鋤の魔女3
「トゥーナさんは、どうして魔女になったんですか?」
出し抜けに、目の前で優雅に茶を飲む"鋤の魔女"にそう訊ねた。
彼女は既に魔女帽を脱ぎ、天核教のベールを着け直していた。
卓を挟み、クロスの足労をねぎらうのを口実として大好きな茶に舌鼓を打つ姿は、魔女でも聖女でもなく少女のように天真である。
「気になりますか?」
美味しいお茶を飲んで嬉しそうに笑いながら、訊ね返す。
「ええ、まあ、その、不躾かもしれませんが、気になりまして」
彼女の言動は、魔女であることよりも宗教家であることを重視しているかのようだった。
魔女という立場は重要ではなく、楽しむ余裕すら抱いているように感じたのだ。
「主には、魔女の方々の知見や知識を取り入れるためですが、組織的な援助を得るため、というのが最大の理由ですわ」
「それなら天核教本部の互助組合や他地域のイェザリ派がいるじゃありませんか」
「宗教活動の援助のみならそれでも良いのかもしれませんけれど、研究開発の資金や学術支援は、組合や天核教本部はしてくれませんの。魔女協会や魔道士会と協力するか、宮廷学者を顧問に迎えるなりするのが、最も効率的なのですわ」
天核教の各施設や団体に対しては、租税の免除や福祉援助金の交付等の優遇措置が取られている。
その代わりとして、統王は彼らに福祉の役割を担わせ、民衆の生活を下支えさせている。
修道院や救貧院は万人を無償で受け入れ、寝床を用意し、時間の経過によって価値が低下した紙幣の本位品──つまりは食料──を換勘場より譲り受けて提供する。
大抵の院は医療所とも提携し、更には書物の保管所としての役目も果たしている。
故に、独自に研究や開発を行おうとしたならば、単なる宗教施設のままでは運営が難しくなってしまうのだ。
統王からの援助は、福祉施設としての役割を果たすためのもので、研究開発を継続するには足りない。
宮廷学者を迎え入れ"技術院"として新たな援助を認めさせるか、民間より援助を募ることが必要となるのである。
その構図は、統王による支配以前からそうであった。
支配者たちの多くはイェザリ派を援助せず、そのため大抵のイェザリ派はカイレン魔術組合と提携し、農の知識と技術を培ってきた。
そのために、イェザリ派はカイレン魔術組合もしくは魔道士会の影響を文化的に受けており、男尊女卑の気風が強化された時期もあった。
だが、ディゴ荒野はその地の不毛さとデルグンドラ諸侯らの危険性ゆえに、全く手をつけられていなかった。
統王が世界を統一し、総督府の設置を経て、ようやくディゴ荒野にも天核教の手が及ぶ運びとなったのである。
つまり、この地に於ける天核教イェザリ派には伝統などなく、歴史もない。
無用なこだわりを捨て、使われていない礼拝堂を縮めて魔女協会と組むという実用が可能な状態であるのだ。
「わたくしも魔女の端くれとして、学術と研究に身を捧げてはいますわ。でも心は常にナイシャラー様の方角へ向いているのです」
胸に手を当て、祈るように目を閉じる。
魔女というものを、目的のための道具として利用されるだけのものと捉える。
それはそれで、魔女らしい。
クロスは熱い茶をゆっくり啜り、彼女がひとしきり情熱を迸らせ切るのを待った。
「専門は、研究ですよね?」
そして、質問を続ける。
彼女の細腕を見るに、農作の担当とは思えない。
農場で作物の経過を確認することはあるだろうが、農作業には従事していないのだろう。
「ええ、根茎類の品種改良をしていますわ」
「根茎類、ニンジンやノユリ根なんかですか?」
「それらも研究対象ですけれど、今は芋類に取り組んでおりますわ」
「芋?」
芋、クロスには聞き覚えの無い言葉だった。
