鋤の魔女6
品種改良には三種の手段がある。
近縁種もしくは異なる環境で生育した同種間での交配。
作為的な選定による収斂進化の操作。
通常通りではない環境や条件下での生育による偶発的変異の試み。
そのどれもが、手と目と意思によって為される。
壮大なる自然の営みと連なりの中ではなく、小さな人間たちの身近な目的のために。
支配し、屈服させ、そして許すのだ。
知が刃となり、情が盾となり、全ての残酷さを忘れ去るまで。
だがそれは天とて同じこと。
天は賽など振らない。地は札など引かない。
結局、万物は定められた計画通りに進行するばかり。
ならば今ここに集った者たちも、この場所も、あるべき故にあるのみだ。
進むべくして進み、変わるべくして変わり、拒むべくして拒み、戦うべくして戦い、負けるべくして負け、再び立つべくして立ったのだ。
ならば我らに道など不要。世が我らに押し付けるあらゆるものを撥ね付けよう。
奴らが何を言おうとも、奴らは我らの責を負わぬ。
ならば奴らに抗おう。変化を強制しながらその責を負わぬ者らに現実を叩きつけよう。
我らが何もせずとも、世の種は改まる。
ならば全てが許されよう。
ため息をひとつ零しながら、クロスは廊下を歩いていた。
イェザリ寺院──というより農業試験場──の硬い廊下の床は一人歩きには向いたが、安堵は得られなかった。
火事騒ぎは一時落ち着き、研究者や僧侶たちの往来も活発だった。
彼は一つのドアの前に辿り着くと、数度ノックし「クロスです」と名乗った。
返事はなかったものの、躊躇わずドアを開ける。
許可を得る必要などないと知っていた。
ドアの向こうでは"鋤の魔女"が祈っていた。
跪き、手を組んで、天核教の象徴へ心静かに頭を垂れている。
それは願いを捧げているというよりも、心の炎を鎮めているかのようだった。
不動の後ろ姿は熱心な祈祷というよりも、深く沈む瞑想のようだった。
クロスは無言で彼女の横を通り抜け、居間にて席に着く。
手をかざしてポットのお湯を温め、二人分の茶をカップに注ぎ、その一つを手に取る。
そして、一口を啜り飲み、溜まった熱気を吐き出すように息をついたところで、"鋤の魔女"が戻ってきた。
「どうでしたか?」
対面の席に着きながら問いかける。
漠然とした問いではあったが、何を訊ねているのかは互いにとって明白だった。
「屯所の衛兵が現場を封鎖してしまったので、それまでの10分程度しか現場には居られませんでした。なので現場の検分しか出来なかったのですが……」
前置きの間に"鋤の魔女"も茶に手をつける。
「恐らくは、人為的な火事です」
決定的な一言が告げられても、茶を飲み、カップを置く動作に揺らぎも滞りもない。
ただ、沈黙と伏せられた視線で先を促すのみだ。
「燃え跡の範囲が壁や天井よりも床に広がっていて、燃え方も均等。しかも高温で、植物や植木鉢も炭化していました。炎の魔法を使ったか燃焼促進の薬液を使ったかまではわかりませんでしたが、自然に発生した火ではないと思います」
密室、それも石造建築に於いて、火は横よりも上に広がる。
燃えやすい棚が壁に沿って配置されていたのもあり、あの部屋で火が起これば自然と壁や天井の方が燃焼範囲は広くなる。
そうではない、ということは、つまり何者かの手が入ったということなのだ。
「ただ、犯人に繋がるようなものは見つかりませんでした。一連の騒動との関連もわかりません」
4日前の殺人と、15日前の害虫騒ぎ。
同一犯である可能性もあるが、実際的にはそうではない可能性の方が高いだろう。
一つの事件で場が荒れれば、乗じて己の暗い本懐を遂げようとする者が現れる。
そうではない、と言い切るには材料が足りないのだ。
「一応聞き込みも軽く行ってみたんですが、有効な情報は殆どありませんでした。やはり現場をもっと詳しく調べないと」
「必要なものは?」
二口目を飲んだ後、やにわに言葉を挟む。
クロスは少しだけ考える素振りを見せたが、答えには淀みが無かった。
「燃焼物の断面、植木鉢と植物の葉と根が欲しいですね。燃焼促進剤の痕跡も調べたいので、床材の検体も広範囲に欲しいですし、あの部屋で被害に遭わなかった植物の検体もあれば嬉しいです。それでも決定打になるとは限りませんが」
「では、やってみましょう」
躊躇いなく卓に手をついて立ち上がる。
彼女のカップは既に空になっており、たった二口で茶を全て飲み干したのがわかった。
現場に再び赴くのかと思い、同じく立ち上がりかけたクロスだったが、予想に反して彼女が向かった先は寝台であった。
