反統王連衡
「さて」
武装した男たちにガル・ヴ・ヴィツが別室に連れて行かれた後、クランツは席に座り直して切り出した。
「今回の議題、当面の脅威について話し合おう」
直後に、ノックタックが木簡を開いた。
古びた安い木と墨の臭いが卓上に広がる。
「魔界領ハイレンドと魔界領マディス・ホールのギャングどもは一掃しました。奴らに協力していた貴族や汚職役人たちも60議会の追及を免れないでしょう。これで、アンガンドゥッツ卿の魔石鉱輸送路を妨げる者はおりません。ゾルイン・ポータルを通してアンガナス地方一帯、つまりは現界に密輸することが可能でしょう」
「だが60議会も、じきに我らの存在を知るだろう。今のうちに地盤固めをしたいが、魔界の諸部族は誇り高く頑固だ、これ以上の調略の成果は望めん」
「部族単位での煽動は不可能でしょうが、領主や貴族、商人に対する個別的な調略ならば、我がカーギ・カリンの力で現在必要要件の87%を達成しております」
「欲と脅迫と"魂感応"による効果に過ぎんだろう。そういう輩は心服させるか後戻りできぬところまで引き込まねば、臆病風や猜疑心から裏切りを重ねるぞ」
「情報を制限して主導権を握り続ける必要がございますな。ひとまずは、我らが盟主閣下にお引き合わせする段取りを進めておりますが、それが全て済むまでは水面下での諜報戦が鍵になりましょう」
主に発言するのはアンガンドゥッツとモタグ、そのやり取りをたまにノックタックが補足した。
ひたすら興味なさげな者、居心地悪そうにただ椅子に尻を乗せているだけの者、リラックスして話の成り行きを見守る者と、会話に加わらなくともそれぞれは自分らしく時を過ごしていた。
「やはり、魔女ですか」
だが、ひたすら興味なさげな者の一人だった魔道士ピッタが、突然会話に己が一言を差し込んだ。
そして、それは一言のみでは飽き足らなかった
「現在、我々について最も多くを知り、最も早く知る事ができるのは魔女協会でしょうな。あやつらは今後も影で動き、我々にとって最大の障害になろうとするでしょう」
魔道士会分離派の殆ど全員が反魔女を標榜し、残りは研究一筋でそもそも社会に興味が無い。
故に彼らは、常に魔女の動向を注視し、その性質を熟知していた。
それはつまり──
「あやつらは今、転換期を迎えようとしております。混乱を抑えるために、慎重を期しているでしょう。"屍の魔女"めが弟子を各地に巡らせているのも一環ですな」
──クロスのことも、とっくに知られているのだ。
「故に、大きな動きは取らないでしょう。各魔女の安全と、関連した経済母体や組織の確認と工作員の洗い出し、ひとまずはそんなところから始めるでしょうな」
「当面の脅威にはならんということか?」
「いや、魔女はこんな時にこそ最も効果的な武器を持っとります」
小さく呟くような、誰かに聞かせるつもりがあるかどうか疑わしい小声が的確に事実を述べる。
口も喉も背も手も殆ど動いていないが、代わりとばかりに脳は鋭く稼働していた。
「"兵の魔女"ですよ」
ちらり、と横目でクランツの表情を見遣った。
彼の表情は動いていなかったが、魔道士はその奥にあるものを見逃さなかった。
しかし卓を囲む者たちの多くは、身じろぎやため息などで、事の重大性を表現した。
"兵の魔女"。魔女王国と魔女協会の影の歴史は常にこの名前と共にあった。
暗殺、破壊工作、諜報、誘拐、闇の中で行う万事に精通し、その全てにおいて一線級。
発足当初の不安定で小規模だった魔女王国が300年もの間栄え、その後も協会として威勢を保ち続けられているのは、この名があるからだ。
その正体は魔女のおぞましき秘術によって生み出された怪物の家系。
人と鮫の間から生まれ、肉体を抉り魂を貪る、血に飢えたけだもの。
