光の魔女6
まず、エルフとオークは近年まで別々の種族であると考えられていた。
それは古代フランド語で「野の人」を意味する「オルキシュ」もしくは「オリフェッシュ」が訛ったもの。
女性は、美しく、しなやかで、軽快な透明感を具え、エルフと呼ばれた。
男性は、厳つく、剛健で、重厚な荒々しさを具え、オークと呼ばれた。
姿形があまりにも異なる上、閉鎖的な部族性質から、カイレン魔術組合の者たちが初め別種だと勘違いしたのである。
現在では当人らも、オークを男性を意味する言葉として、エルフを女性を意味する言葉として活用している。
彼らの生活様式は移動式の狩猟採集であり、常に住居を転々とする。
暗森のオルキシュたちも、パイレンの暗森の中を常に移動しながら生活していた。
こういった部族は大陸各地に散らばって存在しており、森林や岩山や沼地等で適応した生活をそれぞれが送っている。
それに変化が生じたのは、統王による征服がいよいよ迫った時であった。
周辺文化と関係を絶ってきた彼らにも、否応無しに選択が突きつけられたのだ。
統一された社会の一員として生きるか、それらから外れた蛮族として生きるか。
後者を選んで統王に挑みかかり、滅んでいった部族が多数であった中で、暗森のオルキシュは前者を選んだ。
何故ならば、暗森のオルキシュは一人の"忌み子"を捨てていたからだ。
ほとんどのオルキシュは"忌み子"を即座に殺してしまう。
魔術の技に優れた呪術師が診断し、精霊に魂を作り直してもらうため自然に送り返すのだ。
だが暗森の人々は、彼女を森の外れに置き去りにした。
殺すことなく、何かが外で起きてくれるのかもしれないと考えたのだ。
もしかしたら、誰かが拾って、何とかしてくれるかもしれない。
精霊の導きがあれば、あの子の運命に選択の余地が生ずるかもしれない。
それは"外の世界"に向けられた期待や興味の現れであり、生きようとする命に対する精一杯の譲歩であった。
この精神の延長によって、彼らは社会との交わりに踏み出し、採集品や加工品、工芸品の交易を開始したのだ。
変化によって生き延びる柔軟さこそが、暗森の隠された最大の強みだったのだ。
捨てられた"忌み子"を最初に拾ったのは、フランド・マグの末裔たちであった。
彼らはすぐにそれが"忌み子"であると気付いたが、ここで議論が起きた。
この子は森の外れに置かれていた。もしや暗森の賢霊たちが送って寄越した子供なのではないか?
何か特別な意図があって、暗森の賢霊が我々に託した子なのではないか?
暗森の賢霊とは、神格化されたオルキシュの呼び名であり、フランド・マグの末裔たちの信仰対象の一つである。
彼らは議論を重ねに重ねたが、答えは出なかった。
そこに、魔界への出張の帰りに偶然立ち寄った9代目"腑の魔女"が現れ、大勢の前でこう告げた。
「霊の導きありと申すならば、我が今ここにあるも導きであろう。只今これより、我に任せよ」
フランド・マグの末裔たちは、それに従った。
9代目"腑の魔女"は"忌み子"を引き取ると、すぐさま魔女王国へと帰還した。
"屍の魔女"の許可を取り、資料を漁り、治療法確立のための実験を繰り返した。
その間も"忌み子"は育ち、部分的な成果のおかげか死ぬこともなかった。
"忌み子"には"眼の魔女"より名が与えられた。
カシッド・イル語で「小柄な」を意味するクルーラーと、古代フランド語で「太陽」を意味するグーニィ。
クルーラー・グーニィ。
カシッド・イル語の文法に当てはめれば「小さな太陽」。
古代フランド語の文法に当てはめれば「太陽の小人」。
魔力漏出の度に光を放つ姿を見て、名付けられた名前であった。
彼女は、魂の形成不全という障害を抱えながらも、魔女王国ですくすくと育った。
世界が統王の治世下に移行しても、魔女王国が魔女協会に変わっても、彼女の症状に変化は訪れなかった。
"腑の魔女"は彼女の世話と治療を行なったが、愛情を向けはしなかった。
やがてやって来た"腑の魔女"の弟子とは友人になったが、欠けた魂が満たされはしなかった。
彼女の精神は常に空虚であった。
しかし最も痛ましいのは、彼女自身がその空虚さを自覚しなかったことだった。
やがて突飛で支離滅裂な言動が目立つようになり、比例するように高い知能を示すようになった。
ある時、こんなことがあった。
魔女王国で一人の男が、酔って通りを歩いていた。
