統王、漸く送る
「これを、"腑の魔女"さんに渡せばいいんですか?」
思わず素っ頓狂な声を上げて統王を仰ぎ見る。
返ってきたのは、至って真面目な表情と「ああ」という短い答え。
それを受けて、疑いを持ちながらもクロスは自分の手元に視線を落とした。
彼の手の中に収まっているのは、木製の小さな立体パズルボックスだった。
カラクリ仕掛け、暗号解読、誘導罠などの要素が複雑に組み合わさった箱で、正しい手順を踏まねば決して開かない。
クロスでも、おそらく開くことは出来ないだろう。
元々はアーゲルンが魂感応の訓練器具として作ったもので、今は知育玩具として様々な種類のものが作られている。
確かに魔女に対する贈り物としては洒落ているかもしれないが、愛人へ贈る品としては無粋に思えた。
「わかりました。必ず、本人に渡しておきます」
「恩に着る」
箱をポケットに入れる。魔女たちへの招待状を入れているのと、同じポケットに。
「ついでに、あと一つ、訊きたいことがある。いいかな?」
続けてのお願いは尋問の序文のようであったが、そういった雰囲気を決して纏わぬあたりが、彼が内政屋を自負する由縁だろう。
そうなっては、クロスは年相応に諾々と言葉を受け入れる他なかった。
「モル・ニスに行ったそうだね。どうだった?」
実際に問いが始まっても、責められているような圧迫感は無い。
故に、ただそのままの答えを返した。
「え、あの、すごい街でした。乱で荒れていたとは思えないほどで、市場は常に賑わっていました」
「"流木団"は見たか?」
「はい。街の門衛と、あと罪人の警護を任されているようでした。黒い革鎧は分厚くて、凝っていて、かなり儲かっているんでしょうね」
「『金で飼い慣らせ』と、あそこの領主には言い含んであるからな。屯所には行ったか?」
「いえ、そこまでは」
「そうか、ならいい」
ここまでやり取りしてから、クロスはようやく疑念を以って統王を見つめた。
どうしてそんなことを訊ねたのか?
その問いは口に出すまでもなく、伝わった。
「"流木団"は油断がならないからな。仕事はこなすが、根本的には野盗の群れだ。デルグンドラ諸侯からの攻撃とヴァレク候の辣腕が無ければ、モル・ニスを襲っていたのは奴らだったはずだ」
呆れがちにため息をつく。かつての反乱分子の多くは処分されたが、生き延びた者らも多い。
魔道士会の分離派の一部、魔界の守旧派、雇われただけの傭兵らは責任者の処刑のみで、組織は解体を免れている。
分離派や守旧派はそもそも解体しようにも全体規模が掴めず、一部が犯罪組織とつながって地下化してしまったほどである。
だが"流木団"は、それらとは違った理由で残さざるを得なかった。
乱の後に、彼らの一部は野盗化し、統御から離れてモル・ニスを脅かし始めたのである。
それに対処するための戦力として、また野盗として一時離脱した傭兵らを糾合する受け入れ先としても、元の組織を残すしかなかったのだ。
ヴァレク候による統治時代を色濃く引きずるモル・ニスでは、デルグンドラ諸侯の軍勢よりも、アルヴァンスの"流木団"の方がまだ市民から協力を得やすいとの事情もあった。
「でも、統王様ほどの力がお有りなら、今更"流木団"程度気にかける必要も……」
しかし、如何な不逞の輩と言えども兵力では1000にも届かぬ小勢。
傭兵で口に糊する立場では、生産や経済に於ける重要性も高くは無い。
彼らが一斉に仕事を放棄したとしても、治安維持や警護任務は屯所の兵で賄える。
増員もさほど難しい状況ではない。いざとなればデルグンドラの助けも今や得られるのだ。
たとえ"流木団"が離脱したとしても、大した問題になるとは思えなかった。
そしてそれ故に、彼らが裏切るとも思えなかった。
「クロス、力とは何だ?」
統王は足を止めた。
視線は前を向き、クロスには言葉のみを向ける。
「君が言う、俺の力とは何だ?」
それは意外な問いであった。それ故に、どう答えるべきか、クロスは詰まってしまった。
改めてそう訊ねられたならば、どのような答えも誤りとなってしまいそうだった。
答えに窮していると、統王の横目がクロスを射抜いた。
力強く、それでいて冷たい目。
瞼も瞳孔も開いたそれは、彼が初めて見せた、王らしい非情さだった。
