鋤の魔女7
"鋤の魔女"から借りた研究室の設備はかなり充実していた。
クロスのカンテラと同様の原理のランプや、精巧なガラス製の試験管やフラスコ、革チューブなどの実験器具。
配管を通る水流を利用した水車に、それを動力とした小さな遠心分離器、石製の流し台まで置かれていた。
とても宗教施設の一角とは思えない程の、まさしく魔女の研究室であった。
壁際を覆う棚に並んだ種子や植物の入った瓶や植木鉢に興味を引かれぬではなかったが、早速仕事を始めることにする。
まずイワ油を甕に注ぎ、細かく砕いた床材の瓦礫を漬け込む。
その間に、焼けた植物と焼けていない植物を、虫眼鏡で比較する。
注目するのは、まず薬剤の痕跡。高温と炎によって水溶液等の薬剤が蒸発すると、結晶化した成分が残留する。
それらを見つけ、選り分け、それぞれが何の物質なのかを調べるのだ。
もう一つ注目する点は、魔力の痕跡である。
炎の魔法を直接生体に叩きつけた場合、火傷の下に特有の破裂痕が残る。
生体の規模に見合わぬ大量の魔力を注ぎながら、肉体を破壊しているという状況が生まれるため、魔力が肉体を内側から突き破るのだ。
とはいえ、植物はほぼ炭化しているため、それを見つけるのは難しいかもしれない。
それでも痕跡が残っている可能性が少しでもあるならば、確かめない訳にはいかなかった。
取り敢えずは、ピンセットを用いて、検体表面の残留物を選り分けていく。
ひたすら地味な繰り返しと忍耐の作業。
が、クロスにとって、それはむしろ得意な分野と言えた。
結晶化した物質はそれぞれ固有の形状を持っているので、目が痛くなる以外はそれほど難しい作業ではなかったのだ。
残留物を採取し終えた後は、甕の中のイワ油を柄杓で掬う。
床材の瓦礫に染みた物質が、この中に溶け出しているはず。
それを数本の試験管に分けて入れ、小型遠心分離器にかける。
かなりの時間がかかるので、その間に残留物の検査と同定と済ませてしまう。
魔力に反応するかどうか、水溶性かどうか、酸性かどうか、特定の物質と反応するかどうか。
それらを一つ一つ確実に行い、結果を記録し、記録を統合する。
まずは、あまり時間のかからない、水溶検査や酸性検査を済ませてしまう。
それから各種の反応検査のために検体を薬液に投入したり、その上で火で炙ったりするのだが、これらは結果が出るまで時間がかかる。
その間にも済ませておくことがある。
クロスは立ち上がり、ノックされた扉を開いた。
研究員や学者、僧侶や修道女たちから話を聞かなくてはならないのだ。
──マーシャン・タンテト修道学士 37歳 男性 人間
「イェザリ派に敵はいますか?」
「そりゃあ沢山いるよ。天核教の主流派は今じゃ形だけ否定するだけだけど、グザ派からはよく脅迫を受けるし、他の支部じゃ小競り合いみたいな暴力沙汰も起きてるんだ。カーギ改宗派や自然派とも対立があるし、魔道士会とも仲は良くない。それに……」
「それに?」
「僕ら、デルグンドラに農業を定着させようとしてるだろ? それを伝統の破壊だって言う人もいるんだ。この地で育つ作物があれば皆が豊かになれるのに……」
「何か具体的な問題がありそうですね」
「2ヶ月ぐらい前に、5人のデルグンドラ人が乗り込んできて、設備をメチャクチャにしていったんだ。彼らはもう捕まったけど、危機管理のための人員を他所から増員せざるを得なくなって、でも結果的には上手く機能してるかな」
──スーラゥ・ゴ・トンマク師 68歳 男性 スロヴ人
「2週間ほど前の害虫騒ぎについて教えていただけませんか?」
「湧いたのはストラングゥス・バル・ゾゾイールという虫で、食害は大したことないのですが、分泌液を一部の作物が吸収してしまうと、その作物が毒性を持ってしまうという厄介な奴でして。おかげでマレーボ畑が全滅ですよ、大変なものです」
「その害虫は、このあたりではよく出るんですか?」
「まさか! 本来は高湿の密林にいる虫です。巣や卵も見つかっていませんし、また湧くようなこともないでしょう」
「突然湧いた原因はなんだと思いますか?」
「外から買い付けた物に、卵がついていたんでしょうな。この環境下でも孵化するかどうかは、実験結果を待たないといけませんが」
「実験? 害虫は駆除していないんですか?」
