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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
会の章
77/211

奴の名はクランツ

「確かに受け取った。協力に感謝する」


ドーガ衛兵伍長は槍を横に立て、威風堂々と言い放った。

その隣では拘束された暗殺者と工作員たちが、衛兵らに連行されている。


「それで、あのアーゲルン人は何故負傷している?」


だが実行犯のマトクだけは戸板に寝かせられ、荷物のように運ばれていた。

未だに気を失っている状態で、かけられたボロ布には内から血が滲んでいる。


「その、トゥーナさんが襲われた時に、魔法で反撃したようです」

「魔女の業にはタマを潰す魔法なんてものがあるのか?」

「クルミよりは、よっぽど簡単に割れるんじゃないですかね」

「ふむ」


興味なさげに鼻を鳴らしながら、運ばれていく下手人を見送る。


「それで、裁判では私も証言にあがった方がいいですかね?」

「必要ないだろう。総督ならば、自白と証拠だけで正しい判断をなさる」

「それは助かります。すぐに出立したかったので」


衛兵伍長の相手をしながら、横目をチラリと流す。

その方向には、話し合う"鋤の魔女"と"胞の魔女"、それと数匹の虫に支えられた相互紙があった。

相手は筆跡を覗くまでもなく明白だ。"屍の魔女"アッサルートだろう。




『ご苦労様、これだけ証拠と情報があれば統王に言上できるわ。ガン総督に報告書の写しを頼んでおいてもらえるかしら?』

「かしこまりましたわ。どちらに郵送いたしましょう?」

『ゴルゴリン・ゴブリン商会の者を送るから、持ったままでいいわ。その時に証拠品も渡しておいて』

『フェルマーの日誌はどうしましょう? ここには置いておけません』

『敵の全容が掴めていない以上、クロスに運ばせるのも危険ね。最寄りの死人に取りに行かせるから、それまではクルギャ、あなたが預かってて』

「ディゴ荒野に潜り込んでる協力者どもは如何しますの? 統王や総督が動けば、身を隠されてしまいますわ」

『そのために街道整備事業を買い取ったのよ。調査名目で送り込んである人員を使って一挙に確保するわ』

「デルグンドラ諸侯の不興を買いません? 自分らの縄張りで秘密作戦などされて、いい顔はできませんわ」

『ドワアフみたいに買収が効けば良いのだけれど』

『やめた方がいいと思います、更に頑固にさせるだけです。場合によっては敵方につかせてしまうかもしれません』


インクをまとった虫が這い回って文字を残していく。

"鋤の魔女"は木の枝を尖らせた硬いペンから、丸みを帯びた字を自ら記す。

その、それぞれの独特な筆跡が署名の代わりである。


『エルガンさんに諸侯への対応を任せてみてはどうでしょう? あの人の武名と豪胆で、彼らの心を掌握できるかもしれません』

「『弓矢は万生を絶てども盤石を砕かず』ですわね。魔女としては癪ですが、唯一の手かと」

『女神ゾームの引用は結構よ。それじゃ、エルガンに言い含めておくわね』


多くのデルグンドラ諸侯は感情と印象で動く。

だがそれ以上に、デルグンドラ人としての矜持を重んじているのだ。

軟弱で小賢しく卑劣な魔女ではなく、屈強な勇者との競り合いに堂々と敗北したならば、怒りも収まるだろう。

魔女の考えた言葉を、ただそのまま強い語気で喋っているだけなのだとしても。


『それより、問題は新たな連衡よ。どれだけの規模で、どれほどの脅威なのか、何もわからない状態だわ。カウダック大司教や協力者たちからどれだけ情報を搾り取れるかは分からないけれど、既に先手を打たれている状況なのは確かね』

