兵の魔女3
統暦19年、ハブシャナーの街で一人の少女が死んだ。
年齢は14歳。強姦された後、腹を刺されて路地裏の家壁に打ち付けられていた。
歯は残らず抜き去られ、殴られた顔は腫れ、目は涙を流したまま光を失っていた。
磔られた壁の横には、彼女の血で「魔女め」と大きく書かれていた。
だが、彼女は魔女とは何の関わりもない、ごく普通の町娘だった。
犯人は少女を魔女と思い込ませて、捜査を攪乱しようとしたのだ。
罪もない少女を犯して殺すような犯人にとって、この程度の卑劣さには何の躊躇も覚えなかったことだろう。
そしてこの作戦は大成功を収めた。
魔女王国崩壊後も権勢を誇り、寧ろ統王の庇護下で益々影響力を広げる異端の魔女たち。
多くの一般人たちにとって、それは心情的には決して歓迎すべきものではなく、目障りであるとさえ言えた。
魔女たちの技術で農業が進歩し、采配で経済が整理され、進言で衛生環境が改善され、日々の暮らしが豊かになったとしても、彼らの目に映るのは女でありながら権力を貪る"お高くとまった連中"の集まり。
「新参者のくせにデカい顔をする」魔女は、この時期多くの場所で忌み嫌われていた。
故に、近隣住民は屯所の衛兵らの捜査に非協力的であり、犯人の目星も手がかりも一切掴めなかった。
捜査班の得た成果はただ一つ。現場の遺体と血のシミが思っていたより早く片付いたということだけだった。
遺族は当然、少女は魔女ではないと主張し、一向に進展しない捜査に抗議もした。
だが全く成果が得られず、その見込みも無い捜査。
凶器すら見つけられない有様では、諦める、との決断を下さざるを得なかった。
二日後、同じ現場で男の死体が見つかった。
右手首を切り落とされ、腹に釘を突き刺されていたが、致命傷となったのは脳の挫傷。
その原因は切り取られた己の陰茎を深々と左目に突き立てられたことによる。
空いた右目には薔薇が一輪突き刺さっており、腹部に刺さった釘には唾液が付いていた。
街の人々は口々に、この男が事件の犯人だと噂し合った。
少女を犯して殺した男なのだと。
それと同時に、これを執行した者の話も口に上った。
魔女を殺したせいで、魔女が怒った。伝説の怪物が差し向けられた。
美しく、それでいて傷つけることしか出来ない薔薇。名にし負う剣。
"兵の魔女"が来たのだ。
更に翌日、別の男がモズのはやにえが如く尖塔に突き刺さって死んでいた。
前歯が一本抜き去られ、その穴には深々と薔薇がねじ込まれていたという。
表情の歪み方から歯の抜去と薔薇の挿入は生前に行われたようで、薔薇の茎は歯茎を貫き、鼻腔の奥まで入り込んでいた。相当な苦痛であっただろう。
15mを超える塔の壁面には煉瓦のわずかな凹凸があるのみで、中に常駐している当直の衛兵は死体が発見されるまで異常に気づかなかった。
男は先日死んだ犯人の従兄弟で、その自宅の床下からは少女の腹を刺した千枚通しが見つかった。
二時間後に、彼の息子が自ら屯所に出頭して全てを告白した。
自分と父と叔父の三人で少女を強姦し、殺したこと。
差し歯として高く売れるので、歯を全て抜いたこと。
そして、捜査を妨害するため壁に文字を書いたこと。
洗いざらいぶちまけて、最後には泣きながら伍長の足に縋りつき、請い願った。
「どうか助けてください、私は父と叔父のように殺されてしまいます」
「どんな刑も受けます。死刑だって構いません。でもあんな風に死ぬのは嫌なんです」
彼はひとまず、屯所の勾留所にブチ込まれた。
檻の中で、看守に見張られながら糞をしなくてはならなかったが、少なくとも安全には思えたことだろう。
その翌日、彼の死体が発見された。
彼は自分の房で寝床に横たわり、毛布すら掛けたままだった。
だが顔が、もぎ取られたように、あるいは千切り取られたように、存在していなかった。
目や鼻や口どころではなく、顔面の筋肉や骨、脳の一部までもが無く、筒の先端のような血塗れの空洞だけがそこにあったのだ。
目を覆いたくなるような傷の周辺部には唾液が付着しており、大体は大量の血と混ざり合っていた。