思わず身震いし、少し仰け反ってしまう。
が、その目も一瞬後には、もとの怜悧さを取り戻し、前方へと向けられた。
「権力も財力も信心も、それに力があると思うからこそ力が生まれる。俺が纏うものは、結局は幻想だ。富も法も権利も教えも、魂の働きが生み出す社会性の檻に過ぎないのだよ」
クロスはただ、彼の話に聞き入るばかりであった。
「では、力とは何か? それは、これだ」
握った両拳を持ち上げ、示すように小さく揺らす。
諦めるような、やや忌々しげであるようなため息も漏れる。
拳に落とされた視線にも、深い経験と洞察からくる実感が込められていた。
その実感は、こう告げている。
"我々は無力だ"
「結局のところ、一つの人間が持ちうる確かな力、最大にして最小の拠り所とは、この両の拳だ。究極的で純粋で否定のしようが無い個の力。幻想に塗れたこの世の中で、唯一信頼できる贈り物、何者にも侵せぬ実存だ」
拳を開けば、戦いの日々で負った傷跡や剣ダコが露わになる。
その細身な体格、秀麗な顔つきには似つかわしく無い経歴が、傷の一つ一つとして現れていた。
「そのような残酷な事実に、全員が気付いてしまったならばどうなる? 享受することを辞め、俺のように万民が他の万民がために立ち上がればどうなる? 積み上げてきた文明も文化も技術も社会も生活も、全てがこの両の拳の前では塵芥にも劣るのだと知ったらどうなる? ある日誰もが幻想を打ち捨て、両拳を高く掲げて雄叫びを上げたならばどうなる?」
答えるまでもない問い。
永遠に終わらない闘争と混迷の始まりと、否定によって成り立つ純粋で清らかな世界の訪れだ。
大手を振って歩かれる、地獄への道行き。完全なる分断と崩壊と回帰への序曲となろう。
その大火の始まりが、ごく小さな火花からでは無いと誰が言えようか。
「彼らには幻想が必要だ。彼ら自身のために」
声は僅かに震えていた。
そして、クロスは確信していた。
この話は、決して統世史書には永劫書かれないだろう、と。
「クロス、最後には我々は無力だ。持ちうる力など、両の拳までなのだ。誰であろうとな」
己の思慮の足らなさを、魔女の弟子は痛感した。
あらゆる人々の幸福のために己の全てを捧げる。その意味を、今まで理解していなかった。
陽気で優しく、人好きする面は、コードラン・ヴァルグホーン・ハーバントという者の一側面に過ぎない。
彼は必死で繋ぎ止めているのだ。いつでも分解しようとし続ける世界を、人々を、民族を。
虚しき幻想を、それと知りながら守り、纏い、過ちは全て己が身で引き受ける。
統王は──コードラン・ヴァルグホーン・ハーバントは、歴史が求めた生贄だ。
それを自覚しながら、演じ切ろうとしている。
今やっと、それを理解した。
三角連衡の乱の発生は、旧時代から新時代への通過儀礼のようなものであり、避けられない戦いだった。
だがそれでも、彼は心を痛めていたのだ。だからこそ、それが終わった今を大事にしたいのだ。
故に、常に目を光らせているのだ。
クロスは思わず、礼を取っていた。
彼は漸く、子供じみた憧れを捨て、一個の人間としての彼に敬服した。
「話は終わりだ、クロス・フォーリーズ。シリネディークの弟子、十字路の拾い子よ、行くがよい」
年相応の、外見には不相応の、老練で重厚な言葉が浴びせられる。
何の変哲も無い言葉、今まで発せられた数々の訓話さえも、新たな意味を帯びていた。
その前に、クロスはただ感じ入り、礼を取り続けた。
「統王様も、お身体にお気をつけて」
そして、今日一番の堂々とした、力強い声が出た。
本人にとっても、それは意外な現象だった。
深く感じ入り、言葉に魂を揺さぶられるとは、このような感覚なのか──
「本日は、貴重な経験を賜り、ありがとうございました」
「俺こそ礼を述べたい。頼み事も、引き受けてくれたのだからな」
それでもあくまで、統王は最後には友のように微笑んだ。
策略や思惑ではなく、真実であると思える、ささやかながらも眩しい笑みだった。
「ではな、クロス。良い旅を」
「失礼します、統王様」
しみじみと、腹の底に落とし込むような礼の後にクロスは踵を返した。
振り向きはしなかったが、統王が変わらぬ微笑みを湛えているとの確信はあった。
『っていうことがあったんですよお師匠様』
「ふぅ〜ん」