「三角連衡の残党なら、スロヴ共同体が何か知っているかもしれませんわ」

『正攻法の捜査は統王に任せましょう。魔女には魔女のやり方がある』



『それって』



思わず"胞の魔女"が声を漏らしてしまう。

その直後、相互紙に新たな一文が浮かび上がった。

それが現れた時、"鋤の魔女"の細い目は刃物の形に見開かれ、虫どものさえずりは停止した。






衛兵たちが退去し、院長への報告も済んで後、クロスはまたもや"鋤の魔女"の部屋へと呼びつけられた。

微かながらも抑え難き高揚を胸に訪れると、二人の魔女が待ち構えていた。

暁の輝きを背に受け、逆光の日陰の中に笑みを湛える"鋤の魔女"。

宝物殿に飾られた甲冑のように壁際に佇む"胞の魔女"。

朝の冷えた空気は鋭く張り詰め、逢瀬が如き浮ついた心持ちは一瞬にして霧散した。


「クロス・フォーリーズ」


やにわに口を開いたのは"鋤の魔女"。

優しげで、それでいて芯の強い、よく通る声だった。



「あなたを天核教イェザリ派の信徒として迎え入れます」



「へっ?」


場の雰囲気にそぐわぬ素っ頓狂な声が漏れた。



「尊命を誓い、喫菜を誓い、不殺を誓い、天命を信じますか?」

「ちょちょちょちょっと待ってください」



平然と続けようとする誓いの儀式に慌てて差し挟む。


「どういうことなんですか? イェザリ派の研究は興味深いですけど、入るなんて言った覚えはないですよ」

「わたくしも聞いた覚えはございませんわ」

「じゃあ、どうして?」


『巡礼者特権のためです』


虫の羽音がざわめいた。

身じろぎ一つせず、もしくは無数の身じろぎを取りながら、声のみを成す。


『今後は大事を取って、可能な限り秘密裏に動かなくてはいけません。クロスさんが天核教の巡礼者になれば、巡礼者特権で身分を明かさずにあらゆる関所を通り抜けられます』


天核教の全ての教会堂と修道院は、巡礼者用の巡礼通行手形を発行している。

信徒は各施設で巡礼路を明かして申請することで、途上にある関所の通行手形を得られるのだ。

それは身分や素性を問わない、完全なるフリーパスである。

それ故に犯罪者たちにも度々利用されているのだが、統王はこれを禁じて密輸や逃がし屋といった犯罪を組織化させるよりは、天核教を通してある程度管理できる方がマシだと考えていた。

通行を無闇に厳しくしても、そこを通り抜けようとする力を更に強めるだけである。

道を遮ったところで、意思を遮ることはできない。

その思想の下で、巡礼者という通行の抜け道が半ば公認されていた。もちろん、無税で。


『ですので、入信も誓いも、形だけのもので結構です。次の目的地に到着したら、還俗していただいて構いません』

「わたくしとしては、そのままイェザリの素晴らしさを語らい合う間柄のままでいて欲しいものですわぁ」


嬉しそうに声が浮く"鋤の魔女"と対照的に、虫の羽音と蠢きはくぐもっていた。

言葉遣いにも刺々しさがあり、ただならぬ雰囲気を感じ取らざるを得なかった。



『そして、これはあなたの師からの命令です』



壁際から進み出る足音と檻の軋みは、平素より重々しく聞こえた。

無数の視線がクロスを射抜き、またクロス本人もそれらを感じ取った。

重く、静かな声は、虫どもの蠢きが微かであることを示し、"胞の魔女"が決定的な一言を続ける兆しでもあった。



『コー・ナイルの街外れ、魔女の包丁と呼ばれる場所を訪ねてください。ドアを三回ノックし、こう言うのです。『薔薇は葉脈と根を絶てり。万事に小鳥無し』と』



クロスは息を飲んだ。

この言葉が意味するところは一つであった。



『そこが"兵の魔女"の住処です』



彼女に表情はなかったが、緊張が伝わった。

"鋤の魔女"は笑みを湛えるばかりである。

たとえ単なる一時的な戦略であっても、信徒が一人増えるのは嬉しいのだろう。

昨晩のそれとはまるで異なる、純粋な笑顔だった。

やはり、魔女である前に修道女であり、その前に愛多きサキュバスなのだろう。


「信じますか?」


何事もなかったかのように儀式を続けられても、これ以上は遮ることができなかった。



「……はい」



思わず、顔を伏せて、唇に手を当ててしまう。

彼女の笑顔を真正面から受け止めて、昨晩の唇に与えられた感触を思い出したのだ。

それが妙に恥ずかしくて、視線を合わせられなかったのだ。



「いいでしょう、それではナイシャラーの修道女マーレィ・トゥーナの権限と天の威光の下に、クロス・フォーリーズ、あなたを天核教徒として迎えます。曙光に拝し、日中に清め、黄昏に祈り、日没に眠りますよう」



