光の魔女12
監査はつつがなく進行した。
2日目は書類の確保と確認が主で、大量の職員が駆り出された。
木簡や羊皮紙の束がいくつも押収され、行政使府の管理施設内で10日ほどかけて精査されるのだ。
当然、これらの書類が返還されるまでは操業も停止せざるを得ないので、経営には大きな打撃となる。
しかし統営法には公損補償金と呼ばれる制度があり、監査の後には、その結果に関わらず会計報告書から算出した額の補償が為される。
故に、光陽社の人々は至って協力的であった。
魔道士会の面々も、この日は淡々と業務を遂行するのみ。
"光の魔女"とクリンとクロスは、職員たちが空っぽにした執務室で、ずっと"デヒュームとダンヒューム"というカードゲームで遊んでいた。
魔道士会の主力商品であるゲームだったが、クリンと"光の魔女"はしばしばこの玩具で遊んでいるのだった。
特にクリンなどは、無表情のまま千切れんばかりに尻尾を振り回すほど楽しんでいた。
そうして、平穏無事に2日目は過ぎ、3日目が訪れた。
3日目に行うのは、光陽社の設備の視察。
業務の実態を把握し、書類には現れぬ問題点を探るには不可欠な手順だ。
魔道士会の提案した順路は、まず研磨室や加工場、魔力炉周辺といった作業場を巡り、それから事務室や文書保管室等の文書業務の部屋を見る。
続いて食堂や宿泊部屋、便所等の生活の場を調べ、最後に社主である"光の魔女"の個人的な空間の数々、といった具合だ。
つまり"光の魔女"が個人的に所有している執務室の"ガル・プリズム"は、最後に検吏に見せようという魂胆である。
その印象を強くした状態のままで、報告を行ってもらおうという計略なのだ。
何も知らない行政使府側は、断る理由も無いとしてこれを受け入れた。
そして、監査は進んだ。クリンが管理運営していた設備に大きな問題など見つかるはずもなく、せいぜい魔力炉室の通気構造について指摘された程度である。
日常業務に於いては問題ないが、緊急時の一挙排熱時には対応できないとして増設が進言されたのだ。
それ以外は指摘も無く、キルデンザックの案内で検吏は光陽社を見回っていった。
やがて、遂に、監査の一行は執務室に辿り着いた。
書類は持ち出され、主もいない部屋に入った一行を待ち受けていたのは、クロス・フォーリーズ。
机に座っていた彼は、ドアが開かれるや否や床に飛び降り、恭しく検吏に奴隷流の礼をした。
「お初にお目にかかります。私、魔女協会から来ました、クロス・フォーリーズと申す者です。ここから先は、私が案内を務めさせていただきます」
検吏は立ち止まり、キルデンザックの方を見る。
そして、彼が目を合わせながら小さく頷いたのを確認すると、再び前方へ向き直り「よろしくお願いする」と了承した。
「それでは、こちらへ」
左手で壁を示してから、自らその壁へ歩み寄る。
そして強く壁を押し込むと、隠し扉が開いた。
行政使府側の職員たちから感嘆の声が漏れ出る。
「私が先導しますので、続いて中へお入りを」
クロスが隠し通路へ入ると、一行の中では先頭を切って、検吏が後に続いた。
それから魔道士会の面々、行政使府の面々、の順で隠し通路へ入る。
「何故、このような仕掛けを?」
歩きながら、検吏がクロスに訊ねる。
彼からしてみれば当然の疑問であろう。
「"光の魔女"は、重要な研究と位置付けているものをここに隠して守っているのです。この先にあるものは従業員たちですら知りません」
「あなたが知っているのは、どういう訳で?」
「本人が自慢げに紹介してくれましたよ。どうやら、次の魔女学会で公表するつもりのようです。今回の監査は期せずして、本公表の事前発表になりましたね」
クロスの話に、魔道士会の面々がざわめく。
ただ一人、キルデンザックを除いては。
「さ、着きましたよ。いま明かりを入れますから」
真っ暗に閉め切られた広間に到着すると、クロスは手探りで手回し滑車を探す。
クリンのようにはいかず、魔道士会の面々を不安にさせるほど待たせてしまったが、何とか仕掛けを見つけられた。
手回し滑車を回し、天窓を開くと、陽光が広間全体を照らし出す。
台座の上に鎮座する、黒い石も。
「皆様、ご覧ください。あれが"ガル・プリズム"です」
黒墨が如き輝きと、神体が如き威容を湛えた石。
それを前にして魔道士会の人々が体を強張らせる。
その緊張は空気を通して、クロスや検吏にも伝わるほどであった。
しかし、検吏の仕事は変わりない。彼は台座に近づき、黒石を間近に眺める。
追うようにして魔道士会員と職員らも広間に入り、あっという間に台座は囲まれた。
「これは? いったい何だ?」
腰を折り、真横から覗き込むように注視しながら検吏は訊ねる。
