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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
兵の章
80/211

兵の魔女2

「私は兵の魔女。兵の魔女アイラン・ヘルゼンデル」


「恐れ入ります」



想像していたよりも遥かに支障なく、儀式は遂げられた。

微笑む"兵の魔女"の顔色には屈託もなく、脇に置かれた招待状も鮮やかな切り口で開封されている。


ひとまずは、元来の役目は果たした。

学会への招待状を届け、儀式を終え、謎めいた伝言も伝えられた。

あとは間を置かずに立ち去り、次の目的地へ向かうが吉であろう。


だが、どうしても、疼くような、囁くような好奇が抑えられなかった。

見るべきではない本性を見せぬ魔女の、柔和で、どこか神秘的な輝きを帯びた姿。

その奥にあるものが気にかかって仕方ないのだ。

元々好奇心は人並み以上のクロスであったが、ここまで強く惹きつけられるような気持ちは未経験だった。

背筋がざわつくような、体がぐらつくような奇妙な感覚。

脳と魂の奥で感情が目詰まりを起こしているような、冷たさとも温かさとも言えぬ直感。

そしてそれらの異常を、クロスは自覚していた。故に、立ち去る気にはなれなかったのである。



「さぁ」



椅子から立ち上がり、体を傾けてクロスの顔を覗き込む。

その視線に反応してつい目線を合わせてしまったが、瞳の奥の狼狽を知ってか知らずか、彼女はぬらついた犬歯を覗かせた。



「お茶にしましょう」



この声だ。優しげだが、力なく、絡みつくように響く。

彼女の声と姿には、魂を揺すられるような、痒みを覚えるのだ。




トグナイア連峰は一年中雪をまとった最北端の僻地であり、実質上の世界の果て、人類の支配と開拓が及ぶ限界地点である。

その山腹ではフルアシと呼ばれる毒草が採れるが、これを麓の土に二日間埋めた後、寒風に曝してよく乾燥させると茶葉として使えるようになる。

フルアシ茶は苦味は強いが渋味は少なく、仄かな酸味が残る味わいで、蜂蜜を加えると美味さが三倍になるとも言われ愛好家も多い。

だが激しい冷え込みのせいで連峰周辺では養蜂が出来ず、産地からも遠いため地元民はストレートで飲むか、もしくは熟した果実を潰して加える。

味わいで言えば蜂蜜入りに遥か劣るものの、地元民の多くは強がりを言いながら苦い茶を飲むのだ。


「はぁい、蜂蜜よぉ」


だが"兵の魔女"は平然と、茶卓の上に蜂蜜壷を置き据えた。

手にとって蓋を開けてみても、紛うことなき本物の蜂蜜である。

腐っても固まっても古くなってもいない、新鮮な状態で。


「これ、どうしたんですか?」


匙で掬ってカップに入れると、湯の温みで解けて混ざる。


「"群の魔女"に注文して届けさせたの。なんたって、大切なお客様がお越しになるんですからぁ」


口の端を吊り上げ、己は蜂蜜を入れずに茶を一息で飲み干す。

それからカップにもう一杯注ぐと、それもまた一息で飲み干した。

ストレートだと舌が痺れるような苦味が走るはずだが、当人は至って心地良さそうに息をつく。

陶然と、どこか恍惚としたような、蕩けた目尻。

並んだギザ歯の奥から一瞬覗かせた舌の長さに、クロスはますます魂が疼いた。


知りたいことが沢山ある。

だが、何からどう切り出すべきかがわからない。


そのようなもどかしさの中で、先に口を開いたのは"兵の魔女"の方であった。