"鋤の魔女"がそう告げて横にどけると、クロスの身に日光が降り注いだ。

壁に掲げられた天核教のシンボルから取り入れられた光が、新たな信徒を照らし出すのだ。

輝きに目が眩み、手で日陰を作ろうとも、その様を見て聖女は笑みを崩さなかった。


「おめでとうございます、これであなたは天核教の信徒です」


こうして、クロスは天核教に迎え入れられた。

とても簡単で、そして無意味な儀式であった。













暗がりの部屋、天井から吊るされたカンテラ一つだけが揺れるところ。

その下に古びたささくれだらけの円卓が置かれ、六つの椅子がそれを囲んでいた。

椅子には六人の男が座っており、身分や服装、人種はそれぞれ独特であった。

そして男たちは、それぞれの声で一つの言語を常に交わし合っていた。


「魔界の旧諸族どももすっかり腑抜けたものだ。60議会と統王の息子どもに手懐けられおって、クレンダン伯爵など絶縁状まで叩きつけて来おった!」


壮年ながら筋骨たくましい偉丈夫のゴン・ガンク族の男が、平手を卓に振り下ろす。

魔界守旧派の現代表にして、スーランタム山を代々統治するベルゼット家の当主アンガンドゥッツ男爵。

小身ながら、ゴン・ガンクの最も古い家系の一つであるベルゼットは伝統的な保守として知られ、かつて魔界守旧派を率いて三角連衡に呼応したモルドゥンガ子爵は彼の叔父であった。