クロスは台座を囲む人垣をかき分けながら「よくぞ聞いてくれました」と応えた。
「一定量の魔力を接触によって流し込むことで、魔力を光に変換する装置です! 見ててくださいね」
売り込むかのように、笑顔で自信満々に黒石を摘まみ上げる。
掲げたそれを観衆へよく見せ、視線を釘付けにさせた。
特に魔道士会の者たちの表情は真剣で、皆がすでに"ガル・プリズム"の威力を伝え聞いているかのようだった。
彼らを前にして、常に得意満面でいなくてはならない。これが偽物であると知りながら。
「はっ!」
掛け声とともに指先に力を入れる。魔漏法で指先から魔力を出し、石に流し込むのだ。
その様子を固唾を飲んで見守る魔道士たち。彼らからしても、組織からの命令と使命以上の興味があった。
この世のものならぬほどの光。そのような表現に値するものとは、一体なんなのか?
クロスの魔力を受け、溶け合った光と魔力は石の内部で増幅され──
──ロウソクのような光が灯った。
「見てください! これが次世代の光、光輝の"ガル・プリズム"がもたらす新時代の灯火です!」
胸を張って石を掲げるクロス。石は、その芯が淡く光っているのみ。
魔道士会の者らは言葉を失った。本来想定されていたのとは異なる意味で。
検吏はキルデンザックを一瞥するが、彼は目すら合わせようとはせず、ただ口を固く結び、細めた目でクロスを見ていた。
「あ、あー、フォーリーズ殿、それが、プリズムなのかな? それを、今度公表する予定と?」
堪らず、検吏は問いを差し挟んだ。
その表情は明らかに訝しんでいたが、クロスは自信たっぷりの笑みを崩さなかった。
「ええ、その通りです。確かに、表面が黒色故に光も弱いですが、石が透明になるよう改良を重ねたならば、二倍の輝きも実現するでしょう。ただ現在の構造としては、まず内部のカタトクラートの魔力分離構造が魔力と光の親和性を高め……」
「あいや、わかった、もういい、十分だ」
手のひらを向けて解説を遮る。
だがクロスは「まあまあ、是非魔道士会の皆さんもお試しを」と言うが早いか、黒石を魔道士の一人に投げ渡した。
彼は先ほどやって見せられたように、指で摘んで魔力を流したが、どうやってもロウソク程度の光しか発さない。
他の魔道士に回し、試してみても結果は同じ。誰がどう使ってみても、淡い光が漏れ出るだけだった。
彼らが聞いていた話と随分違う。確かに光と魔力の融合の実現、という成果は目を見張るものがある。
だが、その成果がこの程度の結果しかもたらさないのだとすると、研究の題材として将来性も発展性も全く無いように思えてならなかった。
魔道士たちの表情にはありありと失望が浮かんでおり、検吏の顔には呆れが貼り付いていた。
そうして、誰もロウソク以上の光を作り出せぬまま、石は検吏に渡された。
彼はそれを手のひらの上で軽く転がしながら眺める。
ただの黒石にしか見えない。そして実際に、ただの石以上のものでもない。
技術と理論によって構築されてはいるが、そうであればこの石でなくともよかろう。
それに、魔道士会がしつこいぐらいに申し入れてきた「危険な活動」の正体が、ただ僅かばかりの明かりだったとは。
結局は魔道士会による魔女協会への僻みに巻き込まれて、付き合わされただけか。
検吏はため息をつき、石をクロスへと差し出した。
その時、集団の後方、隠し通路の方で音がした。
硬い石が床の上に落ちる、響くような高音だった。
黒石を受け取ろうとしていたクロスが真っ先に視線を向ける。
そして一瞬のうちに、その顔から血の気が引いた。
やや遅れて、集団の人々も後方を見る。
そこにあったのは、否、居たのは、"光の魔女"だった。
目を見開き、わなわなと体を震わせている、小さき長寿の魔女だった。
彼女は音の原因である砥石を蹴り退けながら、ふらつく足取りで進む。
微かに、不規則に響くヒールの音が、その絶望と衝撃を表しているようだった。
「そんな、あ、あたしの、プリズム、なんで、どこに……間違いなく、そこにあった。絶対、そこに」
動悸のために息が切れているのか、肩は上下に揺れていた。
だが手足はだらりと脱力し、歩みは単なる本能と執着のみで前に進んでいた。
「絶対あった。絶対、そこにあった。絶対、あったのにぃ」
しかし、間も無く口調に変化が生じ始めた。無気力で放心し、魂が抜けたような白紙の声に、感情の色がつき始めたのだ。
悲しむような、細く、千切れるような声。
彼女のただならぬ様子に、誰も、近付くことも、声をかけることもできなかった。
クロスさえ、冷や汗を垂らしながら唾を飲み込むばかりだった。
彼女は見ていた。偽物を使ったデモンストレーションを。
何故彼女がここにいるんだ? クリンはどうしたんだ?