そこにクルーラー・グーニィが走り寄り、「何故酔っているのか」「酔いは自然分解ではなく何らかの媒介による物質の変成だ」「脳の活動が阻害され受容情報が魂まで伝達されない」「魔力波幅の変遷と酔いの段階比較で二日酔いの時間が求められる」などと捲し立てた。
男は混乱した。そしてただ、微動だにせず高速で捲し立てる様子のみを以って、自らが非難されているのだと感じ取った。
そして、男は彼女を殴った。既に彼女は男よりも年上ではあったが、エルフとしては幼い少女である。
殴られた左目は腫れ、鼻血を垂らしながら彼女は倒れた。
何故、殴られたのか。今度は彼女が混乱する番だった。
男が殴ったのは一発だけだったが、それで十分過ぎるほどであった。
混乱は恐怖へ、恐怖は不安へ、不安は興奮へ。彼女は大声で泣いた。
魂を昂らせ、何の遠慮もなく、全身全霊を以って泣き喚いた。
魔力が魂を破り、全身を衝き上げ、光として飛び出ても泣き続けた。
そうして、小さな太陽は初めて太陽そのものとなり、男を蒸発させた。
偶然近くにいた"源の魔女"が駆けつけ、強引にクルーラー・グーニィの魔力を魂の中に押し込んで鎮めなければ、光は己をも焼いたであろう。
この体験を通じ、彼女は自分が如何に他者から理解されないかを学んだ。
曖昧な自覚と無自覚の間に自我があり、制御不可能な知性がのべつ幕無しに振り回される。
それはまさに知の台風か、もしくは節操なく万物に降り注ぐ陽の光であった。
魔女たちですら、彼女の性質を抑えつけにかかった。
危険を理由にし、障害を理由にし、安全という大義を用いて、彼女の苦痛を取り払おうとした。
それは完全な善意であり、完璧な拒絶であった。何しろ、彼女のその状態は決して解決しないのだ。彼女は生涯、変われないのだ。
だが、自分が理解されないという事実は、また一つの欲求を生んだ。
孤独な者が望むのは何か? 諦めと絶望に至った者が考えるのは何か?
それは二つの行動と、一つの望み。
どちらの行動を選ぼうとも、結局は同じ動機。
そして、誰よりも賢い彼女は、その両方を選び取った。
昼食を終え執務室に戻ったクロスを待ち受けていたのは、レンズの研磨作業をしている"光の魔女"と、足踏み研磨機をせっせと回しているクリンの姿だった。
こんな時に一体何をしているのか、と驚きながらも、作業の邪魔をするのも悪いだろうかと思い小声で「戻りました」と告げる。
すると、"光の魔女"が左手を軽く上げた。
それ以上の反応は無かったが、クロスは取り敢えず、音を立てぬようクリンの隣に座る。
何故か、彼女の隣にちゃんと椅子が用意されていたからだ。
「あの、一体何してるんです?」
半ば耳打ちするように顔を寄せてクリンに訊ねる。
だが、彼女が答える前に、片目をつぶって研磨機に向かっている"光の魔女"が答えた。
「やる事ないからレンズ作ってんのよ。魔道士会の連中の好きにさせてるのは滅茶苦茶腹立つし正直ぶっ殺したいけど──あ、ダメだ、またムカついてきた。落ち着くのよ〜クルーラー。またクリンに眠らされるわよ〜。あ、クリンてのは私の従者ね、そこにいる」
レンズと研磨機を凝視しながら、左手だけで、クロスを指差す。
それから「いや、多分こっちね」と宣い、指の向きをクリンの方へ変えた。
「どうも初めまして、私"光の魔女"従者のクリン・ヴィ・カントと申します」
直後に、クリンが恭しく自己紹介をした。
速やかで淡々とした一連の流れには、慣れのようなものを感じさせた。
そのあまりに淀みない動きにクロスも、つい「あ、どうも、クロス・フォーリーズです」と名乗り返してしまった。
「それよりホラ! これがレンズよ」
研磨機にかけていたレンズを持ち上げ、窓から入ってくる光にかざす。
レンズは日光を曲げ、クロスの膝にぼんやりと小さな陽だまりを作った。
"ガル・プリズム"ほどの力ではないが、これにも仄かな温かみがあった。
「レンズの原料は普通のガラスなんですか?」
クロスの疑問に、まず魔女は「んーん」と首を振って答えた。
「硅砂にバリン灰と葉骨灰とギレイン石砂とガイレナーツを合わせるのは普通のガイレン・ガラスと同じだけど、それだと屈折が弱いからプレド錆鉛とアンカレック・ガラス、あと鉄抜きにパイレンの焼き土を混ぜる。後は魔力炉と坩堝を組み合わせた専用炉を使って二段階に分けて溶融して、不純物取って、しっかりかき混ぜて、冷やして、選塊して、成形するのよ」
「それ全部ここの工房でやってるんですか?」