「同志を無闇に増やすのも得策とは言えますまい。二つ返事で了承された時こそ、怪しむべきでありましょうな」


右隣の中年は眼鏡を拭きながら、呆れたように呟く。

元魔道士会分離派、現"解放魔導の会"理事、魔道士ピッタ・ノーグルーン。

禁忌の業の解放と研究特権を求めて魔道士会から離れた魔道士会分離派。

彼らの殆どは三角連衡の乱を経て死亡するか行方をくらましたか、分離派を見捨てて魔道士会に復帰した。

だが生き残った僅かな者らは"解放魔導の会"を結成し、魔界守旧派に属する貴族らの領内に身を寄せていた。


更にその右隣で頬杖をついて沈黙を守っている若いスロヴ人の名は、ガル・ヴ・ヴィツ。

スロヴ人同士の生活共同体にして互助組織兼違法自警組織"スロヴ共同体"の代表である。

公的な権力こそ有していないが、3000ものスロヴ人からなる秘密結社の結束力と経済力を統率する地位にあり、彼の動向は決して軽視できない。


「邪心疑わしければ我らが魂魄の業に任せてしまえばよろしい。そもそも調略は我らカーギ・カリンの受け持ちと定まっていたであろう」


その向かいで四つの目全てを閉じながら話すアーゲルン人。

かつては天核教を凌ぐ勢力を誇った伝統的な宗教カーギ・カリンの過激原理派閥の長、源司教モタグ・バンバトーチ・レインダーマン。

魔界の半分を手中に収めていた頃のアーゲルンの傲慢さと尊大さを刻みつけ、保存するために彼らは存在している。

特に、彼はその時代の最後の生き証人の一人であり、伝統の守り手を自負する程であった。

現在のカーギ・カリンは過激な原理派閥と穏健な融和・原理派閥に分かれ、過激原理派閥の頂点が彼、モタグなのである。


「まあまあ、各々が目的に向けて励むのは良いことではないですか。ベルゼット様の人脈を辿るのも、悪い手というほどでもありますまいて」


隣でそれを諌めるのは、背の低い中年の現界人、トゥッピ・ノックタック。

ノックタック家は大陸南西部とタルギンとを結ぶ商家であり、カルエーネの町に蔓延るギャングたちの元締めであった。

しかし統王が現界を征服し、新たな法と統治、屯所制度と経済によってギャングを一掃。

その上、流通の効率化と街道整備がために、彼らが独占していた販路は崩壊し、彼らは競争の激しい市場へと放り込まれた。

時代の大きな変化の中で揺れ動く、自由かつ熾烈な競争である。支配の上に甘んじ、とっくに商魂を失っていたノックタックに勝ち目はない。

時と共に多くの権益と利益を削がれ、没落は時間の問題。故に、一発逆転を狙って三角連衡に身を寄せたのだ。

その賭けに負けた後も、連衡の中で築いた縁をもとに商売を続け、彼の代でようやく政治の場に返り咲くことができたのである。


「そうだ、悪い手で思い出したぞ生臭坊主め、議題に入る前に言ってやる。ディゴ荒野での失態、ありゃなんだ? あんな下策に及ぶなど、素人かお前らは?」


アンガンドゥッツが語気を荒げながらモタグを指差した。


「あの作戦には10年かけて潜り込ませたディゴ荒野の工作員の殆どを使ったんだぞ! それで日誌のページ一枚どころか、魔女の弟子の首級すら挙げられんとはどういう訳だ? あの失態のせいで我々はデルグンドラのトカゲ乗りどもへの影響力を失うぞ! 謀略は任せろだと? イェザリの売女一人殺せずによく言ったものだ、この──」

「最後の一言は、己が魂の内に留め置くよう願います」


モタグが言葉を挟んだことで一瞬止まったが、直後には煽るように目を見開いて視線を合わせ、身を大きく乗り出す。

そして、わざと遅く、かつ明瞭に「この、脳眼野郎(ノルティーサ)が」と言い切った。

それは四つ目のアーゲルンの脳は目玉に圧されて小さく、低脳に違いないとする罵倒語だった。

ゴン・ガンク族がアーゲルンを征服した後、彼らの間で流行った嘲笑の差別語であり、この上ない歴史的侮蔑を含んでいた。


これに対し、モタグは決して言葉を荒げたり、暴力を振るうような男ではなかった。

ただ上二つの目を閉じ、下の目で相手を睨みつけながら右手を持ち上げようとする。

"魂感応"を行う動作だ。そしてそれを確認しても、アンガンドゥッツはかかってこいとばかりに視線を向け続けた。



「そこまで」



だが、一つの声がそれらを押し留めた。

両者は声の方へ視線を移し、六人目の男は足を組んだまま平然と全ての視線を受け止めた。


「我らは皆異なっている。それはそれで良い。だが志を同じくする者同士でこれ以上争うのは、なによりもつまらんことだ。はかりごとは上手くゆく時もあればゆかぬ時もある、たとえ原因が驕りであってもな」


冷静だが、高く響く、張りのある声。

白い肌に、青年然とした顔つきだが、口調には壮年が如き落ち着きがあった。


「もとより、かの"失われた四ヶ月"は最終的に取り戻せていればそれで良い。帝国が消え、魔女が死に絶え、倒れ伏す死人の手からそっと掬い上げられるのならば結構だ。ディゴ荒野への工作員の殆どを喪失する失態は痛手だが、まだ時はある。故にモタグ、お前を許そう」


優しげで、撫でるような声には慈愛すら込められていた。

モタグは「ありがたき幸せ」と返して目を全て開き、右手を収める。

アンガンドゥッツの方も、興が削がれたとばかりに息をついて座り直した。


「とはいえ、痛手には違いない。まずは、此度の失敗をどのように収拾するか、聞かせてもらおうか」


六人目の男が声に威厳を纏わせると、まず応えたのはモタグであった。


「まず、ディゴ荒野の工作員ですが、身を隠すよう指示しておきました。総督や統王が動き出すまでには間に合うはずですが、魔女どもは既に動いておりましょう。工作員の半数は捕縛され、もう半数も暫く身動きが取れますまい。計画に直接携わった、カウダック以下7名の我が組織の役職者が逮捕されるのも時間の問題です」

