荒野の三魔女
「カーデンマージ症」
「小児性胃炎」
「漏肺、即手術」
「ノウロ消化器感染」
「ただの風邪」
今日も今日とて幾人もの患者を捌き、傾けた椅子の上で麻薬代わりの煙草を吸う。
気怠げな吐息と共に力なく煙が揺れるが、それでもこのような暇がある分、今日は大人しい日であった。
水滴時計に視線を移すと、時は既に迫っている。
煙草の火を消し、弾みをつけて椅子から飛び降りる。
急いた案山子のように足を直線かつ素早く動かし、ノックに先んじて扉を開いた。
「久しぶり、時間ちょうどね。あいつはもう先に進んだわよ」
その先に立つ人物に、叩きつけるように言葉を浴びせる。
悪意からのものではなく、生来のせっかちによるものだ。
彼女は医者であり"光の魔女"の友である。常よりも急き性なのは当然であった。
「これがマレーボの解毒薬、こっちが自白剤、睡眠薬と、剥離薬がこれ」
次から次へとローブのポケットから溢れる薬包に薬瓶。
それら全てを目の前の人物に手渡していく。
「カブリの毒薬に、これが用法書」
予定されていたかのように、てきぱきと物品を渡していくが、彼女自身は一歩たりとも家から出なかった。
『あなたは、いらっしゃらないのですか?』
「あたしはいいわ。日誌は気になるけど、患者も研究もあるし」
肩をすくめながら小さく笑んでみせる。
「それより、せっかく情報回したんだから、しっかり成功させなさいよ?」
『もちろんです。上手くいけばご近所さんになるわけですから、これからもよろしくお願いします』
「どこ住むにしても近所って言えるほどじゃないけどね、荒野は広いわよ」
『それでは、次は学会で』
「はいはい学会で」
扉が閉じられると、風が抜ける音に無数のうねりが混じりながらも遠ざかっていった。
日も暮れ、灯火も月光も無い石壁の間に、"鋤の魔女"は静かに座していた。
足を揃え、物憂げに視線を伏せながら寝台に腰掛ける様は、夜の伴侶を待つ妻のようだった。
どのような暗闇にも必ず光があり、瞳孔は目一杯手を広げてつぶさにそれを拾い集める。
特に原始的な採集生活が長かったサキュバスの力は群を抜いており、石畳のひだ一つに至るまで正確に輪郭を捉えられた。
その目が、ドアが開いていく動きを見た。
ゆっくりと、探るように、忍ぶように開かれる木板。
しかしサキュバスは嗅覚で男を嗅ぎ分ける。
「こちらですわ」
先に声をかけると、訪問者はドアの陰から姿を現した。
淡くも力強い、魔力のこもったカンテラの灯りを手にした青年。
待ち人たるクロス・フォーリーズその人である。
彼は声の方角とカンテラの光を頼りに、なんとか手探り足探りで近づく。
そうして、ようやく薄明かりの中に魔女の姿を捉えた。
闇夜に浮かび上がるサキュバスが寝床に座しながら、自分に微笑みかけている。
それだけで心臓の高鳴りを感じ、顔面の熱を感じた。
思わず視線を逸らし、深く息をついてしまう。
「お渡ししたいものがあります」
そんな彼の様子は御構い無しか、はたまた気付きながらも焦らしているのか、本題は直ちに切り出された。
彼女の尻尾が蛇のように、ゆっくりと修道服の裾から入り、彼女自身の体をまさぐる。
這い進む尻尾の動きは服の上からでもはっきりと見え、張りのある腿の丘を抜け、腰のくびれを過ぎた辺りで背へと回った。
その姿から、クロスは目を離せずにいた。
服の隆起を彼女が細指でさする度に、言いようのないざわめきを感じた。
女性を"異性"として意識するという、初めての感覚だが、それは彼にはまだ理解できなかった。
そうこうしている間に、尻尾は服の内より、蛇腹状に連なった何十枚もの紙を引きずり出した。
黄ばみ、シミ、傷、繕い跡がいくつも残った、相当な年季を感じさせる紙の大蛇。
彼女はそれを一振りして広げた後、二振り目で重なり落ちる花びらのように一つにまとめる。
それを書類箱に入れて留めると、にこやかな笑みと共に差し出した。
「これは?」
その様に正気を取り直したクロスは、覗き込むように書類箱に視線を落とす。
カンテラを近づけて題を確認すると、箱に書かれているのは『ハルビー儀典学書』という文字。
