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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
鋤の章
68/211

鋤の魔女2

「ようこそイェザリ修道院へ」


"鋤の魔女"に先導され、建物に入るとまずは礼拝堂があった。

長椅子が並び、説教台も天の光を模した彫刻もある、基本的な構造だったが、かなり狭い。

立派な石造の礼拝堂であるというのに、下手をすれば村の教会堂よりも狭く、天井も低かった。

これでは、一度に入れる人数は20人程度であろう。

それは礼拝堂というより、殆ど通路に近かった。


「随分、その、小さいですね」

「元々は教会堂程度の規模があったのですけれど、改築の度に縮小していってしまって、今では説教も15日に一度という有様ですわ。デルグンドラの方々には、イェザリの慈愛がうまく伝わらないようですの」


体を横にして長椅子の間を抜けながら話す。

眉をハの字にして嘆く彼女の表情はそれでも尚、清らかであった。


「その代わり、わたくしどもの他の活動については多大なご支援をいただいておりますわ。総督閣下も行政使府の皆さまも大変良くしてくださいます」

「他の活動、伝道師の派遣ですか?」

「あら、ご存知ありませんの?」

「すみません、あいにくと」

「いえいえ」


話しながら奥へと進み、更なる奥へと続くドアに手をかける。


「余すところなくお見せするよう、協会長と院長より仰せつかっておりますわ。これがわたくしたち、イェザリ派です」


ドアが開かれたその先にあるものは、回廊だった。

回廊はこの建物全体をぐるりと一周した上で、更に複数の廊下に枝分かれしているようで、蟻の巣か砦を思わせた。

壁には不定の間隔で部屋への入口が設けられており、ドアがついていない部屋もあった。

そしてその間を、常に学僧や修道士たちが往来していた。

閑散とした礼拝堂とは違い、廊下は賑やかさが絶えることはなく、そこら中から人々の話し声が響いていた。


その中へ"鋤の魔女"も踏み出す。

クロスも慌てて後を追うと、それを見透かしたかのように彼女は口を開いた。



「わたくしどもイェザリ派は日夜、農業研究を重ねております。交配や栽培実験、農作法の研究に農書作成、栽培法の伝授、果ては農具開発まで、幅広く活動してますの。例えばあちらでは作物ごとに土壌が受ける影響を調査しているところですわ」



歩きながら部屋の一つを指差す。

その部屋は床がなく地面が露出しており、区分けされた土にはそれぞれ異なる植物が植えられていた。

その根元の土を、二人の修道士が頭から突っ伏すように熱心に虫眼鏡で覗いていた。


「あちらでは新種作物の有効な調理法を研究しています」


違う部屋を指差すと、学僧が一心不乱に火の上の鍋を振りながら、立てかけた書物に時折視線を移していた。

老齢の僧であったが、横顔は真剣そのものであった。


「あそこが魔力交配室。種子が持つ魔力を、別種の種子へと移して新種を生み出す試みをする場所ですの」


別の部屋には魔法使いまでいた。

ごく微細な魔力導線を用いて魔力を種から種へ移そうとしていたが、送り先の種は耐え切れず破裂してしまった。

魔法使いは悲しげにため息をつき、その表情のままクロスたちの方を見る。

"鋤の魔女"はあくまで微笑みで返したが、それでもそそくさとその場を立ち去った。


「まあ、上手くいかないこともありますわ。でも皆様が挫けずに不断の努力を重ね、それに喜びを見出してくれています。そのおかげで当院より送り出した新種は実に80にも上り、新発明や新技術を含めれば1000は下りません。ディゴ荒野の苛酷なる地は、かえって独自の種を育むのに適しているのですわ」