「口封じ出来んのか。それこそお前らの得意技だろう」

「アンガンドゥッツ殿、我らが盟主は先ほど何と仰せになられた? 同胞が命を奪い合って何とするのか」

「口を割るなら敵と同じ、いや、それ以上だ。そんなもん戰の常道だろうが。今のうちに消しちまえ」

「武人を自称し、誇る割には、随分と陰湿でアーゲルンらしい手を知っていなさる。裏切りは、やはり人を成長させるようですな」


先ほどのお返し代わりかというほどの露骨な皮肉へ、角の根元に血管を浮かせながらも余裕を見せようと笑んで見せる。

再び一触即発の空気を感じ取って他の面子が押し黙る中、六人目の男だけがまたもや口を開いた。



「モタグ、その7人は信用出来るか?」

「計画に携わせたのは、信用に値する者たちだからです。我らは数を減らし、力を失いましたが、かえって強い結束と互いの信頼を得ました。いずれも魂の達人であり、裏切るぐらいならば誤った情報を遺して死を選ぶでしょう」

「いいだろう、祝福を与えて元気付けてやれ」

「わかりました」



このやり取りに、アンガンドゥッツはわざとらしく鼻で笑って椅子の背にもたれかかった。

誇り高くも、六人目の男の決定に真っ向から逆らいはしなかったのだ。


六人目の男は組んでいた足を解き、卓についている全員を見渡す。


「戦力減は避けたい、だが我々の目的を考えるに、そうも都合よく事は運ぶまい。脱落する者、死する者とて今後も出るだろう。重要なのは、新たな友だ」


全員に向けた言葉だが、その実は誰にも向けられてはいない。


「そして今日、我らは新たな同志を迎えるに至った。今こそ椅子を増やそう」


その言葉の直後に、数名の武装した男たちに守られて、二人の人間が入室してきた。

黒い皮鎧に髭面で分厚い唇の男と、身なりと恰幅の良い豪農風の男だ。



「"流木団"団長の雲丹髭バウゼモク、それとナッグ代表団のアイバート・ヘインネスク氏だ」



武装した男たちが、新たに二つの椅子を用意する。

髭面の男は遠慮も礼も断りもなくどっかりと腰を降ろし、豪農風の男は促されてから恭しく、というよりおずおずと席に着いた。


「なんだ、酒は出んのか」


バウゼモクが、まずささやかな不満をこぼし、それから更に不満そうに続けた


「初めに断っとくが、ワシは貴様ら負け犬どもの仲間になったつもりは無いからな。頭にトカゲのフンが詰まっとるデルグンドラのナメクジどもをまた殺せるようになるのはスッとするがな、傭兵だからこんな陰気臭い所でも我慢して来てやっとるんだ。ケチなアーゲルンとスロヴなんぞと舳先を並べて、矢じりの青いなまっちょろい若造の風下に回れなど、こっちから願い下げだわ」


モタグは眉をしかめ、ガルは一切反応を示さず、アンガンドゥッツは鼻で笑った。

初対面の挨拶としてはこの上なく無礼な振る舞いであったが、六人目の男はむしろ子をあやす親のように優しげな笑みを浮かべた。



「モル・ニスだ」

「あん?」

「事が成ればモル・ニスを進呈しよう。それまでは、"流木団"全員に普段と二倍の額を払ってやる」



この提案に、バウゼモクはわざとらしく眉を上げて口角を下げ、揺れるように数度小さく頷いた。

「悪くない」と言わんばかりに。

悪態や雑言は傭兵たちにとって、交渉術の一つであった。

そして六人目の男は、交渉の手間を省いたのである。


「だがデルグンドラとタルギンはどうする。腰抜けドワアフなぞ前は問題じゃなかったが、魔女と結んで海鳥の糞みてぇに厄介になりやがった。いきなりモル・ニスだけいただいても、西から統王、北からトカゲ乗り、南から魔女どもに囲まれるぐらいなら島に引きこもってた方がマシってもんだ」

