鋤の魔女1
ディゴ荒野地方に対する大規模な街道整備事業は、金と労力ばかり消費し、得られる利益は最上でも損失と相殺程度という旨味の少ない事業だった。
しかし魔女協会の目的は利益ではなく、魔女の保護と学術探求のための環境整備。
広大なディゴ荒野の開拓事業によって魔女の受け入れ先が増え、研究の土壌や拠点が確保できるならば、投資の価値はあるのだ。
今や魔女は世界中のあらゆる分野に食い込み、発展を支えながら暮らしていた。
『という訳だから、ひとまず"胞の魔女"の受け入れ先を確保して欲しいの』
クロスは酒場でトカゲ肉のスープを啜りながら、アッサルートからの連絡を受けていた。
スノウル領を発って11日が既に経過していた。
やりかけの仕事を残し、"腑の魔女"を残して行くのは心も残るような思いだったが、師より命令が下ったのだからしょうがない。
デザンの好意でボノハウロ領まで騎兵に送ってもらった後、9日かけてファーニ、トンボーンを経由して総督府領に到着したのだ。
組織的な労働力を継続して維持しづらいデルグンドラの気風に於いては、城壁や防塁は通常用いられない。
スノウル領の岩苔砦も、軍事防塁というよりは防風壁兼コケ栽培所としての役割が主である。
総督府領と言えど例外ではなく、都市というよりは広い村と言った風情であった。
立ち並ぶ天幕の合間に木製の小屋や酒場、倉庫などが点在し、中央には石造りの行政使府兼総督府が立っている。
酒場は昼から大盛況であり、そこらじゅうでデルグンドラ人が酒を飲んだり、喧嘩をしたり、"デヒュームとダンヒューム"に興じたり、それぞれの楽しみを満喫していた。
『"胞の魔女"さんが来るんですか?』
隅っこの席で、匙を陶碗に差し入れながら相互紙に書き込む。
勇猛で酒好きで血の気の荒いデルグンドラ人の集う場所だ。
絡まれないよう、身を潜めておくに限る。
『ええ、人里から少し離れた場所がいいわね。折を見て"鋤の魔女"とも接触させたいのだけれど、取り敢えずの住処の場所を見定めておいてくれないかしら?』
『それは構いませんけど、本当に大丈夫なんですか?』
大丈夫か? と訊ねたのは、街道整備事業のことだ。
これを承認させ、実施し、落成させなければディゴ荒野は魔女の受け入れ先として機能しない。
つまり、現状では取らぬ狸の皮算用にも等しいのだ。
『統王には話してみたけど、悪くない感触だったわ。半公半民の事業として負担を分け合うぶんには、吝かでもなさそうよ。あなたの計画書も良い出来だったし』
『統王様はいいかもしれませんが、問題はデルグンドラ諸侯たちですよ。彼ら、聞きしに勝る厄介者たちです』
デザン・スノウルは若年だけあって、あれでもかなり進歩的で柔軟な近代のデルグンドラ人だった。
クロスがここに至るまでに通った三諸侯領では、散々な目に遭わされている。
ボノハウロ公はクロスのカンテラを部下に盗ませ、取り戻しに来たクロスに左腕を火傷させられた。
ファーニの食人候は「魔法使いの目を食ってものもらいを治す」などと宣いながら、歩兵たちに領内中を追いかけ回させた。
トンボーン土竜王は通行料をせびり続け、結局彼に路銀を全て強請り取られてしまった。
クロスが啜っているスープは、この酒場で無料にて供されている料理。
彼は今文無しのまま、せめて酒場で食事がてらに暖をとっているのである。
『まあいざとなればエルガンでも送り込んで腕なり首なり三、四本折ってもらうわよ。統王経由でガン総督を説得できれば、言うことを聞く諸侯も多いでしょうし』
デルグンドラは暴力こそが意思疎通であり、エルガンは暴力こそが己の証明である。
この二つのぶつかり合いを見てみたい気もしたが、現場には居合わせたくないな、とも思えた。
『それより"鋤の魔女"だけれど、東の外れに天核教イェザリ派の寺院があるから、そこへ向かってちょうだい』
『そこで待ち合わせですか?』
『いえ、彼女はイェザリ派の修道女なのよ。新しい路銀が届くまでは、そこで世話になるといいわ』
天核教。魔界の古代双尾族発祥の宗教。
天こそがあらゆる事象の本位であり、あらゆる物語は真実の一側面であるとしたもの。
魔力と魂と物質が形作る世界の中で、天こそがあらゆる魔力の根源であると説き、全ては天球より来たりて星々へ還るというのが彼らの基本的な理念だ。
様々な民間伝承や神話、寓話を自らの宗教体系に積極的に取り込み、天の存在を強調したものに改変し続けることで勢力を伸ばした。
アーゲルンの伝統的な宗教であるカーギ・カリンとは正面から対立し、過去には流血沙汰や虐殺事件にまで発展した歴史を持つ。
現在は統王の援助を得て半国教化しており、主な活動場所を現界へ移している。