意気揚々と誇るように語る姿には、清らかさの中にも朗らかさがあった。

足取りも弾み、見慣れているはずの光景に対して新鮮に心を躍らせているようだった。



「どうして農の研究をしているんですか?」



だがそんな人にも、クロスは浮かんだ疑問をぶつけざるを得なかった。

虫を使った受粉と促成の実験室を横目で見やりながら、問いかける。


そのような疑問に対しても、"鋤の魔女"は当然のように即座に答えた。



「イェザリ派の創始者はおよそ400年ほど前の、タイレギン・ドゥンバグゥーム師です。彼はある日、天核経典を学ぶ中で『イェザリの試練』という物語に出会い、非常に心打たれました。そしてこの物語をもっと多くの人々に教え広めたいと志し、修道院から出て市井で説いて回ったのです。それは天核教の主流だった原理主義派の意に沿わない活動だったので、彼は破門こそされなかったものの院を追われました。しかし彼は諦めずに『イェザリの試練』の素晴らしさを説き続け、それに共鳴した者たちによってイェザリ派が生まれたのですわ」



イェザリの試練とは、天核経典に書かれた物語の一つである。

元々はカガチの少数民族に伝わる寓話であったものを、天核教が取り入れたものだ。

長い物語な上、他の話に比べて教訓が少なく、叙情的な表現が多いため他の流派ではあまり重視されない部分である。

その物語を、重点的に信仰する者たちがイェザリ派なのである。


物語の内容は、大まかに言って以下のようなものである。




ある日、蝶の女神であるナイシャラーと、人間の狩人である青年トッパンは恋に落ちた。

二人は結婚の許可を得るためナイシャラーの母である、生命の女神ゾームへ会いに行く。

だが生命の女神ゾームは、自分の娘と、動物を殺める狩人との結婚を許さなかった。

しかし、娘に加えて、雷神である夫にも説得され、トッパンに機会を与えることとした。


彼女は自分の力を使い、トッパンを一羽のフクロウへと変えたのだ。

そして耳元でこう囁いた。


『その姿で15年生きなさい。その間に、妻を見つけ、子を設け、育て、見送り、妻を看取り、木のウロの中で死になさい。やり遂げられれば、娘との結婚を許しましょう』


それが"イェザリ(フクロウ)の試練"であった。


トッパンは紆余曲折の後、女神ゾームに言われた通りの全てをやり遂げた。

雌のフクロウと契り、子を作り、守り育て、巣立ちを見送り、狩人によって傷つけられた妻が衰弱死してゆくのを看取り、己は一人木のウロの中で誰にも知られることなく息を引き取った。

その時、ゾームは彼のもとに現れ、彼を元の青年の姿に戻して生き返らせた。

そして囁くことなく、光の姿のままでこう告げたのだ。


『全ての生き物は、他の生き物を殺めずにはいられないのでしょう。重要なのは、それが命であると忘れないことです。他者を弄び、貶めるために命を軽んじる者に、私は何も与えないでしょう。あなたは命を、私を理解しました。娘との結婚を許します』


