねばならない臆病者だからだ。無意味という真実に耐えきれない卑怯者だからだ」
「あの、私に何の用、でしょうか」
「昨晩、私の娘8人を互いに殺し合わせた。次の"兵の魔女"を決めるために。結果は全滅だ、誰一人生き残らなかった」
アイランは驚きで目を見開き、冷や汗をこめかみに滲ませた。
そんな末娘に構わず、残酷な事実が次々と解き放たれる。
「残ったのはお前だけで、私は余命幾ばくもない。既に選択の余地はない。どんな運命が待つかは計り知れないが、アイラン、お前が次代の"兵の魔女"だ」
姉たちを愛していたわけではない。だが嫌っていたわけでもないのだ。
生まれついた時から当たり前のようにずっといたもの、それが突然いなくなった。
あまつさえ、自分が"兵の魔女"を継ぐというのである。
たった一晩で、自分のあずかり知らぬところで、何もかもが起こったのだ。
「そんな、急に。それに姉さん、姉さんたちが、死んだ? 殺し合わせたって」
「選択の余地はないと言ったはず。継がぬと言うならばお前の存在は無駄だ、今ここで殺す。それもまたいいだろう。"兵の魔女"は絶えるが、私は構わない。どうせじきに死ぬからな」
「私が、継ぐの? そんな予定じゃなかった」
「予定は予定だ。実現していないのだから、最早何の意味も無い」
アイランは目に見えて混乱していた。
早熟とはいえ、7歳の少女に受け止められるような状況ではなかった。
「アイラン、姉たちの死は無意味だ。私の死も無意味だ。お前がもし今ここで死ねばそれも無意味だ。おそらく必要の無かった死だ。だが、そもそも必要な死など、この世には無い。ただの幻だ」
"兵の魔女"は魔導生物、作られた命だ。
初めから存在していないはずの命なのだ。
「何もかもが虚しい世界でただ無意味に生き、ただ無意味に死ぬ。それを肯定できるのならば、"兵の魔女"を継げるはずだ」
アイランは短剣を抜いた。
呼吸は乱れていた。
震える切っ先を母に向け、汗と涙の混じったものを顎から滴らせた。
「生き物に目的などない。ただ生きて死ぬ、ただ存在する、それが全てだ。たまたま生まれ持った姿で、たまたま生まれ持った性質のまま存在するだけだ。それこそが、命の本質であり、我々"兵の魔女"の本質だ」
袖をまくった右手を差し伸べる。
アイランは短剣を向けたまま、ゆっくりと、母に歩み寄った。
短剣が届く距離に入った時に何をするのかは、自分でも分かっていなかった。
涙は出ている。汗も出ている。呼吸まで乱れている。体温も上がっている
そこまで起きていれば、母を恨みも憎みもするかもしれない。
そんなことを考える自分もいた。
だが案に相違して、激しい怨嗟も嫌悪も敵意も湧き上がっては来なかった。
涙が出て、汗も出て、呼吸も乱れ、体温も上がり、目も充血したが、それだけだった。
肉体と脳が激しい反応を示してはいたが、魂は揺れ動いてはいなかった。
それは、日常を楽しんでいた時と全く同じ状態だった。
自然を愛で、遊びを好み、甘きに頬を緩ませる。それらはまごう事なき真実である。
だが同時に、彼女の魂はそれを取るに足らない些事だと理解してもいた。
感覚を喜ばせる、その歓びに全力で浸り実感していても、魂はそれを呼吸や鼓動と同じようなものとして消化していた。
感覚や感情が理解できないのではない。逆に、理解でき過ぎてしまっているのだ。
そして、彼女は選んだ。
短剣を落とし、差し伸べられた手を握ったのだ。




