腑の魔女2
「あがあああああおおおおお!! 先生! せんせえええええええ!!」
血飛沫と共に男の絶叫が響き渡る。
部屋の中央で椅子に縛り付けられた男は目を剥き、歯の隙間から泡を吹き出しながら椅子ごと震えていた。
左腕は固定されたように真横に伸びており、血飛沫はそこから上がっていた。
「動くんじゃないよ! 我慢しな!」
薄灰色のローブと魔女帽に身を包んだ魔女が、その左腕に両手を伸ばしていた。
見ると、男の左腕は切開されており、その穴から得体の知れない白いミミズのようなものが頭を出していた。
それは親指ほどの太さを持ち、先端には短い触角を備え、芋虫のような節を持った……虫だった。
「くおおおおお!」
魔女はピンセットのようなもので虫の頭を挟み、力の限り引き抜かんとしていた。
ピンセットを持つ左手が震えるほどに力を込めても、虫が出すのは頭だけであった。
そこで、右手に持っている筆で、何かを虫に塗りつける。
虫はそれに反応するかのように少し頭から先を出したが、同時に男の悲鳴が一際大きくなった。
「クッソ頑固な野郎ね! あんた、そこのあんた!」
呆気にとられてその光景を見ていると、魔女が首を捻ってこちらに注意を向けた。
クロスがハッと気を取り直したが、間抜け面は晒したまま自分を指し示す。
「私ですか?」などと口走りながら。
「そうだあんただよ! そこの茶色い蓋の壺と小漏斗持って来て!」
虫を引っ張りながら、アゴで壁際の薬品棚を指す。
状況そのものは理解できないが、ただならぬ様子なのは理解できた。
クロスは荷物も下ろさぬまま部屋に入ると、急いで薬品棚から茶蓋の壺と小漏斗を取り出して魔女に駆け寄った。
「持って、来ました」
「壺を開けなさい!」
言われた通り壺を開けると、中にこもった刺激臭が鼻をついた。
ツンと冷たく鼻腔を広げるような感覚、壺口から見える粘性のある黄土色の液体。
コク亜麻仁油だ。
「今から虫の頭を切開するから、そこにそれを流し込みなさい!」
「え、えぇっ? 大丈夫なんですか?」
「な訳ないでしょ! 失敗したら患者はコク亜麻中毒で死ぬわよ! でもコイツ滅茶苦茶しっかり食いついてて、筆で塗ったぐらいじゃ離れないのよ!」
男の悲鳴は大きくなるばかりで、ついに白目を剥き始めた。
歯茎には赤みが差し、震えのせいで幾度か椅子が倒れかける。
魔女はそれを必死に左足で押さえつけていた。
どうも、予断を許さないようだ。
クロスは口を真一文字に結び、覚悟を決めて漏斗と壺を握り締めた。
「それじゃ、いくわよ! 3、2、1──」
筆を放り捨てて、執刀用の木製メスを掴む。
虫が引っ込まないよう左手で固定しながらも、その頭部に刃をあてがった。
「今よ!」
刃が虫の頭に差し入れられ、沈み込んだ表皮がぱつん、と裂けながら元の位置へ戻る。
鋸引きが如く引き切られ、白濁した体液が裂け目に溜まり始めた頃、メスは引き抜かれた。
だが代わりとばかりに、漏斗の注ぎ口が突き入れられる。
「うわああああ!」
男の絶叫に当てられたか、意味もなく叫びながら漏斗の中にコク亜麻仁油をぶちまけた。
それも、一壺まるごと、全て。
クロスも幾分かは、状況に対して混乱していたのだ。
黄土色の油は漏斗の中央に吸い込まれ、虫に注がれる。
その全てが注入され終わった直後、ずるり、と虫が引き抜け始めた。
何度か突っかかるように止まりながらも、虫は縄のように引き出される。
血飛沫をますます散らし、悲鳴をますます散らさせながら、ずるーーーと長い体を露わにしていった。
ある程度まで抜けると、魔女は右手で虫の胴を掴んで畳みながら引きずり出す。
そうして、すぽんと全てが抜けた時、虫は3mを超える体をだらりと垂らしていた。
男の方も、失神したままだらりと椅子の上で垂れている。
しかし虫の方は、少し経つとしゅるしゅると糸を巻くようにまとまり始め、最後には顔程度の大きさの渦巻き状となった。
魔女はそれを木から削り出した円形の箱に放り込んで蓋をすると、糊で密閉して布で包む。
それから「郵送品」と書かれた籠の中に突っ込んで、振り向いた。
「でーきた♪」
その表情に、先ほどまでの深刻さは原形すら残っていなかった。
上機嫌に満面の笑みを湛え、汗を拭い自身の仕事を讃える。
彼女こそ10代目"腑の魔女"パンタント・ヘラシュ=ノグ、その人であった。
細身で長身、顔つきと体格の主立った特徴はスロヴ人であるが、ガニツよりは年上であり、頭には小さな角もあった。
年齢は50〜60と言ったところだろうか? 人間の基準で言えば中年にあたる。
鼻は高く、唇は薄く、目には小さな眼鏡を着けている。
