兵の魔女5
「スロヴ共同体ぃ?」
中年男を見下ろしながら、やや不満げにアイランはこぼした。
「ハロバ卿から、直々に頼まれた。俺に、一人でやれって」
「ベタなとこねぇ、期待して損したわ」
民族主義に則って結成されたスロヴ人による秘密結社。それがスロヴ共同体である。
その源流は統王によって滅ぼされたスロヴ諸族が、怨恨と放浪の苦境から再結集したものだ。
反統王の旗のもと、部族間の対立を超え、団結した人々。
三角連衡の乱ではアーゲルン人と組んで一角を成し、統王の禁軍と戦って、敗れた。
今では単なる互助関係の証明にして、不法な自警組織でしかないが、それでも旗はまだ下ろしていない。
表立った過激な活動はほぼ無くなったが、それでもわずかな燻りが残っていないとは言い切れないのだ。
「ま、ハロバ卿ねぇ。どこで頼まれたの?」
「北区の、柱街。目隠しされたから、詳しくはわからない」
「衛兵に連れてかれたのぉ?」
「傭兵、みたいだった。皮鎧が、黒くて、タール臭かった」
──"流木団"だ。
クロスは即座にそう思い至った。
潮風対策と防水のため、彼らの黒い皮鎧にはタールが用いられている。
遠いモル・ニスの地にいるはずの彼らが、北の果てで何をしているというのか?
「ふぅーん、そういうこと。もういいわ」
口を尖らせながら数度頷くと、アイランは男の頭を鞠のように蹴って一撃で昏倒させた。
それから、平然と表通りへ戻る。
続いてクロスも表通りへ出ると、そこには人々の変わらぬ日常の往来があった。
だが、その日常そのものに、クロスは驚きを覚えざるを得なかった。
あの男の悲鳴やら呻き声やらが、間違いなく彼らにも聞こえていたはず。
なのに誰一人として、近づきも覗き込みもしていなかった。男も女も、衛兵たちすらも。
彼らはただ日常通りに道を往き交い、そしてアイランも日常通りであるかのようにその中を進む。
「どうしたの?」
驚きながら周囲を見回すクロスに気付いたのか、アイランは何の気無し、といった様子で訊ねた。
「いえ、その、あれだけ痛めつけたのに、何の騒ぎにもなってなくて。なんだか不気味ですよこの街」
彼はこの街を計りかねていた。
現界随一の、反魔女が根強い土地。その抑えのために置かれた"兵の魔女"。
だが両者の関係はそう単純ではない。
アイランが振りまく暴威と恐怖が人々を支配し、魔女への反感をかきたてる。
しかし彼らは甘んじ、弓をひくことも声を上げることもなく、無関心を装っている。
そしてそれらをそのまま、自らの日常へと昇華させてしまっているように思えた。
一体、どうして?
クロスには理解できない事柄であった。
「馬鹿ねぇ、クロスちゃん」
それをアイランは笑った。
幼子の素朴さを愛でるように。
「人間は、何だって生み出せてしまうのよ」
取り繕いの内に虚ろを抱えた人々の往来の中で、ただ一人心の底からの笑みを見せる彼女の姿に、何故か怖気が走った。
だが不思議と、目が離せなかった。ここの住人であれば背けるのが普通であろう。
しかしクロスは、"兵の魔女"から逃げはしなかった。きっと諦めもしないだろう。
「だから、街には私が必要なの。ここは最高の街だわぁ、私にとって全てがある」
それでも、静かに理解した。
ここは彼女の街だ。彼女はここの支配者だ。
哀れな羊の群れを鞭で統御する羊飼いなのだ。
たとえ、その鞭が笑いながら振るわれるものであろうとも。
彼女の振りまく恐怖が人々を駆り立てる。
力と恐れによる支配。この街は"兵の魔女"が生み出す世界そのものなのだ。
その中心で、彼女は笑っている。
高笑いでも優しげな微笑みでも嘲笑でもなく、揺りかごで眠る赤子のように。
「つまり、私もみんなも、この街のために何かをする、もしくは何かをしないのがだぁい好きなのよぉ?」
言葉を差し挟むことができなかった。
クロスはようやく気付いたのだ。自分が途轍もなく大きな動物の腹の中にいることに。
その動物は残虐で、飢えていて、そしてこの上なく几帳面なのだ。