"屍の魔女"ことストイル・カグズ・アッサルートは相互紙相手に拗ねて見せていた。
クロスは鈍色宮から出た後、住処に戻ると荷物をまとめて直ぐに発ってしまった。
アッサルートは外出しており、戻った時には弟子はもう出発したとカギマノから聞かされたのである。
折角、仕事のついでに王都を案内して楽しもうと思っていたのに、あれから再会することもなくさっさと逃げられてしまった。
しかし自分で与えた任務に戻ったのであるから、責める訳にもいかない。
だから、自分一人で勝手にぶーたれるしかないのだ。
「それを何でオレの部屋でやるかな」
ぶつくさ零すのはカギマノ・ネヘヤンク。
彼は彼の執務室で仕事の書類に向かい、彼女は彼の執務室で茶を啜りながら相互紙を広げていた。
相互紙は門外不出の魔女の秘術であるが、存在を知る男がこの世で三人いる。
統王と、クロスと、このカギマノである。
「しょうがないじゃない、私の部屋狭いんだから」
「手狭になると言ってあったろうが。さっさと返事書いて寝ろ」
「ぶぅー」
あからさまに拗ねながらも、相互紙に書き込まれる文字は清水が如き流麗さを崩さなかった。
『彼から学べることがあったのなら、私としても甲斐があったわ。今はどこへ向かっているの?』
『"腑の魔女"さんの所に向かっています。王都まで来たなら"鳥の魔女"さんを先に済ませようとも思ったのですが、統王様からの預かりものがあるので』
『ああ、あの。確か今はスノウル女公領に滞在しているはずよ。徒歩で向かってるの?』
『いえ、直行馬車が手配できました。10日ほどで荒野に着くと思います。あとは、歩きで4日ほどでしょうか?』
『そのぐらいでしょうね。情報はスノウル女公領に入ったら伝えるわ』
『わかりました』
統王が"腑の魔女"に何を贈るのか、その見当はアッサルートには大方ついていた。
だからこそ、その話はしなかった。
『あ、そうだ、贈り物と言えば、"光の魔女"さんからの贈り物は受け取りました?』
「え?」
だが、この話は想定していなかった。というよりも知らなかった。
『いえ、受け取っていないけれど?』
『カギマノさんに預けたのですが』
「カ〜ギ〜マ〜ノぉ〜」
低く伸ばした声で呼ばわりながら、彼の背後に迫る。
禿げ上がった緑色の額を汗が伝った。
「おっ! そうだぁ、お前の弟子から預かってたもんがあったっけなぁ」
精一杯とぼけて手を叩きながら、懐に仕舞い込んでいた小箱を渡す。
そして「そう睨むなって」とごまかすように手を振りながら、椅子を回して仕事が忙しいフリをした。
そんなゴブリンを油断なく睨みつけながら、アッサルートは席に戻る。
相互紙に向き直り『今受け取ったわ』と書き送ってから、改めて小箱を見た。
それは金細工の、カラクリ仕掛けの箱だった。
パズルボックスのような複雑な玩具ではない。
ネジを巻いて離すだけで、箱がゆっくり開く。ただそれだけの代物だ。
早速、ネジを巻いてみる。
カラクリ仕掛けは、ある物好きな魔道士が発展させ、普及させた昔ながらの玩具だ。
ネジを回すだけで童心に返ったような気分に浸れたが、半回転もすると、それ以上回らなくなった。
まあ、小さな箱だし、こんなもんかしら。
そう思って手を離した瞬間、ゆっくり回るはずのネジは一瞬で戻った。
「へ?」
間抜けな声が上がるのとほぼ同時に、かきん、と金具が何かに嵌って噛み合う音が響く。
そして一瞬の静寂の後に、小箱は眩い閃光と共に炸裂した。
魔力と共に飛び散った光はアッサルートを仰け反らせ、椅子ごと転倒させた。
机はひっくり返り、茶は撒き散らされ、相互紙は壁まで吹き飛ばされる。
突然の炸裂音と閃光には、カギマノも肩を跳ねさせて驚き、皺になるほど書類を握らせた。
「えっ、えぇえぇぇ〜〜?? 痛ッ、いッた!」
混乱の後に、後頭部を押さえるアッサルート。
帽子を脱いでいたため、転倒時に軽く頭を打ったのだ。肘も擦り剥いたし背中も打っている。
金色の小箱は、既に何事もなかったかのように、再び閉じられて机の上に転がっていた。
中に入っていた紙切れが、その上の空間をひらひらと舞っていた。
『あたしのクリンを死なせようとしたお返しよ!
何が起ころうといい気味だわ!
8代目"光の魔女"クルーラー・グーニィより』