だが、それは魔女協会が用いる"重要書類"の隠語の一つであった。
「『フェルマーの日誌』、その"失われた四ヶ月"です」
クロスは思わず「えっ」と声をあげて魔女の顔を仰ぎ見た。
先ほどと変わらぬ笑顔のみが張り付いていたが、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
「本物なんですか?」
「一年ほど前に"史の魔女"様がゾルイン図書館で偶然、棚の隙間から見つけたものです。それからわたくしを含めた五人でそれぞれ鑑定を続けて、つい十日前に、本物だと結論づけたのですわ」
視線を再び書類箱に落とし、息を呑む。
統王が定めた、たった五冊だけの焚書対象。所持だけで重罪となる書の原本。
その中でも、国家が行方を探し続けている禁書"失われた四ヶ月"である。
それは世界中全ての剣と弓矢を凌駕するほどに危険であり、どんな美女の誘惑よりも蠱惑的な知識である。
魔法の道では見習いに過ぎないクロスと言えど、目を皿にせずにはいられなかった。
「これで、繋がりました。一連の事件の原因はコレですよ」
左手で書類箱に触れ、なでるように手を這わせてから、儀式のように恭しく受け取る。
クロスは既に、一連の出来事が作為的な事件であり、その犯人のおおよその正体まで推理していた。
だがどうしても、動機だけが掴めていなかったのである。
始まりは恐らく、2ヶ月前にデルグンドラ人が乗り込んで設備を破壊した時だ。
これがもとで人手を増やした際、何らかの"曲者"が院内に潜り込んだのだろう。
目的は『フェルマーの日誌』を探して盗むこと。
どうやってかは分からないが、それがここにあることを掴んでいたのだろう。
しかし1ヶ月以上探しても日誌は見つからない。"鋤の魔女"が体に巻きつけて肌身離さず隠し持っていたのだから当然だ。
そこで"曲者"は一計を案じる。日誌が見つからないなら、燻し出そう。
騒ぎを起こして、寺院は安全ではないと知らしめ、移送のために持ち出させる。
そこを強奪しよう、と。
だが、そのための材料を外から調達するのは危険だ。
イェザリ派とデルグンドラ人たちは騙せても、日誌の持ち主である魔女協会は甘くない。
寺院への全流通を秘密裏に監視しているだろう。
ストラングゥス・バル・ゾゾイールが寺院に入ってきたのは、全くの偶然であろう。
しかし"曲者"は奇跡的に、誰よりも早くそのことに気付いた。
そして利用したのだ。こっそり繁殖させ、マレーボ畑に放った。
マレーボの実を食べた羽虫たちからは分泌液を抽出し、意識拡張剤を作成。
それを散布してから"魂感応"を行い、火事の目撃者が出ないようにしたのだ。
白昼堂々、魔力触媒を使った放火を行なったのに、有効な目撃証言が一つも無いのは明らかに異常である。
"魂感応"で人々を操り、そうやって作り出した死角を通って移動していたのだろう。
意識拡張剤──つまりはターグ・ナンズ──の成分が、クロスの行なった最後の検査によって現場の検体から見つかったのである。
刺殺された化学者は、この企てに加担し、分泌液の抽出と意識拡張剤の調合を行なっていたと思われる。
それから、口封じと、騒動を起こすという狙いの一部として殺されたのだろう。
他にも数人いる抽出の専門家の中から彼が選ばれた理由は一つ、アーゲルン人だからだ。
つまり、犯人はストラングゥス・バル・ゾゾイールとマレーボの実で意識拡張剤を作るという、かつてのカーギ・カリンのやり方を知っており、"魂感応"を使い、アーゲルン人の化学者を味方に引き入れられる人物。
「犯人はアーゲルン人、カーギ・カリンの司祭ですよ」
「よくできました」
指先だけで小さく拍手し、クロスの出した結論を称える。
その様に、思わず眉を顰めた。
「知ってたんですか? 犯人のこと」
「はい、わたくしもそこまでは掴んでおりました。ただ物証がありませんでしたので、あなたに動いていただいたのです。他にやるべきこともございましたし」
「え、ということは、相手の狙いを知った上で、私に日誌を預けるんですか? 危険を承知で?」
「そういうことになりますわね」
足を組んで膝の上で両手を合わせる。尻尾は水が流れるように寝台の下へと潜り込んだ。