疑問がクロスの頭の中を巡り続ける。とても、新たな手など考えられる状況ではなかった。
「あった、あったのよ。そこにあった。絶対あった。絶対あったのよ。絶対、絶対あった」
悲しみは狼狽に。狼狽は不安に。不安は悲しみに戻ってから、怒りに。
彼女の語気は徐々に強まった。それに従い、だらしなく垂れ下がっていた両手が拳を形作り始める。
「あった。絶対あった。絶対あった。絶対絶対絶対そこにあった! 絶対にあった! そこにあった! 絶対あった!」
体の震えの意味が変わる。肩を怒らせ、目をつぶり、駄々っ子のように同じ言葉を繰り返す。
目尻に涙が溜まり、声はますます大きく、強く、激しさを増した。
「キルデンザックゥゥゥゥゥゥ……!!」
強く食いしばられた歯。再び開かれた目は、涙越しにキルデンザックを睨み上げた。
憎悪の炎に、ゴン・ガンク族の男が目を見開いて一歩退がる。
彼女が、キルデンザックという名を正確に呼ばわったのは、この時が初めてであった。
「あたしのプリズムを!!」
右腕が振り上げられる。その拳の指の隙間からは、刃のように光が漏れ出ていた。
キルデンザックは「どけ!」と叫びながら、周囲の人々を左右に押し除けた。
まずい、魔法だ。クロスがそう思った瞬間には、もう全てが遅かった。
「どこにやったのよォォォォォ!!」
振り下ろされる右手と一緒に、巨大な光の塊がキルデンザックの頭上に振り下ろされた。
彼は検吏が持っている黒石を左手でひったくると、右手を頭上に向ける。
降りかかる光の拳は、衝撃を散らしながら彼の右手に受け止められた。
その衝撃で、周囲の人々は押しやられるように離れる。
光の塊は高位魔道士を押し潰そうと圧力を強めるが、輝きはむしろ弱まりつつあった。
キルデンザックの右手に光の塊は吸い込まれているのだ。
そして、吸い込まれた光は右腕を通り、胴を通り、左腕を通り、手首を通り、握られている黒石に集中した。
瞬間、黒石は眩い光を発散させながら、その光に食い破られるように粉砕された。
「グ、グーニィさん、落ち着いて!」
慌てて声をかけるクロスであったが、近付くことはできなかった。
完全に圧倒され、師の言いつけすら忘れてしまっていた。
「みんな離れろ! 説得なんぞ通じる相手じゃないぞ!」
対するキルデンザックはストールを剥ぎ取り、両腕を広げて迎え撃つ構えを取る。
それに応じるかのように、"光の魔女"は深く息を吐きながら歩みを進める。
彼女の目と口からは、すでに光が漏れ始めていた。
額には青筋が浮かび、足取りは確かで、何よりも強くヒールの音を響かせていた。
暗森の信仰に謳われる、怒りと憎悪に燃えた木と太陽の悪霊。今の彼女は、まさにそれだった。
「ふん!」
左拳を向けると、男の心臓が光を放ち始める。
相手の体内から直接魔力を炸裂させるのは、殺人魔法としては基礎的な手段であった。
キルデンザックは左手の親指を胸に当て、魔鳴法を以って心臓の光を吸い出す。
そしてそれを、右手の指先から"光の魔女"へ向けて放出した。
稲光のような、歪んだ光の線はしかし、呆気なく"光の魔女"の視線に逸らされ、後方の壁を焼いた。
彼は、覚悟はしていた。"光の魔女"と対峙する可能性を。
しかしそれでも、力量にはあまりにも大きな差があった。
魔法など何十年もまともに使って来なかったであろうに、その力はここにいる全員を束ねても及ばぬほど強かった。
"光の魔女"の体から放たれる光が増してゆく。