彼の死体は異様に腐敗が早く、夜の間に殺されて、朝方看守に見つけられるまでの僅かな間で、強烈な腐敗臭を完成させていた。
最早、噂は噂ではなくなっていた。
魔女の放った怪物の噂に、事実を捉えた情報が合流し、幾つもの像を生み出した。
暗殺者。鮫と人の末裔。魔女の抑止力。魂喰らい。薔薇と双剣。処刑人。哄笑する聖者。
"兵の魔女" アイラン・ヘルゼンデル。
人々は一連の事件を、この忌まれる名と結びつけた。
それは憶測ではなく真実であった。
無辜の少女を魔女と騙って辱めて殺し、魔女の名を著しく貶めんとした。
その罪人に、彼女は正確な罰を下したのだ。
踏んではならぬ尾を踏み、安易に用いてはならぬ名を用いたのだと知らしめるために。
愚かしくも哀れで、決して許せぬ者たちに茨を振り下ろした。
"兵の魔女"とアイラン・ヘルゼンデルの名は天下に轟いている。
影から剣を伸ばす暗殺者として、名が知れ渡るのは致命的だ。
にも関わらず、任務が未完に終わったことは無い。
その事実が、彼女の実力と伝説の信憑性を証明していた。
そして誰もが、目を瞑り、口を噤んだ。
民草も、衛兵も、遺族も、領主も、役人も、善人も、悪人も。
彼らの殆どはそれを恐怖のせいだと自らに納得させたが、沈黙を守った理由を心の底ではわかっていた。
必要だったのだ。
この出来事すべてが。
街の酒場は、昼でも盛況なものである。ましてや魔道士会の酒場なら。
情報交換に訪れた魔法使いたちに、彼らに商談を持ちかけにきた商人たち。
安くてうまい料理を求めにきた者もいれば、昼から酒を飲みにきた者、ついでに販いでいる小物を買いにきた者。
卓上で遊戯に興じる者たちもおり、世間話や賭けの喧騒で包まれていた。
だが、その全てが、一息に開け放たれたドアの音と同時に静止した。
細身の体に黒衣、黒いとんがり帽子の鐔には薔薇の刺繍、そしてサメのように尖った歯を見せながら浴びせかける笑み。
"兵の魔女"へと、即座に警戒と敵意の視線が注がれた。
だが彼女はそこをまるで無人の野が如く、臆することなき愚者のように、あるいは王者のように歩き進む。
そして、彼女のために常に空けられている席に腰を下ろすと、ドアのところで立ち尽くしているクロスへ手を振った。
途端に、同様の視線がクロスにも注がれ始める。
その威圧に押されるように、駆り立てられるように、慌ててクロスも否応なく同じ席に駆け込んだ。
今はこの魔女の傍にいないと、どんな目に遭わされるか分からない。
だがこの魔女こそが、自分をどんな目に逢わせるかわからないのだ。
今の安全を追うために、更に大きな危険に身を寄せざるを得ない。
そして"兵の魔女"も、笑顔を以ってそれを受け入れるのである。
「今日の興行は終わりよぅ。もっと激しいのがお好みなら、要望待ってるわぁ」
そう呼びかけながら気の抜けた笑みを投げかけると、周囲の人々は何事もなかったかのように各々の営みを再開した。
先ほどまでの尖った視線などどこ吹く風、静寂など初めからなかったかのように。
もしくは、無理してそれらを払拭するかのように。
「あの、"兵の魔女"さん」
「アイランでいいわよぉ?」
「いえ、あの、そういうわけには」
「そう呼ばないと小指の第一関節切り落としちゃう」
楽しげに脅す彼女の口調に言い知れぬ不安を感じる。
本気なのか冗談なのか、どちらにせよ、本気の可能性が僅かでもあるならば従うのみであった。
「アイラン、さん」
「何かしら?」
だが笑みを絶やさぬのは、上機嫌であるが故に思えた。
「ここって、その、周りは」
「そうよぉ、ここは魔道士会が経営してる魔道士の溜まり場。『回る大杖亭』よん」
「反魔女の街の魔道士会って、敵地じゃないですか! どうしてこんな場所に!」
「敵の情報は敵から聞くのが一番早道で確実だって思わなぁい?」
声を潜めながらも焦って問いただすクロスに、余裕綽々で返すアイラン。
対照的な二人の卓に、無愛想な給仕が食事を運んで来た。
まだ何も注文していないのに、である。