「聞いたわよぉ? 各地で大活躍だそうじゃなぁい? 協会長様も鼻が高いでしょうね、素晴らしい後継が出来てぇ」

「いえ、そんな、私なんて、まだまだです」


どもるように言葉が途切れたのを誤魔化そうと、茶を啜る。

その間に、"兵の魔女"はもう三杯目を空にしていた。


「カギマノには会ったかしらぁ? ごうつくで因業の銭ゲバデブゴブリンの」

「はい、会いましたけど、その、そんなに悪い人には見えませんでしたよ」

「あっはは! 楽しい冗談!」


無邪気な笑顔の前でぱちぱちとはしゃぐように手を叩いてみせる。

アッサルートも憚ることなくカギマノの悪口を言ってはいたが、少し会った印象では悪人のようには感じなかった。


「あいつの弟、三角連衡のルネイ国人衆に合力してたんだけどねぇ、ルネイの連中、負けたらその縁を頼ってカギマノに逃亡先と手段を用意させたのよぉ。お陰で仕事が簡単だったわぁ」

「え、それってつまり」

「逃げ散った連中の潜伏先の情報はねぇ、あいつから買ったのよぉ? だからあいつは、一生わたしたち魔女から離れられないの。弟の首を返してやった義理もあるからねぇ」

「そんなことが」

「商人は皆そんなもんよぉ。でも、だからこそゴルゴリン・ゴブリンは魔女にとっては信頼に足る共犯者なの。それを知ってるから、統王だって重用しているのよぉ?」


六杯目で遂にポットが空になった。

茶のおかげか、それとも軽く話を交わしたおかげか、緊張は幾分和らいでいた。

そうなると、先ほどはもつれて絡んだ疑問がするすると口をついて出るものである。



「あの、入ってくる時に言った暗号って、どういう意味なんでしょうか?」



暗殺者に下す暗号指令など、おおよそろくでもないに決まっている。

だが気になって仕方がなかった。自分が運んだ積み荷の正体を、知らずにはいられなかったのだ。


"兵の魔女"は首を傾げながら、再び犬歯を見せるように口の端を吊り上げる。

罠にかかった獲物を睨めつけるように。

そして音もなく立ち上がると、クロスの顔を見下ろしながら、一声。



「それじゃ、行きましょう」







小屋を出た二人は軍用路まで下ると、そのまま東へ、つまりはコー・ナイルへ向かった。

寒風にコートの襟を寄せながら、前をゆく"兵の魔女"の後ろ姿を見る。

室内と同じ格好で寒くないのだろうか、などと考えながら。


だが懸念に反し、彼女の足取りは軽く、肩も震えていない。

吐息も常に白く、殆ど寒さは感じていないようだった。


「薔薇の意味は知ってるわよねぇ?」


歩みを止めることなく発された言葉にも凍えは無い。

クロスは「はい?」と訊き返すので精一杯であったが。


「葉脈は敵の情報筋、つまりは諜報員。根はその黒幕のことよぉ。それで"万事に小鳥無し"は"手助けは出来ない"って意味。これを踏まえてぇ、暗号を言い直すと、こう」


指先をくるくると回しながら解説をするのは、彼女の癖だろうか。


「『敵の諜報筋から黒幕を叩け。ただし助力は無し』ってとこかしらぁ」


指令を下すだけなら、相互紙でも十分なはずである。

それをわざわざクロスに届けさせたということは、"兵の魔女"を手伝えとの言外の指示なのだろうと解釈していた。

だが"兵の魔女"への指令にハッキリと、自分を"手助け"の範疇に含んでいないと明言されては、困惑せざるを得なかった。

では自分は何のために送り込まれたのか? それは勿論、招待状を渡すためだろうが、彼女の仕事を見届けなくても良いのだろうか?