「ただ、ご心配には及びませんわ」
そして、首を傾げながら優しげに笑みを浴びせかけたかと思うと、やにわにクロスの手を掴んで胸の中に抱き寄せた。
突然の不意打ちに抵抗や反応する暇もなく、柔らかな肢体に抱きしめられる。
頭の中は悦びよりも混乱の割合が多かったが、その天秤は更に深く傾くこととなる。
抱き寄せられた勢いそのままに後ろに倒れ、しかも尻尾を使って寝台まで横倒しにしたのである。
"鋤の魔女"の背は床に、クロスは彼女の体にますます深く沈み込んだ。
だが、その状況を理解する前に、一本の矢が寝台を裏から貫いた。
咄嗟に横を向くと、弩用の矢の先端がそそり立っている。
困惑と驚愕を堪能する時間などは、それでも与えられない。
"鋤の魔女"が体位を入れ替えてクロスを組み敷くと、寝台の木が二人を包むように育ち始めた。
二発目の矢がそれを貫くが、二人には掠りもしない。
しかし、木の軋むような音に混じって、固い足音が出入り口のドアの方から近づいていた。
「何が──」
ようやく口を開くクロスだったが、その口は直ちに塞がれた。
"鋤の魔女"に口移しで薬液を流し込まれたのである。
饐えたような香りが立つ堪らぬ薬の風味に思わずむせそうになったが、息を吹き込まれて強引に飲み下された。
それを舌で確かめた後に、口を離してすかさず耳元で囁く。
「魂の、すぅっと奥へなりゆこう」
静かで、甘くて、痺れるような声。
心臓の鼓動は急速に鎮まり、体から力が抜ける。
剥離薬、それに催眠の魔法と、穏やかで流れるような音の響きと羅列。
これによって魂と肉体の関連を一時的に剥離し"魂感応"の影響を抑えるのだ。
魂の受容力を意図的に落とす、この方法は統王とアーゲルン人との戦いの中でもたらされたものであった。
その効き目は既に実証済みなのである。
打ち上げられた魚のように大人しくなったクロスを抱き締めながら立ち上がり、木の鎧をますます頑丈に育てる。
やがて矢は貫通しなくなったが、今度は強い冷気が吹きつけ始めた。
強い冷気魔法だろう。バンカギナラの木は寒さには強いが、中にいる二人はそうではない。
果物を凍らせるように芯まで冷やし、それから日誌を奪い取るつもりなのだろう。
牽制なり反撃なりで、中断させねば危険だ。
だが木の根で攻撃して、敵が魔力触媒を持っていた場合、衝撃で出火や爆発を起こす恐れがある。
(仕方ありません)
"鋤の魔女"はクロスの胸に手を当て、膝を股間に差し入れる。
(ごめんなさいね♪)
サキュバスは男の精を胎内に取り込み、そこから魔力だけを取り出して卵を育てる。
つまりは、精に含まれる魔力を扱うのに長けているのだ。
かつては原始的な繁殖にのみ用いたが、魔法という学術と文化との交流の中で機能は技術へ昇華され、一つの成果をみる。
サキュバスのみに可能な、格別の禁忌"精魔法"だ。
心臓を介し、自らの魔力を血流に乗せてクロスの局部へ送り、精力と融合。
混じり合ったエネルギーを、差し入れた膝から受け取ると、そのまま足を伸ばして木の鎧を蹴る。
同時に、突き立てた足から杭を打ち込むように力を射出した。
それは木の鎧を貫き、空間を裂くと、その空間ごと爆裂。
飛散した力は、敵に触れるとその体に滑り込み、親和性の高い睾丸内へ惹きつけられるように収束。
"鋤の魔女"が強く拳を握るのと同時に、内部から睾丸を潰し割り、二つの断末魔を響き渡らせた。
うち一つは、敵のもの。
もう一つは、クロスのものだった。
傷ついてはいないが、魔力を引き抜く時の衝撃と激痛は大の男でも顔を白ませるだろう。
木の鎧を解き、股間を押さえてへなへなと倒れ込むクロスを尻目に歩み出ると、痙攣しながら倒れ伏し気絶している男が一人。
足で蹴って仰向けに転がすと、アーゲルン人特有の四つ目があらわとなった。
「天よ花よ、どうかお許しを」
簡単に祈りを捧げた後、アーゲルン人の胸ぐらを掴んで強引に引き起こし、椅子に投げ入れる。
「これからの行為を、わたくしが愉しんでしまう罪をお許しください」
そして、壁に仕込んだ隠し戸から革ロープを取り出した。
彼女の目は爛々と輝き、声色は弾んでいた。