多くの者は、その噂を信じていた。
その姿を目の当たりにした者でさえも。
「あれが動くのなら、直ちに手を打たねば」
一将では視界にすら収められず、一軍では死体の道が開き、一国では天守が傾く。
"兵の魔女"が動く時、必ず魔女以外の血が流れる。
「魔女は最終目的ではないが、避けては通れん道か」
そう言いながらも、クランツの声はどこか弾んでいた。
「私が対処しよう」
ナッグ・ローグ。
ルーライの栽培とワイン造りで莫大な富を得た土地。
それ以前は低温多湿と塩害と毒虫によって滅びかけていた土地。
豪農の大邸宅がそこかしこに建ち、広大な畑に埋め尽くされた土地。
どん底と絶頂の両方を味わい尽くした土地。
その中にあってヘインネスク家は代表的な名士の家系であった。
ナッグでルーライワインの醸造所を最初に設けた家で、仲買人との交渉術や相場の情報にも長じていた。
邸宅も最も大きく、広く、抱えた使用人も20は下らない。
その一室で、アイバート・ヘインネスクは酒をちびちびと飲んでいた。
ロウソクの灯り一つを頼りに、盃の中身が一分を下回れば四分まで注ぎ足すという繰り返しを、もう三度もこなしていた。
寝巻きに着替えることもなく、背中を丸めて、楽しむでもなく、ただ労務のように飲んでいた。
そこにもう一人、誰かが入って来た。
ドアの軋む音に視線を送れば、燭台を手に持つ人影が見えた。
すぐに顔は見えなかったが、誰なのかは一瞬でわかった。
「来たか、まあ、座れ」
促されるまま、人影は卓を囲む席についた。
揺らめく火、微かな光の瞬きが浮かび上がらせたのは若い男の顔。
彼の息子、エンリッケ・ヘインネスクの神妙な面持ちであった。
「誰にも尾けられてないな?」
盃を隅に追いやり、まずは訊ねた。
「鳴子廊下から回って来た、尾けてる奴がいたら罠にかかってるさ」
ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、エンリッケは声を潜めていた。
「それより親父、一体どうしたってんだ? 夜中に呼びつけるなんて」
アイバートはまず一息唸った。
勿体つけるようなというよりも、どうやって話すべきなのかを図りかねているようだった。
酒の方をちらりと見遣りもしたが、結局は自分一人で覚悟を決めて口を開く。
「ナッグは、反統王連衡に加わることになった」
「は?」
当然、冗談かと思われた。
だが冗談を言うような表情と酒の飲み方はしていない。
常日頃の、というより自分に向けて父が飛ばす冗談の回数を鑑みても、どうやら真剣であることはエンリッケにもすぐに察せられた。
「どういうことだよ? なんだよ反統王連衡って」
「三角連衡の乱の残党を、クランツとかいう男が再びまとめた。統王に叛乱するつもりらしい」
「は? なんだよそれ、統王に叛乱って……まさか親父、謀反しようってのか?」
言葉で認めることも、頷くこともない。
だが沈黙と、瞼に力のこもった流し目が、肯定を示していた。
「何考えてんだよ! 統王と戦って勝てるわけねぇだろ! 半日もあれば、ナッグ・ローグなんざ地図から消せる男なんだぞ!」
思わず声を張ってしまう。
当然といえば当然であるが、アイバートはじろりと睨みを返した。
「そんなことはわかっている。だが断ればどうなる? 連中は口封じのために俺を殺すか、俺に言うことを聞かせるためにお前を殺すだろう。『はいわかりました』以外の答えなど言えるわけがない」
「それじゃ、やっぱり」
「統王様を裏切れば、ナッグは終わりだ。できる限り早くこのことは統王様に教えて差し上げなくてはならん。しかし、もし連中にバレたらと思うと」
「最悪、ヘインネスク家は終わりだ」。その言葉をアイバートは呑み込んだ。
だが事の重大さは、息子にも十分伝わっていた。