ただ、どちらにしても、やはり衝動には抗えない。

彼女の一挙手一投足には、何故か強く惹きつけられるのであった。



「あの、それで、どうするんですか? たった一人で手がかりもなしに」



訊ねると、"兵の魔女"は一瞬だけ横顔をクロスへ向けた。

ただそれだけでも、何だか胸が詰まるような思いがした。


「手がかりを探しに行くのよぉ? 聞く限りじゃ、敵の組織力は中々のものだわ。それならコー・ナイルにも枝が伸びてるはず。そいつをへし折りに行くの」

「あてはあるんですか?」

「街そのものがあてよぉ」


話している間に、コー・ナイルの西門が見えてきた。

板壁と空堀で囲まれた街は堅牢とは言えず、門も薄く古びている。

門衛は数人立っているものの、皮鎧に毛皮の帽子、背丈と同程度の槍一振りと軽装である。

そんな彼らには目もくれず、"兵の魔女"は通り抜けようとしたが


「待て」


一人の若い門衛に遮られてしまった。

その瞬間、他の衛兵らがギョッと目を剥いて若い門衛を見たが、当人はそれに気付くはずもない。


「通行証か身分証はあるか?」


彼はただ、己の職務に忠実なだけなのだ。

トグナイア連峰から吹き下ろす寒気よりも冷たい空気など察しようもないのだ。


"兵の魔女"はジロリと彼の表情を見遣ると、その無知を見抜き、魔女帽の鍔をつまんで挨拶するように下げた。

鍔に刺繍された、己が薔薇の紋章を見せるためである。

紋章のモチーフに使用するのを禁止されている薔薇、その形を抱くのはこの世でただ一人だけだ。

それを見た瞬間、若い門衛は青ざめて硬直した。



「あなた、新顔さんねぇ? どこから来たのぉ?」



若い門衛は乞うような視線を仲間に送るが、仲間らはそれとなく視線を外して仕事に従事するフリをした。


「いつわたしの街に来たのかしらぁ?」


詰問から逃れ得ず、また容赦も知らぬ相手であるのは明白である。

であれば、覚悟を決めて答えるしかなかった。


「王都から、交代要員で、来ました。二日前に到着して」


しどろもどろと、明らかに緊張した声色だった。

話す覚悟はできても、死ぬ覚悟はできていないようだった。


「ふぅん、応援は何人?」

「41人です」


そこまで答えた瞬間、"兵の魔女"は若い門衛の下顎を持ち上げるように鷲掴んだ。

大の男の体がびくりと震え、あまりの恐怖に目を細めて鼻息を乱す。


殺される


この場にいる衛兵たち全員が、特に当人がそう確信した。


が、"兵の魔女"は若い門衛の顔をじっくり眺めると、食べ残しを放り捨てるように手放した。

命拾いした門衛は体を支えきれずに這いつくばり、立ち上がることもできない。

それを一瞥もせず、"兵の魔女"は門へ突き進む。道は衛兵の方からどいて作られていった。


クロスはその後を小走りでついていく。

衛兵たちの横を通り抜けていく"兵の魔女"を見る彼らの目。

恐れと侮蔑がない交ぜになった憎しみが、クロスの足を早めさせたのだ。


空堀にかけられた跳ね橋を踏み越え、門を抜けると、そこはコー・ナイルの街。

王都やタルギンと違い、場当たり的に建てられた木造建築と、伝統的な近道をそのまま舗装したかのような曲がりくねった道。

無計画な盛り土で傾斜のついた馬車道、むき出しの水路。

決して洗練された街並ではない、古びた伝統の染み付いた景色だったが、だからこそ人間らしさに溢れていた。


"兵の魔女"はそこを躊躇も関心もなくただ歩いていく。


だがクロスはすぐに気付いた。彼女を見る街の人々の視線に。

道行く人々、留まる人々、皆が異様な視線を向けていた。

恐れ、侮蔑、憎しみ、嫌悪、苛立ち。誰しもが必ず一瞬はそのような目をしていた。

先ほどまで友人と談笑していた婦人も、商談に勤しむ男も、道端でうずくまる浮浪者も、彼女が通りがかれば表情を一変させた。

それは最早視線の雨というよりも槍衾であり、沈黙が作る筵であった。


だが、誰一人として、すれ違いざまに小声で悪態や罵声を浴びせたりはしない。

路傍の石を拾い上げて投げつけたりはしない。

睨みつけながら唾を地面に吐きつけたりはしない。

