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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
光の章
32/210

光の魔女9

クリン・ヴィ・カントの最も古い記憶は、手に持った羊皮紙を眺めている自分だった。

木綿のローブを身に着け、シリネディーク城の処置室の一つに置かれた手術台に座って。

傍らには数名の魔女見習いがおり、彼女らの前掛けと帽子は血で汚れていた。


羊皮紙にはこう書かれていた。




『あなたは屍術によって蘇りました。この文章が問題なく読めているのを祈ります。

 生前の記憶があるならば右手を上げてください。無ければ左手を上げてください。

 識字障害や言語障害は城魔女の方々が対応してくれます。

 あなたの生前の名前はトレライン・オーツフィッチ・ライランハンドです。記憶を失っていた場合、それが戻ることはないでしょう。

 あなたには別人としての、死人としての新たな人生と役目が待っています。

 それが果たされるよう、祈っています。

 あなたの名前は『クリン・ヴィ・カント』。残り時間を引き延ばすのが、あなたの役目です。

 

 ──5代目”霊の魔女”トレライン・オーツフィッチ・ライランハンドより』




羊皮紙には乾燥した漂白液が幾層も重ね塗りされている。何度も何度も使い回しているものなのだろう。

アッサルートが新式屍術を定着させてからは、死後の自分に宛てた遺書を各人に用意させるようになった。

死体を術者が魔力で動かしていただけの時代と異なり、屍術は高度な術と化していた。

それ故に、事前に当人の同意を得るようになったのである。

天核教はこの新技術を非難しており、魂が天へ解き放たれるのを妨げる行為だとしている。

彼らにとっては、魂の抜け殻であり単なる物質である死体を物のように動かす、かつての屍術の方が、教義にかなうものであったのだ。


5代目”霊の魔女”は、そういった情勢下で自ら望んで死人となった。

理由は不明だが、クリンに課された使命から、推測はできる。

クルーラー・グーニィのために、彼女は生まれたのだ。




その後、様々な検査や訓練が行われた。

認知機能検査、言語機能検査、知力検定、運動性測定、代謝機能検査、身体制御訓練、基礎的な再教育、全て規定の手順であった。

それらが全て済むと『死人の軍勢』の軍団長であるエルガンに顔見せと挨拶。

通常であれば、それから魔女協会領内での新生活が始まるのだが、彼女は特別に"屍の魔女"に謁見した。


『クリン・ヴィ・カント、あなたを8代目”光の魔女”クルーラー・グーニィの従者に任じます。とこしえに主人に仕え、主人の魂を既に亡きあなたの命に代えても守るように』


"屍の魔女"の傍らには、一人のエルフの少女が立っていた。

黒染めのローブに、黒い包帯で目隠しをした、白い肌の暗森エルフ。

"屍の魔女"は座から立ち上がって少女の背中に手を添え、ゆっくりと歩く。

その誘導に従い、少女も進む。足取りから、完全に見えていない訳ではないとわかった。


二人はクリンの前で止まり、クリンは事前の言いつけ通り跪いた。

包帯が解かれる衣擦れの音が微かに耳を打ったかと思うと、「顔を上げて」との幼い命令が下される。

言われた通りにすると、少女の緑色の瞳とちょうど目が合った。


美しく、純真で、森そのものを閉じ込めたかのような二つの目。

白目は濁り、瞳は燻んだ、死人そのものである四つの目。

この視線の交錯によって、二人は既に主従となった。


"屍の魔女"が少女の肩に手を添えると、少女は右手を突き出す。

人差し指には"光の魔女"の印章が彫られた指輪が着けられており、クリンは左手の親指でそれをなぜた。

その瞬間、契りは名実を伴うものとなった。

クリンと"光の魔女"クルーラー・グーニィとの出会いだった。



(当時から光陽様は激しさを内に抱えたお方でした。しかし、それを表に出すことは殆ど無かったようです。激しさが顔を出すのは、魔力漏出の時ばかり。故に、協会は光陽様に与える刺激を極力減らす方針をとっていました)

(目を塞いで、閉じ込めてたんですか?)

(生前の私を以っても、感応で光陽様をお鎮めするには至っておりませんでした。好転しないと知っていながら、他に方法が無かったのでしょう)

(でも、あなたが生まれた)

(左様です)



5代目"霊の魔女"は数えて先先代の魔女である。彼女が何故、どうやって死んだのかは問題ではない。

重要なのはクルーラー・グーニィの症状に対処し得る方法が生じたという事実である。



(光陽様は以前より"光の魔女"を継いで協会領の外へ出たい、と願っていたようです。協会長はそれを許す条件として、私を生み出し、従者として任命したのでございます)



