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魔女はペン先と黒インクにて集う  作者: wicker-man
光の章
33/211

光の魔女10

繋がれていた腕が、どちらからともなく引き剥がされる。

記憶への旅、意識の一時的な融合。死人だからこそ可能になった、アーゲルン人の新たな境地だ。

表層を眺め、なぞるだけではない、魂の深部からの交流だった。


クロスは息を切らせながら、よろよろと崩れるように床に座り込む。

一瞬のうちに自分の記憶と感情の全てと、他者の記憶と感情全てを味わったのだ。

あたかも夜を徹したかのような疲労が脳に残るのは、当然の帰結であった。


「知ってた、ん、ですね。グーニィ、さんが、世界を、壊す、かもって」


それでも、何とか絞り出す。


クリンは全て知っていた。"光の魔女"が抱える光と闇。その全てを。

知ってて尚、傍で見守り続けていた。


消耗したクロスとは対照的に、彼女は冷静だった。

四つの目で、息を荒げる青年を見下ろし、静かに言い放つ。


「驚きました。本気なんですね」


彼女も、クロスを知った。完治した"忌み子"が何を辿ったのか。

何と巡り会い、何を感じ、そして旅の中で何を決意したのか。


驚くべきことに、彼は心の底から魔女たちの幸福を願っているのだ。


「わかりました」


得るべき答えは得た。クリンはずっと、彼のような人間を待っていたのかもしれない。

"光の魔女"にとって、二人目の他者となり得るような人間を。



「あなたを信用します、クロスさん」



静かに、右手が差し出される。

その手には、先ほどとは異なる意味が握られていた。

クロスは力を振り絞って、閉じ切らない右拳を持ち上げると、クリンの拳と重ねるように叩いた。

空中で力を抜いて、重さを預けるように一瞬重ねただけだったが、それで十分であった。


同盟関係成立である。


"ガル・プリズム"の公表を、何としてでも食い止めるのだ。










2日後、エントランスに行政使府の役人十数名が雪崩を打って押しかけた。

先頭を行く検吏の左頬には魚の形の焼印があった。

彼が受付の女性に突き出した書類は、行政使府による監査の執行令状である。


「やあやあやあ、お役目ご苦労」


そんな彼らを出迎えたのはキルデンザックだ。

事前使の代表は監査団を出迎える。それが慣例であった。


「今回の監査を担当するマル・ガ・ダグと申します。よろしくお願いします」


検吏は自らの額の中央を右手の中指で軽く触れる。魔界の解放奴隷の間で広まった、ボー・ハッリという作法の一つで、敬礼を意味する動作だ。

キルデンザックも同様の所作を返す。監査が終了するまで、二人は仕事仲間となる。

キルデンザックの真の狙いにとっても、関係を良好に保つのが得策と言えた。




手順としては、事前使の情報を監査の担当官が引き継ぎ、事前使代表と担当官が共同して監査に当たる。

1日目は末端従業員との個人面談である。これは行政使府の者が、複数の面談室で並行して執り行う。

2日目と3日目は施設の視察と書類の精査だ。魔道士会の者が専門家として助言するのはこの期間である。

4日目が責任者、つまりは"光の魔女"との面談となる。

監査が終われば二週間程度の後に結果が通達され、法的な必要事項の執行が開始される手筈だ。


魔道士会の目的は3日目にプリズムを担当官に見せ、4日目にそれを詰問させること。

キルデンザックの目的は1日目に、密かに"光の魔女"と面談し説得を試みること。

クロスとクリンの目的はなんとしても3日目までに、プリズムを隠し"光の魔女"を説得すること。


「早速始めましょう。面談室の用意はありますか?」

「5つ用意があるので、二人一組で面談なさるがよいでしょう。従業員は食堂と研磨室に待機させてあります」

「結構。今日のところは、引き継ぎが完了し次第魔道士会の皆様には帰っていただきます」

「了解」


廊下を進みながら、特に関心も無さそうに会話を紡ぐ二人。


ともあれ、遂に監査は始まった。

絡み合う思惑の中で、結果は天にも測れぬだろう。











統王は食兌換制の公布と同時に、現界での奴隷解放令を発した。