「親父、整理させてくれ。まず、その反統王連衡とやらには誰が加わってるんだ?」
「魔界守旧派の貴族たちと、魔道士会分離派の連中はほぼ全て加わっているらしい。あとはカーギ・カリンの過激派に、スロヴ人たちの3000人程度の組織と、ノックタックの連中だ。"流木団"も最近加わったが、これはただの傭兵で、統王と戦う気があるとは思えん。俺が見たのはその程度だ」
「アーゲルン人が関わってるってことは、天核教は絡んでないってことでいいんだよな?」
「わからん。纏め役、盟主のクランツという男を見たが、あいつなら、カーギ・カリンと天核教を同じ傘の下に収められるかもしれん」
「誰だよそいつは?」
「ルネイと名乗っていたから、ルネイ国人衆の関係者だろう。だが素性はわからん、名前だけだ」
「くそッ、八方塞がりかよ」
誰が敵で誰が味方なのか、わからないのでは手の打ちようがない。
だがそのままでボヤボヤしていると、引き返せないところまで巻き込まれ、最後には地獄まで道連れにされる。
今彼らに必要なのは、絶対に信頼できる味方。それもナッグの外にある味方だ。
「そういや親父」
思案を巡らせかけたところで呼びかけられた。
先ほどまでの緊迫した声ではなく、幾分か落ち着いた、探るような声だった。
「何でこんな重大なこと、俺に話したんだよ? 今まで何でも親父一人で決めて来たじゃねぇか」
ナッグは古くからタルギン家の庇護を受けて来た。
だが実際に土地や農業、醸造を経営するのは住人たちであり、それらを監督する豪農は直接的な権力者であった。
学もなく、容易く不安に揺れ、風が吹くだけで慌てだす民草をまとめ上げて仕事に従事させるには、独裁者が如き開き直った人格が必要だった。
自らの一存のみで決定を下し、どのような結果が出ようとも踏ん反り返って浮き足立つ者らを権威でまとめ、慰撫する。
故に、エンリッケは今に至るまで、ヘインネスク家の方針には触らせてすらもらえていなかった。
「"胞の魔女"を追い出した時、お前を叱りつけただろ」
「あれはナッグのために……!」
「まあ聞け、あの時は、立場上お前を叱責せざるを得なかった。他の豪農一族をなだめ、全員をまとめてタルギン家や統王と話し合わねばならなかったからな、分裂を避けたかったのだ」
幾度もの混乱を収めて来た、よく通る芯のある声が、穏やかに響いていた。
「お前は周囲の意思に流されず、自らの信念を持って皆を動かした。自分の意思に周囲を従わせて、一つの結果を生み出した。一人前の男だ、内心は誇らしく思っていた」
エンリッケは明確な反応を返さなかった。
ただ鼻をせせっただけであったが、沈黙が心を語るのは父子の共通点であった。
「この問題は、俺とお前の、二人で解決するんだ」
アイバートは"胞の魔女"の追い出しには反対であった。
今でも息子と村民らの行為は間違いであると確信している。
だが、彼の行動が純粋な郷土愛と、将来性への投資から来るものであることを疑いはしなかった。
反対し、叱責し、収拾しながらも、信頼はむしろ前にも増して強くなっていたのである。
それを真正面から伝えられて、エンリッケ自身にも変化が生じた。
以前にも増して、この土地のためなら自分は何でも捧げられるだろうとの思いを強くした。
沈黙の中、二人の視線が交錯する。
闇に縁取られ、微かな灯りの中で、瞳の輝きが微動だにせず浮かんでいた。
「親父」
エンリッケの声は既に完全に冷静さを取り戻していた。
それどころか、覚悟に裏打ちされた気迫すら纏っていた。
「反統王連衡がその面子ならよ、絶対にその向こうに回る連中がいる」
体を傾けて、静かに手を卓に乗せる。
長い話し合いに臨む時の、彼の癖だった。
そして父親の目を見据えて、静かだが力強い声で言い放った。
「魔女協会だ」




