鋤の魔女5
院内に駆け戻ると、そこは蜂の巣をつついたような騒ぎだった。
研究資料と思しき書類や木簡を抱えて逃げ惑う者、割鐘を鳴らしながら急を知らせて回る者、無視して実験に邁進する者。
そこは喧騒と人間模様に溢れており、クロスはその中でたった一人の修道女を見失わぬようにしなければならなかった。
彼女は火元の方角へとひた走り、それを追うクロスも熱量の高まりを感じていた。
やがて、二人は人だかりにぶつかった。
奥からは煌々とした明かり溢れ、天井を橙色に染めていた。
"鋤の魔女"はそれを強引にかき分け、続くクロスは「すいません」「通してください」と遠慮がちに人垣の間をすり抜けた。
人垣を通り抜けると、まず見えたのは部屋の入り口から躍り出る火炎。
次に見えたのが、真正面からそれに対峙する"鋤の魔女"であった。
彼女は水筒をポケットから取り出すと、その中身である水を左手に振りかける。
すると、水は落ちることなく彼女の掌の上に留まり、大きな滴か、またはゼリーのように固定された。
「しゃっ!」
その状態で炎に向けて左手を振るうと、水の塊は凍りながら弾け、幾つもの氷となって火の中へと擲たれた。
水を通して魔力を循環させ、その魔力流に乗せて水の温度を奪い凍らせる"雹滴"という魔法だ。
周囲に冷気を撒きながら進む氷の群れは的確に火元を冷やし、火の勢いを弱めた。
クロスも両手を捻るように擦り合わせながら、魔力誘導で炎を吸い込み揉み消していく。
後は局所的に温度が高まっていた箇所へ水をかけてやれば、鎮火は完了。
煙が立ち込め、クロスが野次馬たちと一緒に咳き込んでいる間に"鋤の魔女"は部屋へと駆け込んでしまっていた。
「トゥーナさん!」
急いでその後を追う。鎮火はしたとは言え、不用意に踏み込むのは危険である。
倒壊や崩落、燻りの再燃が起きるかもしれないのだ。
部屋の中は、簡易の栽培室といった設備が揃っていた。
雨戸付きの天窓と、棚に並べられた鉢植え。
湧き水を使った簡易水路に、受粉用の横転蜂の飼育ケースまで備えられている。
だが、今やその部屋の半分は焼け焦げていた。
"鋤の魔女"はその前で屈み込み、炭と化した葉屑を指先で撫でた。
「クロスさん」
そして背中越しにクロスの名を呼ばわる。
「あなたを、ディゴ荒野唯一の火術士と見込んでのお願いがあります」
いつもの、穏やかな声ではあった。冷静な声ではあった。
その顔には笑みすら浮かんでいるのだろう。
「調査を、手伝っていただけませんか?」
しかし、その姿には迫力があった。
産毛が逆立ち、肌が粟立つのを感じた。
背筋から頭頂に向けて、沁みるような震えが走るのを感じた。
「ふふふ、思い出しますわね。狩猟の女神ヨーキンが生命の女神ゾームに復讐しようとする場面、背中の腕で太鼓を打ち鳴らし、歌いながら次々と矢を放つ。彼女の矢は常に燃えていて、雷以外では決して落とせなかったそうですわ」
振り向いた彼女の顔には笑みが張り付いていた。
だが、こめかみには青筋が立ち、瞼は時折震えていた。
怒りというものに何度か遭遇してきたクロスであったが、これはそのどれとも違った。
"光の魔女"のように激しく爆散する怒りではなく、深く深く掘り抜くような暗い怒り。
そして、怖気の正体を知ったクロスは、思わず一歩引いてしまった。
「は、はい、協力します」
そう答えるのが精一杯であった。
"鋤の魔女"の表情は全く変わらなかったが「それは何より、ひとまずわたくしは自分の部屋で落ち着いて来ますわ」と告げると、歩き出した。
自らの手でかき分けてきた群衆は、今度は自ら分かれて彼女の道を作った。
「ふぅ」
見届けた後に、噴き出した汗を袖で拭う。
それから、改めて焼け焦げた跡に視線を移した。
全体が満遍なく炭化している焼け跡には、証拠になりそうなもの、そもそも物品と呼べるようなものは残っていない。
「こういうのばっかりだな、俺って」
そして、独り言と共に、一歩を踏み出した。