「原料の調合は"群の魔女"にやってもらってる。ここに届くのは、原料を混ぜ合わせて球状に突き固めた"カルコーの丸薬"ね。それを使って、雇ったガラス職人たちにガラスを作らせて、そいつをレンズの形に整えるのよ」
再び片目をつぶってレンズを覗き込む。
幾度も角度を変え、透明な石の中で曲がっている光の線を観察していた。
「でも、密度が微妙に均一じゃなかったり、成形の時に形がちょっぴり歪んだりするのよ。だからちゃあんと一つ一つのレンズを見極めて、それぞれの状態に合わせて磨かなきゃなんないわけ」
それから、レンズを研磨機にかける。
火花が飛び散るほど激しく擦れているわけではなく、ガラスを羽で撫でるような音が途切れずに響くのみだ。
「以前はハーキーズっていう金属を砕いてお湯と混ぜたもんを振りかけてから布でゴシゴシやったものだけど、高純度のハーキーズでこいつを作ったら、研磨作業が三分の一程度の時間で済むようになったわ」
左手で、回転中の研磨機をこんと叩いた。
動いている研磨機を素手で触ったため「いちち」と呟きながら左手を振る羽目に陥る。
クリンが腰を浮かせて、"光の魔女"の左手に両手を添えつつ傷を診るが「大丈夫よ」とすぐに振り払われてしまった。
見ると、赤くはなっているものの出血はしていない。強がりではなく、実際に大丈夫なようであった。
「ま、とにかく、この研磨が重要なのよ。これをちゃんとやるだけで、ホラ」
彼女はそう言いながら、今度は自分が装着している眼鏡を外してかざした。
そのレンズは光を曲げてクロスの腹に小さな陽だまりを作る。
だが、今度のは先ほどに比べて陽だまりの輪郭がはっきりしており、レンズの形をそのまま写したかのようだった。
更に"光の魔女"が手首を返しつつ眼鏡を近づけると、陽だまりは針の先程度にまで小さくなる。
それも、くっきりとした輪郭をほぼ残したままで。
「これがレンズの基本よ。成形と研磨の組み合わせで、色々な用途のレンズが作れるわ。あのプリズムほどじゃないけど、これも十分すごいでしょ? プリズムは見せたっけ?」
眼鏡を着け直しながら首を傾げる"光の魔女"に、「はい、見せて頂いてます」と、あくまで初めてであるかのように告げる。
彼女は「そ。そんならいいわ」と素っ気なく応えると、研磨作業に没頭していった。
その没入ぶりを見計らい、再びクリンに顔を寄せる。
今度は口元も隠して、万が一にも小声が"光の魔女"に聞かれぬようにした。
「キルデンザックさんと話しました。どうやら今回の件、行政使府はあまり乗り気じゃないみたいです」
クリンは言葉でも視線でも応えはしなかったが、ただ一度小さく頷いた。
相手に聞こえているのを確認し、更に報告を続ける。
「魔道士会の狙いは"ガル・プリズム"一点です。"光の魔女"さんの症状を理由に、管理責任能力なしとして接収するつもりでしょう」
キルデンザック個人の狙いについては、あえて伏せた。
もし話した場合、彼の目的と、クロス自身の目的の障害になりうると判断したのだ。
そう、クロスも決意していたのだ。
"ガル・プリズム"を今の世に送り出させるわけにはいかない、と。
誘いを断りはしたが、それは自分なりに行動するつもりがあってのことである。
「となれば、尋問の場を設けようとするでしょうね」
クリンが小声で応える。
既に挑発は十分に済んでいる。後は公式の尋問の場で"光の魔女"を刺激し、してはならない行動を取らせる。
"ガル・プリズム"の力を行政使府の者に見せつけた上で、そのような事態が起こったとなれば、担当者は統王に報告せざるを得なくなるだろう。
魔道士会の計略としては、そこで統王に「"光の魔女"にプリズムを扱うほどの管理責任能力なし」と判断させ、己らが専門家の立場から接収を代行する、という筋書きだと思われた。
つまりは、魔道士会が監査期間中に狙う手順は二つ。
一つ目は"ガル・プリズム"の力を行政使府側の担当者に知らしめる。
二つ目は公式の尋問中に"光の魔女"を刺激し、暴力的な行為に及ばせる。
クリン、クロス、キルデンザック。
三者はそれぞれの立場から、この魔道士会の計略に切り込んで行かなくてはならなかった。
「完成! 流石ねクルーラー!」
そんな事情など露知らぬとばかりに"光の魔女"がレンズを掲げた。
研磨の後に、細かい削り粒を刷毛で優しく払い落とす。
それを光にかざすと、クリンの額に光の円が映し出された。
はっきりとした輪郭の円は、太陽というよりも月によく似ていた。
「光陽様、そのレンズでは遠眼鏡とするには些か大振りに見えますが」