「原因を調べないといけませんから。ストラングゥス・バル・ゾゾイールが今後、人の生活圏内で害虫として勢力を延ばすかもしれません。そうなった時のために、好む食べ物、嫌いな食べ物、長所や短所、発生の原因、何故分泌液に特異な効果があるのかを調べています」
──ドーガ屯所衛兵伍長 28歳 女性 デルグンドラ人
「殺人事件について、公開しても問題ない範囲で構いませんので、教えていただけますか?」
「被害者は47歳の修道学士、男、専門は化学、担当は成分抽出と分離、名前はハーラ・グラグディチ・サムセイル、アーゲルン人。5日前の夜に同僚と廊下ですれ違い様に挨拶を交わした姿を最期に、翌日の朝方死体で発見された。現場は被害者の自室で、背後から七回刺されて失血死したと思われる」
「犯人の目星は?」
「明かせない」
「凶器の特徴は?」
「犯人像に関する情報は明かせない。わかってくれ」
「強盗ではなく暗殺、と衛兵の方から伺いましたが、本当ですか?」
「その線が強いと見ているが、未確定だ。物が取られた形跡が見られず、証拠も少なく、目撃証言も無い。計画的な殺人だろう」
この衛兵伍長への聴取中に、遠心分離器の作業完了を報せるカラクリが小さな鐘を打った。
中断し、駆け寄って試験管を抜き出すと、イワ油と、それ以外の成分が綺麗に分かれていた。
「なんだそれは?」
衛兵伍長が興味深そうに後ろから覗き込む。
「ちょっとした研究ですよ。申し訳ありませんが、今日はここまででお願いします」
クロスは言葉を濁した。
彼女のお仲間が封鎖している火事現場からこっそり盗み出した手がかりだ、などとは言えないのだ。
事件との関連を教えてしまえば、確実に入手元を訊ねられるだろう。
"シリネディークの弟子"として、魔女の一員の違法行為を告発するようなことは出来ない。
それに、これによって犯人がわかれば関係者全員の利益になる。
そのためのケチな小犯罪程度になら、面倒を省いて目をつぶってもらった方が彼女らにとっても良いだろう。
少なくともクロスはそう考えていた。
「では、失礼する」
「はい、お疲れ様でした。感謝します、と総督に伝えてください」
自分の本来の業務を優先することにしたのか、総督からの「二度までは協力を」との指令を優先したのか。
衛兵伍長は不審に思いつつも研究室から去っていった。
魔女協会とイェザリ派と地域農業監督者のコネの併せ技は、いち現場監督者の私心など一息に押し流すのだ。
クロスの方は、革チューブで分離した上澄みだけを吸い上げると、石皿の上に垂らす。
それから、自分のカンテラを近付けて種火に少しだけ自分の魔力を送り込む。
すると、カンテラの種火は上澄みの方へ傾くように、もしくは吸い寄せられるように靡いた。
この現象が示す事柄は一つ。カンテラの種火から上澄みへと、魔力の流れが形成されているのだ。
元々魔力を持っていた物質は、それを失うと、僅かに周囲の魔力を取り込むようになる。
空気の抜けた風船が、高圧の空気を吹き込めば再び膨らむのと同様に。
ごく僅かである上に、その性質は短期間しか継続しないが。
とはいえ、これは一つの成果ではある。
おそらくこの上澄みは、何らかの魔力触媒の残滓。
魔女協会に於いては"残漏"と呼ばれ、分類される物質だ。
こういった魔力触媒は扱いが難しく、危険である。
故に、床に撒き散らすようなことなど通常はあり得ない。
人が簡単に出入りできるような場所に保管もしない。
つまりあの部屋では、何か異常なことが起きて、魔力触媒が持ち込まれ撒き散らされたのだ。
「こいつが原因かな?」
火災の原因には十分になり得る。
もし意図的な放火であるならば、魔法の技術に長けた者の仕業であろう。
他の検査の結果を待って、それらしい発火原因が見つからなければ、ほぼ確定となる。
そうなった場合、犯人は──
「内部犯か」
直接乗り込んで暴れるようなデルグンドラ人たちの手口ではない。
責任を恐れて単なる事故を誰かが隠蔽しているか、巧妙で計画的な犯行のどちらか。
いずれにせよ、この修道院の誰かが原因である可能性は非常に高い。
「害虫騒ぎや殺人とも関連してるかな?」
他の事件との関連を見出せたらば、一気に犯人の正体に迫れるはずだ。
複数の検査の結果を待つ間に、それを調べよう。
クロスは立ち上がると、カンテラを左手に持ったまま部屋から出ていった。
当然、鍵をかけるのを忘れはしなかった。