それは熱すら持ち始め、全身の各所からあらゆる方角へ向けて放たれていた。
魔力漏出による、肉体への負荷が始まったのだ。
「私の! 私の光なのよ! それをずっと邪魔してきた! お前ら凡人が、凡人風情が、私を!」
その声には反響のようなものが混ざり始めていた。
完全に正気を失った、のではない。
彼女の根源が、剥き出しのままに表出しているのだ。
「私の光が世界を覆う! 私の光が世界を埋める! 私の光が世界を焼き尽くす! 私の光は、偉業は、永劫に残り続ける! 全世界が私の名と光の前に倒れ平伏す! まずは!」
両腕を広げると、全身の光は一層増した。
それは最早直視出来ぬほどであり、彼女はまさに光そのもののようだった。
「お前の墓標に刻んでやるああああ!!」
そして、全身の光全てが、キルデンザックへ向けて束ねられた。
かつて酔漢を一瞬のうちに焼き尽くした、魔力と光の巨大な塊。
光そのものと化した彼女の全身を浴びせかけるような、極限の放射だった。
「ぬんっ!」
両手を前に突き出し、光を受け止めて踏ん張る。
自身の魔力を振り絞って光の芯に差し込み、炸裂させることで散らし続ける。
だが光と魔力が融合した力は、既に圧力すら備えるほど濃く、分厚い。
熱が彼の手と顔をじりじりと焼き、奥へ、奥へ押し込んでいく。
それは術でもなんでも無い、ただ迸る魔力をそのままぶつけているだけ。
練られていないからこその純粋な暴力であり、感情そのままの力。
つまりは、癇癪を起こした子供の力だ。
それ故に、決して手に負えない光であった。
キルデンザックの表情が苦悶に歪む。
最早誰も、二人には近づけなかった。
あまりの眩しさに、見ることすら叶わぬ有様なのだ。
「ぐうおおおおおおおおお!」
苦痛に彩られた雄叫びが響く。限界が近いことを報せる、断末魔の叫びに近い。
完全に、クロスの誤算だった。どういう経緯かは知らないが、"光の魔女"はクリンを振り切ってここに来てしまったのだ。
しかも、魔道士会がプリズムを盗もうとしているとの嘘のせいで、彼女はいまキルデンザックを殺そうとしている。
このままでは、クロスのせいで彼は死ぬ。そして彼を殺せば"光の魔女"も終わりだ。
策が裏目に出たせいで、二つの人生が途切れてしまうのだ。
だが、もう彼にはどうしようも無かった。
広間は隅々まで光に包まれ、最早キルデンザックと"光の魔女"の正確な位置さえわからない。
風圧と熱の余波は周囲の者らにも降りかかり、濁流が如き轟音が臓腑すら戦慄かせる。
危険の及ばない場所まで離れるのが精一杯で、とても近づけはしない。
あまりの輝きに、見守ることすら不可能なほどだ。
と、視界の端に、僅かに黒いものが映った。
殆ど錯覚に近いほどの一瞬だったが、それは光の源へ動いていた。
クロスが目の焦点をそこへ向ける。まさにそれと同時に、光の勢いが僅かに弱まった。
完全に白一色に染め上げられていた視界は、物の輪郭を取り戻したのだ。
視界は多少焼けてはいるが、目を細め腕で庇っていたおかげで、彼女の後ろに立つものは見えた。
「クリンさん!」
"光の魔女"の後ろに立ち、肩に手を添えている者こそ、黒衣に身を包んだクリンだった。
四つの目全てを閉じ、額を汗で濡らしながら、彼女は魂感応を試みているのだ。
それでも、光の放射は止まっていない。勢いが少しだけ弱まっただけだ。
状況は変化していない。だが既に、クリンの戦いは始まっているのである。
一つに溶け合った二つの魂の深奥で。