"光の魔女"のいたずらにも眉を潜めることなく、淡々と言い放つ。
レンズをずらして光を左目に当てられても、仰け反りもせずただ左瞼だけを閉じた。
「ふふん、これは天体観測用の望遠鏡に使うのよ」
「天体、ですか?」
「星々の位置関係や運行を正確に記録するのよ。空の星がなんでわざわざ光ってんのかも調べられるわ。きっと凄い発見が山のように詰まってるに違いないんだから! ま、ひとまずの目標は月の表面の模様が見れるようにすることね」
磨き上げたレンズを丁寧に薄紙で包む。
僅かな凹み、微かな歪み、小さな傷が光の屈折を乱してしまう。
遠くを見れば見るほど、小さな瑕疵は大きな乱れへと繋がってしまうのだ。
彼女は包んだレンズを書き物机の引き出しに敷かれたクッションに置くと、新たなレンズを取り出した。
それは、先ほど磨いたものよりもやや小さく、薄めのガラス板だった。
「さ、次行くわよ。研磨機回してー」
レンズを手に座り直すと、クリンが再び研磨機を足踏みで回し始める。
"光の魔女"は回転する石臼状の研ぎ材の面や角を器用に使い分け、新たな研磨に取り掛かった。
まずは全体を均一に磨いて細かい凹凸をならすため、禿げ頭を撫で回すようにレンズを忙しなく動かして磨き上げていく。
その滑らかな手つきは、熟練の職人を思わせた。
「レンズ磨きも久しぶりねー。最近は"ガル・プリズム"の作業ばっかだったものね。何年ぶりぐらいかしら?」
「1年と13ヶ月と16日ぶりです」
「そんなに!? 時間が経つのって早いわー」
二回目なので余裕が出てきたのか、意味もない雑談を繰り広げながら研磨を続けている。
細腕のエルフの少女が、豪奢で煌びやかな衣服に身を包んだまま、職人のように作業を行う姿は、なんとも奇妙だった。
「光陽社立ち上げたばっかりの頃は毎日のようにレンズの試作品作ってたわよね。魔力炉一つに、プアリの額程度しかない土地。しかも市場の一角だったせいで埃や熱気も酷かったなぁ。職人もいないから、原料の調合からガラス作りから選塊から研磨から全部あたし一人でやってたのよ?」
「私もおりました」
「あれ? そうだったっけ?」
「はい、光陽様が熱中症でお倒れになった時は私が介抱して差し上げました」
クリンの言葉に首を傾げながらも、手は休まらず、過ちも犯していない。
恐らくは何千回、何万回と繰り返した作業なのだろう。
研磨機の上で淀みなく滑り続けるレンズの動きが、彼女の積み重ねた苦労をそのまま表しているようだった。
「ま、とにかく、レンズが完成したら、眼鏡を作って、遠眼鏡を作って、集光着火器を作って、色々やったわね。光陽社もここまで大きくなったし、レンズは今じゃ人の住むところの隅々にまで行き渡った。これってすごいことよね? もちろんよ、クルーラー」
レンズの原料の配合を知るのは"光の魔女"と"群の魔女"だけ。原料に合わせた製法を知るのは"光の魔女"だけ。
レンズの光は今や現界と魔界を普く照らし、その輝かしき名は太陽にも劣らない。
魔道士会ですらその発明を研究や調査や生産に使用しているぐらいだ。
既に、屈折した光は車輪や袋と同様、人々に欠かせない道具となっていた。
「でも、まだよね。一番じゃないもの。太陽の輝きに迫っても、超えることはない。そこにある光をただ曲げるだけですものね」
研磨の動きが少しずつ繊細で小さくなってゆく。
細部の調整を始めたのだ。
「いずれ、私の光が太陽を凌駕するわ。地に降り注ぐ陽光を搔き消す程のまばゆさで、全てを包み込む日がやって来るのよ。プリズムの光が、何もかもを埋め尽くしてみせる」
並外れた直観と洞察で研磨を進める。
一瞬だけ光にかざして具合を見ることはあっても、躊躇いや逡巡は一切無い。
「それだけの力は用意したわ。私は全て、困難をはねのけて、やり遂げたのよ。私の光が世界を満たす、その決意がようやく実るの」
大きく腕を伸ばし、掲げたレンズを深く光に差し入れ、片目をつぶって覗き込む。
それは天に伸ばされた手であり、太陽へ突きつけた剣であった。
宣誓のために立てられた手であり、今まさに振り下ろさんとする首切り斧であった。
「邪魔されてなるもんですか」
その出来栄えを見て、"光の魔女"は笑った。
レンズを通った光が彼女の右目を苛んでいたが、気にも留めていなかった。
それは、長年の計画と悲願の成就を確信した、欲望の笑みだった。
学に溺れ、達成の快感に耽る、異端者たちの笑みだった。
まさしく、それは魔女の笑みであった。