「まぁ、まずは軽く腹ごしらえしましょ?」
運ばれたのは、丸々一尾のヒョウガンマスと氷白菜、プアリの肋骨、ハーキッパ3本をラードで煮たものを一皿に詰め込んだ大盛料理二つ。
それに、ハグラネギとゴラのチーズを練り込んだ、ヤセギモロコシのパンだ。
ヒョウガンマスは古来よりコー・ナイルに住む者にとって主要な食料であり、収入源である。
スロヴ人たちが井戸城を建ててまで漁場を確保するほどの重要な資源で、今は冬の間山に篭ろうと遡上するオスたちで川は溢れる。
オスは上流の凍った川の中で氷漬けになって冬を越し、栄養の豊富な夏に下流のハヴナ森林へ下ってメスと交尾をするのである。
メスは生涯下流域に住み続け、そこで産卵と子育てに励む。そうして生まれた子供らは成魚になり次第、オスは上流へ向かいメスは留まって新たな営みを形作るのだ。
そのため、全ての川を堰き止めでもしない限り、遡上するオスをどんなに捕っても全体数はほぼ変わらない。
山籠もりのため夏の間にたっぷり栄養を取ったオスは味もよく、コー・ナイルはこの時期最も潤うのだ。
ハーキッパはこの土地の郷土料理で、トグナイアの麓に生息するセマワリイモムシを潰し、水でパン粉と練り合わせたものを棒状に成形した料理である。
そのまま焼いて食べることもあれば、汁物に入れて食すこともある伝統食である。
ヤセギモロコシは見た目こそ枯れたトウモロコシに似ているものの実際は全く別種の穀物であり、競争率の低い寒冷地帯に適応した作物である。
未加工でも保存が利くが、ただ挽いて練るだけでは木屑のような味と食感でとても食べられないため、半日土中に埋めた後二日間水に漬けたものを潰してパンにする。
その際にはチーズや肉、香りの強い野菜等を練り込んで、乏しい風味を補うことが多く、ハーキッパにもこのパン粉が使用される。
これらの料理はこの地方独特のもので、他の地域ではまず食べられない。
ヒョウガンマスの生息地はここの他には魔界に二箇所しかないのだ。
その重要性たるや、この街に住む人々にとっては言い尽くせぬ程である。
"兵の魔女"がこの料理を気に入っている。その事実のみで生き長らえている命が確かに存在するのだから。
異形めいた歯を惜しげも無く晒しながら、アイランはヒョウガンマスの頭を口に押し込む。
彼女の歯を見るたび、クロスはむず痒いような、もどかしいような奇妙な気分に駆られた。
そして、その気持ちを推しやるために、料理を口へ運ぶのだ。
ヒョウガンマスの肉は乾いたような食感だったが、ラードで煮たおかげで噛むほどに程よく解れ、蕩けた。
臭みは少なく、それでいて味はパンチ力がありクセが強い。
淡白な氷白菜や、優しく仄かな甘味と柔らかい食感のハーキッパは絶妙な組み合わせと言える。
最も長時間煮込んだであろうプアリの肋骨はそのまま食べられるほどに柔らかく、軟骨のような食感を残す。
パンはかなりガサガサだったが、チーズとネギのおかげで風味が、ラード煮のおかげで食感が、それぞれ「まあマシな部類かな」と思える程度には持ち直してくれていた。
「結構、美味しいじゃないですか、この料理」
地の果てでする食事に何の期待もしていなかっただけに、素直な驚きがあった。
「でしょぉ? この店は仕入れに魔道士会のツテを使ってるから、こんな場所でも良い食材が揃ってるのよぅ」
「すごくいいラードですねコレ。こんなの初めて食べたなあ」
クロスが一通り味見をする頃には、アイランはもうヒョウガンマスとハーキッパとパンを平らげて、氷白菜でプアリの肋骨を巻いてちまちま食べていた。
ラードがまだ熱いままでも、涼しい顔をして汗ひとつかかず器に手を突っ込みながら、話していた。
「ラード、って、どうやって作るか知ってるぅ?」
そう訊ねる彼女の声色には、何か引っ掛かるものがあった。
尋問されているような、忍び寄る圧迫感があった。
「セコブイノシシの脂身を集めて、魔石に刻んだ術式の、自動氷魔法で凍らせて、保存する、んですよね? 確か」