「心配には及ばない。モル・ニスを授ける頃には、南にいるのはノックタック、西にいるのは私、そして北は無人の荒野だ」


六人目の男は臆面もなく豪語したが、傭兵は小馬鹿にするように笑い飛ばした。


「本気で統王にケンカ仕掛けようってのか、どうやらここにいる連中全員脳ミソが逆さまについてるらしい」


金さえ払えば戦う傭兵は、戦闘の結果について一切の責任を取らない。

だからこそ信じていなくとも戦うのである。

そしてだからこそ、逃げたくなれば躊躇なく逃げるのである。


「まあ、金をちゃんと払うんなら味方してやる。モル・ニスは期待しないでおくぜ」


不敵な笑みと共に背もたれに体重を預ける。

その様に、多くの者が呆れや侮蔑を覚えた。



「茶番だ」



だが、一人だけ声を上げた。

スロヴ共同体の長、ガル・ヴ・ヴィツである。


「ガル、君がいつ口を開くか待ちかねていたよ」


六人目の男だけが即座に反応を返した。

心躍るかのような表情に怯まず、ガルはじろりと湿った目で睨み上げる。



「一体何だって言うんだこの集まりは。統王を倒す? 時代遅れの野蛮なゴン・ガンク、過去の栄光にしがみついて傲慢な己を顧みようともしないアーゲルン、イカれたことを認めたくないだけの狂った魔道士、自分が立っている場所以外の大地全てが沈んでも何とも思わない業突く張り商人、先々のことなど何も考えていない傭兵、日和見でただ流されるばかりの怯えた農民、そんなものでどうやって実現させるっていうんだ? 仮に大業が成ったとして、我々はその後世界を引き裂き殺し合わせ、何百年も不幸を撒き散らし続けるに違いないというのに」



拳を叩きつける音には、アンガンドゥッツとまた違った迫力がこもっていた。

真心から出た、真剣な言葉のように感じられた。



「そんな世界でどうやって我々ごときが信念を保っていけると言うんだ。我々は今ですら、統王を殺そうという相談を統王が作った言葉で話し合っているんだぞ! こんな滑稽なことがあるか!」



アンガンドゥッツが眉をしかめて腕を組み、ピッタは俯いて額を手で押さえた。

ただ六人目の男だけが、緩やかに構えて話を聞いていた。



「悪いが我らスロヴ共同体は抜けさせてもらう。既に我が同志の殆どは、統王の新しき世を享受している。確かに我らは故郷を奪われ、文化を壊され、同胞は散り散りになった。しかし同族で相争わなくてよくなった。越冬の食料や薪、家を心配しなくてよくなった。賊の襲来に怯えなくてよくなった。病が起きた時、神ではなく医者に頼れるようになった。差別された時期はあったが、既に時代は改まり、暮らしも尊厳も前よりずっと良くなった。殆どの者が、統王の治世の下で家庭と仕事を持ち、久しく経験していなかった平穏を味わっている。3000の同胞には、戦いなど、もうとても出来ない」



ガルの目には一つの決心が宿っていた。

首には微かに、エラの穴が開いていた。



「以前のよしみで、密告はしない。と言ってもお前たちは信用しないだろう。だが、もし俺を殺しても、代わりに立つのは俺よりも若い同志だ。決してお前たちに従いはしないぞ」



