鋤の魔女8
「お邪魔しまーす」
小声でことわりながら、窺うように扉を開ける。
だがそこに人の姿は無く、壁際の棚と、天井から吊り下げられた大量の瓶があるのみである。
棚には木組みの虫かごや植木鉢、瓶が並んでおり、それら全てには中身の名前が書かれた札が括り付けられていた。
そして、その中の一つにクロスの目当てのものがあった。
「ストラングゥス……ええと、タル、バル・ゾゾイール? 多分これだな」
噛みそうな名前が書かれた虫かごを手に取り、明かりを近づける。
薄暗い部屋の中で、明かりの内に浮かんだのは数匹の甲虫の姿だった。
薄紫色の丸い背は発達した羽を持つ証。
油のような分泌液によって表面は常に光沢があるが、この分泌液が問題の原因なのだ。
この部屋には、あわせてこの虫の被害にあった作物らの一部も保管されていた。
マレーボの実には明らかな虫食いの痕が残っており、その周辺から既に傷みつつあるようだった。
腐敗臭も始まっており、何らかの検体としては使い物になりそうもない。
恐らく、近いうちに廃棄されるだろう。
ひとまず、クロスは火事と暗殺と害虫の原因が全て同一であるとの仮定の下で調査をしていた。
調査によってその仮定が崩れようが崩れまいが、前進であることには違いない。
出来ればこの部屋の担当研究者の許可を得た上で行いたかったが、いないのであれば仕方がない。
机の上の皿に害虫を出し、分泌液の皮膜を少量削り取って試験管の中に入れる。
一応、マレーボの実の一部も少量採取し、密閉したガラス瓶に保管して持ち帰った。
とはいえ、虫の生態についてクロスは完全な素人に近い。
"鋤の魔女"の研究室があっても、知識がなければ情報が持つ意味を理解できないかもしれない。
院の者に訊ねても良いのだが、こっそり盗んだ検体であるし、"鋤の魔女"の違法行為が露見するようなことも避けたい。
とすれば、意見を求めるべき相手は一人だ。
試験管と瓶を机の隅に置くと、クロスは相互紙を広げてペン先をインクに浸した。
『"胞の魔女"からの返事よ、文面そのままで送るわね』
十数分後、相互紙に文字が浮かび上がった。
筆跡は師アッサルートのものである。
彼女を通して"胞の魔女"に知恵を借りたのだ。
『ストラングゥス・バル・ゾゾイールは下ゼレカ語で"油の引き手"という意味を持つ、その由来通り魔界原産の虫さんです。強い光沢のもとになる分泌液には苦味があって、体を乾燥や雨から守るのと同時に捕食者からの防御も兼ねています。
でも寒さに弱くって、暖かい密林でなければ冬を越せません。寿命は四〜六年ですが繁殖は二年に一度と低頻度で、それらの性質から人里で大発生することも少なく、密林で暮らす狩猟採集民たちにとっても脅威はほぼありません。
とはいえ繁殖頻度も魔法によって大幅に短縮することが可能で、知識と設備さえあれば促成とあわせてたった3週間で100倍以上の数にすることもできてしまいます。
分泌液を一部の植物が一定量吸収してしまうと、植物内部で毒物に化学変化されてしまいます。この毒はバンザ族によって濃縮されたものが矢毒として用いられるほどで、痺れと痙攣、胸痛、呼吸困難を伴います。
更に、この逆も起きたりするんですよ。この虫さんはナレボやスゥータなんかの果実を主に食べるんですけど、それらが無い環境で他の果実を食べたりすると、分泌液の性質が変わったりするんです。
マレーボの実は、ターグ・ナンズという麻薬の原料として知られますが、単独では幻覚効果は無く、寒さに強い作物として珍重している地域もあります。
でもこの虫さんが食べると、分泌液に僅かな幻覚効果が現れるのです。ハガマムカデの毒液を使う方法が広まるまで、このやり方でターグ・ナンズの原料を作っていたところもあったんですよ。麻薬としての効き目は弱くて、主に儀式用の意識拡張剤として使われていたみたいです。
他にも"魂感応"の補助薬としてアーゲルン人が活用していた記録もありますが、儀式自体が古い上に秘されていたのもあって、こちらの性質はあまり知られていないようです。
概して、自然中での危険は少ないですが、人の手によって危険物としての性質を引き出せてしまう虫さんです。人里で見かけたら、優しく捕まえて私に送ってくださいね。
──初代"胞の魔女"クルギャより
とのことよ』
"胞の魔女"の愛らしい言い回しがアッサルートの簡素ながら流麗で格式ばった文字で書かれているのは、妙な可笑しさを誘った。
クロスは少し満足げに微笑んだが、文字は更に続いていた。
今度は、アッサルート本人の言い回しで。
『私が思っていたより厄介な事になってるみたいね。本人から報告は受けていたけど、立て続けにやるなんて、いい度胸してるわ』
これには、クロスも返事を書かざるを得なかった。
『一連の事件、同一犯による故意だと思いますか?』
『当たり前じゃないの。偶然が存在するのを知っているのと、信じるのとでは別問題だわ。私はそんなもの信じてない、誰かが仕組んだのよ』
『でもどうしてでしょう。動機がよくわかりません。誰かの故意なら、意味を知らないと』
『それは今夜、"鋤の魔女"本人から聞きなさい』
クロスは眉を顰めた。訝しむように紙面を覗き込み「どういうことだ?」と呟いた。
そしてすぐに、呟いた言葉とほぼ同じ意味の文章を書き送った。
『忘れた? "鋤の魔女"があなたを呼んだから、ここに行くよう指示したのよ』
『ということは、犯人が誰なのか知っているんですか?』
『知ろうとはしてるわ。その方法は考えてあるから、あなたは気にせず証拠を集めて指示通りに動きなさい。いいわね?』
釈然としない何かを覚えながらも『了解』と返信する。
それきり、師から返事が送られることはなかった。
ちょうど検体の濾過工程が終わったのもあり、相互紙を畳んで器具と向き合う。
濾過した液体を皿に広げ、カボ溶液と混合して反応を見る。
液体は透明から薄い青色に変わり、やや粘ついた状態から水のように滑らかな感触になった。
「これは……」
クロスは目を見開いた。
結果に心当たりがあったのだ。
「こりゃ、まずいことになったなぁ」