「魔界のサキュバス族が常食していたもので、タンバという植物の肥大した根塊ですの。蒸して潰して焼いたり、茹でたりして食べるものなのですけれど、毒性があってサキュバスにしか食べられない野生種ですわ」
「それを、改良しているんですか?」
「病気に強く、強靭な生命力を持った逞しい植物です。腹持ちもよく、サキュバスの共同体はこの芋のおかげで、長い間他の種族から隠れ潜み続けられたと言われている程ですわ。毒性さえ解決できれば、次世代の主食にもなり得ると思っています。今は、苦労しているところですけれど」
サキュバスはかつて伝説上の種族であり、存在しないとされていた。
魔界統一でようやくその存在が明るみになった時には、原始的ながらも立派な共同体を築いていたのだ。
サキュバスという名は、最初の発見者である貴族の名前に由来し、今はその者によって管理運営されている。
サキュバス卿の領民、サキュバス族、という形なのだ。
そして、クロスはふと気付いた。
その種族の名前を聞いて、思い至ったのだ。
「トゥーナさんって、現界人じゃないんです?」
こう問えば、彼女の顔には再び少女のような笑みが浮かんだ。
口を押さえ、くすくすと小さく笑いながら糸目の視線をクロスへ流す。
その蠱惑的な仕草と、荒れた大地に暮らしながら損なわれない美貌、そしてこの反応。
間違いない、彼女はサキュバスだ。
「出身はゾルイン・ポータル城下街ですわ。母の出身が、魔界領サキュバスですの」
分厚い修道服の隙間から、細長い尻尾の先端が覗いた。
矢じり型の先端部を利用して、普段は修道服内にゆったりと収納しているのだろう。
尻尾は彼女の顔の横まで持ち上げられると、誘うようにゆらゆらと漂った。
その様に、クロスは胸を高鳴らせ唾を飲み込んだ。
これまで見てきた、理性として理解可能な美しさではない。
男という本能に訴えかけるような、恐ろしいまでの魅力が彼女には備わっていた。
サキュバスと会うのは初めてではないが、彼女はこれまでの誰とも異なっていた。
美貌と性フェロモンと催眠の魔法を組み合わせた誘惑の術は、特定の雄を強烈に惹きつける。
尻尾の揺らめき、ティーカップへ伸びる指のしなやかさ。
彼女が示すあらゆる動きが、誘惑のように思えてしまうほどの衝動と高熱だった。
魔力も魂も肉体も、クロスが持つあらゆるものが彼女に昂らされ、かき乱されていた。
「"サキュバスの誘惑"には相性があると言われています。どうやらわたくしとあなたの相性は良好なようですが、ご安心を。イェザリ派が操の誓いを立てないとは言え、わたくしにその気はございませんわ」
尻尾を修道服に収め、蠱惑的な笑顔から再び清らかな笑みへ戻す。
茶をもう一口飲み、深い味わいに頷きながらサキュバスの技を解いた。
クロスは息を吐き、「それが聞けて、安心しました」と絞り出す。
心臓は未だ高鳴ってはいるが、魂は落ち着きを取り戻しつつあった。
身の危険を覚えるほどの、性に対する衝動。初めて感じたそれに、身震いしながら戦慄した。
「サキュバスは、相手の子を孕むことはできません。基本は単為生殖なのですから。それでも、愛を不要とするわけではありませんわ。芋も研究も、わたくしの愛の延長にあるもの。わたくしは既に、物語に惚れてしまっていますのよ」
空になったカップを置く。
胸を押さえながら体を落ち着けるクロスに、何かを返すことは出来なかった。
「さ、それでは残りの案内を済ませますわよ。荷物はここに置いたままでお願いしますわ」
そう告げて立ち上がる彼女の物腰は、淑やかな修道女のそれだった。
それもサキュバスの立ち居振る舞いだと知ってしまった今、心惹かれそうになるのを必死に堪えて無言で立つ他ない。
必死さが表情や仕草にも表れてしまっていたのか、トゥーナはまたしてもくすくすと小さく笑うのだった。
その笑い方をもう止めてほしい、というクロスの心中を知ってか知らずか。