人権という見地から発されたものではなく、大々的な改革に必要な人材を確保するためである。

魔界や現界で解放された奴隷の多くは、新制度に伴う施設または部署の職員として、街道整備の労働力として、多様化した流通の担い手として、教堂の教師として再雇用された。


マル・ガ・ダグもその一人であった。

魔界のベルゴン城下街では、生け簀の管理や魚市場の荷運びに従事する奴隷は河岸奴隷と呼ばれ、顔に魚の焼印を当てられる。

彼は11歳の頃から30年間、河岸奴隷として労働に従事してきた。


やがて、魔界を統一したハーバント家当主、後の統王により奴隷から解放されると軍に志願し、現界への遠征に兵士として加わる。

河岸奴隷を長年勤めてきたが故の細やかさから、彼は兵糧の管理と前線での分配を担当し、終戦まで卒なくこなした後に退役。

長期従軍者への特別手当を元手に養殖業者として独立することも考えたが、統王が新制度の従事者を募っていると知って、これに応えた。

経歴と、細やかで堅実な仕事ぶりが評価され、行政使府の窓口係に配属されるも、業務の中で法律に興味を持ち、地元の魔道士会員に師事する。

その後、師の推薦と試験を経て検吏と認められ、モル・ニスに配置されたのだ。


彼は労働を知っていた。組織の最下部で働く者たちというものを、肌で熟知していた。

そんな彼から見ても『クルーラー・グーニィ光陽社』の面々は奇妙に映った。


「社長のことは、実はあんまりよく知らねえんです。食堂にも来ねえもんですから」

「ちょっと不気味ですよね。誰のことも見てない感じがするっていうか……」

「大言壮語を吐いたり、無茶苦茶を言ったりはするんだが、間違いなく天才ではあるよ」

「いきなり妙な注文をつけてきたり、独り言をいつまでも呟いたりして、ちょっと変な感じですね」

「いい人か悪い人かで言えば、まあ、悪い人かな。私がこんなこと言ったって誰にも言わないでくださいよ」


面談した従業員たちは押し並べて、"光の魔女"に対して良い印象を抱いていなかった。

だが誰一人として、仕事を辞めたいとは思っていなかったのである。

確かに設備は整っているが、稼ぎが特段良いわけでもない。

補償制度も法の枠内であり、労働時間に至っては少し長めなぐらいである。


なのに、誰も辞めようとはしない。

待遇にも不満を抱いてはいないようだ。

何故か? その点を問い質すと、皆一様にこう答えるのだった。


「「「「「クリンさんがいるから」」」」」


このクリン・ヴィ・カントという、魔女協会からの派遣人員がどうやら鍵であるようだ。

面談をあらかた終え、他の面談員との情報を擦り合わせた結果、そのような結論に至った。


「仕方ない。予定を変えて、このクリンを面談しよう」


当初、クリンを面談する予定は無かった。

"光の魔女"の発作を抑えるため、魔女協会から派遣された従者に過ぎないからだ。

これは立場としては社長のかかりつけ医に近く、光陽社への監査という名分からしたならば、面談の必要性は無いと断じて問題ないはずだった。

しかし、従業員の殆どが、社に残る理由である人物としてその名を挙げるのだから、調査の対象として定めぬわけにはいかなくなった。


かくして、クリンが面談室に呼びつけられたのだ。



「よろしくお願いします。検吏のマル・ガ・ダグです」


恭しく敬礼を行う検吏に、クリンは軽く同じ所作を返しながら椅子に座った。


「クリン・ヴィ・カントです。急ぎましょう。私はあのお方の傍にいないといけません」


あえて急かすような口調を立てる。

小さく足踏みをして、焦りを伝える。

マル・ガ・ダグはその様子を見取りながらも、冷静に切り出した。


「あなたはアーゲルン人ですね? 今は死人だそうですが」

「はい、新式の屍術で蘇生しました」

「魂感応に影響はありますか?」

「魂の防御反応を意図的に制御できるようになりましたので、より深く強く魂を結べるようになりました。感応というよりも、もはや融合に近いと思います」

「他者の意識を操作できますか?」

「可能ではありますが、一時的なものです。情動を鎮めたり、心を読んだりは出来ますが、書き換えは不可能です。私自身の魂をも書き換えることに繋がりますので。そうなると感応能力そのものが乱れます」