天核教は様々な文化を自ら取り込んできたために、非常に多くの派閥が生まれている。
派閥間の対立もなくはないが、統王の支配と法の下で過激な抗争は抑制され、それぞれが独自の活動を繰り広げている。
その中でイェザリ派は穏健派と呼ばれ、天核経典に記されたある一つの物語を特に集中して信仰する派閥である。
相互紙を丸め、席から立ち、厳つい男たちが乱闘している出入り口を避けて勝手口から出る。
冷えた空気が肌を刺したが、スノウルの冷風に比べれば随分と生温い。
デルグンドラ人たちの中心でありながら、幕営が連なる野営陣のような町。
総督府領、またの名をザン・コーザ。かつてモリグウェットが治めていた町は今、全てのデルグンドラのための町であった。
クロスは指示通り東へ向かう。
狩猟・採集と同じような動機で略奪を働いてきたデルグンドラ人たちは、食料があるうちは殆どの時間を屋内で過ごす。
そのおかげで、気性の荒い彼らの目につくこともなく、天幕の間をすり抜けられる。
魔法の地図をもとに近道を通り、10分程度で目的地に着いた。
それは石造りの、非常に横に広い寺院だった。
"鉄の魔女"の工房の敷地よりも遥かに大きく、更にその奥には柵で囲まれた農地が広がっている。
これだけの面積、ディゴ荒野でなければそうおいそれと用意できないだろう。
敷地面積だけで言えば、スノウル領より広く、建物の面積で言えば、鈍色宮よりも広い。
その分、全体の造りや門構えは質素であり、天核教の象徴である円と五方の光が門に刻まれている程度である。
しかし門は、衛兵によって守られていた。
板金鎧を身につけていることから、デルグンドラ兵ではなく総督府から派遣されている屯所兵であると分かる。
彼らはクロスを見つけると、槍を杖代わりに歩み寄ってきた。
「誰だ? 地元の人間ではないな」
訛りはデルグンドラ風であったが、言葉遣いそのものは洗練されている。
年齢も若い。恐らく、兵として各地を転任しながら育ったのだろう。
ならば、魔女協会のことも知っているだろう。
「魔女協会から参りました、"シリネディークの弟子"クロス・フォーリーズと申します。"鋤の魔女"様にお取り次ぎをお願いいたします」
魔女協会の紋章の刺繍を見せる。
衛兵は頷き、一人を建物の中へ使いに行かせた。
「すまないな。近頃、寺院内でいくつか悶着があってね、警備を強化している」
「悶着、というと?」
「15日前、この辺りにいないはずの害虫が農地に湧いてね、4日前には殺しもあった。喧嘩や決闘ではない、暗殺だった」
「それは、また」
「総督府と行政使府と屯所の者が捜査しているが、犯人や原因はわかっていない。だから、お前の身体や荷物を検めさせてもらいたいが構わないか?」
「身体検査は構いませんが、荷物は困ります。機密品も含まれていますので」
「では、まず身体検査を。あとは"鋤の魔女"に確認してもらう。それで良かろう」
「はい、それなら」
承諾すると、三人の衛兵が身体検査を始めた。
短刀やカンテラは預けざるを得なかったが、背負っている荷物は守り切った。
そうこうしている間に、再び門が開かれた。
視線をそこへ向けると、白と黒の修道女服に身を包んだ、糸目の若い女性が歩み出てきた。
白い肌に、白い頭巾と黒いベール、淑やかで穏やかな雰囲気は聖女然としている。
歩みの足取りも冷静であり、足音も殆ど立たない。
彼女は門から数歩歩み出ると、クロスと衛兵の方を向いて口を開く。
「マードゥさん、その御仁への検査は不要ですわ。わたくしが保証いたします」
風のように澄み渡った声は、細くもよく通る、矢のような、芯そのものであるような飾り気のない声だった。
衛兵は「そういうことならば」と応えて下がり、それに合わせるように彼女も更に歩み出る。
そしてクロスの目の前に立つと、深々と、礼儀正しく頭を下げた。
深く頭を下げるのは、天を崇めて自らへりくだる、天核教が広めた礼の形式である。
彼女は再び頭を上げると、まさしく天の使いが如き柔らかい笑みを投げかけた。
「お初にお目にかかりますわ、わたくしは13代目"鋤の魔女"マーレィ・トゥーナと申します。以後、よろしくお願いいたしますわ」
『"鋤の魔女"は、まあ、すごく独特な愛を持つ人ね。歳は若いけど、あの愛の深さには舌を巻くと思うわよ。
天核教イェザリ派の全てを完全に体現したような人物で、"鋤の魔女"になるために生まれて来たような人間ね。
あなたが出来ることは少ないでしょうけれど、面白い経験や知識を積めるんじゃないかしら?
招待状は渡しておいてもらいたいけど、返事を聞いておく必要は無いわよ。戒律のせいでどのみち学会には出席できないだろうから』