「そうよぉ。こんな僻地に運ぶには、とぉっても手間がかかるし、牧場業者、加工業者、輸送業者、魔石業者等々、色んな出費を呑まなきゃいけない。ここの換勘場の取扱表じゃラードは対象外だし、本来こんな酒場で出すような値段で取引しちゃあ、大赤字間違いなしの食材なのよぉ?」
器を持ち上げ、見せつけるように残ったラードを舐め取る。
クロスがまだ半分も食べていないうちに、彼女の器は空になっていた。
「えっ、それじゃ、どうやって」
「セコブイノシシの産地は、どこかしらぁ?」
「魔界領デレト、魔界領カガチ、えっとあと、フランド南部一帯でしたっけ」
「そ。フランド南部は統王の戦後復興策でアーゲルン人たちが沢山入植して、役刑が課された囚人たちと共に開拓した牧場地なのよぉ。アーゲルン人たちはごく普通の開拓民だったんだけど、囚人たちの多くは統王に征服された捕虜どもで、統王への敵愾心を燻らせていた。だから厳重に監督されて棲み分けられていたんだけど、監督官は皆現界人で、アーゲルンの魂感応を言葉や命令でしか知らなかったの」
歯に残った油まで、傷つかないよう器用に舌で舐め取る。
その様は奇妙な怖気のみならず、扇情的ですらあったが、今のクロスはただ背筋を寒くするばかりであった。
「慎ましやかで互いに助け合い、天よりも人に重きを置く純朴なアーゲルンの開拓民たちは、囚人の激しい怒り、憎しみ、嫉み、悔しさに感化されてしまったわぁ。そうして彼らは、やがて自分たちを"虐げられた民"と思い、以前には思いもよらなかった排外的な民族主義に染まっちゃったの。そこを、三角連衡が利用した。具体的にはスロヴ・アーゲルン連合が彼らを懐柔して協力させたのよぉ」
「それで、どうなったんですか?」
「当時のスロヴ・アーゲルン連合は武断派が多くて農地経営や経済取引は不得手だったから、支配地の経営は魔道士会の分離派にやらせてたの。商人を統括し、いくつもの輸送路や販路、経営のノウハウを抱えた魔道士によって彼らも富み、スロヴ・アーゲルン連合が蜂起するための資金源の一つへと成長したわぁ」
だが、彼女の話しぶりと笑みは、続く話があることを示していた。
"兵の魔女"好みの、面白おかしいオチが。
「そのあとでぇ、三角連衡の乱が起きたんだけど、いざ本番ってその時に、魔道士の一人が裏切ったのよ。騙し討ちで同胞の魔道士たちを全員捕まえて、後方支援の4割を遮断した。結局はそれが決め手になって、統王の禁軍はゴミみたいな損害だけでスロヴ・アーゲルン連合を滅茶苦茶に叩きのめして滅ぼしたのよぉ」
手をパンと叩き、甘い吐息を漏らす。
声は跳ね踊り、口調には無邪気な興奮が被さっていた。
「フランド南部のアーゲルン人は投獄され、殆どが刑死したわぁ。牧場地は屯田制で2年間経営した後、民間に払い下げられた。誰が買ったと思うぅ?」
アイランが何故この話をし始めたのか、クロスは理解した。
それでいてなお、頬張ったハーキッパを無言で飲み下した。
「分離派を裏切った魔道士よ。裏切りの褒賞として貰った土地を売った金と、私財を捌いた金で牧場地を買って、のうのうと魔道士会に復帰したのよぅ。しかも自分が裏切ったせいで捕虜になった分離派魔道士たちが嘆願で助命されると、設計師や魔石技師、コネ要員として雇い入れ、そして自分自身はなんと僻地とはいえ魔道士会の一支部長に収まった。かつて裏切った仲間を部下としてコキ使い、恥じ入ることなく復活を遂げ、格安のラードをどこにでも届けられる男になった」
裏切りと調略は平素の邪道であっても戦の常道である。
とはいえ、言外の節度、無言の名分というものがある。
裏切りには裏切りなりの道徳があり、無法者は蔑まれるのだ。
だが、どこまでも厚顔な者は、不運さえ引かなければかえって繁栄するものである。
誰もがそれを蔑んでいても、富と地位は平素の常道なのだ。
「そいつに会いに来たのよ。だからぁ、早く食べちゃいましょぉ?」
何を話しながらも決して崩れぬ笑顔に、クロスは一筋の汗をこめかみに滲ませた。
そして、匙を口へ運ぶ手を早めるのであった。