ふうむ、と唸りながら手元の羊皮紙に奇妙な図形を書く。

奴隷時代に用いていた圧縮言語だ。


「クリンさん、従業員の皆さんは光陽社に在籍する理由にあなたの名前を挙げてらっしゃいます。どうしてだと思いますか?」


質問に対し、クリンは初め沈黙した。

答えたく無かったわけではない。どう答えるべきかを探っていたのだ。

四つの目が順番に閉じられ、逡巡を手伝うと、答える時には同時に開かれた。


「光陽社を立ち上げる以前から、私はあのお方の従者でした。あのお方に従い、守り、助けるのが私の役目です。となれば、主人が研究と発明に集中できるよう、従者はこまごまとした経営を担うものです。幸い、私はアーゲルン人でしたので、従業員の皆さんが心の奥底で抱く望みはすぐにわかりますし、取引相手の心算も読み取れます」

「光陽社を実際に経営しているのはあなたということですか?」

「光陽様──社長のことですが、あのお方の発明と研究無くして、光陽社は成立し得ません。設備や備品の設計も殆どが手ずから行ったものです。要は分担として、光陽様が物を作り、人を動かし、私がそれらを用意し、万全な状態を保たせる、という程度です」

「実質的には共同経営というわけですか」

「はい」


認識を改める必要を彼は感じた。

尤も、クリンが影ながら光陽社の経営に貢献している事実は全く表には出ていない。

情報収集の甘さを恥じたところで、それには全くあたらないのだ。


ともあれ、面談は続く。従業員の面談は既に済ませてあるため、箝口令を布かれる心配もない。


「今回の監査については、どう感じていますか?」

「どう、とは?」

「魔道士会の請願により実現した監査である、という点については隠すつもりはありません。率直に、今の状況をどう感じておられますか?」


一瞬、クリンは躊躇った。言うべきかどうかの判断を迷ったのだ。

しかし偽るのは悪手との結論に至り、決然と言い放つ。


「怒りを感じています。苛立ちもあるかもしれません」

「結構」


再び紙の上をペンが短く走った。


「魔道士会が主張する危険行為というものを、私どもは未だ把握できていません。魔道士会の主張の根拠が何であるか、推測でも良いので心当たりはありますか?」


彼は率直に訊ねた。クリンが忌憚なく今の心境を明かしてくれたからだ。


対するクリンの方は、クロスの言葉を魂で反芻していた。



『監査の手順はわかりました。そういうことなら、検吏は間違いなくクリンさんに話を聞くはずです。魔道士会が2日目か3日目に"ガル・プリズム"を検吏に見せるつもりなら、こちらで先手を打ちましょう』



「以前から、新しい発明品の開発を進めていました。詳細は社外秘ゆえ、契約法6条修正3項に基づき、私の口からは申せませんが……実験は、少々過激な手法も含んでいました」