座っている椅子や石段から立ち上がろうとはしない。

あらゆる人々が、ただ見ているだけなのである。

そしてその中を、"兵の魔女"は変哲もない街道を歩くように、庭を散歩するかのように進んでいるのだ。

むしろクロスの方がすっかり萎縮してしまって、"兵の魔女"のすぐ後ろをぴったりとついて歩くようになっていった。


その様を、"兵の魔女"がくすすと小さく笑う。



「なぁに? 怖くなったのかしらぁ?」

「だって、なんだか異様ですよ、ここ」

「平気よぉ、わたしといれば手出しなんかしやしないわ。それに、ここが反魔女思想の中心地だって知ってるでしょ? だからわたしがいるんだけどねぇぇ」



確かにコー・ナイルは現代の魔道士会の故郷と言ってもよい土地であり、反魔女の土壌がある。

だが、いくらなんでも異常すぎる。その程度の理由では、この状況は説明がつかないように思えた。

恐怖、敵意、様々な悪感情を向けられながら、決してそれ以上のことは起こらないのである。

ただ見られているだけ。それが却って不気味だった。



「ここはいいところよぉ。寒いけど温泉はあるし、ヒョウガンマスは美味しいし、人々は血と魂が体の芯まで詰まってる。何よりも相応しい場所だわぁ」



ぬらついた犬歯から滴る涎は、食欲の表れのようだった。

彼女は「あららぁ」とすぐに袖で拭い隠したが。


血と魂、相応しい場所、言葉の意味を考えるが、答えは思い当たらない。

だが直接問い質すのも、なんだか空恐ろしいような気がした。

それこそ鮫の口の中に自ら飛び込むような所業に思えて仕方がなかったのだ。


故に、まさに仕方がなく、当たり障りのない疑問からぶつけていくことになった。


「あの、いま、どこに向かってるんですか?」

「酒場よぉ」


逡巡もなく、即座に答えは返ってきた。


「今晩は忙しいから、早めにお腹に入れちゃいましょ?」


そしてそう言いながら、進路を曲げて無造作に道端の店へと入って行った。

どうやら気付かないうちに目的地に到着していたようである。

見知らぬ土地で、負の視線にさらされながら、見知らぬ屋内へ入るというのはクロスからしてみれば躊躇われる。

しかし彼女と一緒にいなければ。それは役目を超えた、自己防衛のための選択だった。

看板など見る暇もなく、追いかけざるを得なかったのである。

もし見ていれば、さしものクロスも"兵の魔女"を思い留まらせようとしたかもしれない。


店の名は『回る大杖亭』。


魔道士会が運営するチェーン店の一つであった。





『"兵の魔女"の肉体は大凡20代前半の頃に成長と老化が停止するわ。寿命が無いわけじゃ無いけど、今代の"兵の魔女"の年齢は50〜60歳前後のはずよ。

 並外れた膂力と俊敏性、鋭敏な感覚と、飛ぶ鳥を素手で捕まえられるほどの反応速度と運動性を全て兼ね備えているけれど、特筆すべきはその残虐性と遺伝性ね。

 自らの死を厭うどころか、喜んで死地に身を晒すことを快楽として享受する。そんな彼女たちが、他者に対し如何に残酷かは語るまでもないほどよ。

 ひたすら進み、殺し、貪り、犯し、捕え、それからまた進む。それが"兵の魔女"よ。

 そして彼女たちは、その性質を自分の娘の中から選び出した一人に、完璧に受け継がせることができる。

 一体どういう原理で行なっているのかは全く分からないのだけれど、その業こそが、"兵の魔女"を初代"屍の魔女"の最高傑作と言わしめる由縁よ。

 彼女たちは全く同じ力、技術、残虐性、強すぎる欲望を持って跡を継ぐの。

 "屍の魔女"では彼女たちに対する定期的な"調整"の手順指南書が継承されていて、その内容から魂に関連する秘密なのは分かっているのだけれど、根本的な仕組みを知っていたのは初代"屍の魔女"一人だけだった。

 

 だから、クロス、悪いのだけれどその秘密を、出来ればそれとなく探っておいてもらえないかしら?

 ダメだったらそれでいいから、無理だけはしないようにお願いね?』

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