「あ、あの、今のは?」
まずは名乗るべきだったが、それすら忘れてクロスは訊ねた。
やってきていきなり怖気が走る虫退治を協力させられたのだ。
何よりもまず事情を知ろうと願うのは、無理からぬことであろう。
「ストランソームよ。幼生期に手足の骨に寄生して、その骨に巻き付くように成長する寄生虫。がっちり骨に固定されててちょっとやそっとじゃビクともしないけど、コク亜麻仁油に弱くて、神経が破壊されて脱力している時だけ外せるわ。でも少しすると、筋肉の自然収縮でまた強く巻きつくから、急いで抜かないといけないのよね」
「寄生虫? あんな、でかいのが?」
「あそこまで大きいのは私も初めて見たわ。普通は筆で塗りつけるだけで十分なんだけどね、フフッ、あれヤベェわ」
抑え切れぬ笑いを零しながら、気絶している患者を椅子ごと隣の部屋へ引きずっていく。
隣の部屋はカーテンによって仕切られており、その奥を窺い知ることはできない。
やや経って戻って来た彼女の腕には、空になった椅子が引っ掛けられていた。
「あの、さっきの人、大丈夫ですか?」
椅子についた血の染みが気になって、つい訊ねる。
場合によっては、しない方が良い質問ではあったが。
「ああ、痛みで気絶しただけよ。傷の処置もしたし、デルグンドラ人があれぐらいで参ったりはしないわ」
何でもないかのように軽く答えながら、椅子を部屋の奥側に置く。
それから勢いをつけて尻を落とし、その勢いで椅子を傾けて壁にもたれかからせた。
椅子は絶妙なバランスを保ち、彼女の足は中空に投げ出される。
「それで、あなたがクロス・フォーリーズね? 協会長とグーグから聞いてるわよ」
傾いだ椅子に体を沈め、帽子の鍔とローブの襟で顔を隠しながら、少し大げさな手振りを交える。
どうやらこれが、彼女の普段の形式らしい。
「グーグ?」
「"光の魔女"、クルーラー・グーニィのこと。あたしたち姉妹弟子だったからね! 姉弟子はあっちだったけど、見た目がずっと子供だったから、グーグって呼んでるのよ」
その振る舞いや話し方、口調には確かに"光の魔女"に通ずる部分がある。
彼女ほど常軌は逸していないが、抑揚があり、陽気で、感情的な声だった。
「それより招待状、もらえない?」
手を差し伸べられ、ようやくここに来た目的と、それがまだ果たされていないことを思い出した。
急いで招待状を取り出して手渡すと、彼女は勢いをつけて椅子を押し戻す。
それから封筒を破り、中を検め始めた。
その間にクロスも、荷物を部屋の隅に下ろす。
「うん、いいでしょ」
招待状を懐に入れ、帽子を直し、背筋を伸ばして威儀を整える。
その様子から意図を察したクロスは、小走りで彼女と向かい合う位置に立つ。
そして、咳払いから始まった、あの言葉を聞いた。
「私は"腑の魔女"。"腑の魔女"パンタント・ヘラシュ=ノグ」
「恐れ入ります」と礼を取る。この儀式も、久しぶりであるように感じた。
頭を再び上げる頃には、もう魔女は椅子を傾けていた。
「いやあご苦労様! まあゆっくりしていきなさい」
ご苦労様。確かに、その言葉通りに大変苦労した。
吹き飛ばされそうな冷たい風の中を三日と少し進み、その先では刃で脅され、ここには辿り着いた途端に寄生虫の治療に協力させられた。
だが、周囲を見回しても、ゆっくりと腰を落ち着けられそうな場所は見当たらなかった。
飛び散った血飛沫、埃を湛えた燻んだ薬品棚、そして木張りの床にはいくつものささくれが立っていた。
「あの、少し掃除させてもらっていいですか?」
「おっ、助かるわぁ。ついでにお茶も煎れてもらえない?」
椅子に沈んだまま、部屋の一角を指差す。その先には棚に収まったティーセットが見えた。
彼女はそれから「飲み水は裏手にあるから」と告げたきり、傾けたままの椅子を前後に揺らし始める。
なんだか、怠惰な人だな。
そう思いながらも、クロスはティーセットに向かって歩き出した。
『"腑の魔女"は元々、腑分けによって生物の構造や機能、生理を調べて屍術に応用するために置かれた専門の魔女だったの。
それが時代を経るごとに、蓄積した知識を医療にも用いるようになって、今では完全に医療を専門とした魔女の系譜になっているわ。ヘラシュ=ノグは特に優秀な医者で、先代に弟子入りする前から御典医の一人として活躍していたそうよ。今ではデルグンドラ諸侯領各地を回って、主に外科の腕を振るっているようね。
"光の魔女"と親交があるだけあって、気持ちの切り替えがかなり早いのだけれど、医者には必要な性分よね。彼女の仕事の手伝いは、多分あなたに向いてるわよぉ〜?』