"胞の魔女"は彼女を「ひたすら戦い、ひたすら食らうための魔導生物」と呼んだ。
それを聞いてクロスが想像していたのは荒れ狂う猛獣の姿。
だが、実際はそれの遥か上だったのだと思い知らされた。
力のままにひたすら暴れる獣ではない。丁寧に獲物を囲い、育て、一滴の血すらこぼさぬよう丸呑みする。
──怪物。
つい、その単語が浮かんでしまい、何とか必死に振り払う。
その様を見て、アイランはもう一度笑った。
日も暮れかけた頃、二人はアイランの家に戻っていた。
ひき肉と潰したカボチャと刻んだ黒ネギとすり潰したヤセギモロコシを水で練り、焼き固めたもの。
それをハーキッパとソカトゥナの安ワインで胃袋に押し込んでいく。
比喩表現でも何でもなく、まさしく押し込んでいるのだ。少なくともアイランは。
クロスの夕食の数倍ほどの量を、数倍の早さで丁寧に貪っているのだ。
その様にはただ驚嘆するばかりであったが、食欲が失せはしなかった。
あの後、二人はハロバ卿の邸宅へ向かった。
ハロバ・ヴ・セネイレ。れっきとしたスロヴ人の貴族で、コー・ナイルを興した王家の傍系の子孫である。
ハヴナ森林帯の一部を領有し、材木と毛皮を売って生計を立てている田舎貴族だ。
スロヴ共同体の一員としても知られているが、三角連衡の乱には直接関わらなかったため、仲間らが次々と処罰されていく中でも難を逃れた。
その後の改革によって現界の貴族が、単なる"領主"という雇われ司法役人としてのみ認められるようになると、行政区分の整理と所替えを経て数多の家が没落した。
民間と貴族の垣根はほぼなくなり、魔道士会のような組織力、魔女協会のような技術力、商家のような経済力と商才のいずれも有さないものは平民の群れの中に埋没するしかなかったのである。
その中にあって、ハロバ卿は組織力に恵まれたわけでも、技術力を培っていたわけでも、商才があったわけでもなかった。
コー・ナイル市中のスロヴ人たちからの税収で口に糊してきた家系であり、ハヴナ森林帯の土地も他のスロヴ貴族から投げうつようにして寄越されたあまりものだった。
しかし三角連衡の乱後、毛皮と材木はコー・ナイル、そして西のダグナマンバ大要塞で需要が高まり、それらを扱う才能と目ざとさを持ち合わせる者が放っておかなかった。
分離派を排除して新たな支部長に収まったアーリー・マードックが、森林帯を毛皮と材木の産出地として開拓する計画を統王に了承させたのである。
スロヴ人たちからの税収を失ってただ沈むはずだったハロバ卿は、こうして命を拾った。
自ら動くでもなく、ただの時の運が彼を生かしたのだ。
たとえ、その利益の大半を行政使府とマードックがさらっていくのだとしても。
そんな彼の邸宅は南区の優良地に建っていた。
建物と暮らしだけは立派なものをしつらえてもらっていたと見え、二階建ての屋敷にスロヴ式石庭の他、使用人に用心棒まで詰めていた。
防備も忍び返し付きの塀や格子窓で固めていたが、"兵の魔女"アイランにとっては階段を歩いて登るのと大差ない。
石垣や板塀のわずかな凹凸や隙間を指先でつかまえ滑るように登り切ると、忍び返しすら手掛かり足掛かりとしてしまった。
窓の格子は素手でひん曲げ、ガラスは針金を滑り込ませて留め金を外した。
そうして、速やかにハロバ卿と対面し、速やかに路地裏へ拉致、"尋問"に及んだのだ。
彼女であれば、真正面から乗り込んでもこれは可能であっただろう。
それをこっそり忍び込むことにしたのは、彼女なりの配慮であった。
尾行されていたという事実と、謎の四人の素性が不明であるという状態への警戒。
そして、無駄に使用人や用心棒を殺さずに済むよう行動したのである。
"尋問"はものの数十秒で完了した。
中年男に賄賂を渡して尾行を命じたのは自分だと認め、"流木団"を北門から密かに潜入させるよう手引きしていたことも認めた。
謎の四人については知らぬと言い、魔道士会分離派についても知らないようだった。