皆が思い思いの反応を示していた。

魔界守旧派のゴン・ガンク族は、今にも跳ね出しそうな腕を押さえつけるように組みながら鼻で大きく息をつく。

解放魔導の会理事の魔道士は、関心なさげに眼鏡に息を吐きかける。

カーギ・カリン過激原理派の源司教は、身じろぎひとつせず卓の中央に視線を注ぎ続ける。

落ちぶれた元豪商でギャングの親玉だった商人は、横目で他の者たちを見やった。

海賊か傭兵かを自分たちでさえ明確に区別していないならず者たちの頭領は、上を向いて鼻で笑った。

ナッグの豪農を代表する者たちの代表は、視線を泳がせ戸惑いながら息を殺した。


そして六人目の男は、嬉しそうな笑みを浮かべて身を乗り出し、両手を組んで卓の上に乗せた。



「ガル、私は君が好きだ。賢明で勇敢で、決して自分に縛られない。そんな君を殺めて、誰が代わりにスロヴ共同体をまとめられるというんだ? 馬鹿を言わないでくれ」



穏やかな猫撫で声だったが、ガルは決して視線を緩めなかった。

そしてそれでも、六人目の男は態度を崩さなかった。



「ただ、3000人、というのは正確な数字ではない。スロヴ共同体の正確な構成人数は3118人だがそのことではない。君にとって真に重要な数は3000ではなく、その内の5だ」



ガルの表情が乱れた。

目は見開かれ、口は半開き、呼吸は止まった。



「ここに来る前、その5人を魔界に逃げさせたな。それだけならまだ良い。ここで君がぶち上げた今の演説もな。だが二つが連続して起こったとなると、私は君を許すのが非常に難しくなってしまう」



見る見るうちに顔色は青ざめ、額に汗が滲み出す。



「誰がいい? 17日前に結婚した君の娘か? 彼女は毎朝ゴラ肉のパイを焼いて、半分を君に、もう半分を夫に弁当として持たせるそうじゃないか。しかも飽きないようにと、毎日味を変えて。一昨日はセリザーの肉汁とアーゴの果汁、昨日はマキオシメジの酢漬けで、今日はなんだったか、ええと、そうだ! マキネリと蒸したボルター豆だ。そんな彼女の心臓が抉り出されれば、実に心が痛むのだろう。この世から敬虔な愛と真実の思いやりが、また一つ消えてしまうことになる。私は三日間罪悪感に打ちひしがれ、己の残虐さに思い悩み、頭をかきむしりながら苦しんで、そして乗り越えるだろう」



六人目の男は立ち上がり、ガルの隣に立ってそっと肩に手を置いた。



「それとも君の兄嫁がいいか? 知っているぞガル、彼女は君の幼馴染で、君は幼い頃から彼女が好きだった。彼女は兄に奪われたが、想い人の幸せを想い、ずっと愛情を秘してきたな? だが2年前にその兄が死んでからは、かえって己の愛情の深さに気づき一層葛藤し続けているだろう。愛を伝えるには遅過ぎたのだろうか、それとも本懐を遂げるべきか、その苦悩を考えるだけで胸が詰まるよ。そんな彼女がもし木から吊るされれば、私の心は悲愴な恋愛話を読み終えた少女のように張り裂けてしまうだろう。悲惨な運命と結末に涙し、過酷な宿命を呪い、自らのおぞましさに体を震わせ、そして忘れ去るだろう」


「家族に手を出すんじゃない」



やっと絞り出した声は、明らかに震えていた。


「ガル、勘違いしないでくれ、私は君を許したいんだ。君の家族を消しても、私は何も得をしない。だからガル、頼むよ、君を許させてくれ」


懇願するような、親が子に諭すような、優しい声がむしろ深く突き刺さる。

唇は震え、瞳は六人目の男を直視するのを拒絶するかのように逆方向へ自然と向いた。


「本当は不安だったんだろう? 殺される覚悟で私に叛いて、啖呵を切ったのだとしても、私にはお見通しだ。それに我々は統王を殺したいからここに集ったのではなく、それぞれが自分らしく生きるため、必要としてここに居るのだ。ここで、自分のあり方を決めるのは、ガル、君なのだよ」


だが遂に、ガルは子供のように泣き崩れて突っ伏した。

その背中を小さくさするように、慈しむように叩きながら、六人目の男は「ガル、君を許そう」と呟いた。



隠すつもりすらない、満面の喜悦の笑みで。

自分のおもちゃが眼前で完成した子供のような、混じり気のない快楽の笑顔で。




彼の名はクランツ。

クランツ・フェルマー・ルネイ。




"フェルマーの子供たち"

その最後の生き残りである。

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