青年は跪いて感謝を述べ、それから自らの体験を吐露した。

子を持つという喜びと苦しみの複雑さ、巣立ちを見送る安堵感と寂しさ、伴侶を、命を失う悲しみと辛さを語ったのだ。

ナイシャラーは青年を強く抱きしめ、ゾームは輝きを増した。


『重要な目的のためとはいえ、あなたには酷な仕打ちをしました。お詫びとして、これを授けましょう』


そしてそう言うと、光の先に今まで見たこともない薄紅色の花が咲き誇った。

花びらは甘く、食べ応えがあり、食べたそばからすぐに生えた。

それからトッパンは以後狩りを辞め、妻のナイシャラーと共にその花を食べながら幸せに暮らしたと言う。




以上が"イェザリの試練"のあらましである。

この話は同時に、ターナグ・トゥーパ(トッパンの勲章)という花の起源説話にもなっている。

食用が可能で、非常に生命力が高い花として知られ、現在でもカガチ地方で伝統的に栽培が続けられている。



「この話から! わたくしどもは深い感銘を受け、喫菜の誓いを立て、それを実現するための農の研究を始めたのですわ!」



気付けば、"鋤の魔女"の言葉には熱がこもり、身振りにも演劇のような仰々しさと陶酔が表れていた。

目をつぶって理想と信仰を語る彼女の頬は紅潮し、吐息には色気すら混じっていた。


「この物語は本筋以外の部分も本当に素敵で、ナイシャラーがトッパンを思うあまり、蝶に変化してこっそりフクロウになった彼に会って愛を囁くところなんかもう切ないったら。彼女は母ゾームに、自分もフクロウにしてくださいとまで言うのです。あの一途さ、清らかさ、そして愛にかける執念の激しさ、何度読んでも胸を打ちますわ」


祈るように胸の前で手を合わせる彼女は、喜びに打ち震えながらもどこか苦しげであった。

それもまた信仰なのだろうか? 少なくとも、クロスが口を一切差し挟めなかったのは事実だった。

イェザリ派というのは、この物語に対するファンの集いなのだ。

それが派閥を生み、喫菜の誓いを形作り、非常に有用な農研究に繋がっている。

そう思うと、クロスは何故だか空恐ろしいような気になり、身震いした。



「と、失礼しましたわ。イェザリの試練の素晴らしさは後ほど時間をとってお話しいたしますわ。今はひとまず、例の儀式を済ませてしまいませんと」



そんな彼の様子に気付いたか、"鋤の魔女"はいそいそと身だしなみを整え直し、歩みを再開する。

クロスはただ無言でついて行くのみだった。

何かを言えば、また同じような状態を引き起こしてしまいかねないと思ったのだ。




「さ、ここがわたくしの部屋ですわ。どうぞお入りを」




やがて辿り着いた、彼女の自室に入ると、想像していた以上に宗教家然とした光景が広がっていた。

床には礼拝のための敷き布、奥壁には天の光の彫刻。

居間は区切られた左側の奥にあり、そこは寝室も兼ねているようだった。


熱心な天核教徒は玄関に近いところに礼拝所を設ける。

彼らにとって礼拝のような行事は密やかに執り行うものではなく、より日常に根ざしたものなのだ。

そのため、礼拝の頻度の高い者ほど、利便性を重視して出入り口の近くにその場所を置くのだ。

来客者に自分の立場を表明し、布教の切欠にするという狙いもある。

カーギ・カリンとの対立も既に昔のこと。半国教化している今では、実に堂々としたものであった。


居間の方も実に片付いており、敷物も上等。掃除もよく行き届いており、臭いも湿気も寒さもない。

塗装された木製調度品には傷一つなく、角も綺麗に丸く削り上げられていた。


"鋤の魔女"は隅に置かれた真白きベッドへ向かい、その横の燭台立てに被せられていた魔女帽を手に取った。



「他の皆さんには、秘密ですよ」



そして、少し悪戯っぽく笑うと、修道女のベールを脱いで魔女帽を被った。

元々黒を基調とした衣服である。ベールを魔女帽に変えただけで、あっという間に印象は聖女から魔女へと変貌した。

直前の、少女のような笑みと合わせて、一瞬で魔女へと変わった彼女の姿に、つい呆気にとられてしまう。


「招待状、お願いしますわ」


だが"鋤の魔女"の言葉で気を取り直すと、多少どもりながらも、返事と共に招待状を差し出した。


彼女は目の前でそれを上げ、中身を丹念に読みながらベッドに腰掛ける。

その姿は母のように淑やかで、師のように厳かであった。


やがて、彼女は読み終えた招待状を燭台立ての足元へ丁寧に置くと、姿勢を正し、両手を腿の上で重ねて向き直る。

そして、儀式の言葉を朗々と読み上げた。



「わたくしは"鋤の魔女"。鋤の魔女マーレィ・トゥーナ」



直後に、堪え切れなかったのか、ふふっと小さく吹き出しながら俯いた。

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