しかし尾行をさせたのも"流木団"を潜入させたのも自分の意思ではない、ある男に指示されたものだ、とも語った。
「それが何者なのかは分からない。でも私がマードックに毛皮と材木の販売価格を低めに報告し続けていたのを知っていて、従わなければ彼にバラすと脅された。もしそんなことをされれば、私の土地も家も彼に取り上げられてしまう。下手をすれば、そのあと路上で名前すらない誰かに刺し殺されるかもしれない! いや、先に殺してから土地を奪う、きっとそうだ!」
その怯えようは本物だった。ボンクラな田舎貴族が演じうる領域を遥か超えていたと言えよう。
それを見てクロスは「行政使府でこの話をさせて、領主に保護させよう」と言ったが、アイランの笑みは残酷だった。
「公にしちゃったら連中が撤退しちゃうかもしれないわ。大ごとになりすぎる危険もあるし、マードックが表で動けるようになるのも気に入らないわねぇ」
彼女が下した決断は「放置」だった。
その決断がどういう意味を持つものか、クロスにはわかっていた。
ハロバ卿は恐らく、殺されるだろう。
マードックか黒幕の男か、いずれにしろその命は長くない。
扱われ方が、完全に使い捨てのそれなのである。
中年男は衛兵という公職者故に保護されているが、ハロバの卿は単なる自称に過ぎない。
彼は結局、いち地主でしかないのだ。
スロヴ共同体も、今やどれだけの力が残っているのか、怪しいものである。
外圧に屈し、ハロバ卿の抹殺に見て見ぬふりを決め込むことは十分にあり得た。
どれも推測で、先のことはわからない。
だが、今ここで、彼を守れるのは魔女協会、ひいてはアイランしかいない。
その彼女が「放置する」と決めたのだから、クロスには何もできないのだ。
そのことを、クロスは食事の最中ずっと考えていた。
どうすれば目の前の怪物を説得できるのか、何を言うべきなのかを。
「浮かない顔ねぇ、クロスちゃん」
それを察してか、アイランの方から声をかけてきた。
無論、全ての食器を空にした上でではあるが。
クロスは少しだけ逡巡し、目を泳がせた後、意を決して答える。
「ハロバ卿は契約法に違反し、違法な軍事ほう助をした上、賄賂まで使いました。でも」
「でもぉ?」
「その、死ぬのは、あんまりだと思うんです。自業自得だとしても」
「死ぬとは限らないわよぉ? あいつにはしっこさがあって、強かさに目覚めて、賢く立ち回って、持ち前の悪運が発揮されれば、生き残るかもしれないわぁ」
「わかって言ってますよね? 絶対そんなことにはならないって」
「当然」
横を向いてワインの盃を傾けながら、歯を見せて笑む。
「どう転んでも、最後には私が殺すもの」
それは絶望的な推測だった。
マードックや黒幕が消さなかった、もしくは消せなかった場合であっても、彼女が消す。
こうなったからには、いずれ任務の一環として手に掛ける状況に陥るだろう、と。
それは任務であり、魔女の決定であり、巨大なる意志のもとで手足が起こす蛮行である。クロスには止めようがない。
「アイランさんは、どうして"兵の魔女"になったんですか?」
彼にできることは二つ。
「見届ける」、そして、「訊ねる」。
そこにどこまで自分の意思を差し挟むべきなのか、彼自身もまだ手探りであった。
しかし純粋な興味もあったのだ。「なぜ殺すのか?」。それを知りたかった。
「協会長様から聞いてないのぉ?」
「"兵の魔女"の、厳格な世襲については聞いています。でもアイランさんは魔女協会時代では初の"兵の魔女"ですし」
「ふぅーん」
革袋から新たなワインを注ぐ。その目つきはクロスを探るように鋭く光った後、元の笑みを作った。
今日一日、行動を共にしたが、違和感は消えなかった。
ただ脳の奥でうごめく、不確かな思いが告げていた。
「彼女を知らなくては」と。
「ま、いいわよぉ、簡単に話してあげるわぁ」
新しいワインを傾けながら、肴の一つと言わんばかりにアイランは話し始めた。