二人がモル・ニスへ向けて旅立ったのは二日後だった。

当時はまだ統王街道の整備が完了しておらず、時間をかけて徒歩で旅をするしかなかった。


しかし、外の世界は二人にとって新鮮な驚きの数々だった。

大陸南西部と央部を繋ぐ農産流通都市の一つカルエーネ商業街区。

地平線と草原、青空が視界を埋め尽くすザイルの平原地帯。

ハールーン海上蛮族の末裔が漁業と塩田を営むザック・バグ沿岸地帯。

噴煙と鉱石と太陽と炎の街タルギン。

二ヶ月かけて、二人はこれらの地を通った。


カルエーネでは生まれて初めての買い物をして、商人にぼったくられたのを"眼の魔女"に笑われた。

ザイルでは平原の上に寝そべって昼寝を楽しみ、通りがかった行商人から指輪を一つ買った。

ザック・バグでは初めて海を見た興奮から、服を着たままずぶ濡れになった。

タルギンでは"鉄の魔女"の工房を見学し、炉の業を肌で学んだ。


一つ一つ、一歩一歩、"光の魔女"は感情を表に出すようになっていった。

魔力漏出も何度となく起こったが、その度にクリンが鎮め、その度に二人の心は近付いた。

クリンは"光の魔女"を光陽様と呼ぶようになり、"光の魔女"はクリンとのみまともに会話をした。

旅の道中で、グーニィは笑顔すら見せるようになっていった。


その傍らにあって、クリンは自分でも思いもよらないほどの満足感を覚えていた。

生前の記憶を失った死人と、魂を損ない生来の文化から見捨てられたエルフ。

魂感応を重ねるごとに、二人は互いが自分なのではないかとの感触を強めていった。



(でも、決して埋まらない溝がありました。光陽様は"忌み子"であらせられます。私が満ち足りようとも、あのお方は決して満たされないのです。それでも、旅の間は本当に楽しく、瑞々しい感情が流れて参りました)



目的地のモル・ニスに到着した時、街は荒廃から立ち直ろうと懸命だった。

かつての領主が三角連衡の乱に加わって敗れたせいで、街はデルグンドラ諸侯に破壊されていたのだ。

新領主と行政使府は協力してアルヴァンス島とデルグンドラ南部の関係を取持ち、タルギンや王都と彼らを結ぶ流通網を基盤とした再建に取り組んでいた。

しかし、乱を通じて"流木団"の一部が盗賊化。不安定な治安によって商人は思うように寄り付かず、乱でヴァレク候に加担していたアルヴァンスはそもそも統王に対して否定的。

懸命な努力も多くは空回りし、街は再建どころか落ちぶれかけていた。


それでも、タルギンと王都を結ぶ拠点の一つということで、市場は毎日のように盛況だった。

商業を振興したい行政側からしても、市場の土地は常に埋めておきたい。

おかげで、二人は市場の一角の土地を格安で手に入れられたのだ。



(暫くの間、光陽様は旅の道中で得た情報を片端から試していました。地図を作ったり、土と水から塩と鉄を作ろうとなさったり、料理や菓子作りなんかも試してらっしゃいました。その後、炉を自作して、様々なものを溶かしては混ぜ合わせるのを繰り返すようになりました。熱中するあまり、道に面した土地で、上半身の裸を晒しながら作業をする日もある程でした)

(この時から、魔道士会が介入して来始めたんですね)

(はい)



モル・ニスは再興のために、魔道士会を頼った。

古くからこの地に根付く勢力である上に、周辺の土地にも支部が置かれ、繋がりが強い。

盗賊化しなかった"流木団"は魔道士会の資金によって雇われ、アルヴァンスとの交易路確保にも尽力。

デルグンドラ諸侯領や王都からも、魔道士会と繋がりが深い商家を多数誘致している。

屯所にも資金を回し、盗賊化した"流木団"一派の討滅や吸収に尽力。治安回復にも貢献した。


こういった投資に対し、魔道士会が目論んだ見返りこそ影響力の確保である。

何者かの行動を意のままに制限し、意識しない内に従わせる。それこそが影響力である。

それは単なる言葉ではなく、物理的な構造であり、経済力であり、社会制度であり、権威である。

彼らはそれを求めた。モル・ニスに根付く商業の大部分を、自らの紐付きにしようとした。

"流木団"と屯所の衛兵の運営にも関係し、軍事的にも街を掌握せんとしたのである。


そのような野望にとって、突如飛び込んで来た魔女という存在はあまりにも目障りであった。

市井に堂々と拠点を構え、好き放題に実験を繰り返し、あられもない姿で衆目を引いているとなれば尚更である。



(初めは、些細なことでした。妙な受注ミスが増えたり、注文した実験資材の値段が、いつの間にか上がってたり、そんな程度です。でも、炉を自作して色々試すようになったら、明らかにやり口が過激化していったんです)


クリンの怒りを感じる。

死人には不相応な、熱く、激しい感情だ。


(脅迫状めいたものが届いたり、魔道士たちに公然と糾弾されるなんてのはまだいい方で、物を盗まれたり、壊されたり、炉に仕掛けをされた時は使用中に爆発して……光陽様が亡くなっていてもおかしくありませんでした。そして何があっても、領主は取り合ってくれませんでした)

(行政使府は何をしてたんですか?)