一体何が起きるのか。
"鋤の魔女"は寝台に腰掛け、静かに目を閉じて尻尾を寝台の下に差し入れた。
その直後、寝台を形作る木枠が、軋みをあげながら"成長"を始めた。
厚みが増し、節目からは枝が伸び、葉までが茂り、木肌には苔すら浮き出た。
寝台の下から根が床に張り巡らされ、クロスの足下にまで及んだ。
そして、思わず後ずさった時、根は床の一部を持ち上げ、その下へと流水が如くなだれ込んだ。
あまりの展開に、つい"鋤の魔女"に視線を送るが、彼女はただ涼やかな表情で目を閉じ、寝台に腰掛けているだけである。
植物を用いた魔法は非常に高度かつ低効率のものであり、魔力の消費は非常に大きい。
植物の体にも術者にも重い負担となり、本来ならばまともに制御することすら不可能であろう。
特に、急激な成長を促す魔法など聞いたこともない。
暫くすると、床穴へとなだれ込んだ根の束は縄を巻き上げるように、引き戻され始めた。
根の先端が完全に穴から出て、巻きついて保持していた物品をクロスの胸に押し付ける。
反射的に抱えて受け取ったそれらこそ、まさにクロスが先ほど要望した物品のようだった。
その後、根は持ち上げていた床を元の位置に戻すと、蛇が如く寝台の下へと引っ込んでいく。
葉も萎れ、苔は落ち、厚みを増した木肌も服を剥ぐように剥け落ちた。
そうして、寝台が完全に最初の形に戻ったのと同時に"鋤の魔女"は目を開いた。
「今のは」
呆然とその様を眺めながら、クロスはつい訊ねた。
彼女は寝台に腰掛けたままであったが、まずは笑顔でそれに応えたのだった。
「この寝台は改良されたバンカギナラで作られておりまして、全体に効率よく魔力が配分するための空洞経路を刻んでありますの。あとは寝台の下に仕込んである貯蔵槽を満たす高純度魔力液。その魔力をわたくしの魔力で押し込んでやれば、この程度の規模で自在に操作できるのです。この寝台は、そのために最適化された"構造"ですのよ。あとは建物全体にこっそり張り巡らせてある通路を使えば、この建物内ならどこへでも手を伸ばせますの」
その笑顔は、クロスの心を揺らす、少女の悪戯のような笑みだった。
寝台から伸ばした足まで揺らして、実に楽しげである。
「こっそりって、無断なんですか? 今のは誰も知らない?」
「乙女には秘密と切り札が必要ですのよ」
建物全体に秘密の通り道を作り、魔女の魔法で以って自在に根を送り込んで、自由に物を出し入れする。
まごうことなき全施設の私物化であり越権であり、破門物の暴挙である。
場合によっては契約法違反により訴えられるだろう。
それを、彼女はいとも簡単に初対面のクロスに見せ、自慢げに楽しげに話しているのだ。
何故か? いざとなれば、サキュバスの力でクロスを籠絡してしまえるからである。
なんとも、背筋が震える思いがした。
「それより、わたくしの研究室をお貸ししますので、検体の検査をお願いできません? これが鍵です。荷物も後ほど運んでおきますので、寝泊まりもそちらでお願いしますわ」
それでも"鋤の魔女"は当たり前のように言葉を続け、木札のついた鍵を差し出した。
歩み寄って、検体を抱えたまま鍵を掴んで引き寄せようとすると、"鋤の魔女"も一緒に立ち上がって体を寄せた。
真正面から肉薄し、鼻先が触れ合いそうなほど顔を寄せ、腰に手を回す。
当然、これらは全て"鋤の魔女"がクロスに対して行った。
当のクロスはただ顔面を硬直させ、肩を強張らせてされるがままになっていた。
"鋤の魔女"は更に顔を寄せ、検体を抱えるクロスの腕に胸が押し付けられる。
腕を伝う心音のリズムは落ち着いており、クロスの早鐘に容易く打ち消された。
そうして、彼女の唇はわずかに開くと、吸い寄せられるように──
「夕食後、また来てください。お渡しするものがあります」
──そっと、耳打ちした。
何らかの返事をする前に、"鋤の魔女"はパッと鳥が飛び立つように離れた。
それでも、早鐘は鳴り止まなかったが、彼女が「さあ」と促す声には反応した。
ふらふらと夢の中にいるような足取りで振り返ると、ドアに向かって歩く。
"サキュバスの誘惑"には相性がある。そして彼女はサキュバスである。
だが彼女は聖職者である。研究者である。物語の読者でありファンである。
しかし、そのどれもに優って、彼女は魔女なのだ。
知を求め、欲し、法も倫理も規範も貫き、愛と拘りと我欲を押し通す。
恐るべき魔女の、一人なのである。
それをまざまざと思い知った一瞬であった。
そのような結論を考える余裕すら、部屋を出るまでは奪われていた。