これは嘘ではない。"ガル・プリズム"の開発によって備品が損傷した事件は従業員たちも知っている。

その全員が"光の魔女"の奇行による事故であろう、と認識してはいたが。


「なるほど。実験については、明日明後日で調査していきます。そのことを他に知っている者は?」

「魔女協会本部から、使者が魔女学会の招待状を届けに来ています。彼には試作品を見せました」

「クロス・フォーリーズ氏ですね?」

「そうです。試作品とは言っても、出来の悪い失敗作ですけれど……」


実のところ"ガル・プリズム"は完成している。

量産の方式が定まっていないだけで、物としてはクロスに見せた品が完成品であるのだ。


"ガル・プリズム"は未完成である。


それが、クリンとクロスの目指す結論。

行政使府を騙すことにはなるが、誰も傷つかぬようにするにはこれしかなかった。


「わかりました。次は会計報告についてですが──」


ひとまず、検吏は次の事項へと移った。

だが胸を撫で下ろすには早い。本番は今、彼女らの頭上で巻き起こっているのだから。










"光の魔女"は執務室で一人、存分に暇を持て余していた。

椅子に浅く腰掛け、投げ出した足を振りながら、吐く息に任せて唇を震わせる。

遊びや暇潰しの相手であるクリンもいないばかりか、執務室から出ないよう強く言いつけられている。

普段ならそのような言いつけなど無視するのだが、魂感応をしてまでの願いは、ほぼ命令に近かった。

深く魂を繋いでいるために、"光の魔女"とてその感応の内容には逆らい切れなかったのだ。

それに、ただ数十分待つだけならば、大した言いつけでもないと思えた。


「暇ね……三方定理の別解でも作って遊ぼうかしら」


思い立ってペンを取ってみるが、何だか気が乗らない。

たまに襲い来る「何をやっても冴えない日」のようだ。

天気が曇りで、窓からまともな光が入ってこないのも気に入らなかった。


「やーーめーーーたーーーー」


手に取ったペンを放り投げて立ち上がる。

ついでにヒールも脱ぎ捨てて裸足になった。


「寝よっと」


そして、ドアに向かって歩き出す。

早速言いつけを破ることにはなるが、すぐ隣の寝所ならば問題ないと思っての行動である。

何をやっても冴えない日はとにかく寝るに限る、というのが彼女の経験則だった。


だが、執務室を半ばまで進んだところで、ドアが数度ノックされた。


"光の魔女"は歩みをピタリと止める。

クリンならば、主人しかいない部屋にノックなどしない。

従業員ならば、すぐに名乗って入室の許可を求めるだろう。

だが、この者はノックの後にすぐさまドアを開いて体を部屋に差し入れたのだ。


「失礼する」


その者は魔道士会の高位道士だった。


キルデンザックその人である。



「ガンダンザングゥゥゥゥゥ!!」



"光の魔女"は即座にヒールを拾って殴りかかった。

完全に、殺すつもりの一撃である。


「キルデンザックだ魔女殿。落ち着かれよ」


振り下ろされた腕を掴み、ヒールを取り上げてから、軽く押して突き放す。

それでも、彼女は怒りを露わにしながら子供のように拳を振るう。

当然、屈強なゴン・ガンク族の肉体にそのような児戯が通用するはずは無い。


「いいのか魔女殿、俺は監査団の一員だ。暴力行為が明るみに出れば光陽社は取り潰し。"ガル・プリズム"は魔道士会の手にまんまと渡るぞ」


しかし、彼はその微笑ましい暴力を言葉で止めにかかった。

思惑通り攻撃はぴたりと止み、代わりに"光の魔女"は自ら飛び退いて距離を置く。

睨みつける視線には、ありありと敵意と警戒が見て取れた。

こういう姿だけは、非常にオルキシュらしさを感じさせた。


「な、なんの用よ。そんな助言あんたらしくないわね」


普段ならば取るはずのない言動であるのは、キルデンザックも"光の魔女"も同じである。

何をしても冴えない日であるのも手伝い、彼女は相手の話を少なくとも脳には入れる状態となっていた。

敵意と警戒は、相手という存在を認識している証拠でもある。


「言ったろう、俺は監査団の一員だぞ。お前に面談に来たに決まっておろうが」

「はぁ!? あんたが!? お断りよ!」

「監査業務を拒否するのか? であるならば行政使府に報告する他ないが……」

「うぐっ」


言葉に詰まる。相手の故にではなく、クリンが故にであった。

監査の間は魔道士会との遺恨を表に出さないように、と昨日厳命されたのだ。

対応を誤れば"ガル・プリズム"が失われてしまうという論調で。

彼女の今の最優先はプリズムである。事実をただ話すだけで、これらは納得させられた。


「立ったまま面談するか? 俺はそれでも構わないが」


不遜で余裕のある態度は、その事実を盾にとっているようで、余計に彼女を苛つかせた。

しかしそれでも、クルーラー・グーニィは何とか堪えた。

肩を震わせながらも、吹き飛んだヒールを拾って履き直し、定位置の椅子に勢いよく腰を下ろす。


それを見てキルデンザックも適当な椅子に着いた。

彼は行政使府の検吏がプリズムを知る前に、"光の魔女"との一対一の面談説得を試みるつもりである。

制度に疎い社主を騙し、検吏が従業員の面談で時間を取られる間隙を突く。

しかも今は、腰巾着であるクリンも離れている上、クロスの姿も無い。

彼にとって、これは最後にして最大の機会であったのだ。


「では、始めるぞ」


そして遂に、彼の表情に緊張の色が現れ始めた。

賭けの卓には就いた。後は最大の難関を潜るだけなのだ。






そして、それをクロスは隠し扉の奥から見聞きしていた。

エントランスと繋がる魔力昇降機の中に、彼は隠れているのだ。


(よしよし、ここまでは、上手くいってる)


ごく僅かな覗き穴と、隠し扉故に薄くなっている壁から、二人の様子は確認できる。


キルデンザックの賭けと共に、彼の賽も今壺に投げ入れられたのだ。

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