(光陽様が、統王や魔女協会には報せるな、と仰ったのです。あのお方には、それも必要だったのでしょう)

(嫌がらせや過激な妨害を、望んでいたっていうんですか?)

(自らの力に変えたかったのです。日を追うごとに、怒りと憎悪があのお方の中で膨れ上がっていくのがよくわかりました。それは、いつでも光陽様の心のうちにあったものでした。生まれてから、今の今まで、あのお方を根本で支えているのは常にそれでした)



やがて、グーニィは"鉄の魔女"に送ってもらったガラスの玉に夢中になった。

それは光を複雑に反射し、一方からの光を八方へ拡散させるように作られていたのだ。


この時、彼女は喜びと好奇に満ちた、輝くような笑顔を久しぶりにクリンへと向けてくれた。


『ね! ね! 光ってもっと自由に動かせるんじゃないかしら!? 鏡みたいな反射だけじゃなくて、こう、手で掴むみたいに!』


『素晴らしいお考えです』と応えながら向けた微笑みは、クロスに見られないよう隠された。

クロスも、追及はしなかった。どのみち、感情は共有しているのだから。


その日から、二人は新たな研究に取り掛かった。

どんな原料が良いのか、どう加工するのが良いのか、光とはそもそもどのような性質を持つのか。

毎日が試行錯誤の連続で、その間も魔道士会の妨害は止まなかった。

だが多くの失敗や、妨害による停滞が起きても、決して諦めはしなかった。


二人には確信があった。一歩一歩進むごとに強まっていく確信。

いま取り掛かっているのは、大いなる発明なのだ、という事実。

朝昼晩に炉を焚き、ガラスを切り、磨いては、失敗事例の記録を積み重ねていった。

彼女が目指したのは完璧。ただ光の向きを大雑把に合わせるだけではない。光をどのようにも操れる手法を、一代で確立させる。

その決心は、魔力漏出にも魔道士会にも覆し得ないものだった。




一年経ち、五年が経ち、十年が経った。その頃になると、魔道士会の妨害も疎らになり、街もほぼ再建されていた。

統王の為政も安定し、世の中は何の疑いもなく平和を享受していた。


そんな時、遂にレンズが完成を見た。

それは古オルキシュ語で"陽光"を意味する。

二人は完璧なレンズから、眼鏡を、遠眼鏡を、集光器を作り上げた。


魔道士会の息がかかっていない商人を買収してそれらを商わせると、商品はまず王都で爆発的に売れまくった。

眼鏡は乱視や近視に悩む貴族や学者、魔法使いたちに大評判であり、遠眼鏡は測量や連絡の迅速化や偵察に役立った。

燃料を使わずに種火や照明を用意できる集光器は、生活や生産の場でも大いに活用が見込まれた。


統王は即座にこれらレンズ商品の大量発注を命じ、各行政使府や屯所から注文が殺到。

二人ではとても扱い切れなかったため、レンズの優先的な卸しを条件に、魔女協会に仲介を依頼。

各発注者に前金を支払わせた上、複数の商会からの投資を取り付けさせ、遂に『クルーラー・グーニィ光陽社』を立ち上げたのだ。


魔女協会に仲介を頼むのはクリンの案であり、初め"光の魔女"は渋ったが、光陽社の構想を話すと賛同してくれた。

人材の確保には魔女協会と、統王御用達の"ゴルゴリン・ゴブリン連合商会"が協力。

最終的にはなんと魔道士会のモル・ニス支部までもが、土地と流通路の確保について協力を表明したのだ。



(光陽社が建ってる土地って、魔道士会が用立てたんですか!?)

(はい。そりゃあ、気分が良かったですね。地元の有力者団体として、モル・ニスで一番稼ぐ二人に協力せず、時代に取り残される訳にはいかなかったんでしょう。完全勝利というものです)



それから、光陽社はモル・ニスという街の顔になった。

魔道士会とも対等に渡り合えるようになり、操業開始以降は魔女協会の援助も受けていない。


潤沢な資金と満足な物資。割のいい取引と優秀な商品。光陽社は発展し、作れば作るほどその輝きは増した。

"光の魔女"も自らを飾り立てるようになり、更なる発展と光輝を目指した。


やがて、彼女は自らの芯を包み隠さなくなっていった。

力を得て、自由を得て、実績を得て、何かを守ろうとする必要が無くなったのだ。

百を超える部下たちを従えながら、自らの歪んだ魂を、形そのままに発露させるようになったのだ。




『私こそが光。私こそが皆の見る光よ! 私はあなたたちが最後に見る光!』




輝く水晶を頂く杖を掲げ、そう宣言した言葉は彼女そのものであった。


「Dicen'd hal bain」


「何者も逃れ得ず」


光から逃げることはできない。

彼女がもたらすものから、目を背けられる者などいないのだ。

彼女は変わりなどしない。世の中が彼女に合わせて変わるのだ。


少なくとも、クリンはそれを知っていた。

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